08. 恋の行く先
差替版の8話になります(5/30投稿)
「エミリア様、結婚してください」
突然、見知らぬ相手から求婚されたのは、初夏のよく晴れた日だった。
いきなり知らぬ相手から声をかけられただけでも驚いたのに求婚されて、ただひたすら驚き、続けてどこで見ていたのだろうと不安になる。
自分の預かり知らぬところで見られているというのは怖いものだった。求婚の言葉と共に、大きな宝石のついた豪華なブローチを差し出された。
だが初めて見る相手に高価な宝飾品を贈られても、とてもではないが受け取れない。
ずいと差し出されて一歩後ずさりした。
「驚いておりますよ、まずは名乗られるのが良いでしょう」
第三者の声に、エミリアは少しほっとした。
関係者でない目の前の男は王太子宮に入ることが叶わず、エミリアが外に出て面会している最中であり、声は歩哨のものだった。
「何故、知らんのだ!」
「侍女のほとんどは深窓の令嬢であり、出仕までは滅多に家を出なかった者が多い。家名と爵位は知っていても、顔を知らないのが普通ですよ」
穏やかな口調に見せかけて少々呆れを含んでいるのは、顔馴染みだからか。王太子宮に詰める騎士たちは、全員が紳士的で女性に親切だ。
だから自分が望む反応がかえってこないからと声を荒げられるのは、出仕してから初めてであり、前夫を思い出してビクリと震えた。
「私はマイルズ、アルバーン伯爵家の長男になる」
名乗りに、エミリアは素早くどういう家だったかを思い出す。中央貴族であり、一族に大臣を始めとする有力な政治家はいない。良く言えば野心が少なそうに見える、悪く言えばぱっとしない家柄といったところだ。
もっとも有力な政治家を輩する家門でも、そうではない家門の出でも、対応は同じでお断りするだけなのだが。
「申し訳ございません、アルバーン様。結婚は家同士の契約でございます。私ではなく父に申し入れしていただけないでしょうか」
丁寧に頭を下げ、自分に選択権がないのだと伝えたが、アルバーンは食い下がった。
「王宮の侍女は恋愛結婚が普通だと聞く。エミリアが父上に願えば、結婚は叶うだろう」
「そんなことはございませんわ。実家は地方貴族ですもの、家長が決めたことに娘が従うのは、今でも当たり前です」
実は好きな相手と結婚しても構わないとは、侍女として出仕するときに父から言われている。
だが今言ってしまえば、相手がどんな強引な手段を取るかわからない。ここは父と実家を前面に出して断るに限る。
「もし恋愛結婚を許されたとして、初対面の相手にすでに恋心を抱いているなんてことはありませんよ。一旦出直して、友人からはじめるのが良いでしょう。無理強いすると女性は怯えますよ。特に箱入りのご令嬢は」
エミリアではなく歩哨が断りを入れる。
結局、本人は出る幕がないままに、アルバーンは帰っていった。
「次回以降は取り次ぎませんよ、あんな奴」
ニヤリと歩哨たちは笑う。
「悪かったね、あんなのだと知っていれば取り次がなかったんだが」
「ご令嬢にいきなり怒鳴るような男はロクなもんじゃない。手を回してお父上に絶対縁談を受けないように言うといい。なんだったらギルソープ隊長あたりに素行を調べてもらえば、醜聞の一つや二つみつかるから」
ほんの僅かばかりの時間だったが、騎士たちにロクデナシの烙印を押されたアルバーンが、王太子宮でまともな対応を取られることは二度とこないだろう。
エミリア自身、もう二度と会いたくないと思っていたから、願ったり叶ったりだった。
「王族の覚え目出度い侍女を、権力に明かせて妻にしようするのは、昔からよくあることなのです。困ったことに」
侍女の控え室に戻った直後、侍女長に呼ばれると、開口一番に溜息交じりで言われた。
「セイラ殿下は自分付きの侍女を気に入っているでしょう? それで声をかけたのだと思うわ。あなたはお相手のことをどう思ったのかしら?」
「正直、二度とお会いしたくありません」
いきなり馴れ馴れしく名を呼ばれたり、怒鳴られたり、正直不快な相手だった。騎士たちが会わないように取り計らってくれるというので、遠慮なくお願いしたばかりだ。
「だったら話は早いわ。ご実家に連絡して、婚姻の申し込みを受けないように取り計らいましょう。益が無いと宮から連絡を入れれば、受けることはまずありません」
微笑みながら大丈夫だと言うが、それは職権濫用ではないかと思う。
「ご実家からあなたをお預かりしている立場なのよ。守るのは我々の当然の義務です。そうでないと安心して娘を王宮に上げられないでしょう?」
そう言われてしまえば、エミリアが口を出すことはなかった。
侍女長からギルソープに話が行き、騎士団の情報網でもって、その日のうちにマイルズ・アルバーンの金遣いの荒さが露呈し、同時にアルバーン伯爵家の借金もみつかった。家格は悪くないものの、借金のある家に娘を嫁がせれば、寄りかかられて迷惑を蒙りますよとしたためた手紙が、ダルトン伯爵家に送られる。
「エミリア、大丈夫でしたか?」
勤務が終わるのと同時に、ネイサンも血相を変えて現れた。
「大丈夫です。歩哨に立たれていた騎士様が助けてくださいました。その後は侍女長が上手く取り計らってくださいまして、実家に結婚を受けないように連絡を」
「すみません、役立たずで」
自分で恋人に降りかかってきたトラブルから助けられなかったとしょんぼりするネイサンに、エミリアは大丈夫だと返した。
「私事で仕事を放り出すのはよくありませんわ。私は仕事をしているときのネイサン様のお姿が好きなのです。それに夕方までに解決していなかったら、絶対に助けてくださいましたでしょう?」
「当たり前ではないですか。好いた女性を助けられずして、騎士は務まりません」
真剣な顔で好きだと言われて、今更ながら赤面して絶句した。
暫くの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「・・・・・・すみません、照れてしまって。でもありがとうございます。私もネイサン様のことを恋しく思っております」
自分も、と言って更に顔が熱くなった。でも今、どうしても自分の気持ちを伝えたくなったのだから仕方ない。
見上げればネイサンの顔も真っ赤だった。
「結婚してください、こんな時ですが。いや、話を聞いて絶対に誰にも奪われたくないと思いました」
「はい、幸せにしてくださいませ。私もネイサン様のことを出来る限り幸せにいたします」
本日二度目の結婚の申し込みは、エミリアが望むものだった。
二人ならきっと毎日が幸せだわ。
そう思いながら恋人に身を任せ、二人の影が一つに重なった。
差替え版最終話になります。
書籍版と内容が被らないように書くのは難しかったです。
書籍情報、修正内容詳細は活動報告に記載しました。