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10. 教会と王権 1

 巡礼の旅、というものは敬虔な信徒なら一度は誰も行きたいと思うものだ。


 しかし実際問題、路銀や道中の安全を考えればできる人間は限られている。その日、食べていけるだけの糧しか得られないというのは、貧民街の住人に限った話ではない。平民の多くに当てはまる。


 それならばと領主が箱馬車を仕立てて支援することで、教会に信仰心を披露すると同時に領民の求心力を得られた。フィールディア教側も巡礼者の食費相当以上の寄進を得ることで、中央から見捨てられたような寂れた教会の活動資金を得られ、両者にとって良い関係を維持できるのだった。


「良いこと尽くしだったはずなんですけどねえ。しかし悪党はどんな状況でも犯罪の温床にすることができるんですね」


 アーヴァイン大司教はニヤリと笑う。


「私は巡礼の旅を食い物にして私服を肥やす悪党のようですよ」

「この程度の端金で喜ぶと思われるとは、猊下は随分と甘く見られましたね」


 悪党にされた主人に向かって、側仕えであるセリムは「舐められましたね」と苦笑気味だ。

 机の上にあるのは、アーヴァインの不正の証拠である。


 偽造だが。


 巡礼者は教会に泊まるのが常だ。

 領主の主催する巡礼の旅に寄進は付き物だ。その額を実際より小さく記録し差額を着服する、なんとも小悪党が考えそうな横領の手口だ。単純だからこそバレにくい、存外、悪くない手段である。寄進の受け取りと帳簿への記載は中立派の司祭が行い、アーヴァイン派の司祭の手を経た後、監察官の手により精査され、汚職が摘発される手筈が整っていた。


 実際にはアーヴァイン派に見せかけた敵対派閥の司祭から、上層部に奏上される予定だった。

 現在、証拠書類一式、アーヴァインの手元にあるのだが。


「さて少々悪戯が過ぎるようですし、お仕置きの時間といきましょうか」

 とても良い笑顔を浮かべて宣言した。





「モルト神父とファロン神父を呼び出していただけますか」


 アーヴァイン大司教一行がフルーレン教会に到着したのと同時に、随行員の一人であるダッチェル神父が指示を出す。ギーラン大聖堂所属のこの司祭は、アーヴァインの属するオルグレン派とアップルガース派の諍いに迷惑している。


 そして査察の最重要人物でもあった。

 どこの派閥にも所属せず、私見で物事を判断しないため、派閥の絡む案件に重宝されている。


 茶の一杯を飲む間もなく、呼ばれた神父たちがかけつける。


「こちらの書類に関して、説明をしてもらえるでしょうか」


 ダッチェル神父が机に乗せたのは、王都を立つ前にアーヴァインが目を通して苦笑した、自身の汚職を取り扱ったものだった。


「内容通りです。全ては大司教猊下の元に。私は後ろ盾がありませんから、上司から強く言われて拒否できませんでした」

 モルト神父が項垂れた様子で口を開く。


「私はモルト神父から裏金を上納するから大司教猊下に取り次いでくれと頼まれたに過ぎません。しかも知ったのはつい最近です。金と裏帳簿を渡されたに過ぎません。断れば私に脅されたと本山に訴えると脅されました。それで仕方なく……」


 実行犯のモルト神父はできるだけ哀れっぽく見えるように訴えかける。


 対する上司のファロン神父は、自分が知ったのは事が起こってからであり、随分と時間経過した後だったと返す。寄進の横領が始まって既に何年も経っている。


 ファロンの言う通りつい最近知ったのであれば、知らぬ間に自分が犯罪に加担したことになり相当困惑したことであろう。


 事実であればだが。実際のところファロンは、アーヴァインに与していると見せかけたアップルガース派であり、今回の成果が出世の足掛かりになっている。


 当事者のもう一方であるモルトは中立派にみせかけたエクルスストン派である。アーヴァインと対立するアップルガース派の合間を縫って、ここ数年の間に台頭し始めた派閥だ。


 ――浅はかなことを。


 アーヴァインは冷ややかな目で二人のやりとりを見る。

 視線を外せば、苦虫を噛み潰したような顔のダッチェル神父の顔があった。


「いい加減、茶番は止めなさい」

 怒りをにじませた低い声で制止する。


「正直な話を聞かせてください。アーヴァイン大司教が今回の件に関わっていないのは、既に調査済みです」

 きっぱりとした口調でダッチェルが宣言した。


「既にギーラン大聖堂にて猊下に事情聴取が済んでいます。今回の不正が告発され裏帳簿が手元に来ましたので、私が事実関係を調べました。結果、猊下がこの件に関わっていないことが立証されました」


 言い訳が通る状況ではないと知った二人は一気に狼狽した。

 今回の目的はアーヴァイン大司教の権威失墜である。


 抜いた金は自分たちの懐に入れているが、周囲に露見することを恐れて派手に遊行することはしていない。用意周到に準備をした筈だ。


 何故……?

 二人の頭に過ったのは疑問だけだった。


「今回、不正が発覚したのはこちらの教会に所属している者からの告発です。貴族からの寄進が多いのに、予算が少なく巡礼者に満足な食事を提供できない、誰かが金子を懐に入れているかもしれない。そういうものでした」


 事の発端を口にした後、手元の書類に目を落とす。

 告発したフルーレン教会の神父が増額を知ったのは偶然だった。


「調べた結果、裏金が発覚しました。寄進を行った貴族に問い合わせをしたところ、あっさりと判りましたよ。その直後に裏帳簿もみつかりました。今、あなた方の目の前に置かれているものです」


 告発したのは偽装など何もしていない本物の中立派だ。


 フルーレン教会は教区の中で一番大きいとはいえ、そもそもが田舎なので、主だった派閥に所属する司祭は少ない。政治的な活動に興味が無く、神に仕えるのを信条としている聖職者が多くを占める平和な教会だ。


 だからこそ策略を張り巡らせ易いと選ばれたともいえる。


「さて猊下に裏金を渡したという日ですが、確かにお二人の所在は確認できませんでした。金子を渡すため、猊下と密会していたというのには丁度良い言い訳です。しかし猊下の所在は確認できます。全ての日ではありませんが、四割くらいは予定が入っており、記録からも嘘ではないと確認されました。例えば二か月前、金を渡したと思わしき日ですが、この日は王都の孤児院を慰問しております。夜、隙間風に子供たちが悩まされていないか、自身で体験するために子供たちの部屋に寝台を運び込むことまでしておりましたよ」


「……」

 二人は絶句した。


 基本的に聖職者の日課というのは変えないのが普通だ。

 だからこそ日課を調べ、一人で祈りを捧げている時間を密会時間に仕立て上げた。

 周囲に人がいないのだから、アーヴァインが所在をくらませたと言い立てても、本人に反論させないためである。


 しかし蓋を開けてみれば、所在が確認できないのは実行者二人だけである。

 これではアーヴァインに罪を着せたようにみられても仕方がない。


「更に分かったことがあります。あなたたちが娼館に出入りしていると証言がありました。調べてみればあなた方の行方が分からない時間帯でしたよ。相手をした娼婦もあなたたちを見て間違いないと証言しました」


「それは何かの間違いです! あれは姦淫の罪を犯している聖職者がいると聞いたから、聞き込みに行ったのです。大事にはせず、見てる人はいるのだからと諫めるためで、たった二回、娼婦に話を聞いただけです!」


「そうですか……。月に一度、お二人のうちどちらかが顔を見せていると聞いていますが。娼婦だけでなく裏口から部屋に手引きしたと、店の男衆も言っていますよ。支払い金額は裏帳簿に記載されている金額より若干少ないくらいでしょうか」


 嵌められた……!


 直感的に二人はアーヴァインに嵌められたのだと理解した。


 同じ派閥であったり中立派であると見せかけているが、実態は対立する派閥に属する二人である。アーヴァインを嵌める筈が逆に嵌められ、教会を放逐されるのだと、悟った瞬間だった。


「さて寄進が長年、横領されても発覚しなかった理由は何でしょうね」

 アーヴァインがこの場で初めて口を開いた。


「こんな簡単な横領が気付かれなかった理由、それは寄進の増額があったからです。増えた分を帳簿に記載しないだけですから、発覚し辛い筈です」


 一旦口を閉じ、関係者を見回す。

 ガクリと力なく項垂れる二人と、正義の使徒と化した荒ぶれるダッチェルは対照的である。


「何故急に増額されたのかといえば、口止め料ですね」

 アーヴァインは静かに指摘する。


「巡礼者の随伴は貴族家の家臣です。右も左も判らぬ領民を先導し、寝床と食事を提供する教会毎に幾ばくかの寄進をするためにいます。しかし同時に金の密輸にも手を出していたのを見逃しましたね?」


 教皇庁に寄進をするためと称した長持は二重底になっていた。その中に金を隠していたのだ。


 しっかりした作りの長持はそれなりに重い。重すぎると人足が思っても、大切な物が入っているので、硬くて丈夫な木を使ったのだと言えば信じるしかない。実際、水に沈むほど重い木材も存在するのだから。


「既に押収されていると思いますよ。一度の出張で全てを終わらせる心算で来ましたからね」


 密輸入をしている貴族家の巡礼者が泊まっている日を選んだといえば、二人は脱力しその場に崩れ落ちる。

 完落ちだった。

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