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09 生臭坊主の愛人候補

「猊下、助けていただきたいのです」

 礼拝堂の中のことだった。


 そう言って上目遣いに目線を合わせてきたのは肉感的な美女である。


「全ての人に教会は戸は開かれておりますよ」


 柔らかな微笑みを浮かべて、アーヴァインは目の前の婦人に手を差し伸べる。こういった言葉は聞きなれており、いつものように対応するだけだ。


 彼の元には権力者の愛人として名誉と引き換えに権力と贅沢を求める女や、その反対に追い詰められ助けを求める女が押し寄せる。大司教という地位に就き、更には名門アーヴァイン侯爵家の出身だから、当然といえるかもしれない。端正な顔立ちと洗練された柔らかな物腰もあって女性人気は絶大だ。


 しかも大司教は女がどうであっても手を取るのは止めない。

 ただ前者であった場合は取った手を離すが。




「両親が嫁げと申しますの」

 やや俯きながらカーラ=ランバートは力なく口を開く。


「あなたは既婚者だと思いましたが」


「未亡人ですもの。夫の遺産でつましい暮らしをおくるなら、死ぬまで食べるに困りませんが、婚家の後ろ盾がありませんから、父にまた無理やり嫁がせられそうですの」


 カーラは元伯爵夫人だ。自分より年上の息子がいる男の元に、売り飛ばされるように嫁がされた。義理の息子との仲は悪くはないが良くもない。同居していたころからずっとお互い不干渉を貫いていた上、前伯爵の亡くなった時に互いに相手の相続に異を唱えなかったので、後妻と義理の息子の関係が悪化することはなかった。変わらず不干渉の仲が続き今に至る。


 若い妻には一人で食べて行けるだけの財産として小さな荘園と王都の別宅を遺し、残りは全て跡取り息子が相続した。双方納得のいくものだったのだ。


 妻に残した遺産が、先祖から受け継いだ伝統あるものが一つも無く、老いた前伯爵の個人的な財産だけだったのも、禍根を残さないのに一役買っていた。



 カーラは現在、貴族街の一角にある、一人か二人で住むには丁度良い大きさの屋敷に一人暮らしだ。二頭立ての馬車を持ち、貴族の体面を保つ程度の金の使い方はできる。


 悠々自適な未亡人生活だが、未だ二十代の若さだ。再婚の話が出てもおかしくはない。結婚すれば妻の財産は全て夫の物になる。今の悠々自適な生活を手放したくはないのだろうと、容易に察せられた。


「私をランバート家に嫁がせたことで得たお金で実家は持ち直しましたが、小さな領地しか持ちませんもの。また儲けるために私を売り飛ばしたいと思っているのでしょう。何度も屋敷から私を無理やり連れだそうとしたり、いつのまにか決まった婚約者が乗り込んでこようとしております」


 一度、嫁いだ娘が未亡人になった場合は、基本的に実家から独立する。当たり前のように実家の庇護下に入るのは、年端のいかない歳で嫁いだ場合くらいだ。


 そのため無理やり押しかけてはいても、扉を破って連れ出すほど強引な手段には到っていないのだろう。


 しかしいつまでも大人しく引き下がっていることを由とはせず、強硬な態度に転じる可能性も残っている。


「あなたは結婚を望まれない?」

 アーヴァインは相手の心の内を読みながら、確認するように尋ねた。


「ご縁があれば再婚しても良いと思っていますが、少なくとも私を金蔓としか思っていない家族の見繕ってきたロクデナシとはゴメンですわ」


 そう言うカーラから親に逆らう勇ましさは感じられず、可愛らしさが残る。

 既婚者であるのに乙女のような甘さと、男の視線を一点に集める豊かな胸であるのに、他人の目を頓着しないあどけなさといったちぐはぐさが魅力につながっていた。


 そしてそのことを自覚している。


 今日も柔らかな薄紅色のドレスを身にまとって可愛らしさを強調しつつ、しかし胸は布の中に押し込まれて窮屈そうであり、布地が多いにも関わらず男の欲望を刺激していた。

 未亡人になった今、さぞやモテるだろうといった雰囲気だった。


「いっそのこと親が強行する前に再婚なさっては如何でしょうか?」


 望んでいないのは態度から察せられたが、再婚願望が無いと直接の言葉では聞いていない。敢えて言外の匂わせを無視しての提案だ。


 カーラは未亡人になってから多くの恋人を持っていた。誰かに紹介されずとも、再婚相手を探すのは楽だろうと含みを持たせて。


 恋愛も性愛も男一人でできるものではない。未だ男尊女卑の根強いこの国でも、既婚者の男女の恋愛は黙認するところがある。勿論、妻の恋愛に寛容な夫でなければ、人妻が家の外で楽しむことは許されないが。


 未亡人であれば夫の目を気にする必要はなく、恋愛市場では歓迎される。


「簡単にはみつかりませんわ。交際してもそれは私の身体目当てですもの。真剣に二人の将来を考えて下さる方というのはそうおりません」


「それは身体だけのお付き合いを楽しんだ結果、そういった男しか残らなかった結果でしょう」

 アーヴァインは事実を指摘する。


「そうかもしれません……。ですが疲れましたの。身辺を落ち着かせて、ゆっくりと今後の身の振り方を考えようかと。具体的には家庭的な殿方との再婚を考えたいのですわ」


「成程、そういうことでしたか」

 にこりと人好きのする笑みを浮かべてカーラの言葉を肯定した。


「でしたら修道院で神に祈りながら、身の振り方を考えるのがよろしいでしょう。私の愛人になるよりも、よほど建設的ですよ」

 笑顔は変わらないが言葉は辛辣だ。


「猊下、私は愛人になりたいなんて一言もいっておりませんわ」


 カーラは少しの間を置いた後、苦笑気味に言葉を返す。助けて欲しいという言葉が、なぜ愛人に直結するのかと言うが如く。


 笑みの裏側には聖職者とはいえ所詮男という気持ちが透けて見えていた。直接的な言葉を出すことはないが、実際のところカーラの目的はアーヴァイン大司教猊下の愛人になることで間違いない。それも自分から押しかけるのではなく、乞われてなることが。


 だからこそ露出度の低い昼のドレスコードの中でも更に露出を控えながら、自慢の胸を強調した煽情的なドレスなのだ。


 最近のカーラは評判が悪い。少々、派手に遊びが過ぎた。男は美しい女を侍らせ征服したいと思っても、そのために家庭を犠牲にはしたくない生き物だ。妻を追い出して自分が後釜に納まろうとした結果、一つの家庭を崩壊させたと思われている今、彼女に手を出そうと思うのは性質の悪い男達ばかりで、家庭を犠牲にする心算のない男は近寄らない。


 実際にはカーラが妻を追い出そうとしたのではなく、愛人が気に入らない妻を男が追い出そうとしたのを、楽しそうに見ていただけだ。


 内情を知らないためカーラが悪女だからだと言う者もいる。ほかにも愛人がカーラの色香に惑わされて道を踏み外したというものもある。元々、男のほうが妻を毛嫌いしていて妻を入れ替えようと思ったのだと、真実に近い推測をする者もいたが、面白おかしく噂するという面では何も変わらない。


 社交界は常に新しい情報を欲している。古い噂は新しい噂に上書きされ消えていくだろう。


 カーラの胸の内が透けて見える。


 アーヴァイン大司教の愛人となり箔をつける、もしくは醜聞が消えるまで大人しく過ごした後に、社交界に返り咲くのを目論んでいる。


 一旦、社交界から距離を置くという考えは全くない。戻った時に過去の人として忘れ去られる危険を犯したくなかったのだ。


 その点アーヴァインの傍に居れば、貴族はこぞって媚びを売ってくる。生臭坊主だから社交界から一歩引き、神の家に籠るなどということもない。


 もしかしたら愛人としてほとぼりを冷まさずとも、人脈でもって良い縁を取り持ってくれるかもしれない。独身で跡取りのいない当主の妻の座に収まり子を産めば、将来にわたって安泰だ。


 愛人にならずに、結婚というのも悪くない選択だった。


 アーヴァインは全てを見透かしながら、微笑が苦笑に変わらないように気をつける。底が浅いと思いながらも、カーラの心の内に気付かない素振りだ。


「再婚は嫌ですが、庇護が欲しいということでしたら、修道院に入られるか、ご自身の持つ荘園に身を潜められては如何でしょうか。お父上が諦めるまで時間を置けば問題は解決しますよ」


「猊下! 私は修道院に入りたいのではありません!」

 少し言葉を荒げてカーラが抗議の声を上げた。


「しかし私に助けを求めたのなら、身を隠すのは修道院が筋ですよ」


「侍女として置いてくださいませ。父や兄は猊下の威光があれば大人しくなりますわ。猊下は今まで虐げられた女性をお傍に置いて救ってきたではありませんか」


 実際、アーヴァインは保護した女性にとって一番良い方法で守ってきた。


 修道院に身を隠すのが良ければ、男であれば親兄弟でさえ立ち入れない厳格な女子修道院で匿い、傍に置くことで自分の庇護下にあると知らしめる方が良ければ、侍女として手元に置く。敢えて愛人と見られるように振舞ったことも一度や二度ではきかない。


 目の前の女性が求めるのは後者なのはわかりきっていたが、だからといって希望を聞く気はない。


 上目遣いでアーヴァインを見るカーラはとても色っぽい。男の目に自分がどう映るのか熟知している仕草だった。きっと侍女にしたら、周囲から愛人だと見られるように振舞うだろう。実際には指一本触れなかったとしても。


「私は女性の味方ですよ。もちろん身分に関わりなくね」

 アーヴァインは聖職者らしく優しい言葉をかける。


「虐げられている女性を助けるのは義務だと思っています。しかし虐げる側の女性を助ける気はありません」


「噂のことでしたら違いますわ! 私は何も知りませんでした」


 言葉を小さく切りながら身体を震わせ、目を潤ませた。

 女性に不慣れで何も知らない男だったら、簡単に騙されそうな仕草だった。


「護衛に襲わせ、不貞と言い張る。そして身一つで屋敷を追い出す……でしたね」

「何ですの、それは?」


 ますます判らないといった表情になる。

 全てを知っている立場からすると、とんだ道化だ。


「あなたのかつての愛人の妻が、どこに逃げ込んだかご存知ではなかったですか」

「――!!」


 カーラが息を呑む。


 アーヴァインは自身の笑みが、相手にどのような影響を与えるか理解している。


 そして表情からすると、彼女は愛人の妻が逃げることに成功し、夫側が圧倒的に不利な条件で離縁をしたことを知っていても、アーヴァインが離縁に関わっているのは知らなかったのだろう。


「王宮はあちらこちらに耳がありますからね、密談には不向きですよ。それに教会が関わっていて私が知らないことなど、何一つありませんよ」


 逃げ出した妻が門扉を叩いたのは教会だ。傷を癒したのも、離縁が成立して新たな人生を歩み始めるまで保護したのも教会であり、全てを整えたのはアーヴァインである。


 知らぬ筈がないのだ。


「私などを頼らずとも、あなたには逃げ道は残されているでしょう?」


 常と変わらぬ口調で言えば、目の前の女は動揺する。普段相手にする政敵たちと比べて、なんと単純なことか。


「前ランバート伯爵同様、持参金不要で自分が死ねば個人資産を遺産として妻に渡す男が、社交界には何人もいます」


 実家を頼れない妻を好き勝手する男だけではない。(やもめ)となり無聊を慰めるために、傍に付き添う妻を欲する男は、カーラの前夫以外に何人もいる。妻を追い出し家庭を壊す女だと思われたところで、追い出すべき妻に先立たれ、子供達が独立したような男なら、醜聞のような事態にはならないだろう。


 そう指摘すれば抗議の声を上げられた。


「私は普通の幸せを望んでますの。同じ身分の年回りが丁度良い男性と結婚し、子を産み育てるような。夫となった方と共に歳を取って行きたいのであって、老人の死を見取りたいのではありません! 子は天からの授かり物ですから難しいかもしれません。でもそういった可能性を潰したくはないのです」


 多くの女性と同じような生活を送りたいと言う割りに、カーラは未亡人になってから随分と華やかな生活を送っていた。主に男性関係で。


 今更、何度も浮名を流した女が、これから平凡な幸せを望むと言っても、堅実な男は相手にしないだろう。自分の血を引かない子供を、跡取りと認めるのは御免なのだ。慎ましやかではないという評判は、恋人として歓迎されるべきものだったが、妻としては不適切だ。再婚であることも相まって、カーラの条件に合う年頃の男を見つけるには、相当な難有り物件しか残されていない。


 もっとも女性側も、自由奔放な男の妻になるのを嫌がるのは同じだ。夫が妻よりも愛人を優先したり、為さぬ子を跡取り息子として遇さねばならないのは屈辱でしかない。


「でも次男以下に嫁いで平民になるのは嫌でしょう?」


「当然です。私は貴族として生まれ育ってきたのです。平民にはなれませんわ」

 カーラの言葉に、アーヴァインはわざと溜息をついた。


「だからといって伯爵夫人を貶めたのは失敗でしたね。私が手助けすることはありません。私だけではなく教会関係者全員です。もしかしたら私の対立派閥の者が手を差し伸べるかもしれませんが、利用されて捨てられるだけですからお勧めしません。手助けはいたしませんが、これは善意からの忠告ですよ」


 目の前の女性が腹黒い企てを試みたとはいえ、アップルガース派に良いように使われ、ボロ屑同然に捨てられるのは忍びない。言葉を信用するか否かは本人次第だが、教会内部の陰謀に巻き込まれないように忠告するのは(やぶさ)かではなかった。



  * * *



 カーラがアーヴァインの元を訪れた暫く後、彼女が人妻になったと人伝に聞いた。


 前の結婚同様、年寄りの後妻に納まったようだ。今回の結婚も妻を早くに亡くした貴族の老人だ。既に爵位を息子に譲った前侯爵であり、既に相続も済んでいる。一人で田舎での隠居生活を送るのは寂しいと、前侯爵が社交界に顔を出したときに、偶然二人は出会ったのだ。


 結婚後はカーラが相続した荘園にある屋敷に二人して引き篭った。夫が不動産を持っていなかったためだが、金でそれなりの個人資産を持っていた。悠々自適の老後を送るだけの潤沢な資金もあり、田舎ながらそれなりに豊かな暮らしを送った。カーラの持つ王都の屋敷は空き家にしたことから、人が住まずともさほど傷まない年数で帰る心算なのが丸わかりだったが、夫となった男が納得しているのなら、他人がとやかく言うのは不調法というものだ。


 そして一年も経たない内に夫が急逝した。

 年寄りとはいえ、今日明日、死ぬような歳ではなかったが持病があったのだ。


 本人と子供たちは知っていたが、カーラは寝耳に水だったようで、相当に動揺したと聞く。未だ彼女の浮名を社交界で知る者は多い。自分の醜聞が聞かれなくなるまで大人しく、しかし子を産める年齢までには社交界に戻って夫を見つけるという目論見は頓挫した。


 しかし老いた夫に対しては誠実だったらしく、遺族からは余命いくばくもない故人に寄り添って献身的だったと評価は悪くない。前夫である故ランバート伯爵との結婚でも、意に沿わぬものとはいえ妻としての評価が良かったことを考えると、家庭に入れば良き妻になるのかもしれない。


 喪が明けるまで侯爵家の持つ別宅に身を寄せた。カーラの献身への感謝の気持ちとして、彼女を実父から守ろうというのだ。頼る家族のいない女が、田舎の屋敷に一人で暮らすのは安全ではない。後妻に何かあれば、侯爵家も醜聞に見舞われる。完全な善意からの申し出ではないが、彼女にとって悪くない提案だった。




 更に一年と少し後、喪の明けたカーラは王都の屋敷に戻った。

 二人目の夫の資産の多くが遺産として手元に入り、以前より多少は贅沢ができるようだったが、結婚前と変わらない質の生活を送っている。


 しかし恋多き女は封印したらしく、社交界で浮名を聴くことはない。泡沫(うたかた)の恋に興味をなくしたのか、本気で年回りの良い男との結婚を望んでいるのか不明だ。


 カーラが王都を離れた二年の間に、彼女の醜聞が噂されることはなくなった。今なら本人の希望するような男と沿えるかもしれない。


 アーヴァインとしてはまた老人の後妻に納まるのか、本人の希望通り歳の近い男に嫁ぐのか、そのまま独身貴族を謳歌するのか興味はない。


 以前、庇護した女性のように、他の女性を貶めることさえなければ、関わる気はないのだった。

当話を含めて残り3話で終える予定でしたが、もう1話追加するか悩み始めたため、数日~2週間くらい投稿が止まります。

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