08. 終わりの始まり
遅くなってすみません。
ストーリーの時系列は『01.前公爵の破門』より前になります。
他の話は時間が戻るような展開にはなっていません。
後半、国王視点になります。
アーヴァインがいまだ司教だった頃の話である。
「やあオズ!」
ドアをノックするのと同時に入室したのは、アーヴァイン大司教の従弟であるマスグレイヴ司祭だ。他の聖職者であれば許されないが、五歳年下の従弟であり懐刀であるマスグレイヴは許される。アーヴァインのファーストネームであるオズワルドをニックネームであるオズと呼び、好き勝手に執務室に入れる特権を有している。またアーヴァインもマスグレイヴのことをウィルと、ファーストネームであるウィリアムのニックネームで呼ぶ。今となってはそんな気安い呼び方をするのは、お互い目の前の人物だけだ。
「エギルは相変わらずの阿呆だな」
そう言ってマスグレイヴはバサリと資料の束を机に置く。
中身はエギル公爵の悪行の数々だった。
十分の一税は年々、減少傾向にあるものの支出は変わらない。伝手を使って公爵家の帳簿を取り寄せてみれば、領主に納める税が高額過ぎて、教会への税を誤魔化していた。
そうしなければ食べていけないのだ。
またとうの昔に形骸化した初夜権を蘇らせ、新婦を召し上げたかと思えば、本来初婚の新婦だけの筈を再婚にも適用し、気に入った娘は何度も無理に婚姻と離縁を繰り返させては召し上げ続けるなど、やりたい放題だった。
「随分な重税だな」
帳簿を一瞥したアーヴァインは、その税の重さを指摘する。エギル公爵家の領地の広さや畑の広さから推測する限り、豊作年の約半分程度の税額であり、それは凶作の年でも変わりない。
これでは平均的な出来高の年はともかく、凶作の年は多数の餓死者が出てもおかしくない。
「年々、エギルの領地に隣接した教会の荘園に逃げてくる農奴が増えるのも仕方がない」
「税を納められない村は娘を娼館に売ってる。一応名目は年季奉公ってことらしいが、勤め先が娼館じゃあなあ。しかも未成年でもお構いなしだ」
セルティア王国では一応、未成年の売春は禁じられている。とはいえ婚姻に年齢制限はないし、抜け道がいくつもあるザル法ではある。
「娼館経営に関しては教会法で裁いても構いませんが、どうせなら国法で全ての罪をきっちりと裁いてもらうのが良いかねえ」
普段より多少、砕けた口調で従弟相手に呟くそれは、含みを持たせたものだった。
「あれほどの証拠を渡してやったのに、この程度の処分とは……」
国王に証拠書類を携えた後、一月を待たず結果が出た。
エギル公爵に対する国王の裁定は、アーヴァインにとってもマスグレイヴにとっても不満しか残らない結果だった。
国法で決められた以上の重税、しかし国に納める税は誤魔化す所業に加え、税を納められない場合は娘や妻を物納させる。行く先は違法な娼館だ。
農奴が教会に納めるべき十分の一税が納められないために、国と教会の間に軋轢が生じる危険、全てを加味して裁定を下せば、最低でも一族の公職からの追放と、降爵、領地の大幅削減は当然のこと、褫爵されてもおかしくなかった。
しかし実際には当主の職位返上と領地への蟄居だけだった。
それも表向きは病気療養という名目である。十分の一税を納められなかったことに対しては、教会への謝罪の意を込めて、教会の持つ荘園に隣接した村を幾つか寄進することで話をまとめてしまった。
公爵家と教会の間は王家が率先してまとめてしまったため、アーヴァインとしても表立って異を唱えることはしなかった。
表向きは円満に和解したことになるが、実際は真逆だ。
「まったく、邪悪なのは引退したあの男だけではなく、一族全員だというのに、なんという甘いことを」
「そうだなあ、折角、公爵家を追い落とす良い機会だってのに、国王も甘い。もしかして親族としての情を優先させたか。政治に私情を挟まないと思っていたが、案外俗物だったな」
二人は国王の兄が己の妃を傷つけ離縁したことをよく知っている。一族の姫なのだ。
「本当に忌々しい。思った以上に国王は阿呆だ」
不敬と取られかねない言葉だったが、アーヴァインにとって、この程度の言葉は許されると思っている。国王が及び腰だから、この国の女性は理不尽な暴力に曝される。他国でも同様の暴力はあるが、セルティア王国ほど多くはない。
無能め……。
腹立ちまぎれに王族の醜聞でも広めてやろうか、などと物騒な考えまで出てくる。
「今回は二年だ。次はもっと長い時間をかけて嵌めてやろうぜ」
「そうだな、次はもう少し上手くやろう」
マスグレイヴがニヤリと笑いながら、遊びに誘うように陰謀の計画を提案すれば、アーヴァインも黒い笑みでもって諾と返した。
* * *
「お前はこの処分が妥当だと本気で思っているのか?」
国王はまだ年若い二人の王子を呼び出した。
エギル公爵家の件を、まだ年若い第二王子に任せたのは国王である。
だがエギルの処分が妥当ではないと判断した国王により、話し合いがもたれていた。
「儂はエギル家を潰す方向で進めよと言った筈だが?」
「しかし処分は任せると言ったではありませんか」
国王は僅かに眉をひそめながら、次男であるイアンに確認する。
「軍事だけでなく国政を学べと言ったな。その決定が間違っていないか確認しろとも」
「確認なら王太子殿下にいたしました。問題ないと言葉をいただいております」
公務の場だからという理由以上に、イアンは父である国王に余所余所しい。自分が撒いた種だと理解しているが、弊害がこのような形で出るとは思っても居なかった。
国王は溜息をついた。
軍事に特化した王弟が、王が軍事より内政に力を入れた途端、不満を溜め込む例を何件も知っていたからこそ、力に頼らない政治の必要性を学ばせるべく、第二王子にエギルの件を任せた。
後々、政治家としても王太子を支えられるようにと。
その結果がコレだった。
「確かに前公爵は家の取り潰しが妥当なことをしましたが、現当主と息子たちの事を考えますと、少々厳し過ぎるかと」
王太子が助け舟を出す。
エギル公爵家は三代に渡って国政の重職についている。現当主の息子たちはまだ若輩ではあるが、上級官吏として辣腕を振るい、親の力がなくとも将来は大臣になるだろうと言われていた。
その才能を惜しんで、処分に手心を加えたのは明白だった。
「能力が高かろうとも、その精神が邪悪であれば害悪よ」
「それを言うのなら、アーヴァインはどうなのです? 金に汚く女を侍らす聖職者など、害悪そのものでしょう」
イアンは証拠を王宮に持ち込んだ男の罪をあげつらう。
「確かに彼は上昇志向が強いな。しかし金と女に汚いというのは見せかけに過ぎんよ。そんなことも見抜けないようならまだまだだな」
国王は再度、溜息をつく。
見えているものだけが事実ではないのだ。為政者は見えぬものを見ることを強いられる。そうでなければ陰謀の中で己を見失うだろう。
「アーヴァインが女を侍らすのではなく、女に侍らせられているのだと言えば分かるか? 皆、彼を利用しているだけよ。性質の悪い男に言い寄られた未亡人だったり、実家での扱いが酷過ぎて身の危険を感じて逃げた娘ばかりだ。周囲にそうとは悟られんように生臭坊主を演じているだけだ」
「――!!」
国王の言葉に王子たちは驚いた。
あの腹黒い生臭坊主を擁護するとは、という気持ちなのだろう。
王太子も第二王子もアーヴァインのことを毛嫌いしている。
国王の言うところの生臭坊主であることも一因であるが、聖職者の分際で国政に干渉してくるところが受け付けられないのだ。
教会は国政に関与しない。同時に国も教会の運営に関与しないというのが不文律である。
しかしアーヴァインという男はその立場と血筋を盾に、様々な要求をしてくる。
今回も当然のようにエギル公爵家を取り潰すのだろうという態度だった。
国王は二人の王子たちの心の内を見透かしていたのだ。
「余に兄がいたことは知っているか?」
王子たちを前に、少し昔話をする気になった。
唐突に変えられた話題に面食らったようだったが、王太子はすぐさま回答する。
「王太子時代に亡くなられたとしか。まだ二十代の若さで病死でしたか」
「病死ではなく暗殺だがな。犯人は彼の祖父だ」
突然の国王の発言に、王子たちは再度衝撃を受けた。
「なぜ王族を暗殺して野放しに!?」
イアンが詰問する。
当然だろう、王族、しかも次代の王である王太子の暗殺だ。領内の小さな罪を重ねた今回の件と違って、家を取り潰されるのが妥当の罪である。
「もし罪を詳らかにすれば、非難されるのは王族であったな」
「……一体何があったのですか?」
国王は何度目かの溜息をつくと、ちらりと息子たちの顔を見る。
全てを明らかにしなければ納得しないようだった。
元より全てを話す心算だったから問題ない。王家の闇に関わる内容だから、伝える時期を含めて慎重にする必要はあるが。
「王太子が妃を殺しかけた。気に入らない態度をとったとして殴る蹴るの暴力を。何か所も骨が折れ、酷い有様だった。しかも当時、王太子妃は妊娠していてな。当然だが子は流れた。妃の親であり大司教の祖母であるアーヴァイン侯爵夫人は、娘のあまりの姿に泣き崩れたそうだよ。父親の方は激怒した。暴力は一度ではなく結婚生活の初めからだ。全身いたるところに痣や傷があり、実の親が顔を背けたくなるほどの有様だったらしい。そして最後の暴力は死んでもおかしくないほど酷かった。むしろ生きて逃げられたのが不思議なくらいだ。身体の傷もだが心の傷も酷くてな、一時は実父や実兄らの顔を見るだけでも震える状況だったらしい。自ら見初めて結婚した妃に対する所業ではなかった」
「……」
伯父の死の真相に、第二王子からはそれ以上、王族を弑逆した罪を問う言葉は出なかった。
「兄は全く反省はしていなかった。あれほどまでに嗜虐的な男を王にすれば国が荒れるのは必定よ。だが妻に暴力を振るっただけでは廃太子にはできんからな。お前たちも知っての通り、この国の女は立場が低い。夫が躾のために妻に手を上げるのは当たり前の風潮があるのだから当然だ。そういうこともあって毒殺したのだ。正直、アーヴァイン侯爵が暗殺してくれて、先代国王はほっとしていただろう。侯爵が手を下さねば、国王の手により暗殺するしかない程、暴力的で手が付けられなかったからな。だが兄は元々、気性は荒かったがそこまで嗜虐的でも暴力的でもなかった。ああなったのはエギル公爵、今となっては前公爵の影響だな」
当時、誰もが気付きながらも口にしなかった、外戚による王太子暗殺の事実を国王は初めて口にした。二十年以上経ってようやくだった。
「なぜ教えてくれなかったのですか?」
「言えるわけなかろう。話が広がればどういう理由があってもアーヴァイン家は取り潰しだ。当時を知る者は兄上が暗殺されたことを薄々気付いても決して口にしない。余も聞かれなければ言う気はない。もし話が洩れたら取り潰すだけでは済まず、一族もろとも処刑は免れまい。命からがら逃げ出した王太子妃を含めてな。だからこそ確認しろと言ったのだ。エギル家の男は皆、女に暴力を振るって快感を得る性癖がある」
みなまで言えば王子二人はがくりと肩を落とした。
「私たちは間違えたのですね?」
「次は間違えなければ良い。この程度、挽回する機会などいくらでもある。だがこれから先、絶対に間違えてはならぬ選択が何度も出てくる。心しておくように」
そこまで言うと、国王は王子たちを退室させる。
二人とも善良だが、それ故に悪辣な陰謀には弱い。
大司教は悪意に悪意で対抗するために、生臭坊主のように振る舞っているが、幼い頃から成長を見ている国王からすれば、可愛い遠縁の子供でしかない。
もっともその手腕は老獪な政治家も敵わないほどになり、可愛いなどと言うのは既に国王以外に誰もいないのだが。
昨年5月に書き上げたデータを誤って消してしまい、書き直しが進みませんでした。
先週、執筆用PC故障によりモバイルPC代わりのタブレットを引っ張り出したところ、削除前のファイルが発掘されましたので投稿します。
お待たせして本当にすみませんでした。