07. 愛妾と庶子の王子
長らくお待たせしてすみません。
セルティア王国には珍しい妾腹の王子がいる。
珍しいのは大陸中で信仰されているフィールディア教が一夫一婦制だからだ。
だから愛人、国王であれば愛妾、公妾と呼ばれる立場の女性はいても、正妻以外から生まれた子供は全て非嫡子であり相続権はない。
そもそも愛人との間に子が生まれた場合、愛人とその夫の子にするか、愛人側の実家の籍に入るのが普通なのだ。
しかし現国王には庶子の王子がいる。四人いる愛妾がそれぞれ一人ずつ男児を産んだからだ。
女癖の悪い国王だが、父親の責任というものは承知していたらしい。全員を認知するのと同時に、王位継承権は無いものの、貴族として必要充分な教育受けさせ、独立時には地方の中堅貴族としてやっていける領地と伯爵位を与えている。
もっとも独立したのは一番年長の庶子である第三王子だけであるが。
「人の欲望というのは際限ないものだね」
庶子でありながら王子という立場を得たのだから、それで満足すれば良いものの、愛妾とその実家は子が独立するときに得られる、地方とはいえそれなりに豊かな領地や与えられる爵位よりも、もっと良いものを欲していた。
「王家の醜聞に関わる気はありませんが、政情不安はよくないからね」
うっすらと微笑みを浮かべながら、どう愛妾の実家を追い落とすか考える。楽しい陰謀の時間の始まりだ。
アーヴァインの元には政変ともよべる、王太子の暗殺計画の情報が届いていた。成功する見込みは低いが、ありえないという程でもない。関わっているのは未だ独身の王子たちの実家だ。全て高位貴族だが、中央政治に関わっている家ではない。
とはいえ先代当主が娘を王に差し出しただけあって、代が変わっても権力欲は人よりも多い。無能と謗られるほどではないが、決して有能といわれるほどでもない頭の持ち主が、何人集まっても良い案が浮かぶはずもない。
そもそも己の家の利益を優先するべく動く者が何人もいて、上手くいく訳がない。
愚かなことだ……。
この際、未婚の庶子をまとめて排除する方向でいくか。
そう考えた直後、第四王子は母親の実家の野心に全く無関心だったことを思い出す。
本人は第二王子の右腕として活躍中であり、王太子の覚えもめでたい。
王太子への牽制のために第四王子を潰しても良いが、エミリアに免じて救済しておくかと思い直す。
数年前にアーヴァインが手を貸した信心深い女性は、王太子妃の側近であり、第四王子とも親しい。心優しい彼女は中央政治の関係者になった今でも、幼い頃のまま真っ直ぐで善人のままだ。
彼女を泣かさずとも貴族家の二つや三つ潰すことは可能である。
政敵が知れば、女を気にするのは甘いと嘲笑するだろう。
だが手間をかけても良いと思う程度に、アーヴァインにとってエミリアは可愛い存在だった。
* * *
「久しぶりですねエミリア、ファーナム卿」
アーヴァインはにこやかな笑みをもって知己の二人を出迎える。
孤児院の慰問の帰り、大聖堂に立ち寄って祈りを捧げる習慣は、エミリアの立場が変わっても変わらぬ習慣だ。
幼い頃は若くして儚くなった母親と、その後は一人で、ネイサンと結婚してからは夫と休みを合わせて二人で。
「たまにはお茶でもいかがですか? 王宮の話でも聞かせてください」
聖堂の奥に誘えば、二人は快く招かれる。
茶を出しながら、ゆっくりと近況を切り出した。
「バートは上手くやっていますよ。要領よく仕事を終わらせて、勉強を頑張っています」
「彼は孤児院で誰よりも優秀でしたから、良い環境に移れて良かったと思います」
バートは孤児院の前に捨てられた子供だが、誰よりも頭の回転が速く、しかも院長である司祭を尊敬していた。自分も聖職者の道に進みたいと思っていたが、神学校に行くほどの知識はなかった。
そこでアーヴァインが大聖堂に引き取り、下男の仕事の傍ら、配下の司祭や司教に勉強を見させている。
町の子供たちの勉強と一緒にみているだけだが、教師として長年教えている司祭が世話をしていることもあり、孤児院にいる頃よりもずっと早く知識を吸収していた。
後数年もすれば、神学校に入学できるだろうと思われている。
「教えたことはあっという間に覚えてしまうと教師が喜んでいますよ。将来が楽しみだと」
「誰よりも勉強が好きな子ですから、学ぶ機会を与えられて本当に良かったと思います。きっと優秀な聖職者になりますわ。ただ孤児院出身だということが立場を悪くしなければ良いのですが……」
「後ろ盾がないことが不利に働くこともあるかもしれませんが、私や教師を務めている司祭が後見につきます。あまり悪いことにはなりません」
孤児院出身で苦労するだろうと案じつつも、夢が叶えば良いと願えば、大丈夫だと返ってくる。
エミリアにとってアーヴァインはどこまでも優しい庇護者だった。
妻の横にいるネイサンは、大司教の悪名を嫌というほど聞いているが、しかし弱者に優しい一面を合わせ持つことも知っている。
バートのこともよく知っており、アーヴァインが大丈夫だというなら、きっと彼の将来は明るいのだろうと感じていた。
「話は変わりますが――」
アーヴァインは本命の用件を切り出した。
「ホレス殿下に結婚の予定はおありでしょうか」
「特に聞いてはおりません」
ネイサンは顔を引き締め返答する。
「そうですか。もし相手がいないようでしたら、早めに政治に遠い貴族と縁組されるのがよろしいでしょう。ご母堂の実家がまた野心を滾らせておられます」
「進言します。しかし教会が王族に関わるとは知りませんでした」
「関わってはおりませんよ。ただそういった情報を知りえただけです。放置しても良かったのですが、殿下ご本人は王太子派ですし、ご実家の陰謀には関わってはおりませんでしょう? 巻き込まれて破滅するのは哀れだと思ったまでです」
「判りました。明日にでも王太子殿下に進言いたしましょう。それとも今日、早馬で知らせた方が?」
「明日で大丈夫ですよ」
アーヴァインは微笑んだまま言葉を続ける。
「裏はありませんよ、そのまま受け取ってください。王家とは不仲ですが、他人を巻き込んでまでどうこうしようとは思っていません」
「……申し訳ありません。主君が関係することに関して、一度は疑わなければならないので」
「ファーナム卿の立場でしたらそうなりましょう。むしろ素直に受け取ってしまってはいけません」
アーヴァインと国王の不仲は有名だ。
それとは別に、女性との醜聞が多い生臭坊主とみられている大司教を、王太子も第二王子も毛嫌いしている。
王太子の側近であるネイサンの立場からすれば、庶子とはいえ王族に手を差し伸べるとは思ってもみないことだったのだ。
とはいえ妻であるエミリアに対してはとても誠実だ。
今回の助言は王家に対して貸しを作るためではなく、庇護した女性を傷つけないための無償のものだったのだろうと結論付ける。
アーヴァインはネイサンの表情からその思考を読み取って微笑みで返す。
国王の愛妾の実家が事を起こすまで半年もないだろう。全く手を出さなければ。
しかし小さなちょっかいをかけることで、数か月後の予定を半年や一年後に引きのばすことは可能だ。
計画に小さな傷を作って実行を遅らす事は無駄な労力であり、アーヴァインが事態を把握していると少なからず知らしめる危険はあるが。
それでもエミリアの笑顔のために、手間をかけても良いと思ったのだった。
* * *
アーヴァインの前に、新たに夫婦になる二人が立つ。
庶子の第四王子ホレスとその妻マーサである。
ホレスは結婚に伴い領地と伯爵位を与えられて臣籍降下した。今後はロズホーン伯爵として生きることになる。
母である愛妾も王宮を辞し、息子の領地についていくことになっていた。王妃にとってかわる野心を秘めて愛妾となった女性だが、長年、王宮で王の愛妾として暮らした結果、無理だと悟ったのだ。実家を継いだ兄は未だ野望を持っているが、知ったことではないのだろう。
「良いお式をありがとうございます」
結婚式を終えたばかりのアーヴァインに礼を言ったのは、ホレスの母であるローズマリーだった。派手めな容姿を持つ美人だが、今日は花嫁が主役とばかり、品は良いがかなり地味な装いだった。
「ケイシーの式がこちらでしたけれど、立場的に執り行っていただけるか心配でしたの」
ホレスと同じく庶子の王子である第三王子は、成人と同時に早々と結婚して王籍を離脱している。
その結婚式もアーヴァインがギーラン大聖堂にて執り行っているが、母としては心配だったのだろう。
「新郎は難しい立場でありますが、彼自身の罪ではないでしょう? そういうことです」
「ありがとうございます」
ローズマリーは深々と頭を下げる。
今まで誰かに頭を下げた経験は一度も無かったが、息子のためになら何度でも頭を下げる用意があった。
「王宮を出て、ご子息と一緒に領地に向かわれるとか」
「ええ、本当は修道院に行こうと思っていたのですけれど、息子と嫁から勧められましたの。とはいえ別棟を建てて、そちらに住む予定ですが。新婚家庭を邪魔してはいけませんでしょう?」
修道院に入るといっても、修道女になるのではない。多額の寄進をして修道院で暮らすのだ。額が多ければ下女をつけてもらえる。何枚ものドレスをしまう衣裳部屋や、多くの侍女に囲まれた生活は難しいが、静かに暮らすには十分なのだ。
「王宮の華やかな生活から修道院とはまた、随分な変わりようですね」
「飽きましたの。若い頃は華やかで楽しい場所ですが、年を取ると少々騒がしさがきつく感じます。心を許せる友の一人もおりませんし、侍女ですら気を許すことができません。歳のせいか、そろそろ身を落ち着ける場所が欲しいと思いましたの」
「確かに王宮は何かと騒がしいですね」
目の前の女性は神の教えに背く存在だが、必ずしも敵ではない。
「もし王都に来られることがあればお立ち寄りください。告解も相談も受け付けますよ。いつでも歓迎いたします」
聖職者らしい慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「さあ、新郎の母がいつまでもこんなところで油を売ってはいけません。子供たちの傍にいなくては」
優しく急かして、ローズマリーを息子の元に誘った。
第四王子ホレスの妻マーサは、エミリアの友人ブリトニーの話に出す予定で作ったキャラです。
アーヴァイン編はもう少し続きます。