01. 前公爵の破門
アーヴァイン大司教
3度の飯より陰謀が好き。
世間的には金と女が大好きな生臭坊主で有名。
「エギル前公爵にお取次ぎを。アーヴァイン大司教のご訪問です」
大司教の配下にいる司祭が、取次の使用人に用件を伝える。
本来、大司教の地位にいるアーヴァインが領地に住まう貴族の元を訪れることはない。王都に建立されている大聖堂に呼びつければ良いからだ。
先触れも無く高貴な立場にいる者が訪れることなどまずないことで、表に出た公爵家の使用人は怪訝そうな顔をするが、大司教のまとうカソックの赤紫を確認して、慌てて奥に引っ込む。
しばらくして執事と思われる上級使用人により、応接室で館の主たる前公爵と対面した。
「猊下を屋敷に迎えられたことを光栄に思います」
にこやかな笑みの下に隠しきれない腹黒さを滲ませて、屋敷の主が大司教を歓待する。
「それはどうも。私の用件を知って、それでも光栄に思うかどうか不明ですが、ありがたく歓迎を受けましょう」
明らかに作り笑いと判る笑みを浮かべ、アーヴァイン大司教は前公爵に挨拶した。
「不躾ですが、前公爵に異端の容疑がかかっております。屋敷を捜索しても?」
要請は形ばかりで実質は強制なのだが、一応、形式として確認する。
「異端ですか……? はて、そのような噂を誰が流したやら。公爵家を守りながら中央政治に関わっていると、恨みを買うものですからなあ」
服の中に冷や汗をかきながらも、のらりくらりと説明する。
異端審問で黒と断定されれば、最悪は破門、良くても多額の寄進によるご機嫌とりは必至だ。
引退した今、現役時代ほどにエギルは金を湯水の如く使えない。しかも異端審問の被告になること自体が大変な不名誉である。目の前の自分より地位が高い若造を丸め込み、何事もなく王都に引き返させる必要があった。
「確かに政治というのは綺麗事だけでは済みませんから、多少、後ろ暗いことがあっても仕方がありませんね。しかし異端の容疑は、前公爵が政治に関わっていた時代ではなく、引退後、この館でのことですよ。何でも黒魔術に傾倒しているとか?」
「まさかそんな……!」
前公爵にとって寝耳に水の話だった。
しかしアーヴァイン大司教に追及の手を緩める気はまるでない。
当然だ、失脚させるためにわざわざ王都を離れて領地まで赴いたのだ。勝利の凱を上げるまで引く気は無いのだから。
「そんな筈はありません! 何かの間違いです!!」
「間違いかどうかは、調べれば分かります。家探しでもすれば証拠は挙がることでしょう」
前公爵は全く身に覚えのない嫌疑に強く抗議するが、意に介さない大司教に押し切られる。
「幸いにも異端審問官を連れてきております。彼に調べさせれば白黒はっきりすることでしょう」
大司教は口元を綻ばせる。後ろに直立する陰気そうな男が、側仕えや護衛ではなく異端審問官であることを明らかにした瞬間だった。
「館の全てを彼に見せてください」
半刻ほど経った頃、異端審問官が頭蓋骨を一つ持って戻ってきた。額に大きな傷があり、殺害されたことは明らかだった。
「黒魔術の痕跡を見つけました。それともうご存じかと思いますが、使用人の女性を一人保護しております」
「見つかったようですね、エギル」
狼狽えるエギルにトドメを刺した。
異端審問官に黒魔術を行っていた場所に案内されれば、壁に寄せた机の上には頭蓋骨が山になっており、何やら怪しげな儀式の痕跡を思わせるものが散見される。
「色々と黒い噂はありましたが、こんなものにまで手を出されていたとは……」
侮蔑の色を隠さないまま、どのような裁定を下すか異端審問官に目で合図する。
「破門が妥当ですね」
その一言で、エギル前公爵の先が決まった。
アーヴァイン大司教は保護された女性を連れ出して館を出る。
王都に戻ったアーヴァイン大司教は側仕えのセリムにニヤリと笑う。
エギル前公爵の失脚は計画されたものだった。
彼は閨で女性に酷い扱いをすることで有名だった。その結果、死んだ女性は何人もいる。隠居してからは悪名をとんと聞かなくなっていたが、先日、アーヴァインの元に愛人にしてくれと未婚女性が教会に駆け込んだころから、領地での行いを知ることになったのだった。
彼女――リリー=ロートン男爵令嬢が駆け込んだときのことを、ゆっくりと思い出す。
「猊下、お願いがあります。私を愛人にしてください」
声をかけるのと同時に、聖職者に対してのあり得ないお願いが飛び出してくる。
アーヴァイン大司教は女性にモテる。社交の場に出れば秋波を送ってくる貴族の夫人にことかかない。たまに教会関係者を買収し、夜這いをかけてくる大胆な夫人までいた。主な理由は金と権力を持っているからだが、美丈夫なこともモテ要素の一つだった。
「お嬢さん、私は聖職者ですよ。俗世の欲とは無縁です」
静かに諭すような口調で話す。
直接的な愛人契約を提案されたことも何度かあったが、今、前にしている女性の言葉は、そういったお誘いとは違う、切羽詰まった雰囲気を醸し出していた。
「でも大司教猊下は女性好きだと。でしたら私にも情けをください」
泣きそうな声に、大司教は建前を取り下げる。
「聖職者の妾になるということは、二度と陽の当たる所を歩けない身になるということですよ。聖職者だけでなく有力貴族でも同じことですが。まだ若い身空で人生を諦めるのはよくありません」
相手の顔が見えないため、素性は知れないが、声の感じや話し方から、まだ若い貴族の令嬢に思われた。
「どうしても結婚が嫌だと言うのなら、修道院に身を寄せるという手もありますよ。有力貴族の後ろ盾がある所なら、無体なこともされないでしょう」
「それは無理です、猊下」
「私が囲うのも、貴族の庇護の元、修道院に入るのと変わりませんよ。むしろ修道院なら清い身体のままですから、今後の人生に障りもありません」
人は思い詰めると、時にとんでもない選択をする。人生これからという年若い女性に、つらい道を歩ませるのは忍びなかった。
「猊下よりも力のある貴族であれば、後ろ盾になるかもしれませんが、そういった方は思いつきません。私の結婚相手はエギル前公爵なんです」
それはとても評判の悪い貴族の名前だった。
最近は代替わりして領地に籠っておとなしくしていると聞くが、現役時代の彼はありていに言って屑という言葉に相応しい男だった。
特に女性関係は華々しく、次々と若い女を娶っては捨てることで有名だった。国王の色好みはエギル前公爵の影響だとも、現国王の兄の不祥事に関わっているのだとか、自分だけでなく周囲への悪影響までが醜聞だ。
「確かにあの男なら、生中な後ろ盾では勝ち目がないですね。三代前の王弟が開いた家ですから、金も権力も多い。しかし自分の経歴に傷をつけるのはいけません。あの男から守るくらい問題ありません」
「でも公爵との結婚が無くなっても、またお金で売られるように酷い男に売られます。父は一番多くお金を出す男の元に嫁がせることに躊躇がありません。むしろ大喜びで売ります」
身を汚したいという理由が、親の持ってくる縁談の全てを壊したいからだという悲痛な声に、アーヴァインは同情を禁じ得ない。
「そういうことだったら……身支度ができたら告解室を出てきてください。私の側仕えを置いていきます。私は先に受け入れる準備をしておきますから、ゆっくりで良いですよ」
すすり泣く相手にそう言い置くと先に部屋を出た。
そんな彼女の訴えを元に調べれば、エギル前公爵の王都以上に爛れた行いが耳に入る。
妻だった女性たちは裕福ではない家から金で買い取るようにして嫁いだが、れっきとした貴族令嬢だった。しかし領地では簡単に貴族令嬢を娶ることはできず、手っ取り早く領地の娘たちを奉公に上がらせて、いいように扱っていた。その手荒い行為に何人もの女性が殺され、打ち捨てられている。
実家には逃げ出したと報告して。
報告を受けたアーヴァインは、絶対に前公爵を破滅させることに決めた。
貴族令嬢と違って平民、それも王都から離れた田舎の領民が消えても、どうとでも揉み消せるのだ。
彼女たちの死体は館からほど近い山肌で発見された。それを室内に保管していたかのように洗い、忍び込んだ手の者に、戦利品のように飾らせておいたのだ。
見つかった骨に傷があるのは、生前ついたものばかりだ。中には足の骨が砕け、まともに歩けなくなった後に殺されたのだと、素人目でもわかるものがいくつもあった。
領地の館は警備が薄く簡単に入り込めたと、報告が上がっている。
悪い噂の絶えなかった前公爵の屋敷は慢性的に人手不足で、人の目が行き届いていなかったのだ。
仕込みが終われば、追い詰めるのは直ぐだった。全てのお膳立てが済んだ後、異端審問官を引き連れて乗り込んで、家探しをするだけだ。
本来、異端審問官だけでも問題は無かったが、より効果的に潰すために大司教自ら乗り込んだのである。
「全くイアン殿下の詰めが甘いから、尻拭いをする羽目になるんだよね」
アーヴァイン大司教が呟く。
いつもの陰謀が成功したときの笑みはなく、苦々しい表情だった。
欲望のためだけに奪われた命が多すぎ、喜ぶ気持ちになれないのだ。
様々な悪行を理由にエギル前公爵を引退させたのは、第二王子であるイアンの業績だったが、トドメを刺さない詰めの甘さが悲劇を生んだのだという指摘だった。
エギル前公爵の悪行を知るきっかけとなったリリー=ロートンは、しばらく教会で匿うことになった。父親であるロートン男爵は、破門になった異端信仰の持ち主との関係をつつけば、あっけなく引き下がった。金に汚いが小心者の男はとても扱いやすい。
少女とも呼べる年頃の女性が、心の傷を癒し結婚に前向きになるには時間がかかるだろうが、その時には良縁を紹介しようと思うのだった。
遅くなってすみません。
陰謀物を書くのは初めてで、予想以上に時間がかかりました。
自分より頭の良いキャラを書くのは難しいですね。
うっかりすると自分と同レベルの頭の回転しかない、どこが頭が良いか判らないキャラになってしまいます。




