06. 友人の結婚指輪
少しだけ本編に絡みます
「世相が明るくなったのが、売れ行きから判るのね」
「ああ、気が滅入るときに、お洒落にまで気が回らないんだろうね」
長く続く隣国との緊張の中ではそれなりに短い戦争だったが、やはり戦時下の陰鬱な空気というものは重く人の生活にのしかかってくる。
しかし戦争が終結するのと同時に、一転して世相が明るくなった。
今回の戦争は驚くほど損害が少なく、国土が増える形で終結したため、前回の終戦以上に明るい雰囲気なのだと、先の戦いを知る老人たちが口を揃える。
「今日、君の友人の婚約者が店に来たよ」
夫であるアーサーが店の話をしたのは、明るい世相になってきた直後のことだった。
「どなたかしら? ご挨拶をしなくては」
「エミリア=ダルトン様の婚約者だよ。結婚指輪を買いに来たんだ。気に入った石が無かったから、今度また来ることになっているんだけど、ブリトニーも顔を出すかい?」
それは長い冬を経験した後に、ようやく遅い春を迎えた友人の名前だった。
何年も前の夜会で体調を崩したが、予定が詰まっていたため、彼女のその後を聞かずにブリトニーは王都を後にした。戻ってから聞けば、離縁のために家を出た後で、連絡がつかなくなっていたのだ。
しかしあの夫から離れられるのならば、きっとそれ以上に悪いことにならないだろうと思っていた。
もし離縁の傷で行き場を無くしたのなら、我が家なら受け入れることができるとも思った。女性が接客する方が良いこともある。それに領地の店なら王都の噂は届かない。
貴族相手なら貴族女性が接客に出てもおかしくはなく、伯爵家出身のエミリアが対応するのも悪くはないと思っていた。
だが離縁は白い結婚という形で、一切の傷無く夫と別れることができた。
ようやく連絡がつくようになったのは、彼女が修道院に入った後だった。このまま俗世を捨てるのかと心配すれば、心の傷が癒え噂が無くなるまでということで、一時的に修道院に身を寄せただけだった。
友人に、趣味の刺繍ができるようにと糸を送れば、自分よりも慰問に行けなくなった孤児院を気にかけて欲しいと返事がきた。
どんなに自分が辛い状況でも他者を気遣うその心に、ブリトニーは自分にまかせておけと連絡したのだった。
その後、友人は王宮に出仕したが仕事が忙しいらしく会えず仕舞いだ。
しかし想い合う人ができ、もう少ししたら結婚するのだと近況を綴る手紙で状況は知っている。
友人の婚約者であるネイサン=ファーナムは、騎士だというのに物腰は柔らかく、温厚そうな雰囲気をまとっていた。
友人の前夫も騎士だが正反対だ。
「結婚指輪を豪華にしたいが、騎士の給料でできる範囲でお願いしたい」
実家は侯爵家だが親に頼る気はないらしく、自分でできる中でできるようにしたいと言う。
「ご希望は深緑の石ということでしたが、もしかして婚約者様の瞳の色でしょうか?」
希望の色はエミリアの瞳の色だ。
きっと婚約者に贈る指輪に、婚約者の色を入れたいと思ったのだろう。
聞けばその通りだと返事が返ってくる。
「そのことですが、きっと自分の色よりも、婚約者様の色の方が喜ばれると思います」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものです。実は色を聞いた時に気付きましたので、ご希望の石の他に、ファーナム様の色の石を用意させていただきました」
そう言って淡い青の石を机の上に出す。
「随分と大きい石が多いですね」
「結婚指輪ですから。それにこちらは半貴石と言いまして、翠玉や紅玉といった石よりも随分と安いのですよ。こちらは全てファーナム様の予算内で購入できるものばかりです」
ご祝儀価格なので若干、店頭価格より安めではある。とはいえ無茶な値引きはしていない。少し背伸びをすれば騎士でも手が届く範囲の石ばかりを選んだ。
「多分、これとこれ、それにこれがファーナム様の瞳に近い色ですわ」
そう言いながら石を選んでいく。
アーサーは横にいるが口を出さず、ブリトニーの好きにさせてくれていた。
エミリアの婚約者は慣れないながら一生懸命に二つの石を選んだ。婚約者向けには大きな自分の瞳と同じ色の石を、自分用にはエミリアの瞳の小さな石だった。
予算の関係で自分の方は安く仕上げなくてはいけないのだろう。
結婚指輪は何かの折に身に着ける大切なものだ。だから皆、背伸びをしてでも良いものを誂える。家からの支援があるのも普通だ。
だが目の前の男は自分で用意するために、自分の結婚指輪を安く仕上げる心算だった。
注文制作のための全てが終わり一服する段になって、ブリトニーは客と二人きりにしてほしいとアーサーに頼んだ。
「あのね、友人のことを色々と聞きたいから、とても申し訳ないのだけど二人にしてもらえないかしら? もう何年も会えていないのよ、近況を聞きたいわ」
「外聞はあまりよくないけど、そういうことなら仕方ないかな」
そう言ってアーサーは「ちょっとだけ」と言い足して席を外す。部屋の扉が少し開いており、そこから使用人の顔が見えているのは当然のことだった。
「ファーナム様、石を交換しませんか?」
アーサーが出ていくのと同時にブリトニーは提案する。
「エミリアと同じ大きさと形の方が、対になって良いと思うのです」
そう言いながらブリトニーは箱から一つの石を取りだし、エミリアの指に乗る予定の石の横に置く。
「確かにこちらの方が良いが、恥ずかしい話、予算がありません」
「ええ、判っています。ですから私からの贈り物とさせてください。本当は友人でも、いえ友人だからこそ、商売人が絶対にやってはいけないことだと判っているのです。でもエミリアは私のとても大切な友人です。夜会で倒れそうになっても、私は何もできませんでした。彼女が辛いときに助けられなかった。その罪悪感を軽くするためだと思ってくだされば……」
「エレンディア夫人のことはエミリアから聞いています。それに聞く前から知っていました。エミリアのことを調べましたから。誰を近付けて、誰を遠ざけるべきか知るために……。だから結婚指輪を作るためにこの店を選んだと言えばわかってもらえるでしょうか」
「――!!」
目の前の男性は腕の立つ騎士であり、同期の中でも出世が早い方だと聞いている。
しかし自分のことを調べているとは思いもよらなかった。理由が婚約者のためと聞いて二度びっくりだ。
「エミリアはあなたを含めた友人に感謝していますよ。つらいときにずっと心の支えになってくれたと。離縁した後も王宮に出仕した後も、変わらず友人を続けてくれる大切な人たちだと言ってました」
白い結婚であり傷はなかったとはいえ噂になるほどだったから、上辺だけの付き合いだったら切れている縁だ。でもブリトニーを含めた友人たちは誰もエミリアと疎遠にならなかった。
そしてまだ仕事をする女性が少ないこの国で、伯爵家出身という身分の高さにも関わらず、王宮に出仕したことも、交流を辞める理由にはならなかった。
そもそも店に立ち接客をすることもあるブリトニーに、仕事をする女性を卑しいと貶める考えは一切ない。
「エミリアに大切と言われるのは、友人冥利に尽きます。とても嬉しいですわ」
「だからこそ好意に付け込むことはできません。お気持ちだけ受け取っては駄目でしょうか」
「でも……だったら出世払いではどうでしょうか? ファーナム様は有望株だと聞いています。それにきっと男爵以上になるだろうとも。男爵になればこちらの石に手が届きますし、陞爵後も恥ずかしくありませんわ。検討してくださいませ」
断る相手に押し売りをするのはブリトニーの流儀に反する。でも心優しい友人は、きっと出来上がった指輪を見て心から喜べないと思ったのだ。
「ファーナム様のためではありません、エミリアのためです。きっと石の大きさが違う結婚指輪を見る度に、彼女は罪悪感を感じますわ。夫に恥をかかせているのではないかと。後々のためにもこの大きさは必要です」
絶対に折れるまいとブリトニーは強く出た。
さいわいにもネイサン=ファーナムは優秀だ。男爵以上の爵位を得たときという言葉は現実的で、悪くない提案だと思いながら提案を続ける。
もし凡庸な才能しか持ち合わせていなければ、相手に合わせて提案の言葉を変えていただろう。侯爵家と伯爵家の婚姻に相応しく、後々まで後ろ指をさされない物を身に着けて欲しいのだ。
きっとエミリアは人からどうこう言われようが、愛する人から贈られたものを嬉しく思うだろう。ネイサンもきっと他人の評価など気にしない。
だからこれはブリトニーの自己満足だ。
判っていても誰よりも幸せになって欲しい友人が、いらぬことを言われる未来をなんとか阻止したい。
二人は無言になり、部屋の中を静寂が支配する。
「……わかりました。お気持ちをありがたく受け取らせていただきます。しかし出世した暁には、石の代金を必ず受け取ることを約束してください」
先に口を開いたのも折れたのもネイサンだった。
頭を下げ謝意を伝えられる。
「約束しますわ。石の代金をしっかりと記録しておきます」
話が終わった後、少ししてアーサーがお茶を手に戻ってきた。
「つもる話は終わったかな?」
優しい声に少しほっとした。
「ごめんなさい、アーサー。私、やってはいけないことをしたわ」
店を閉めた後、夫に謝罪する。
友人の婚約者に石の交換を申し出たことを最初から全て話した。
「やってはいけないと判っていて、それでもどうしてもやり遂げたかったんだろう? だったら仕方がないと思うな」
そう言って肩を抱かれる。
「ごめんなさい、ありがとう」
ブリトニーはそっと目を閉じた。
アーサーの優しさが妻の全てを包み込む。
* * *
エミリア夫婦の結婚式は素晴らしかった。
派手さは無いが二人らしい厳かな良い式だった。実家はそれぞれ侯爵家と伯爵家だから格式が高い。こればかりは新郎が騎士爵であるからといっても、両家が譲らなかったのだろう。
結婚式から戻った後、ブリトニーは引き出しの奥から一つの箱を取り出す。
友人が家を出るきっかけになった、あの新年会で身に着けた紅玉だった。
大切な友人が大変な思いをしている最中、見せびらかすように戦利品である紅玉を身に着けて自慢したのを後悔していた。
夜会から帰宅した後、ブリトニーは目に入らないように引き出しの一番奥へと隠すようにしまい込んで、そのままにしていた。
とても気に入った紅玉だったが、気持ち的に見るのが駄目だった。
しかし今日、その当事者であるエミリアから「とても素敵だったわ。今度、また見せて欲しいの」と言われて、再び身に着けることに決めたのだ。
友人は優しい夫を得て、とても幸せそうに微笑んでいた。
あんなにも嬉しそうに微笑む友人を見たのは初めてだった。
きっと見た目通りの幸せに包み込まれている。
次の夜会、ブリトニーは数年ぶりとなる紅玉を身に着けた。
「懐かしいね、あの大変な思いをした石だ」
胸元を見ながら、アーサーが目を細める。
「あの日、不幸のどん底にいる友人に気付かず浮かれていたことに、後悔してつけられなかったの」
「不幸は大きな幸せを掴むための試練だった?」
「そうかもしれないわ。できればつらい思いはしてほしくなかったけど」
「そうだね、でもこれからはずっと幸せだよ」
友人の幸せを一緒に祝ってくれたアーサーは、紅玉を手に入れたその日も、今日も変わらず優しい。
いつも横に居てブリトニーを支えている。エミリアの夫もアーサーが妻を支えるように、ずっと横に居て支えてくれることを願う。二度と友人の涙は見たくなかった。
「ありがとう、また頑張って良い石を探すわ」
「それは勘弁してほしいなあ……」
アーサーのぼやく言葉にブリトニーは笑いを禁じ得なかった。
ブリトニー編終了です。
この後、アーヴァイン大司教編と本編主人公エミリアのその後編の予定です。
ストックが無いため、投稿まで少しお時間が空くかもしれません。