03. セイラ姫の受難
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「ちょうちょ!」
セイラ姫はご機嫌で蝶を追いかけて、庭の中を走り回る。
幼い子供が転んでも、大きな怪我にはならないように、丁寧に石が取り除かれ下草を生やしている。伸びるのが早いそれを見苦しくないように切りそろえるのは、並大抵の努力では難しい。エミリアは庭師たちの努力を思いながら、幼い主人の後ろをついていく。
庭内は騎士が配置されているから、早々何かある訳もなく、姫を愛でながら転んだらすぐに助け起こせるように気を配るくらいだ。
蝶はひらひらと翅を羽ばたかせ木の向こう側に飛んで行き、姫もその後を追う。
見失わないように気をつけないと……。
少し歩みを速めた直後、耳を劈くような悲鳴が響き渡った。
「ぎゃぁあぁあぁあぁぁ……っ!!」
「殿下っ!!」
姫の尋常ではない叫び声に、一斉に金属が擦れる音がした。騎士たちが抜剣したのだ。
走って木の向こうを見てみれば、騎士服の男が姫と対峙していた。
――不審者!
「何者です!」
自分でも驚くほど厳しい声が出る。
騎士服に身を包んでいるとはいえ、姫の異常な怯えようは只事ではない。
確かに怖がりで驚くだけで大泣きするが、しかし大声であっても子供らしい可愛らしさがあるのだ。間違っても絶叫するようなことはない。盾になるようにセイラ姫を庇いながら男を睨み付けた。
騎士たちの駆け寄る足音がした。
不審者はこれで取り押さえられるだろう。気を抜くには早いが、最悪の危機からは脱出したのだろう。
「――副団長!」
「――!!」
一瞬、思考が止まった。
「副団長、何をしてるんですか!!」
「……副団長? 騎士団のですか?」
騎士たちの声と、安堵の溜息が続く。
「そうだ、第一騎士団の副団長を務めている」
気まずそうに目の前の男が自己紹介した。
セイラ姫はエミリアの足にしがみつき、泣きながらエグエグとしゃくりを上げていた。
「…………………………………………大変失礼いたしました」
目の前の騎士に頭を下げる。
「いや、不用意に王太子宮に近づいた自分が悪い、気にしないでくれ」
背中に翳を背負ったまま、副団長は謝罪を受け入れた。
「セイラ殿下は過去に、酷く副騎士団長閣下に怯えられたことがあったのです」
同僚であり先輩でもあるニーナが、セイラとクレアに説明する。
「殿下の護衛が優しそうな雰囲気の騎士に限定されるきっかけでしょうか?」
「ええ、そうです」
クレアの問いに言葉を返すと、大きく溜息をついた。
「姫が一歳になられたときのことです。歩かれるようになられたので、庭を自由に動けるようにと王太子妃殿下は考えられたのです。それで騎士を増やしたのですが、平均的な騎士の皆様の体格は、幼い殿下には大きく威圧感があるようで、乳母に抱きつきながら泣かれたのです」
確かに副団長は怖い容貌だった。平均的な騎士よりも更にがっしりとした体躯を持ち眼光は鋭く、頬に走る傷が人相を一層悪くしている。幼子が好む容姿でないのは確かだった。一歳のセイラ姫が怯えて泣くのはしかたないかもしれない。三歳になった今でも怖がるだろう。
ニーナは二年前、乳母のほかに侍女がつけられたときから、セイラ姫のお側付を務めている最後の侍女だ。
王族付の侍女は皆、貴族の令嬢や夫人たちばかりだ。この国――セルティア王国での女性の結婚適齢期は十代後半のため、結婚を機に退職する場合は、勤めて数年で辞める。最近は結婚後も仕事を続け、妊娠を機に辞める侍女が増えているが、それでも十年を越えて勤めている侍女はいない。
ただ子育てが終わった後、請われて侍女に復帰する女性も多いのだが。
王太子宮では女主人の年齢に合わせて、侍女は未婚の令嬢が殆どだ。唯一の例外は侍女長と女官長で、元は王妃宮でそれぞれ侍女と女官を務め、子育て後に仕事復帰したベテランだ。
「副騎士団長と騎士団長は、どのような騎士を殿下に付けるかのご相談のために、こちらに来られたのですが、お二人を見た殿下が激しく泣かれて……」
「もしかして、今日のような……?」
姫の様子を思い出しながら尋ねた。
「ええ、当時も殿下の絶叫で襲撃と間違われて、騎士たちが部屋に雪崩れ込んできました」
それはなんというか、悲惨な話だった。
「逞しい方ですのに、肩を落とし項垂れていて、大層哀れというか、同情を誘うご様子で」
ニーナは言葉を切ると溜息をつく。
「もっと大変だったのが騎士団長のときでした」
殺されそうな叫び声を上げられるよりも大変というのは、どんな状況だったのだろうか想像ができない。セイラ姫はよく泣くが、今日のような声を上げるのは初めて聞くほど珍しいのだ。
「一目見て気絶されました。一瞬、呼吸も止まったようで、応急処置を施したり、医師を呼んだりと大騒ぎで……。以来、お二人とも王太子宮に近づくことはございませんでした。今日までは」
なんともはや、言葉も出ない。
用があっても訪れることができないというのは、大変不幸な状況だ。
しかし今日のような状況であれば、近寄らないのは得策だろう。
エミリアはまだ副団長が隊長室に滞在していると聞いて足を運んだ。先ほど謝罪したが、騎士を不審者扱いするという、大変な無礼を働いたのだ、改めて頭を下げなくては。
入室すれば運よく副団長は滞在中で、退出する直前だった。ほかにも室内に騎士が居ることから、この場で打ち合わせをしていたのかもしれない。
「先ほどは大変申し訳なく……」
「気にしなくて良い、といっても君は納得しないだろうな……」
深々と頭を下げる。副団長という肩書きだけでなく、王族を守る騎士を、王族を害するような態度をとってしまったのだ。
だが返ってきたのはエミリアの行動を肯定する言葉だった。
「職務に忠実で良い反応だった。敵は敵と判らないように近づくことが多い。騎士の制服を奪って侵入するのも想定されることだ。見たことのない相手を信用せず誰何するのは、あの場では最善の策だった。謝る必要はない。むしろ次にまた同じ状況に陥ったら、同じように相手を警戒するのが望ましい」
「そういうことだ、エミリア殿。正しい行動をとって誹られはしない。むしろこの副団長を前に一歩も引かなかったことは賞賛に値する。もっと自分を誇ると良い」
副団長の言葉を、ギルソープ隊長が補完する。
しかし微妙に副団長を落としている気がするのは気のせいだろうか?
騎士団の偉い人に対する言葉遣いではないと思う。
だが隊長に続く騎士たちの言葉はもっと酷かった。
「副団長の顔を見て怯えないだけでも十分です」
「新人はよく泣かされてます」
「お前ら……」
部下の言葉に怒る様子はなかった。見た目と違って優しいのかもしれない。
「冗談はともかく、不審者に怯まないのは素晴らしいと思いますよ。新人騎士など固まったまま動けずにいることも多いですから」
柔らかい口調で話すのはセイラ姫の護衛を務めるネイサンだ。もう一人の騎士はクライヴ・ガンター、姫の兄王子の剣術指南兼護衛を務めている。どちらもそれぞれ仕えている王族の警備責任者でもある。
「そう言っていただけると、ほっと致します。あのときは無我夢中で……」
殿下を守らなくては!
その一心で動けたが、自身が襲撃の対象になったとき、同じように動ける自信はない。
「結果的に丸く収まって良かったですわ」
なんと返して良いか判らず、誤魔化すように微笑んだ。