12. そして伯爵夫人に
『19.不作と北の料理人』後半部分を追加しました。
ストーリー上、読まなくても問題ありません。
エミリアと北の料理人が手を取り合って麦相場の安定を喜ぶシーンになります。
エミリアが王太子妃に呼び出されたのは、新年を迎えて暫くの後だった。
新年会の翌日は、家族でゆっくりと過ごすセレスティア王国の古くからの習慣に従ってエミリアは休みだった。新婚夫婦だからとネイサンも一緒に休みを取らせてもらい、新年はゆっくりと二人で過ごしたその翌日のことである。他の食糧難に取り組んだ関係者も一緒に呼び出されていた。
「実はね、慰労会のときはまだ功労者への褒賞が決まっていなかったの。遅くなったけどようやく褒賞が出せるようになりました」
商人たちが麦の売り渋りを止めたのは、冬至の直前だった。そのため慰労会は冬至の会と合わせた形で開催した急ごしらえのものだった。
新年を迎えた直後に改めて関係者だけを集めた場を設けたのだった。
職務に尽力した役人たちは臨時俸給を、特に大変だった者は更に昇進を。
エミリアに協力して野草料理の普及に尽力した、ファーナム侯爵夫人であり義兄嫁でもあるダルシーや友人たちは、勲章の授与と報奨金が与えられた。女性の地位が低いセレスティア王国では、夫人が勲章を与えられるというのは前代未聞の快挙だった。
「お友だちの手伝いを少ししただけで勲章だなんて……」
謙遜する友人たちは、しかしとても誇らしげだ。
義娘が勲章を授与された前ファーナム侯爵夫人は本人以上に大喜びだった。
「エミリア、あなたへの褒賞なのだけど、あなた自身よりもネイサンの出世の方が喜ぶと思うのだけどどうかしら?」
「確かに嬉しいですけれど、私の功が無くとも夫は実力で出世できると思いますの。それに夫も王太子殿下の元で成果を上げてますもの、私の功は不要だと愚考いたします」
エミリアが昨年の食糧難対策に当たった頃、夫のネイサンもまた王太子殿下の元で同じように対策に当たっていたのだ。休み返上のそれは苦労の連続だったが、結果として予想以上の成果を上げて終息した。エミリアだけでなく、対策に追われた全員の努力の結晶である。
「ネイサンも褒賞の対象者よ。そこでね二人の褒美を合わせて、ネイサンを伯爵に陞爵します。同時に領地も与えます。辞退は許しません」
言い切ると、王太子妃は悪戯が成功した子供のような目で笑う。
あまりのことに絶句するエミリアとネイサンに、次々と祝いの言葉が告げられる。一年も経たずに男爵から伯爵に爵位が上がるというのは常識から外れている。
行き過ぎた依怙贔屓ととられてもおかしくない。
二人の功績を合わせて子爵に陞爵されたとしても、驚くほどの快挙なのだ。
爵位が一つ上がるのは大きい。特に一代貴族である騎士爵から世襲貴族である男爵に上がるのと、下位貴族である子爵から高位貴族である伯爵になることは、簡単ではない筈だ。
「学者が試算を出したのよ。今回、野草食が普及しなかった場合の餓死者の数と、国に与えた影響を。餓死者は国民の二割から三割、税収が元通りになるのに五年程度必要だと。国力が落ちた結果、ノール王国と再戦する可能性が高かったの。エミリアは国の英雄として、女性初の男爵に列せられられるのが妥当なの。でもそれよりはネイサンの子爵位への陞爵と合わせて伯爵位にした方が喜ぶと思ったのよ」
「伯爵に与える領地ともなれば、それなりのものを用意しなければな」
確かに王太子妃が言う通り、エミリアは自身が男爵になるよりも夫であるネイサンが伯爵になる方が嬉しい。しかも妃の言葉を補足する王太子の言葉からは、領地の豊かさも子爵以上のものを用意することを示唆していた。
「おめでとうエミリア。妻の力で夫を伯爵にするだなんて、誰にでもできることではないわ」
「おめでとう、ネイサン、エミリア。盛大にお祝いしましょうね」
他の夫人たちよりも遥かに大きな褒賞になったが、夫人たちは自分のことのようにエミリア夫婦の褒賞を喜び称賛した。
「皆もあなたがたへの褒賞を喜んでいるようだし、受けてもらえるわね」
二人への祝いの言葉がひと段落したのを見計らって言葉を重ねた。
笑みを浮かべた王太子夫妻は、関係者の間を歩いて回り、労いの言葉をかける。年若い為政者の気さくさが前面に出ている行動だった。直前には国王から「いつ退位しても安心だ」との言葉を受け取っている。
親莫迦なところのある国王だが、国政に関わることは別だ。もし王太子が無能であれば、別の後継者と首を挿げ替えただろう。
そんな王の言葉は、次代も国は安泰だと思わせるに充分だった。
今は友好国のウィストリア王国だが、国王が即位した頃は、ノール王国の属国だった。そしてその立場でセレスティア王国と開戦したのである。
セレスティア王国は戦争に勝つのと同時にウィストリア王国の独立と復興を手助けして、友好国としての地位に引き上げると同時に、親セレスティアの国民を増やすことに尽力した。
また同時並行してノール王国との国境付近の小競り合いを激減させ、昔から良い関係を築いている南や東の隣国とはより親密に。そうやって国外の問題を解決した後は、内政に尽力して休む間なく働き続けた。
王太子だった兄の不審過ぎる病死とそれ以前の行状が、王族に対する権威の衰退につながったのを、見事に回復させるに至った。
賢王との評価が高い国王が、王太子を評価して退位しても問題無いとするならば、王太子に王としての資質があるということだろう。
「お祝いは何時頃が良いかしらね」
「ごく親しい人や身内だけを集めた小さな夜会を今月中に、大掛かりなものを本格的な社交の季節が始まってすぐくらいにやるのはどうかしら?」
ダルシーや前侯爵夫人である義母が、早速といった風にエミリアやネイサンに声をかける。
それに対して小ぢんまりとした会で終わらせようと思っていた、ネイサンとエミリアの考えを牽制するようにダルシーが提案する。
「それが良いかもしれないわね。場所は取り敢えず侯爵家にしておきましょう。これから王都に屋敷を建てるのなら、春には新居が間に合わないものね」
新居とは、などと色々とエミリアとネイサンが思っている間に、どんどん話は進んでいく。
「ネイサン、伯爵になったのだから、今のまま別宅でとはいかないわよ。ちゃんと独立して伯爵家として屋敷を構えなくてはね」
「しかし領地がどれほどのものかも判らないし、ただの新興貴族なのに、そこまでしなくても」
「いいえ、しなくてはいけません」
ネイサンの言葉に、母と兄嫁はきっぱりと否定する。
「新興とはいえ、出身は侯爵家です。しかもファーナム侯爵家は建国まで遡れる由緒正しい家ですよ。その親族筋の伯爵家がただの新興貴族の筈はないでしょう。ちゃんと格に合わせた屋敷というものが必要ですよ」
何歳になっても母は子に対して厳しいものらしかった。