10. 不作と北の料理人
後半が抜けて今いましたので追加しました。
マーレが王都に到着したのは、ダルシーがエミリア夫婦の家に顔を出した半月後のことだった。夫であるネイサンに、孤児院の子供たちが山の恵みの知識があると話してから実に二月が経過していた。マーレの住む村は、途中から険しく細い道を通らねばならず、しかも麓の村から数日かかるような僻地だ。冬になれば完全に雪に閉ざされる、急峻な山に囲まれた村は、同じような山間にある村とはそれなりの付き合いがあるものの、麓の村との付き合いは最低限しかなく、閉塞的な雰囲気だったと使いに出た者から報告を受けた。
「お久しぶりです、エミリアさま」
到着したマーレは人好きのする笑みを浮かべる。
「本当に久しぶりね、マーレ。早速で悪いのだけど、明日から野草料理をいろいろと作ってもらいたいの。孤児院で食べているものだけではなくて、街の食堂で食事を摂る人たちや、もう少し豊かな人たちが食べても美味しいというようなものを。上手く行けば庶民だけでなく、国内の食糧問題も解決するわ」
エミリアは長旅の労を労いながらも、早速とばかり本題に入った。それほど待ちかねていたいたのだ。
「判りました。でもなんだか複雑な気分です。麓の村からは「雑草を貪る貧民」扱いされていたのに、王都で重宝される日が来るなんて」
「まあそうなの? 美味しいお料理ばかりだったのに。麓に住む人たちは、随分と損をしていると思うわ」
エミリアの笑みに、マーレも釣られて笑う。エミリアの偏見の無さは非常に素晴らしく、だから以前、家を出たエミリアから、孤児院の子供たちに変わらず料理を教えて欲しいと依頼された時に、気持ちよく引き受けたのだ。
エミリアがネイサンと交際を始めてしばらく経った頃、マーレの母親が郷里に帰りたいと言い出し、付き添って王都を後になったときは、エミリアや子供たちと別れるのが辛かったほどだ。
だから今回、声がかかったときに二つ返事で王都行きを決めたのだ。
「明日、孤児院に行って、子供たちと一緒に手分けして森に行って食材を探します」
マーレは自分に求められる役割を十二分に果たすのだと誓いながら、与えられた自室にと下がった。
* * *
食堂には王太子妃の知らない香りの料理が運ばれてくる。
妃殿下と昼食を伴にするのは大変名誉なことで緊張するが、エミリアは自分の仕事だから頑張らねばとばかりに気合を入れる。料理人がメニューを言う度に、エミリアは使われている野草の解説をおこなう。もちろんマーレの説明をなぞっているだけであるが。
同時刻、王太子宮に勤める下働きたちにも、マーレの料理が振舞われた。不作の麦を始め、畑で取れる作物をできる限り減らした分、野草を増やした料理である。
実際に食糧事情が悪化して、最も影響を受けるのは庶民だ。だから街の味を知っている下働きに受け入れられるか確認をしてみた。
結果、初めて食べる料理だけど美味しいと概ね好評だった。
「エミリア、素晴らしいわ!」
「素晴らしいのは子供たちですわ」
王太子妃殿下に絶賛されたエミリアは、にっこりと笑って、褒めるなら料理人と孤児院の子供たちをとお願いする。
ネイサンが王太子殿下に野草の知識を広げたらどうかと奏上し、では試しにと王太子妃を筆頭に、王太子宮で試食をした結果、野草料理が受け入れられたのだ。
ネイサンから奏上された王太子は、食糧事情の悪化を解決する糸口が孤児院にあると知り、慰問は女性の大切な役割だからと、妃を関わらせるのが良いようだと判断した。
王太子妃は必要な資料を自分たちで纏める能力がある子供の、その能力の高さに驚き、次に上流階級でも受け入れられる野草の多さに驚いた。マーレの作る素朴な美味しさの料理は、ファーナム侯爵家と男爵家の料理人の腕を経て、洗練された上品な料理へと昇華している。
試食の結果、全ての階級で、この挑戦的な料理の数々は受け入れられることが確認できた。
マーレが屋敷に到着した翌日から毎日、夕食にマーレの野草料理が一品並ぶことになった。屋敷の料理人や、本宅の料理人の協力も仰ぎ、貴族の舌も満足させられるような料理が並んだから、庶民派な料理から貴族の屋敷で食べられるような料理まで、既に幾つものレシピが完成している。
「貴族にこの食事を紹介するのには、食事会などの場を設ければ早そうだけど、庶民にはどうしたら良いかしら」
「でしたら組合を通じて話すのは如何でしょうか。食堂が所属する組合を通して伝達すれば、話は早いし楽ですわ。初めて食べる料理に忌避感が強いのでしたら、こちらが費用を負担して、無料提供すれば良いかもしれません」
「それは良いかもしれないわ。早速、食堂組合との会合を手配しなくてはね」
その日の間に王太子妃から組合長宛に話し合いの場を持ちたいとの手紙が届けられた。
王太子宮主導の食糧事情の改善計画は、王宮内を始めとする貴族には王太子自身が調整に動いた。前ファーナム侯爵夫妻は義娘の一助になればとばかりに、昼餐会やお茶会を開いて、上流階級に野草料理を受け入れられる土壌作りに協力した。
それらは領地を持つ貴族家にとって有益な情報だったため、緩やかだが確実に広がっていく。もちろんエミリア自身もブリトニーを始めとする友人たちを自宅に招き食事をお披露目した。エミリアの友人は地方の中堅貴族が多いため、侯爵家の交際相手である大きな領地と収入のある貴族家よりも体力が無く、食糧不足や麦の高騰はより深刻だった。だから救済策があれば飛びつくし、できるだけ早く領地へと情報を発信する。
エミリアがセイラ姫付きの侍女仕事の合間に王太子妃の政策の手伝いを行い、更には自宅に人を招いての食事会と、休み無しに動けば、友人たちも食事会を開いたり、使用人に料理を覚えさせたりと精力的に動き出す。友人の手助けができてしかも実利もあるから、普段の付き合い以上に濃密で協力的だ。
都市部では食堂を始めとする食品を扱う組合から、地方は領主からといったトップダウンで話を流したから、料理が広がるのはあっと言う間だった。特に田舎の方は、地域に一人や二人は野草に詳しい村人がいることが多く、受け入れられるのは容易だ。
需要が減れば比例して価格も下がる。
特に今回は、確かに麦不足の事実はあるものの、商人主導の売り渋りによる価格高騰が大きな要因だったから、少しずつ価格は下がっていった。本格的な冬を迎えた頃には、小麦の価格は例年の二倍程度の価格で落ち着き、他の品種は例年よりも多少高額なだけだった。
「やったわ!!」
「やりましたね、エミリアさま!」
小麦相場が下がったことに、主従は手を取り合って喜ぶ。
数ヵ月の間、エミリアは睡眠時間を削って対応に追われた。
郷里からの移動に時間のかかったマーレは、さほど長期間とは言えないが、王都に到着した翌日から、野草の採取や料理作りに追われていた。
もちろん料理人たちは、侯爵家からも応援が入り、一緒になって料理を手伝ったが、アク抜きや下拵えといった手間は、野草のことを熟知しているマーレが適任だった。
そんなマーレは食糧不足がひと段落した後も王都に定住するというので、エミリアが雇うことにした。働き者のマーレは、今までいた料理人たちからも歓迎され、俄然やる気をみせている。
前回、王都を去ったのは自分の意思ではなく、郷里に戻りたいという母の付き添いだった。生まれてからそれなりの年齢になるまで村で過ごしたマーレだったが、母の再婚相手と家族三人で王都に出てからは、水があったのか王都で生まれ育ったかのように馴染んだ。義父が亡くなって母と一緒に村に帰ったが、いつか王都に戻りたいと思う日々だった。
だからエミリアから請われたのは渡りに船だったのである。
村はゆっくりと時間が過ぎる穏やかな場所だった。
しかし閉塞感を感じるそこは、既にマーレの帰る場所だとは思えなくなっていた。マーレの母もマーレに村の空気が合わないことが判ったからこそ、王都行を止めなかった。
「長旅で疲れていたのに、今日まで一日も休まず働いてくれてありがとう。お陰で子供たちが犠牲になることも、領民が飢えて死ぬこともなくて助かったわ」
「いいえ、こちらこそ王都に呼んでくださってありがとうございました。王都に帰りたいと思っても、遠すぎて無理だと諦めていましたから、とても嬉しかったです」
エミリアの心を込めた感謝に、マーレもまた感謝の気持ちを返す。今回の再会は、二人にとって良い結果をもたらした。