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 六月。旧暦でいう皐月の十六夜に、わたし達はお月見をしていた。それぞれのワンス・ウイングに腰掛けて、昇り始めた月と同じ高さの空中に浮かんで。


「待ち合わせの時間って何時だったっけ?」

「何時っていうか、この月が南中する頃って約束だったはずよ」


 悠紀姉の問いに、蒼依が答える。

 単純計算であと三時間。ここは太平洋のど真ん中。目的地は北海道。“モメトラ”や“ミラージュ”を使っても間に合うかどうか。いくら十六夜月だからほぼ無尽蔵にチカラが使えるといっても、のんびりし過ぎではないだろうか。


「二人とも、あとからちゃんと来てよね。わたしは先に行くから。じゃあねっ」


 わたしは姉妹を尻目に、言い終わるか終わらないかのうちに“ミラージュ”を使い、亜空間に姿を消した。



 亜空間を抜けて空を見渡すと、月がちょうど南中したところで、遠目に、月明かりに照らされた、箒の柄に腰掛けている男性の姿が見えた。ゴールまであとちょっと。わたしは“モメトラ”を使って彼の頭上、彼と月の間に移動して逆光になる位置からこう言った。


「こんばんわ、トキくん。初恋の相手と二年ぶりに会うっていうのに、ずいぶんラフな恰好だね」


 白いワイシャツに濃い青のジーンズ、そしてスニーカー。どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、デートコーデには程遠い。ふと、視界の端の箒の柄先が気になってそちらへ目をやると、なぜか鳥かごが引っ掛けてあった。


「これでも、自分なりにお洒落して来たんだよ。それとも、白いタキシード着てバラの花束でも持って来りゃよかった?」


 彼の反論通りの姿を、ちょっとイメージしてみた。


「それは願い下げだね。きっと見た瞬間にとんぼ返りしちゃうよ」


 と言ってわたしは、“モメトラ”で彼の近くへ瞬間移動する。


「……あのさ」

「なにかな?」


 途端に、彼の声が緊張でこわばる。ちょっとやり過ぎたかな?


「ちょっと近過ぎない?」

「そうかな」


 移動先は、お互いの鼻先が触れ合いそうな超至近距離。ほぼゼロ距離。


「近過ぎちゃイヤ?」

「そんなことはないけど……」

「ならいいじゃない♪」

「それにしたって適度な距離ってのが――むぐ」


 これ以上とやかく言わせないために、自分の胸に彼の頭を抱いて黙らせた。

 何か懐かしいな、この感触。――なんて思っていると、聴き覚えのない“声”が聴こえた。


 《 ああっ、なんて羨ましいことをっ! 》


 はて、誰の“声”だろう? と思っているところへ。トキくんから、ギブアップのサインがあった。


 《…………苦しい》

「え?」


 トキくんの“声”で気づいたけれど、ついつい忘れてしまう。自分の腕力が半端ないことを。


 《逢えて嬉しいのは痛いほどよくわかったよ。けど、それで窒息死させられちゃたまらない》

「ああっ、ごめん!」


 すぐに腕を緩めて彼を解放する。危うく、彼を殺してしまうところだった。

 何やら複雑な思いの詰まっていそうなため息をついて顔を上げた彼に、微笑みながら改めて挨拶した。

「久しぶりだね、トキくん」

「――うん。本当に久しぶりだね、ルナ姉さん」

「ああ、なつかしいなあ、その呼び方」


 さて、彼はわたしのこの反応にどんなことを考えているだろう。素直に受け止めているだろうか、あるいは――

 演技だと思われているのだろうか。



「ひとの恰好をとやかく言うわりに、自分だって大してめかして来てないじゃないか。靴も履いてないし」

「そ、それは、ずっと空の上にいるって言ってたからっ! それに服だって、見た目は地味でも素材的には一張羅なんだからねっ!」


 反論してみたものの、自分でも地味な恰好をしてきちゃったなとちょっと後悔している。

 肩先までの黒髪には何の飾りもアレンジもないし、淡いエメラルドグリーンのカーディガンの中には真っ白なブラウス。首や耳、腕にいたっても、アクセサリーの類いは一切着けていない。オフホワイトの膝丈フレアスカートの先は素足だった。いくら派手に着飾るのが苦手といっても、シンプル過ぎたかもしれない。



「そんなことより。さっきの挨拶代わりのハグ。タッチセラピーを兼ねたつもりだったんだけど……刺激が強過ぎたかな」


 わたしはバツが悪そうに苦笑いしながら、指で頬を掻く。


「タッチセラピー?」

「うん。人肌には人を癒す効果があって、握手したりハグしたり、触れることで人を癒せるんだって。知らない?」

「聞いたことはある。けど、強過ぎたのは刺激じゃないよ。もう昔のようなリアクションをするほど子供でもない。癒そうとしてハグするなら頭じゃなく、力加減も忘れないで欲しいな」

「あ、あははははー……」

「………………」

「……ごめんなさい」


 わたしは後頭部に手をやって、乾いた笑いで明るくごまかそうとした。けれど、トキくんの冷やかな視線に負けて完全に光を失った。まあ、本気で危うく殺しかけるところだったのだ。冗談でも、笑って済まして欲しくはないだろう。


「……まあ、今度から気をつけてくれれば。再会出来た嬉しさは、充分過ぎるほど伝わったしね」

「ほんとっ?!」


 わたしの、見るからに落ち込んでいる姿を見かねてか、彼のため息まじりの言葉を聞くと。わたしは弾かれたように光を取り戻し、輝くような笑顔を見せた。


「――あ、ああ。それにその…… ……また逢えて嬉しいのは…………だし」


 彼は顔が火照っている自分に気づくとだんだん声のボリュームが落ちて行って、後半の「俺も同じだし」は微かに、けれど確かに聞こえた。


「ほんとにほんとっ?!」


 わたしはさらに笑顔になり、ふたたびゼロ距離まで迫った。


「嘘は言わない。だから近づき過ぎないで」

「あ、耳まで真っ赤。照れてる?」

「悪い?」

 《 ……なぁ 》


 赤面と笑顔を向かい合わせていると。猫の鳴き声のような“声”が、二人の間を割って入ってきた。


「ん?」

「ん? ――わっ!」


 彼は“声”のした方へ振り向いただけだったけれど、わたしは振り向いた直後、驚いて上体をのけ反らせた。


 《 再会早々お取り込み中のところ悪いが、まだ初対面なのがここにいるのを忘れてくれるなよ? 》

「ああ悪い。そうだったな」

「びっくりした……いまの“声”、この仔猫ちゃんが?」


 トキくんの傍らで呆れや不満を隠そうともしていない“声”の主を見て、わたしは瞳をまんまるくした。


「仔猫ちゃん……に見えるよな、やっぱ」

 《 あっ、こら 》


 苦笑いしながら、彼は灰と銀が混ざったような色をした仔猫の首根っこをつかんで、わたしの方へ向けた。そうか鳥かごは、この仔を運ぶためだったのか。


「ほれ、自己紹介しろ」

 《 その前に、首から手を離せ 》


 仔猫は、吊り下げられたまま彼の方を振り向いて抗議した。


「いいのか? ここから落ちたら、本当にカラスたちの餌になるぞ? イイ感じに細かく散らばって、食べやすくなること請け合いだ」

 《 そんなことになったら化けて出てやる 》

「化け猫になるって? いまも似たよーなもんだろ」

 《 いーからさっさと降ろせ。膝の上に置くとか、いろいろあるだろうが 》

「鳥かごの中に入れるとか?」

 《 かごはイヤだ、膝を貸せ 》

「あいにく、猫に膝枕させるシュミは持ち合わせていない」

 《 枕じゃなくて座布団だ 》

「じゃあなおさらだ」

 《 四の五の言ってねーで―― 》

 《ねえ、ちょっといいかな》


 いつ終わるとも知れない押し問答に、別の“声”を遠慮がちに割り込ませた。


「っ!」

 《 なにっ? ぅわっ! 》


 驚いた彼は声を上げる間もなく、仔猫の首根っこを離してしまった。


 《 離すなら離すって言ってからにしろっ 》

「わかった、離すぞ」

 《 もう遅いわっ! 》


 本当に地上に落とされるとは思っていなかったのか、膝上からの非難には震えも怯えもなかった。彼は自分や仔猫とは別の“声”の主――つまりわたしに向けて、頭を下げた。


「話の腰を折っちゃったよな。ごめん」

「ううん、そうじゃなくて。ひょっとしてそのコも……“テレパス”を使えるの?」


 半信半疑でおそるおそるといった感じで、わたしは彼に(たず)ねた。


 俗に言うテレパスとは、超能力の一種だ。

 一方、わたし達たちの言う、そしてわたし達たちが使う“テレパス”もそれらと似てはいるが、同一のものではない。子供のころにそれをトキくんに教えたわたしの推測は、半分正解だった。


「コイツが“テレパス”を使えるわけじゃないんだ」

「え、でも……」


 仔猫はにゃあにゃあ鳴いていた。まるで同時通訳のように、鳴き声に重なるようにして“声”が聞こえてきた。


 《 俺様には難しいことはよくわからんが、このトキヤやアンタたちのチカラが、俺様の言葉を勝手に日本語にしてくれとるらしいぞ 》


 トキくんの回答を理解出来ていないわたしを見かねてか、仔猫がフォローしてくれた。


「わたしたちのチカラが?」


 トキくんからもフォローが入る。


「実際の仕組みはもっと複雑で説明が面倒らしいけど、簡単に言えばそういうことだよ」


 自分の近くにいる相手の思考を勝手に読み取るサトリや、触れた物や人の記憶を読み取るサイコメトラー。彼らについて知っている人なら、〝テレパス〟のことを彼らの能力と同じように思うかもしれない。けれど“テレパス”は、相手の思考を読み取るというより、聴き取るのである。

 ちなみに『“声”』というのはウォークスと読む。ラテン語でいう声のことだけれど、相手の思考を音声として受け取るわたし達の間では、いわゆる心の声のことを指す。


「コイツの場合は少し特殊で、発声したものが“声”になって聴こえるんだ。それからひとつ、制限がある」

「制限?」

「そう。コイツの“声”は、コイツと波長が合わないと聴き取れない」

「へぇ…… じゃあ、聴き取れてるから、わたしとも波長が合うってことなんだね」

 《 そうみたいだな 》

「そっか。じゃあ、しっかり自己紹介しなきゃ」


 わたしは、ワンス・ウイングの上で座り直して居住まいを正した。


「初めまして、わたしは――」

 《 知ってるよ、佐藤璃那だろ 》

「え?」


 持ち前の人懐っこい笑顔で名乗ろうとした自分より早く仔猫に名前を言われ、わたしは目を白黒させた。


 《 あんたたち三姉妹のことは、ここに来る道中にトキヤから聞いた 》

「ああ、そうだったんだね。でもいまは違うから、改めて。――いまのわたしは麻宮璃那っていうんだ。元々住んでた麻布の『麻』、いま住んでる大宮の『宮』って書いてアサミヤ。瑠璃色の『璃』に那覇市の『那』でリナ、だよ」

 《 苗字が変わってたのかよ 》


 仔猫は、わたしにではなくトキくんに訊いた。


「親御さんが離婚したんだよ。言わなかったか?」

 《 聞いてない、聞いた覚えもない 》

「お前が忘れただけじゃないのか?」

 《 それは有り得ん。アルトゥアミスの一族は記憶力がいいんだ 》


 なぜかすっくと立ち上がって、両の前足を腰に当てて胸を張り、自慢げに言った。


「あるとぅあ……みす? アルテミスじゃなくて?」


 そこでわたしが、初めて耳にした単語を訊き返した。


 《 それは月の女神の名だろ。アルトゥアミスは、由緒正しき一族の名だ 》


 仔猫はなぜか、さらに胸を張った。


「アルトゥアミス一族……。ひょっとしてキミって、異世界の猫なの?」


 普通、非日常的な固有名詞を耳にしたなら「何それ、どんなファンタジー?」とか言って茶化すところかもしれない。

 けれどわたしがそうしなかった理由は、自分自身が非日常的な存在であるからだ。


 《 アルテ 》

「?」


 仔猫はわたしの問いには答えずに、不機嫌を露わにしてポツリと言う。

 わたしは意味がわからないといった様子で、ぱちくりと瞬きを繰り返した。


 《 俺様の名前だ。アルテ 》

「ああ、それはごめん。じゃあ言い直すね。アルテくんて、異界の猫なの?」


 アルテに訂正を求められたのはキミって言ったのが気に障ったからだと思って、わたしは素直に謝って、質問を改めた。

 ちなみにアルテという名は、トキくんが付けたそうだ。本名は別にあるらしいのだけれど、《 あんな気に食わん名前など忘れた 》と言って明かそうとしなかったので、アルトゥアミスからもじったのだそうだ。


 《 『くん』も要らねえ、呼び捨てでいい 》

「そう? わかった。じゃあアルテ。わたしも呼び捨てか、ルナでいいよ」

 《 ルナ? 》


 アルテは、尻尾でハテナマークを形つくる。それを見たわたしは両の手のひらを(あご)の下で合わせて「おや可愛い♪」と言ってから、続けた。


「そ、ルナ。ラテン語でいう月のことで、お月見好きなわたしの愛称。これも、トキくんから聞いてない?」


 《 ………… 》


 アルテは、目で何かを訴えるトキくんを見て沈黙すること数秒。


 《 ……ああ。いや、聞いてた 》


 思い出したらしい。けれど、本当かどうかは怪しい。意図的にわたしから視線をそらしていた。

 そこへ、トキくんが口を挟んできた。


「聞いてただけで、左の耳から右の耳へ素通りしてったんだろ」

 《 どっちかって言うと、右から左だな 》

屁理屈(へりくつ)言うな。どっちでも同じだ」

 《 右の耳から聞いてたのは事実だぞ? けっこう重要な違いだと思うが 》

「そうだとしても、論点はそこじゃなくて俺の話を聞き流して覚えてなかったってとこだろうが」

 《 おお、なるほど 》

 《まったく口の減らねえ……ん?》

 《 なんだ? ――何を笑ってやがる? 》


 わたしをそっちのけで問答を繰り広げる二人を、わたしは微笑ましく見つめていた。トキくんがそんなわたしの視線に気付き、アルテも彼の視線を追ってそれに気づき、わたしに訊いた。


「ん? あぁいや。二人とも仲良いんだなぁって思って」

「《 どこが 》」

「そういうとこがだよ」


 わたしは、心から楽しそうに言った。


「俺とアルテが仲良しに見えるって、そりゃ何の冗談? なあ」

 《 まったくだ。心外にもほどがある 》

「そうなの? でもトキくんたちは仲悪いと思っていても、わたしからは仲良しに見えるんだよ」


 その後、わたしから客観的事実というものを()かれ、それ以上の反論が出来なかった彼らは、揃って白旗を(かか)げたのだった。

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