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―1―

 あの初夏の夜、病棟の屋上でわたし達は出逢った。

 彼は、薄翠色(うすみどりいろ)のパジャマの上に病院着を羽織って立ち両腕を広げ月光浴をしているわたしに背後から近づいて来て、「きれい……」と一言。てっきり十六夜月のことを指してそう言ったのかと思っていたけれど。まさかわたしのことだったとは思わなかったなあ。



「そうだね」


 彼の呟つぶやきに返答したら、驚かれた。


「え?」

「きれいって、キミが言ったから。キミもコレを見に来たんでしょ?」


 人懐っこい笑みを見せて、わたしは欠け始めの月を指さす。

 彼は、わたしの誤解を指摘するのも忘れて、ただうなずいた。


「そっか、君も星を見るのが好きなんだね、わたしとおんなじ」

「…………」


 間違いなく初対面のはずなのに、もうすでに仲良しのように接するわたしに、彼は戸惑っていた。


「むぅ、無言? ねえひょっとしてキミ、今夜わたしが自分より先にここに来たことを怒ってる?」


 視線の高さを彼と合わせるように膝を折り、小首を傾かしげて不安げに訊いたわたしに彼は、何か声を出せない呪縛にかかったかのごとく、一言も発さずにただ思いきり首を左右に振った。


「ほんと? ならよかった」


 安堵したわたしは、彼に微笑んだ。


「でも……」


 うつむき加減に口元を指で掻かきながら、わたしは考え込んだ。そして、唐突に顔を上げて、


「ここに来たとき驚いたでしょ、わたしみたいな物好きがいたことに」


 照れの混じった苦笑いでそう言うと、彼は目を丸くした。


「わ、豆鉄砲に撃たれた鳩みたいな顔になった」


 驚いてそう言ったわたしの何が可笑しかったのか、彼は吹き出した。そのまま、声をあげての大笑い。


「え、何? わたしいま笑えること言った? それともわたし自身が可笑おかしいって意味?」

「両方、かな」

「なんだとー? キミねー、初対面の女の子にそれはないんじゃない?」

「ごめんなさい。でもね、それ」

「え?」


 今度はわたしの方がきょとんと、豆鉄砲をくらった鳩のような顔をする。


「ぼくとお姉ちゃん、いま初めて会ったんだよ? それも、こんなとこで。それなのにひとっつも驚かないなんて、おかしくない?」

「んー……」


 彼の問いに、ふたたび口元を指で掻きながら考え込むこと、数秒。ちなみに『ひとっつも』というのは、全然という意味にあたる。


「まあ、それは確かにそうかも、言われてみれば。何でかな?」

「それはぼくに聞かれても……」

「あはッ、それもそっか」


 『それは、呪縛が解けたというより、まるで何かの魔法にかかったようだった』と、後に彼は言った。『そう思えるほどとても自然に、璃那とは難なく会話が出来た。たぶん、このときにはもう心のどこかで、璃那に好意を持っていたんだろうな』。


「――ね、キミ」

「うん?」

「わたしは、りなって言うの。でも姉さんや妹は、ルナって呼ぶわ」

「ルナ?」

「そう。これはラテン語で、月っていう意味なんだって。りな姉さんは月が大好きだから、月をあだ名にしましょう。でも月やムーンじゃ女の子っぽくないから、ルナがいいいわって、妹がつけてくれたの。すごく気に入ってるから、キミもそう呼んでね?」

「えっ、あ、あの――」


 うろたえる彼を他所(よそ)に、わたしは話を先に進めた。


「キミの名前は?」

「あ。えと……」


 この時、彼はなぜか心の中で後退りしていた。わたしの屈託のない笑顔に無言の圧力を感じていたんだそうだ。


「ぼくは……ときや」

「うんうん。ときやくんね。で?」

「う……」


 “声”を探ると、彼はためらっていた。

 わたしにあだ名を催促されていることはわかった。が、このころの彼には、あだ名などなかった。友達を作れなかったのだから、あるはずもない。親や親戚が使っていた愛称というか呼び名はあったが、果たしてそれを初対面の相手に言ってもいいものかどうか、わたしに心を開いて大丈夫か、ためらっていた。彼が当時から人を遠ざけていたのは、暗い性格だけが理由ではなかったから。その理由を、わたしは知っていた。

 しかし結局は、言った。

 わたしに知って欲しいという思いが、言っていいかどうかという迷いより強かった。


「ええと……親や親戚には、トキって呼ばれることも……ある」

「ん、わかった。じゃあわたしは、トキくんって呼ぶね」


 わたしは微笑んで、二つ返事で快く受け入れた。しかし、このあとに続いた言葉が、彼にとって衝撃だったという。


「んじゃ、トキくん。これからは、毎晩、ここで会おう。ねッ」

「うん。――え、毎晩?!」

「うんっ、毎晩♪」



 彼の言う通り、彼とはこの時が初対面だったのだけれど。わたしとその家族は、対面する前から彼のことをある程度知っていた。

 それは、彼が転院してきてからずっと、わたしたちが使える能力(チカラ)のひとつ、“テレパス”で彼の心の声を聴き取っていたから。



 古瀬兎季矢(ふるせときや)。それが彼の名前。当時はまだ確か……九歳、だったのかな? わたしが十一歳になる年だったからたぶん、それくらい。

 富良野で生まれ育って来たけど、漏斗胸(ろうときょう)という疾患にかかり、富良野の病院では手に負えないため、わたしが入院していた旭川医大――旭川医科大学附属病院に、手術のために転院して来た。

 気弱で人見知りな性格で周りと馴染めず、親御さんが共働きで付き添えないため、当初は、入院生活のほとんどを独りで過ごしていた。そんな心細さとか、手術に対する不安も手伝ってか、医師や看護師に対しても心を開けずにいた。

 でも二日目から、松下都(まつしたみやこ)という准看護師には少し心を開くようになっていた。ツンデレ気味ではあったけれど。

 そのきっかけになったのは、星見(ほしみ)。要するに天体観賞。性格的に光に乏しい彼は、夜空の光である月や星を観るのが好きだった。そこで都さんは、自分と友達になるのを条件に、本来であれば許されない、消灯時間後に屋上に出られるようにしてあげることを約束し、みごと都さんは彼と友達になった。

 それから次の十六夜月の日。屋上へ先回りして、わたしも彼――トキくんと友達になった。


 その別れ際、「毎晩会おうねっ」なんて約束したけれど。実際のところ、トキくんと屋上で会っていたのは、たった三日間だけだった。


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