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ゆうきをだせば

 彼女が目を覚ます頃には、窓から朝日がさしていた。ベットから起き上がり、ぐっと伸びをする。気持ちのいい朝だ。

「ーーーっ、最高」

 珍しく目覚めが良く、気分もいい。彼女は立ち上がって、ヒーローフィギュアに囲まれた目覚まし時計に目を移した。

 毎朝毎朝、彼女を苦しめ続けた目覚まし時計。いい夢を見ていたところで急に現実に引き戻され、不快感に破壊したくなったことは数知れず。そんな目覚まし時計、そしてこの自分自身に勝利したという事実を確認しようとした。

「え」

 八時十五分。時計は八時五分を指し示している。

 垣久卦(かきくけ)中学校の始業時間は八時二十分。

「ね、寝坊だああああああああああ!」

 中学二年生、桜井ゆうきは人生初の寝坊を経験した。

「な、なんで鳴らないの? こわれてるのかな」

 ゆうきはそう言って目覚まし時計をバシバシ叩く。電池や音の設定を確認したが、目覚まし時計は正常のようだ。どうやら彼女は目覚まし時計を無意識に停止させたらしい。

目覚まし時計にも自分自身にも敗北していた、その事実に落胆した。

 そこからのゆうきの行動は速かった。制服に着替え、スクールバックを掴み、彼女は急いで階段を駆け下りる。

 リビングでは母がニュースを見ていた。

「あら、なにやってるの」

「起こしてよぉ!」

「もしかして今起きたの? パンは机の上よ」

 そんなこともお構いなしにテレビではニュースキャスターが喋っている。

『専門家によると、真熊火山の内部では活動が活発化しており、一ヶ月後に噴火の恐れがあるとのことです』

「あらやだ。ここも避難区域になるのかしら」

 母がソファの上で暢気に言う。

 テレビを無視して、彼女は口に牛乳を流し込む。そしてパンを口にくわえて、叫んだ。

「いっふぇひまふ!」

 ゆうきは、少女漫画のような「ちこくちこく~ぅ!」と叫びながら学校へと走っていった。


 間に合わなかった。校門まであと一歩のところでチャイムが鳴り、ゆうきは体育科の鬼鬼鬼先生(蔑称)から叱責を受けた。

「ゆうきー、今日どうしたの?」

 HRが終わった教室で、青海あいが尋ねてきた。

「いやー、寝過ごしちゃってさ」

「ゆうきちゃんのあんな姿、想像したこともなかった」

 そう言うのは月居ゆあ。

「私が一番予想外だったよ。ハハハ……」

 ゆうきも、まさか無意識のうちに目覚ましを止めていたとは言えない。

「どーせまたヒーロー映画を徹夜で見てたんでしょ」

 あいがゆうきをからかう。

「そ、そんなんじゃないし」

「いーや、絶対にそうだね」

 そんなことを話していると、ゆあが口を開く。

「あ、宇高くんだ」

「え?」

 あいは即座に反応し、宇高くんの姿を探した。教室の端で友達とじゃれ合っているのを見つけると、そのまま彼を見つめて動かない。

「あら、乙女ね」

「ねー」

 ゆあとゆうきがニヤニヤしていることに気付いたあいは、顔を赤らめて首を横に振った。

「そ、そんなんじゃないし!」

 しかし二人のニヤニヤは止められない。

「言えば言うほど」

「うそっぽい」

「違うってー!」

 そこに、机が倒れる音が聞こえた。振り向くと、雪代こころが机から倒れていた。

 だが、みんなこころに駆け寄ろうとはしなかった。

「うわ……」

 ゆあが口をこぼす。

 こころが立ち上がろうとすると、その頭は押さえつけられ、そのまま床に押し付けられた。

 彼女を囲うように、数人の女子が立っている。

 こころはいじめられていた。

「またやってるよ、あのこたち」

 あいは侮蔑の目でいじめっ子を睨んで、言う。

「やっぱり、止めた方がいい、よね」

 ゆうきがそう言うが、あいはゆうきを見て、こう返した。

「そんなわけないじゃない。ゆうきがいじめられるよ」

「でも、いつまでもあんなことされてちゃかわいそうだよ。ゆあもそう思うよね?」

 ゆうきは今度はゆあに振るが、ゆあは首を振った。

「ゆうきちゃんの気持ちはわかるけど、そんな簡単な問題じゃ無いでしょ。かわいそうだからって考え無しに動いても、何にもならないよ――」

ゆあはゆうきを見つめて続けた。

「――だから、今のゆうきちゃんには何もできないよ」

 二人に反対されたゆうきは、黙ってその様子を見ることしかできなかった。

 チャイムが鳴った。


 こころに対するいじめは今に始まったことでは無い。入学して各所で友好関係が形成されていくと同時に、彼女を取り巻く環境は悪化していった。クラスメイトがいじめが起こっていることに気付いた頃には、既に手遅れなほどの嫌がらせがこころを傷つけていた。

 いじめっ子を注意したら、今度は自分が対象となるかもしれない。どころか、こころに対する境遇まで悪化する可能性もある。先生に話しても同じだろう。あいやゆあの言うとおり、ゆうきが友達を二、三人連れていってもどうにもならない。

 ここ数日、授業中も休み時間も、ゆうきはこのことについて考え続けていた。ここ数日でこころへのいじめは更にひどくなったように思える。みんなの目の前で晒しあげて傷つけるほど表面化している。

 ゆうきは、ただ悔しかった。こころを助けることができない自分に、嫌気がさしていた。

 彼女はいつも落ち込んだとき、少し遠回りをして帰る。田舎には秘密基地という物が公然と乱立しており、彼女もその一つのありかを知っていた。

 路地を外れて、誰も通らない小道を通ると、小さなトンネルがあり、その奥に誰も使っていない廃墟がある。

 ちょうどこの時間、夕日が沈むのをそこから眺めて気を紛らわすのだ。

「私が、もっとすごい人間だったら……」

トンネルの手前でゆうきがそう口走った瞬間、背中に衝撃が走った。

「いだっ!」

 ゆうきは突然のことで、なにが起こったのかわからなかった。

誰かに殴られたような鈍い痛みに、思わず叫んでしまう。あまりの痛みにうずくまって、動けなくなった。

「い、痛い……」

 なんとか後ろを見ても、そこには誰もいない。

 背中をさすると、なにかでこぼこしたモノが手に当たった。

「これって……骨!? うああ、痛い! 怖いよ! 死ぬ、死んじゃう!」

 ゆうきはパニックを起こしそうだった。背骨がむき出しになる怪我をしたこと、自分が背骨がむき出しにされるほどの何かをされたこと、自分を攻撃したものが何かわからないこと。これらの不可解で致命的な事態が彼女を精神的に追い詰めた。

 しかし、いくら叫んでも人は来ない。

 ドスン! と、大きな足音がした。

「ひぃっ!」

 もう何が何だかわからない。ゆうきは道の端まで走り、そしてうずくまって息を殺した。

「(き、きた! 殺される!)」

 ドスン、ドスン。トンネルから出てきたのは、まさに鬼と呼んでふさわしい存在だった。その体は彼女の二倍の大きさで、肥大した筋肉が全身を覆っている。般若の如しその顔は何かを探すようにキョロキョロと目を動かしている。そしてその手には大きな金棒が握られている。

「(ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ)」

 鬼は大きな足音を立てながらゆうきのほうへ歩いていった。

「(逃げるしか無い)」

 呼吸が荒くなる。彼女は静かに立ち上がって、荷物をその場に置いた。

 鬼は立ち上がったゆうきを見て、声を発した。

「ウオォ」

「あああああああああああああああああああああああああああ!」

 ゆうきは大声で叫んだ。

 鬼は金棒を両手で持ち、そのまま突っ込んでくる。ゆうきはへっぴり腰になりながらも、その場で鬼の動きを見ていた。

「ウガア!」

 鬼は金棒の有効範囲に踏み込むと、その金棒を振り下ろす。その瞬間、ゆうきは右側へ跳んだ。鬼は再び金棒を振り上げるが、ゆうきは鬼の横を走り、トンネルを突っ切った。

「あの、図体なら、通るのも一苦労でしょ」

 そう言って彼女は後ろを見る。

 彼女の予想と反し、鬼はトンネルの天井を砕きながら突進してきた。

 もう声すら上げられない。

 彼女はバランスを崩してしまった。

「ああっ」

 彼女が立ち上がる頃には、鬼に追いつかれてしまうだろう。

 気付けば、彼女は涙を流していた。こんなところで死んでしまうのだろうか。何もできないまま、こんな恐ろしい怪物に殺されてしまうなんて。

 鬼はもう目の前まで来ていた。

 立ち上がる気力も無いまま、ゆうきは呟いた。

「助けて、死にたくない……」

 その瞬間、ゆうきは後ろから突き飛ばされた。

「ぶっ」

 さっきまで彼女が居たところに鬼の金棒が振り下ろされた。

「いったたた……」

 ゆうきが顔を上げると、そこには彼女と同じ制服を着た少女が立っていた。少女は手をゆうきに差し出して、言った。

「大丈夫?」

 少女は、雪代こころだった。

 ゆうきは首を縦に振る。すると、こころはゆうきを引き起こした。

「私が引きつけるから、その隙に逃げて」

「え?」

 こころはそれだけ言うと、鬼の方に向き直り石を投げつけた。

「こっちだ!」

 彼女はそのまま、ゆうきとは逆方向へと走り出した。鬼もそれを追って駆けていく。


 ゆうきは、道路の上に一人残された。

「……大人を、呼ばなきゃ」

 彼女は学校までの道を走り出した。

 一歩一歩踏みしめながら、鬼から逃げ出せたことに多少の安心感を感じる。だが、そのことがむしろゆうきを傷つけた。

「こころちゃん、大丈夫かな」

 大丈夫なわけが無い。もしかしなくても、ゆうきが大人を連れてくる前にこころは斬り殺されてしまうかもしれない。ゆうきを助けたことで、こころが死んでしまうのかもしれない。

「こんなとき、テレビだったら」

 ヒーローなら、助けに戻る。ゆうきが憧れていたヒーローだったら、自分の身も顧みずに助ける。

 そう、こころはそうした。ゆうきはしなかった。

「私には、むりだ……あんなこと、こころちゃんすごいよ……」

 ゆうきには無理だ。こころがいじめられているときも、ただ嫌な気分で見て見ぬふりをするしかない。こころが死にそうになっても、彼女を見殺しにするしか無い。

「私って、最低だ……」

 足が止まった。

 きっと間に合わない。ゆうきには、何もすることができない。

「私が、もっとすごい人間だったら……」

 ゆうきがそう口走った瞬間、背中に衝撃が走った。

「いだっ!」

 ゆうきは突然のことで、なにが起こったのかわからなかった。

 誰かに殴られたような鈍い痛みに、声がでない。

「いったーい、ここは……」

 後ろを振り向くと、ぬいぐるみが頭を押さえながらしゃべっていた。小学生が好きそうな、真っ白でふわふわなぬいぐるみだ。何のキャラクターだろうか。

「あ、そうだ! こんな場合じゃ無いんだったぁ、急がないと」

 そう言ってぬいぐるみは立ち上がり、とてとて歩き出した。いや、本人(ヒトか?)としては走っているつもりらしい。

「ねぇ」

 ぬいぐるみに声をかけた。ゆうきも何故声をかけたかわからなかった。

 ぬいぐるみは足を止めてゆうきを見る。

「なんだよ、おいらはいま忙しいってのに!」

「あなた、どこから来たの……?」

 そう聞くと、ぬいぐるみは表情を変えた。

「って、おいらのことが見えるのかい!? あんた、何者?」

「あなたが探しているのと、鬼って関係ある?」

「鬼? もしかして、あれがもう人間に触れてしまったってことか!」

「あれって?」

 ゆうきの質問を無視して、ぬいぐるみは彼女の体に飛びついた。背中に回り込むと大きな声を上げる。

「この女の体にも……やっぱり! でもおかしい、どうしてこの子には何の変化も無いんだろう……」

「ねぇ、さっきから何の話をしているの?」

「そ、そうだ! あんたさっき鬼がなんとかっていってたよね」

「う、うん」

「その鬼のところに、まだ誰かいる?」

「っ!」

 こころがいる。彼女が、襲われている。

「答えて! 鬼のそばに誰か居るのなら、とっても危険なんだ!」

「襲われてる、一人。私を助けて……」

 そう答えると、ぬいぐるみは震えだした。

「まずい、ますいよ。今すぐ助けないと……」

「そんなのわかってる! だからいま大人を呼びに行こうと、してるの」

「そんなんじゃ間に合わない……こうなったら」

 ぬいぐるみはおへそから金色のリングを出して、ゆうきの背中に叩き付けた。


 突然、ゆうきの視界が真っ白になり、全身の感覚が消えた。

「な、なに?」

 しかし、すぐに暖かい水が流れるような感覚が全身を包み、次第に五感が戻ってきた。

「こ、これは……」

「きみがその子を助けるんだ」

 ぬいぐるみの声がする。

「わたしが?」

「そう、あの鬼を倒してくれ」

「そんな、わたしには無理だよ! あんな恐しい化け物を倒すなんて」

「いや、できるよ。今のきみにはとっても強い力が備わっているんだ」

 ぬいぐるみはほっぺたからボールを取り出し、ゆうきに手渡した。

「これを投げてみて」

「これって……ええい、それっ!」

 ぬいぐるみに言われるがまま、彼女はボールを投げる。

 ボールは風を切りビュンと大きな音を立てながら一直線に道路を突き抜け、そのまま少し遠くのレンガに穴を開けて山に消えていった。

「こ、これは」

「きみにしかできないんだ。その子は、きみにしか助けられないんだ」

 ずっと、自分には無理だと思っていた。そのせいで誰かが割をくうのも、それを見ても動けない自分が、嫌いだった。

 でも、いまの自分ならできるのかもしれない。なにが起こったのかわからないが、重要なのはそこではない。自分も誰かのために立ち上がれるということだ。憧れたヒーローになれる。

 ゆうきはその事実に身を震わせた。

「や、やるんだ。私が」

「うん」

「行こう」

 ゆうきは再び来た道を戻った。


 トンネルの前まではあっという間についた。

「いない、そんな!」

 鬼もこころも周辺には見当たらなかった。あのとき慌てていたので、彼女がどっちに走っていったか自信が無い。

「こっちだ!」

 ぬいぐるみがゆうきの胸から顔を出し、指さす。

「どっちにいるかわかるの?」

「こっちから強いシグナルを感じる!」

 ゆうきはぬいぐるみの指さす方へ走る。

 すると、小さな橋の上で、鬼に首を捕まれているこころを見つけた。

「ま、まずい!」

 こころは足をじたばたさせながら首に手をあてている。顔は真っ赤だ。

「うおおおお!」

 ゆうきは鬼の近くまで駆け寄り、その股間を蹴り上げた。鬼は真上に吹っ飛ぶ。一緒に浮かび上がったこころの体を抱きしめ、橋の反対側へ着地した。

 落下してきた鬼は橋を破壊して水中へと沈んだ。

「こころちゃん!」

 ゆうきはこころに呼びかけるが返事は無い。ぬいぐるみはゆうきの胸から出てこころに触れた。

「大丈夫、気を失っているだけだ。鬼のシグナルが少し流れ込んできているけど、これならちゃんと回復する」

 ゆうきは胸をなで下ろした。

 こころを地面に寝かせると、川を見た。鬼が落ちたところがまだ波になっている。

「ゆだんしちゃだめだよ。注意深く、間違い探しを見つけるように探すんだ」

 ぬいぐるみの言葉にゆうきは驚いた。

「え!? あれ、まだ生きてるの?」

「うん、まだあいつのシグナルを感じるんだ」

 シグナルとはなんだろうか、とは口に出さなかった。ゆうきにとって、そんなことよりも鬼が生きているという事実の方がよっぽど重要だった。

 慎重に川に近づいていくと、ゆうきは自分の姿を見ることができた。ピンクのドレスに身を包んだ、自信たっぷりの少女がそこにいた。ドレスには所々刺繍がされていて、胸には黒い宝石が飾られている。

「これが、私」

 やや子供っぽい格好だが、ゆうきはこの姿の自分が気に入った。

「危ない! あいつが襲ってくる!」

 ぬいぐるみが叫んだ。それと同時に、川から鬼が飛び出してきた。鬼は空中で腕を振るった。

「何を……?」

 最初は意味が分からなかったゆうきだが、すぐに腕で顔をかばった。

 鬼は水滴を弾丸の様に辺り一面にまき散らしたのだ。

「うぅっ!」

 ゆうきの腕や背中に当たった水滴は固体の弾丸と同様に、いやそれ以上の打撃を与えた。見ると、その部分が赤くなっている。

 鬼はそのまま地面に着地すると、金棒を拾った。

「(拾った? なんで持ってなかったんだろう)」

 ゆうきはそう考えながらこころの前まで走った。さっきの水滴がこころに当たらなかったのは運がよかった。だが。

「こころちゃんを、これ以上危険にさらすわけにはいかない……」

 鬼はゆうきたちのほうへ走っていく。ドスドスと大きな足音を立てながら猛突進するその姿を見て、ゆうきは拳を構えた。鬼は走りながら金棒を構える。

「来いっ!」

「ヴァアアア!」

 鬼は金棒の有効範囲に踏み込むと、その金棒を振り下ろした。

 だがゆうきは、逃げなかった。迫りくる金棒をしっかりと見つめ、そして正確に金棒に拳を叩きつけた。

「うああああああ!」

 ゆうきの体が宙に浮かぶ。鬼が彼女の体を川にぶっ飛ばしたのだ。ゆうきは弧を描きながら川に着水した。

「つ、つよい……」

 鬼はゆうきを一瞥すると、こころの方を向いた。

「(まずい!)」

 ゆうきがこころの前にたどり着くまでに三秒はかかる。たった三秒とはいえ、鬼がこころを叩き潰すには十分な時間だろう。

 さらにもうひとつ、彼女が不利な点があった。鬼は単純にゆうきよりも強いのだ。仮にこころの下へたどり着いたとしても、彼女はまたぶっ飛ばされてしまうだろう。

「でも、そんなことで諦めるわけにはいかない! こころちゃんは、こんな特別な力なんてなくても私を助けてくれた! 私だってできるはず、私にだって立ち向かえるはず!」

 ゆうきは叫んだ。思いが強くなるほど、力が湧いてくるのを感じた。

 その腕を高く振り上げ、水面を強く叩く。川の水が浮かび上がったところを、彼女は全力で殴った。

 鬼が放った水滴弾と原理は同じ、だが水量が違う。一瞬でショットガンの如く散らばった水滴群は、無防備だった鬼の体を倒した。

「もう怖くない! 何度だって立ち向かってやる!」

 彼女は鬼に向かって走り出した。鬼も立ち上がり、ゆうきを迎え撃たんと拳を構える。

「ヴォオオオオオ!」

「うおおおおおお!」

 鬼はゆうきが近づいた瞬間に拳を放つ。だが、ゆうきは回転してその横にするりと抜けた。だが、先程とは違う。逃亡を選んだわけではなく、これは攻撃のための一手である。ゆうきは鬼の懐へ潜り込んでいた。

「くらえええええ!」

 ゆうきの掌は鬼の顎を揺らし、そのまま鬼の体を吹っ飛ばした。鬼は土手の上に転がり、そのまま動かなかった。


「やったみたいだね」

 ゆうきが動かない鬼の姿を見ていると、どこからともなくぬいぐるみが現れてきた。

「やっつけたの? あたしが、こいつを?」

「うん。きみは本当に強いやつだ。……あれ、なんだか変だぞ」

 ぬいぐるみの言葉に、ゆうきは体を強張らせる。

「ど、どうしたの?」

「鬼の体が、消えていく……」

 言葉通りだった。鬼の体がだんだんと塵のようになって、風に吹かれて飛んで行ったのだ。

「や、やっつけたってことじゃないの?」

「でも、シグナルを放つためのクリスタルが見つからないなんて……そうだ、あの女の子は?」

「そうだ、こころちゃん!」

 ゆうきはこころを寝かせておいた場所に駆けて行った。

「そんな……」

 だが、彼女の姿はどこにもなかった。


「……そうだ、雪代こころは今日休みだ。本人から電話で病欠との連絡を受けた。これで連絡事項は以上だ。これにてHRを終了する」

 翌日、ゆうきは登校したが、こころに会うことはついにかなわなかった。

「(ということは、あのあと自力で帰ったってことなのかな……戦いの後に探して、見つからなかったときは焦ったけど、ちゃんと生きていたんだ。よかった)」

 彼女がそう考えていると、右隣の席からボソボソと話し声が聞こえてきた。

「やっぱ、あいつ嫌になってこなくなったんじゃね?」

「不登校? ヤバー! あいつ人生終わりじゃん」

「ねー、マジウケる。ってか、もともと終わりみたいなもんじゃね?」

 そう言ってクスクスと笑い出した。この三人は、昨日こころをいじめていた人たちだ。

 ゆうきはため息をついて後ろの席のあいとゆあを見た。二人とも黙って首を振る。彼女らの言わんとすることは、ゆうきは当然理解していた。

 だが、ゆうきは席を立って、いじめっ子の肩を叩いた。

「ん? なーにー?」

 振り向いたその女子の顔面を、ゆうきは全力で殴った。

「ちょっと! なんなの?」

「なにすんの!」

 彼女と共に話していた二人がゆうきに詰め寄るが、ゆうきがもう一度手を振り上げるとおびえた表情になって動きを止めた。

「最低よ! 私たち、みんな!」

 ゆうきはそう言って、教室を出た。


 学校の裏庭でゆうきは足を止めた。

「これで、よかったのかな……」

 彼女がそう呟くと、胸の隙間からぬいぐるみが這い出てきた。

「やあ、ゆうき」

「なに?」

「おいらには、きみに伝えなくてはならないことがあるんだ」

「昨日の鬼のこと?」

「うん。このままでは、人類が危ないんだ」

 ぬいぐるみがそこまで言ったと同時に、あいとゆあが裏庭に入って来た。

「あんた、今誰と話していたの?」

(鬼は左腕を、関節ごと右回転! 右腕を、関節ごと左回転! 結構呑気していたゆうきも、拳が一瞬巨大に見えるほどの回転圧力にはビビった! そのふたつの拳に生じる真空状態の圧倒的破壊空間は、まさに歯車的砂嵐の小宇宙!)

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