√真実 -004 教室の噂話 (2)
「てかさ、黒生って夏休み前より少しふくよかになってなかった?」
気を取り直した女子の一人が思い出したように口にすると、話題は対象人物を変えずに新しい話に移っていくが、それは光輝の体格についてだった。
小学生の低学年の頃はそうでもなかったが、高学年になる頃には光輝は痩せぎみになり、中学に上がった頃には学年でも一二を争う程の低体重となっていた。そんな成長期の栄養不足は光輝の背丈にも現れ、中学三年にもかかわらず未だに小学生に間違われる事もあった。真実とハイキングに向かう途中にバスで相席したお爺さんがデレたのも、それが元だったのはここだけの話である。
それが、この夏休み中に改善したのでは? と指摘したのだ。
「え? そう?」
「え? 何なに? 誰が太ったって?」
「ちょっ、あんたじゃないわよ。黒生よ、黒生」
「あ~、ちょっと印象が変わったかなって思ったけど、凄く痩せてたのがちょっと改善したのかな」
「う~ん、それだけかなぁ? もっと何か……明るく見えたような?」
そうかな、と首を捻る女子たち。以前はいつ入ってきたのか分からないくらいだったのが、今朝の光輝の挨拶の声が喧騒に包まれていた教室の中で確実に何人かに気付かれるくらいには声が大きくなっていて、何人かが気付いていた。
そして、その話は男子たちでも囁かれていた。
「なあ、黒生ってあんなに声を出す奴だったっけ?」
「そういや、夏休み前も布田たちの夫婦漫才を止めてたよな」
「あれ、ちょっとビビったぜ? あいつらの言い争いなんて他の誰も止められなかったのによ」
「今朝も黒生の挨拶の声が耳に入って驚いて振り返っちまったんだけどよ、笑顔だったぜ?」
「マジかよ。あの黒生の笑顔なんて、どんだけ振りだ?」
「俺、ちょっと黒生が可愛いと思っちまったぜ」
「てか、黒生って小さいから妹系だよな。笑ってれば良い線いくと思うんだけど」
「おめぇら、ロリコンかよ! 女は顔と胸の大きさだろ。黒生は痩せてるし胸もない残念系だぞ」
「それを言ったら、和多野って話になるぞ?」
「あ、そりゃないわ~」
「あいつは黙ってれば良い女なのにな。ま、和多野は布田に全部任せておきゃ良いんじゃね?」
「それより胸は大きさより形だろ」
「いや、大きい方が良いに決まってる!」
男子たちの声が徐々に大きくなり、耳に入った周囲の女子たちの視線が冷たいものとなるのを感じて、その話はそこで打ち切られるのだった。全く、男って奴は……
「そういや、黒生と言えば夏休みの登校日に泣き崩れてたけど、あれって飛弾の怪我を見てだよな」
「さっき、女子たちが夏休み中に飛弾と黒生たちがツルんでいるの見たって言っていたけど、それって関係あるのかな?」
「あ゛? 飛弾って女と遊んでたんかよ。んで事件起こしてって、とんだ不良じゃねぇかよ」
「飛弾がぁ? まさかぁ。そうは見えないんだけどな」
「いや案外分からねぇぞ? 夜祭りで年上のお姉さんたちとイチャイチャしてたってさっき女子たちが話してるの聞いたしよ」
「まさか……お姉さんたち相手に酒池肉林!?」
「それってオッパイ揉んだりイケナイ事したり?」
「何そのウラヤマけしからん状況はっ! こちとらつまんねぇ夏休みを送ってきたってのによっ!」
そうだそうだ! と、噂話からの妄想に勝手に憤慨する男子たち。頭の中はエロで出来ているようだ。
だが、それを確かめようにも張本人は担任に連れていかれた。じゃあ、とばかりに先程名前の挙がった綾乃に目を向ける。
ギンッ!
が、睨んでいた。メヂューサの如くめっちゃ睨んでいた。声でも掛ければ石にされそうな勢いだ。
「お、おっかねぇ……」
「目で殺しに来てるぞアレ」
「だ、ダメだ。今の智下になんて聞ける状況じゃない」
「なあ、今日は給食って無いんか?」
「唐突に……アホか太郎、今日は始業式だろ。午前中で終わりだからあるわけないだろ。明日明後日も実力テストだから給食は無いぞ!」
「んじゃ後は陸上部組……は、布田と和多野がまた痴話喧嘩を始めちまってるぞ。あれを止められる黒生は行っちまったし……お~い、秦石~。お前なら何か知っているんじゃないか?」
智樹には男子たちの女は顔とオッパイ発言に気を悪くしたらしい綾乃を宥める術も、祐二と華子の夫婦漫才を止める術もなく、溜息を吐きながら頬杖をついて三人を眺めるしかなかった。しかし声を掛けられると、そちらを向いて再度溜め息を吐く。
「あのなぁ。聞こえていたけど、少なくとも真実はお前らが考えているような奴じゃないし、黒生だっていつまでも無口じゃなく最近はオレたちと普通に喋っているぞ」
「「「智樹たちと?」」」
智樹の含みのある言い回しに首を傾げるクラスメイトたち。
智樹が真実たちと夏休み中一緒に勉強をしていた事は知らないだろうから当たり前の反応であった。その為、夏休みに班で集まって一緒に勉強していた事を打ち明けると教室内がざわめいた。
「夏休み中に勉強って……マジか」
「夏休みはどう遊ぶかだろ……」
「夏休みの宿題以外に勉強なんて、どんな罰ゲーム何だよ……」
「そういえば一昨日、空自にスクランブル騒ぎがあったらしいぞ」
「また唐突に……アホか太郎、今はそんな話しているところじゃないぞ!」
「俺、宿題少しやり残しちまってんだよな……」
「バカだな~、そんなの写させてもらえば良いじゃんかよ」
「あんた馬鹿? 丸写しはバレると内申書悪く書かれるわよ?」
「え゛? マジで? そういう事は早く言ってくれよ。オレも写してしまったじゃんよ!」
「いや、そんなのバレなきゃ良いんだろ?」
「……甘いわね。去年の二学期の成績表思い出してみなさいよ、テストの点が悪くなくても評価が低かったりしなかった?」
「……マジか」「やべぇ……」「どうしよう……」
途端に教室内の何人かの顔色が悪くなる。中にはその意味が分からないようで首を傾げている者もいた。
「で、でもよ。なら何であいつら呼び出し受けたんだ?」
「ああ、それはだいたい予想はついているけど、本人が帰ってきてから直接聞くんだな。ここでオレが話しても間違ってるかも知れないし、合ってても勝手に尾ひれはひれ付けてまた騒ぐだろお前ら。それにオレも本人のいないところでコソコソと人の秘密をバラすような事はしたくないし、何かの陰謀かもしれないからな」
「「「陰謀?」」」
ひとつの事実からいろんな憶測を呼び、噂話になる頃には全く異なる物語が出来上がっていたりする。ゴシップ誌なんかが最たるものだろう、どんな些細な出来事であっても爆売れするようなスキャンダル記事に化かしてしまうのだ。そこに極僅かの本当の話を織り交ぜる事で真実味を持たせて。人々はそれを見聞きしてあたかもそれが全て真実だと思い込んでしまう。
智樹は真実たちが戻ってくるまでにそんな状態になっているのを危惧したのだ。戻ってくるまでにおかしな話がでっち上がってしまえば、こっそりスマホを持ち込んでいる連中によりあっという間に拡散されてしまうのが目に見えている。後から真相が分かっても面白おかしく脚色された話の方が拡散されるスピードは格段に速い。そうなってしまってからでは収拾がつかなくなってしまう。
「何だよ、智樹。つまんねぇぞ」
「つまんねぇも何も、どうせ始業式とか全校集会の時に分かる話だ。それまで我慢しろよ」
「なんだよ、全校集会で公表されるような事かよ。もっと気になるじゃん!」
「それに陰謀って何の話だよ」
「さぁな」
クラスメイトを満足させるだけの説明はしようと思えば出来るのだが、話すのは面倒だしどのみち始業式などの全校集会でそれなりの話が聞けるだろう。そして、その後に真実が囲まれて洗いざらい吐かされるであろう事は予想出来る。
ならば無理して話す必要はないと、智樹は口を噤んだ。
「それよりお前ら、早く提出物を出さないと麻野が怒りだすぞ」
智樹の一言に何人かが再び顔を青くする一方で、教室の一番後ろに固まっていたグループからチッと舌打ちがされたのを誰も気が付かないのだった。
次話は明日のこの時間に投稿予定です。