絆
広場の真ん中あたりまで来たとき、ショルダーバッグの中に入っているスマホが鳴った。
見ると、親父からメールが届いていた。
「…………なんなんだ、あのおっさんは」
メールを読み、首を傾げる。
親父は普段から何を考えているのかよくわからない人だけど、このメールはかつてないほどに意味不明なものだった。
まあいいか。急ぎの用ってことじゃないみたいだし、内容については帰ってから聞けばいい。
もしかしたらまたメールが来るかもしれないと思い、上着のポケットにスマホを入れる。
その時、何かが指に触れた。
なんだろうと思い、それをポケットから取り出す。
それは、タンポポでつくられた小さな指輪だった。
どうしてこんなものがポケットに入っているのだろう。
もちろん自分でつくった覚えはない。つくり方なんてとっくに忘れている。
バスで眠っている時に、誰かが入れたのだろうか。
でも、一体誰が、何のために?
手のひらにタンポポの指輪を乗せ、謎の答えを求めるように眺めてみる。
突然、うまく言い表すことのできない感情のうねりが、心の奥底からこみ上げてきた。
あと少しでそれが何なのかわかるような気がするのに。
答えを手にできるような気がするのに。
そこまで手が届かない。
不思議なもどかしさや、喪失感が心をめぐる。
まるで、目覚めた瞬間に忘れてしまった夢を、思い出そうとしているかのように。
バスで眠っている時に、おれはどんな夢を見ていたんだろう。
そもそもおれは、夢を見ていたのだろうか。
そんな疑問が頭に思い浮かんだ時、勢いのある強い風が吹き抜けた。
タンポポの指輪は風に吹かれて手のひらから落ち、地面を転がっていく。
おれはすぐに指輪を追いかけた。
指輪がおれの手から離れた瞬間、それを失いたくないという思いが自然と芽生えた。
あと少しで指輪に手が届きそうになったとき、誰かが指輪の前で立ち止まり、拾い上げた。
その人は、おれと同い年くらいの女の子だった。
というか、同じ学校の生徒だった。
彼女が着ているのは、おれの学校の女子生徒用の制服であるセーラー服だった。
「あなたの落とし物?」
繊細で可愛らしい響きの声だ。だけど彼女の口調は無理してそうしているかのように、どこか不自然に大人びていた。
「ずいぶんとかわいい落とし物ね」
彼女はかすかに笑みを浮かべる。
淡い栗色の短い髪が風に吹かれてふわりと揺れ、日の光を受けて静かな輝きを見せる。
今この時の青空のように透き通った二つの瞳が、おれの姿を映しだす。
その瞬間、おれの心臓が、大きく鼓動を打った。
燃えるように熱い血が全身を一気にめぐり、白昼夢を見ているように体の感覚がぼやけ、それでも頭と心は彼女の存在をしっかりととらえていた。
世界中のすべての人に対して、そして神様に対して断言できるほどに、おれは一目惚れをして、恋をした。
それは純粋に、人生史上初めての恋だった。
なのに、なぜだろう。
この心の震えに、どこか懐かしさを感じるのは。
「どうしたの? 突然かたまって」
「あ、いや……。なんでもないよ」
「もしかして、からかわれたのが嫌だった? 気を悪くしたのなら、ごめんなさい」
「いやいやいや、全然、そんなことないよ。えっと、その、同じ学校の人なんだなって思ってさ。ほら、これ」
おれはショルダーバッグから定期入れを出し、通学定期を彼女に見せる。
「あら、たしかに同じ学校ね」
これといって関心はなさそうに彼女は言う。
同じ学校に通ってるとはいえ、出会ったばかりの人間が相手なら、これが自然な態度というものだろう。
「あのさ、一つ聞いてもいいかな」
「なにかしら」
「どうして日曜なのに、学校の制服を着ているの?」
すると彼女は得意げな笑みを浮かべた。
「学校が休みの日だからといって、制服を着てはいけないという規則はないからよ」
「それは……なかなかユニークな理由だね」
「あら、あなただってユニークな人だと思うけど」
彼女はタンポポの指輪をおれに差し出す。
「大切なものなんでしょう」
おれは指輪を受け取り、うなずいた。
「それじゃ、私はこれで。縁があればまた会いましょう」
彼女は立ち去ろうと背を向け始める。それを引き止めるように、おれは言った。
「待って!」
彼女は立ち止まり、おれのほうに顔を向けた。
おれは呼吸を整え、覚悟を決める。
次に何を言うべきかはわかっている。
自分の名前を言うんだ。
そして、彼女の名前をたずねる。
彼女との間に、絆を芽生えさせるために。
それがおれの願いであり望みであり、今この時を全力で生きたいという意志なんだ。
そうだ。
ここからだ。
ここから本当に、これからの世界は始まるんだ。
この物語はこれでおしまいです。
読んでいただき、ありがとうございました。
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