第四話 『青春の一幕と言えんこともない』
特に不自然な点はなかったので、あらためて『親友』の顔を見る。
さっきと変わることなく、驚天動地を貼りつけたような顔をしていた。
「どうしたんだよ。そんなおもしろい顔をして」
「……ナントカのアレと、そう言ったのか?」
「へ? ああ、そうだけど。特に意味はないと思うぞ。親父の言うことだから」
「ナントカのアレと、たしかにそう言ったんだな!」
腹の底から全力で叫ぶように『親友』は声を張り上げた。
おれは思わずびくりと体を震わせる。『親友』がこんなふうに大声を出すのを見るのは、これが初めてだったからだ。
理由はまったくわからないけど、今は『親友』を鎮めなければならんだろう。
「急にどうしたんだよ。落ち着けって。たしかに親父はそう言ったけど、それは――」
そこから先の言葉を粉砕するかのごとく『親友』はおれの横顔に渾身の右ストレートを打ちこんだ。
突然襲いかかってきた理不尽な暴力になすすべもなく、おれは足元をふらつかせ仰向けになって倒れ込み、背中を地面に打ちつける。
……のどかな春の青空と気持ちよさそうに浮かぶ綿雲が視界に映った。
しかし、それらがすべて歪んで見えるほどの痛みが、顔や背中から脳天に向かって走ってきた。
この暴力的で理不尽な状況に対する反応は、ひとつしかない。
おれは痛みをこらえながら体を起こし、叫んだ。
「い、いきなり何しやがる! おれが何したっていうんだ! 今までの流れでいきなり殴られるようなことはしてねえぞ、おい!」
おれの怒りはもっともなものだろう。
しかし『親友』は謝罪も釈明もせずおれの胸ぐらをつかみ上げ、憤怒の形相を刻んだ顔を向けた。
その目には、狂気すら感じさせるやばい光が走っていた。
「お前が……、お前が、その言葉を口にしたから! ナントカのアレと、言ったから!」
「はあ? 何言ってんだ、お前。いいから落ち着けよ。おれはナントカのアレなんてものは知らない。親父の妄言みたいなもんだって。そもそも、お前だって知らないだろ」
『親友』は胸ぐらをつかんでいた手を勢いよく突き出す。
そして、尻餅をついたおれを見下ろしながら吐き捨てるように言った。
「ああ、そうさ! おれにだって、わからないさ!」
その言葉を聞いた瞬間、おれはあらゆる言葉を失った。
そんな、そんなよくわからんもんが原因で、お前はおれを殴ったのか?
そんな意味不明なもんが原因で、おれは十年来の親友に殴られたのか?
怒りは完全に消え、気味の悪い混乱だけが残った。
そんなおれにかまうことなく、『親友』は崩れるように地面にひざをつき、天を仰いで号泣した。
それはもう、大河ドラマのクライマックスを飾れるほどに見事な男泣きで、若干ひいた。
えっと……。ちょっと待ってくれ。
一体何がどうなって、こうなったんだ?
おれは立ち上がり、慟哭の涙を流し続けている『親友』を見下ろしながら呆然とした。
この騒ぎに引き寄せられたのか、おれ達のまわりには人だかりができはじめていた。
その中から小太りの中年男性がおれに近づいてきた。
「ちょっと、あんた……」
「あ、なんかすいません。お騒がせしちゃって」
「そんなことはいい。それより、ナントカのアレを知ってるのか?」
殴りかかる直前の親友と同じように、おっさんは深刻そうな表情を浮かべていた。
「知っているんだな、お前は!」
今にも襲いかかってきそうな雰囲気を感じ、おれはとっさにおっさんから距離をとる。
そして気づいた。まわりの人だかりからは野次馬的なうわついた空気が感じられないことに。
誰もが刺すような視線をおれに向けていた。
その視線は、殺人事件の現場と犯人を見ているかのような、恐怖と嫌悪感に満ちたもののように感じられた。