第十一話 『たまにはらっきー・すけべもええやんか』
混乱するおれにかまわず『少女』はゆっくり体を起こし、眠たげに目をこする。
「何をしているの。騒がしくて、眠れないわ」
「いやそれこっちのセリフ! 君こそ何してんだよ」
「あら、忘れたの? 私の任務にはあなたの護衛も含まれているのよ。いつ、何が起こるかわからないのだし、同じ部屋で眠ったほうが好都合でしょ」
「それはまあ、そうかもしれないけどさ……」
なんなんだ。この、マンガやアニメでありそうな展開は。
いやいや、今時ないぞ。あまりにも陳腐で安っぽくて古臭い。
まあこういう場合、たいていはなし崩し的に同じ寝床に就くのが様式美なのだろうが、普通の人間にそんな状況を受け入れられるほどの精神力があるわけないだろ。そんなことができるのは頭のいかれた危険人物だけだっての。
「このベッドだって、そのためにわざわざ用意したのに」
うーん……、どうしよう。
いたよ、危険人物が。
「ベッドは君が使って。おれはリビングのソファで寝るから」
「だめよ。あなたは客人なのだから。ソファなら私が使う」
「だめだ。おれにだって男としてのプライドはある。女の子をソファで寝かせて自分はベッドで寝るなんて、そんなことはできない」
この程度のことでしかプライドを示せないというのも情けないことだが、それでもここはゆずれないんだ。
「あなたに男としてのプライドがあるように、私にも女としてのプライドはあるの。男女平等は私の信条一つなのよ。だから、女というだけで不当に優遇されるつもりはないわ。それを当然と考えている女は見ていて吐き気がするし、自分は決してそんなふうにならないよう心に決めているの」
「それはまた立派というか、おれよりも男らしいというか」
すると『少女』は何かを思いついたらしく、ポンと手を叩いた。
「それよ」
「え? どれ?」
「眠っている間だけ、私が男ということにしていれば問題ないわ」
「……ちょっと待って。君が何を言ってるのか、わからないんだけど」
「たまにいるでしょ、女性用のトイレが混雑している時に今だけ男、今だけ男と言いながら男性用トイレを使う人が。それと同じことよ」
「ねえ、さっき君は女としてのプライドがどうとか言ってなかった?」
「男同士なら同じベッドで寝ても、何も問題はないわ」
「いやいやいやいや。問題しかないよ。むしろ増えてるよ」
どうやらおれの言葉は一切届いていないらしく『少女』は「よし」と心得たというふうに言うと少し低めのトーンで声を出した。
「それじゃあ僕は先に眠らせてもらうよ。おやすみ」
少年的な口調と声色でそう言うと、『少女』は布団をかぶって横になった。
なんだろう。
きれいに中性的な容姿の『少女』が一人称に僕を使うと、なんかこう、いい意味でドキッとする。
男性的な口調と言葉づかいをすることで、かえって女性的なところが強調されるためだろうか。
などと考えていると『少女』はむくりと体を起こし、やや青ざめた顔をこちらに向けた。
「どうしたの? なんかちょっと、気分が悪そうに見えるけど」
「いえ、その……、いわゆるボクっ娘というのはマンガやアニメでたまに見かけるし、私も嫌いではないんだけど、でも、リアルで自分がそれをするとなんだかものすごく痛々しいというか、気分が悪くなるというか。こいつ頭大丈夫かって、自分で自分のことをアホみたいに思えてきて」
「いやいや、全然おかしくなんかなかったよ。おれはいいと思う。正直、ドキッとしたし」
すると『少女』はおれに目を向けたまま、口元を手で隠した。
「…………ごめんなさい」
その一言にどのような意味が込められているのか。
それを考える勇気など、おれにはない。
「とりあえず、ベッドは君が使いなよ。今日一日で君にはずいぶんと助けられたし、世話になったからそのお礼ってことでいいじゃないか」
「そういうことなら、素直に厚意を頂いておくわ。ありがとう」
『少女』はそのまま倒れるように横になった。
おれは『少女』に布団をかぶせ、クローゼットから毛布とクッションを取り出して寝室を出た。
リビングの時計は、午前零時手前を指していた。『少女』がやけにおかしなテンションになっていたのは、深夜という時間のためかもしれない。
「さて、と……。寝るか」
ソファに横たわり、クッションに頭をのせて毛布をかぶる。
目を閉じてからしばらくすると心地よい眠気がやってきた。
腹が減るのと同じように、どんな状況でも眠りは必ず訪れる。
きっとそれが、生きているってことなんだろうな。
うん。大丈夫だ。
なんとかなるさ。
おれはこうして生きているんだから。
まどろみの中に意識が沈み込んでいくのを感じながら、おれは思う。
明日、目が覚めたら、昨日まではたしかにあった平穏な日常の世界に戻っていればいいのに。
それがどんなものだったのかは思い出せないけど、少なくとも今の状況よりまともで現実的だったのはたしかだろうから。
だけどもし、今日あったことが全部夢のように消えてしまったら、『少女』にも会えなくなるのだろうか。
名前がわからないから探すとなると大変だろうし、必ず会えるという保証はどこにもない。
それに、おれが『少女』のことを覚えているという保証もない。
『少女』は、おれのことを覚えていてくれるだろうか。
今でも思い出せるという、大切な友達のように。




