第七話 『人生いろいろ人それぞれや』
コーヒーの芳醇な香りと奥深い味わいが心と頭をリラックスさせてくれたのだろう。
おれは風呂場で感じた混乱と疑問をしっかりとまとめ、『少女』に話すことができた。
「さっき、君が記憶のことを言って、かなり驚いたんだ。おれが自分のことをほとんど何も思い出せなくなっていることに気づいたのも、ちょうどその時だったから」
話の続きを促すように『少女』はカップを置いておれに目を向ける。
「故郷のことや家族のこと、自分の名前すら、おれは思い出せない。もちろん、センター街の広場で騒ぎが起こってからのことは思い出せる。でも、それ以前のことはほとんど何も思い出せないんだ。いつ、どんなふうにナントカのアレを知ったのかも、わからない」
「あなたの個人情報については、すでに委員会が把握しているはずよ。もちろん、あなたもそれを閲覧することはできるわ。でも、それを見ても無意味でしょうね。私がそうだったから」
「どういうこと?」
「過去に私も自分の個人情報を見たの。住所や経歴、家族構成、もちろん本名もそこには載っていたわ。でも、それが本当に私に関する情報で、私自身を示すものだとは思えなかった。例えるなら、高等数学の問題の解法と答えを眺めているようなかんじね。そこに示されているものは正しいものなのだろうけど、自分の力ではそれを証明できない。適当に捏造されたものだという可能性もある。なんにせよ、今の私には確かめようのないものなのよ」
「君はいつから、記憶がおかしくなっていることに気づいたの?」
さあ、と『少女』は首をかしげた。
「今となっては思い出せないわ。まるで遠い昔に見た夢のようにね」
「おれもだいたい君と同じような状況におかれてるんだけど、いまいち深刻になれないんだ。君もやっぱり、そういうかんじなのか?」
「そうね。言われてみれば、私もそれほど深刻に考えていないわ。深刻になってどうにかなるようなものでもないだろうし。まあ、なるようになるんじゃないかしら」
「それはそうかもしれないけど……。ところでさ、君は委員会の中でもけっこう重要そうな立場にいるように見えるんだけど、それはどうして?」
「なんやかんやとあったのよ」
一切の迷いも、嘘偽りもないまっすぐな眼差しをこちらに向けて『少女』は言った。
どうしよう。
出会った時からその片鱗はあったけど、『少女』もなかなかおかしな人のようだ。
ていうか、なんやかんやって。
そりゃないよ。
「いろんなことがごちゃごちゃとしていて、簡単には説明できないわ。あなただってなんやかんやとあって、今に至るんでしょう?」
実にその通りなので、そうだねとうなずくしかない。
「なんやかんやあって私達は出会い、今に至る。過去についてはそれですませて、これからのことを話しましょう。あなたが現れたおかげで、わかったこともあるし」
「わかったこと?」
「なぜ私達は過去を思い出せなくなったのか、なぜそのことを当然のように受け入れようとしているのか、ということよ。きっとそれは、救世の子とやらの宿命なのよ」
「え? じゃあ、まさか君も」
「そう。私も救世の子として迎えられたの。創世の書によると、ナントカのアレを導き出す救世の子という存在は一人だけではないらしいわ」
「そうだったのか。じゃあ、これからもまだまだ増える可能性はあるってこと?」
「それは十分に考えられるわね。それとさっき報告が入ったのだけど、あなたが親友だと言っていた人も私達と同じ救世の子らしいわ」
「マジかよ……。ほんと、どうしちゃったんだ、あいつは」
まあ、おれも人のことは言えないんだけど。




