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2 旅立ち ー 雪の夜の別れ

 サクシャク…キュッキュッ…


 少女が雪の中を進むと、雪を掻き分ける音と踏み固める音とが立つが、すぐに新たに降り積もる雪と悲鳴をあげる風に吸収されて、誰にも届かない。

 最初は足首から膝下くらいの深さであったが、吹雪く雪に城が見えなくなる頃には腰まで雪に埋もれている。

 にもかかわらず、少女の足取りは全くの平常の道を進むのと変わらない。雪を漕ぐ様子すらない。

 少女のすぐ後ろには通って来た後…掻き分けられた雪の跡があるが、目を凝らさねば見えない殆ど進んだ先は新たな雪と風に崩された雪に埋もれて、最早どう進んできたのかは判らない。

 道すら判らない普通ならば歩行困難であるこの状況で、少女はどうやって方向を見極めているのか、その歩みは全く迷いがない。


 しばらくは風と雪を踏む音しか聞こえなかったが、ふと少女が立ち止まる。

 来た方角をじっと見る。


「…ぃ。…うぉおぃ。」

 風の音かと思ったが、次第に人の呼び掛ける声だと判るようになる。

 半身で振り返る体勢から、声のする方にまっすぐ向き直り、この吹雪の中呼び掛ける人を待つ。

 やはり凛と立ち、前で両手をあわせて待つ姿は、真っ直ぐな姿勢と吹雪の中でも暖かい室内に居るような柔らかい血色の良い頬と唇、手入れの行き届いたさらさらの黒髪が、育ちの良い可憐な令嬢のようである。

 実際、高価そうな毛皮や革製品に身を包み、伯父に領地管理を任せると言って城を出てきたのだから、亡くなったという両親は、貴族か帝都から派遣された地方官僚だったのだろう。


「おーい、ティア!! 待ってくれ」

 真っ白な雪の中から次第に人影があらわになり、視認出来るほど近づくと、馬に跨がった20歳前後の青年であることが判る。


「あ、案外歩くの速いんだな…。エディに乗ってなきゃ、追い付けなかったよ」

分厚いコートに身を包み、手には防水加工のされた革のミトン、ターバンのようにフードごと頭部をぐるぐるに巻いてなお寒さに身を震わせている青年の鼻先が真っ赤になっている。鼻の中の水分は凍っているのかもしれない。

 フードから漏れる金色の髪は、吹き付ける雪の塊のせいでつららのようになっている。

「エディ、それにランディも?」

 苦笑いで、凍った金髪の青年─ランディは不機嫌そうに唸る馬から半ば雪に埋まりながら降り、

「う、馬が先かよ? こんな雪の塊になるかってくらい大雪の中来たのに冷たいなぁ~」 

 寒さで震える手を、黒髪の少女─ティアの肩に乗せる。 

「エディは子供の頃から一緒に育った家族で、お父様の愛馬ですもの。プライドが高くて、後回しにしたら、へそを曲げてしまいますわ。

それより、どうなさったの?こんな雪の夜に外出なんて、地元の民でも遭難する事もあるのよ?」

「ティアだって…」

「私は大丈夫ですわ。イーちゃんやフェニが居ますもの」

「それだって、絶対じゃない」

 どこか厳しい表情で言い放つ。

「なぁ、なにも馬鹿正直に出ていく事ないだろう。親父に絶対騙されてる。

 どうしても冒険者や探求者になりたいのなら、別に領地に居たって出来るだろう?」

 ティアはやや悲しげに微笑んで首を降り、自身の肩にあるランディの両手を取って握りしめる。

「わたくしは、一人っ子で、唯一の跡取りとして大事にされてきました。また、それを当たり前だと、そう思う事すらもなく甘受し、世間知らずの、肉体だけ大人になりつつあるものの精神は子供のままに育ってしまいました」

 少女に握られた手は、手袋を介して熱を与えられたのか、ランディの腕の震えは止まっていた。

 ティアは、綺麗に微笑み、いとおしげに右手をランディの凍えた頬に添わせる。

 今度はそのティアの手をランディが掴み、手袋の上からではあったが、小指の付け根辺りに口付ける。

「父様とお母様が亡くなられて、葬儀ひとつもまともに手配出来ず、ただお二人の前で泣くしか出来なかった。

 領地の治め方も、税収の事も、帝国とのつきあい方も政事(まつりごと)も何一つ解らない、ただの世間知らずの子供であると、痛感いたしましたの…」

「そんなの! …そんなの当たり前だよ!ティアはまだ15歳の子供じゃないか!親を亡くしたばかりの、泣き暮らして当たり前の、小さな女の子なんだから!」

「ありがとうございます。でも、わたくしの為に涙を流さないでくださいまし。凍ってしまいますわ。

 それに、子供だから、小柄で非力な女の子だから、で済まされないのが領主の一人娘でしょう。

 領民だって、みんな12~3歳から働いているし、弟子入りや手伝いも含めれば5歳やそこらから働いてる者もいると聞いています」

「家族が多いのに食べていけないくらい貧しい、農奴や貧民の話だろう? 弟子入りするのだって特定の技術者や工芸家とかで、大規模な商家や軍人、王公貴族の子女たちは本読んだりお茶飲んだり、下らない話をしたりするだけの毎日だよ」

「それは偏見じゃないかしら。読書は考える力を造り知識を広げるため、お茶会は、あらゆる事象に即時対応出来るよう情報交換の場でしょう?

 皆様、領地を継いだ時に速やかに事業を引き継げるよう懸命にお勉強をなさり、努力をなされているのです。 …わたくしはそれを怠っていました」

 ティアは笑みを深め、ランディの手から自身のそれを取り返し、彼の左耳に触れる。一瞬くすぐったそうにしたものの、すぐにティアの意図を察しておとなしく受け入れる。

「それだって、叔父さんや叔母さんがさせなかったのなら仕方ないじゃないか」

「いいえ、わたくしは他の領主家の事を多少は知っていたのに、自分がどうあるべきかを、知ろうとはしませんでした。それはわたくしの罪でしょう。子供だからといって赦されるものではありません。

 領主家の跡取りである以上、わたくしの行動や考えが、発する言葉が、判断が、領民の、ひいては自分の生活に影響していくのです。わたくしには、自身と領民の、領地の総てに責任があるのです」

 ティアの目には強い意志の力が、光があり、ランディは尚も反論しようとして、しかし続ける事は出来なかった。

 ティアが子を慈しむ母のような笑みでランディを見つめ、そっと耳から手を離す。先程まで寒さに震えて青ざめていた頬には赤みが差し、真っ赤に腫れていた鼻先は少し柔らかさを取り戻していた。髪に固まりついていた雪も溶け、左耳には、先程まで無かった、赤い鳥の風切り羽根の飾りがついていた。 


「さあ、わたくしの事は心配なさらずに、お戻りになって?

 急がないとエディでも戻れなくなりましてよ?」

 ティアは微笑みながら、ランディの肩を押しやる。

 エディと呼ばれた馬も、ブルルと首を振り前足を踏み鳴らす。


 ランディはティアの決意も固く、連れ戻すのは諦めるしかないと溜め息を漏らす。

「解ったよ。でも、時々はちゃんと帰ってこいよ?しょっちゅうは帰ってくるな、なんておかしすぎるだろ。

 息子の俺が言うのもなんだけど、親父を信用しちゃ駄目だ。任せてると、全部持ってかれるぞ。本当は、領地も、爵位も、城も財産もティアのものなんだから。

 ま、主家を乗っ取られないよう俺が見張っといてやるよ。」

 任せろと胸を張り、ニカッと笑う。自分の父親を信用できないと言いきる姿に、寧ろティアの方が痛々しい表情を見せる。

「大丈夫ですわ。伯母様にはああ言いましたけれど、時々はこっそり両親の墓前に報告に戻るつもりなんです。それに、ランディと湖でスケートをすると言う約束も果たせてませんもの。ね?」

「そうだよ!スケートの約束!忘れるなよ?」

 綺麗にウインクして、スッと近寄ると、チュッとリップ音をたてて、ティアの頬に口付ける。

 唇が離れたかと思った瞬間、猛烈なスピードでランディが雪に沈む。あまりの勢いに、ティアにはコンマ秒で消えたかのように見え、実際は足元の雪にほぼ全身が埋まっていた。

「ランディ!?大丈夫ですか?しっかりなさって」

 慌てて助け起こす。

 頭から肩にも背にも固まりついた雪を払いながら、ティアはエディを視線で咎める。

「なんて事すんだこのバカ馬野郎め!! ちょっと、一瞬、マジで死を予感したぞ!? 殺す気か!」

 確かに、無防備な状態で背後から馬に蹴られれば、打ち所によっては即死する事もあるだろう。

「ごめんなさいましね、ランディ。この子ったら、本当に甘えん坊の我が儘さんで、お城の中だって自由に歩き回るし、嫉妬(やきもち)やきなの」

 綺麗に腰を折って謝るティアを起こしながら、ランディはエディの方に向き直る。

「はーん、バカ言うな、エディ。俺は従兄で特別なんだ。ほっぺにチュッくらい赦されてるんだよ! ティアだって嫌がって無かっただろ?」

 胸元に拳を構え、いわゆるファイティングポーズで馬に言い返す姿は、ティアにとって微笑ましいものだったらしい。

「ふふ、本当に、エディとランディは仲良しさんなのですね」

「どこが!? 喧嘩してるように見えない?」

「兄弟のようですわ」

 げんなりとしたランディと、鼻息で不満を表すエディの息の合った様子にますます笑いがもれる。

 が、いつまでもそうはしていられない。周りはかなり暗くなって、雪で視界も悪くなっている。

 お互いの言うように、このまま吹雪になるのだろう。


「さ、本当に、このままお戻りに。これ以上は危険です」

「解ったって。今はフェニを借りてくけど、イーフもサラも、ちゃんとティアを守ってくれよ?」

「大丈夫。ランディが城に無事に戻り次第、ちゃんと帰ってきますわ」

 ティアの微笑みに、後ろ髪をひかれるように、エディに跨がり、ランディは何度も振り返りながら、来た方角へ帰っていく。


 しばらくは見えなくなっても見送っていたが、やがて彼らが去ったのと逆の方を向き、危なげない足どりで進み始めた。

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