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9月5日 ③

………

……


 和正さんが店を去ってから小一時間が経過した。

 辺りはすっかり暗くなり、仕事帰りのサラリーマンやOLたちもちらほら見え始めた頃。

 智子さんらは、未だイートインスペースで和正さんの帰りを待っていた。

 もちろん来店時に買ったアイスをペロリとたいらげ、今はスナック菓子やジュースなど、追加購入したものを持ち込んでいるようだ。

 

 相変わらず智子さんの楽しそうな笑い声で、店内が真昼のような明るさに包まれる中、姉の洋子さんは、つまらなそうにカウンターの側で私の仕事ぶりをちらちらと見ていた。

 客足が途切れたところで私は、ほっと息をつきながら彼女に問いかけた。

 

「一緒にいなくていいの?」


 洋子さんは苦笑いしながら、イートインスペースの方に目線を向けながら答えた。

 

「ええ、あまり得意じゃないから……」


 その言葉が意外だったため、私は思わず理由を問いかける。

 

「どうして? 俊太さんもお知り合いなんでしょう?」

「ええ、従兄弟です。和正さんは父の弟……つまり私の叔父にあたる人です」

「じゃあ、家族ぐるみで仲良しってことね! 素敵じゃないですか!」


 こじんまりとした店内だ。

 あまり大きな声を出すとイートインスペースにいる二人に聞こえてしまう。

 だから声を落とそうとするが、それでもつい大きくなってしまうのは、いつもにこやかな洋子さんからは想像できないくらいに、目の色が曇っていたからだ。

 ただ彼女は淡白な表情のまま、細い人差し指で耳にかかった黒髪をかき上げながら答えた。

 

「ぜんぜん素敵なんかじゃないわ。顔を見せるなり、いつもお金のことばっかりだし……それに……」

「それに?」


 その問いに彼女は

「ごめんなさい、なんでもないの」

 と、口にするのを拒んだ。

 

 急に冷え込んできたこの頃の夜のような、寒々とした沈黙が二人の間に流れる。

 私はそれを振り払うように、カウンターの壁にあるタバコの補充を始めた。

 すると洋子さんの細い声が聞こえてきたのである。

 

「私は誰かに守られているの?」


 心臓をわしづかみにしてくる直線的な質問に、息がつまってしまい、とっさに何も答えられない。

 そこに洋子さんは畳みかけるように言葉を重ねてきた。

 

「浅間さんは、奈保神社の方でしょ? 奈保神社の宮司の家系は代々、女性に強い力があるとうかがっておりますのよ」

「どうしてそれを……?」


 ようやく言葉を振り絞った後、目を丸くして彼女と向き合う。

 口元に微かな笑みを浮かべてはいるが、細い目の奥にはやはり濁りがある。それが先ほどよりもさらに濃くなっていた。

 

――目を見ること……。忘れちゃダメだよぉ。


 というアヤメの言葉が脳内に響き渡り、自然と口が引き締まった。

 だがそんな自分の変化に気付いていないのか、彼女は変わらぬ静かな口調で答えた。

 

「ちょうど五年前に父に連れられて、奈保神社へご参拝に行ったこともあるのですよ。その時に、境内を掃除するあなたを覚えていたの。ここで再びお目にかかった時は、びっくりしたわ」

「まあ……そうだったの……。ごめんなさい、全然記憶になかったわ」


 彼女の瞳に宿った漆黒が私の心を縛りあげてくる。

 息が苦しい……。

 だが彼女の口調はその視線とは裏腹に、親しみがこめられていた。


「ふふ、それにこのコンビニは『霊が出る』と有名な場所。あなたが誰もいない空間に話しかけているのも、何度か見たから、きっとあなたは『見える』のだと思ったの。どうかしら?」


 ここまではっきりと言われては、もう隠し通せるはずもない。

 もっとも、「巫女であることや、特別な力があるのを無理に隠す必要はないよ」と、おばあちゃんからは言われている。だから腹を決めて、小さな声で耳打ちした。

 

「誰にも言わないって約束してくれる?」

「もちろんよ」


 そう答えた洋子さんの瞳から、先ほどまでの濁りが薄くなっていった。

 息苦しさが霧散し、ほっと胸をなでおろした私は、じっと彼女の周囲を観察した。

 もし彼女に何らかの霊が憑いているなら、きっとすぐそばにいるはずだからだ。

 

 しかし……。

 

「どうやら霊は憑いていないみたいね」


 というのが私の出した結論だった。

 彼女の口元がさらに緩む。だがそれは喜んでいるというよりは、むしろ寂しがっているようだ。

 

「そっか……」


 その一言にも彼女の残念さがこめられていた。

 そこで私はおばあちゃんから日頃言われ続けていることを、彼女に伝えたのだった。

 

「守護霊も怨霊もどちらもいないのは、むしろ幸運なことなんです。だって、自分の切り開く道を、誰からも守られず、かと言って誰からも妨害されることはなく進めるのですから……」

「つまり、自分の運命は自分の力で切り開けってことかしら?」


 バラの棘のような鋭い物言いに、ぶつけどころを失くしたやるせなさを感じる。

 でも口寄せ巫女のお仕事を通じていれば、こんなことは珍しくない。

 つまり口寄せを依頼されても、霊が寄ってこないことなんて日常茶飯事。

 そんな時、おばあちゃんやママはいつもこう言い聞かせるのだ。

 

「守護霊がいないということは、あなたが守られなくても平気な『強さ』があるということ。怨霊がいないということは、あなたが恨まれるほどの『やましさ』がないということ。つまりこれまで通りの心持ちで、自信を持って人生を歩めばいいということです」


 彼女の細い目が、驚きのあまりに大きくなる。

 だがそれも束の間、すぐに表情を元通りになると、絹のような笑い声を洩らした。

 

「ふふ、まるで本物の巫女様みたい」


 その一言に私の顔がかっと熱くなる。

 恥ずかしさを紛らわせる言葉を言い出そうとしたその時、イートインスペースから出てきた智子さんの声が響いてきた。

 

「和正おじさん、もうすぐ迎えにくるってさ! 外で待っていよう!」


 太陽のような笑顔で現れた智子さんは、すぐに洋子さんの手を取った。

 そんな彼女の話に散々付き合わされたからだろうか、相変わらず浮かない顔の俊太さんが、彼女の背後について、それこそ背後霊のようについている。

 三人はカウンターの前に揃ったところで、智子さんが私に手を振った。

 

「バイバーイ! うらっち! まったねー!」


 一方の洋子さんは、私に小さく会釈すると、最後に小声でこう言い残したのだった。

 

「私は長女だから。守られるより守る方よね。ありがとう、浅間さん」


 その言葉に、なんだか並々ならぬ決意と悲壮感が漂っているように思えてならない。

 もしかして、彼女は何か『不安』か『恐怖』を抱えているのかもしれない。

 だとしたら、私に助けを求めようとしていたのではないか……。


 胸のうちにモヤモヤしたものが湧きあがってくる。

 しかし、ここでの私は単なるコンビニの店員だ。

 

「ありがとうございました!」


 と、声を張り上げて見送ることしかできなかったのだった――

 

 


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WEBアマチュア小説大賞
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