9月5日 ②
「いらっしゃいませ!」
私は二人に向けて明るい声を出す。
人の良さそうなおじさんの方は、愛想笑いを口元に浮かべて小さく頭を下げたが、男子高生の方はぷいっと顔を背けた。
よく見ればシャープな骨格や野性味のある目つきなど、ところどころ共通点があるので、二人が親子であろうことはすぐに分かった。
……と、その時だった。
「あっ! おじさんに俊太! おーい! こっちだよぉ!」
背後から聞こえてきた威勢のいい声。
カップアイスを左手に、残りの右手をぶんぶんと振っている智子さんだった。
「おい、親父。ともちゃんに連絡したのかよ? 持ってるスマホはプリペイド式なんだ。無駄な通信費を使うなよ」
ぼそりと「俊太」と呼ばれた少年がおじさんに耳打ちをする。
おじさんは俊太さんの問いに、穏やかな口調で答えた。
「まあ、いいじゃないか。お前も一人で待っているより、ともちゃんたちと待っていた方が気が楽だろ」
「そんなことねえよ……」
納得がいかない様子の俊太さん。
そんな彼の手を智子さんがぐいっと引っ張った。
「ねえ、アイス食べようよ! 限定のチョコアイス! おすすめだよー!」
「いててっ! 引っ張んなよ! 制服が伸びちまうだろ! それにアイスなんて買う金なんてねえよ!」
「あははっ! お金なんてお姉ちゃんがいっぱい持ってるから平気! 平気!」
「ふざけんな! そういうわけにはいかねえだろ!」
すっかり智子さんのペースに巻き込まれながら、俊太さんはアイスコーナーへと姿を消していく。
入れ違いでカウンターの前に現れたのは、洋子さんだった。
「こんにちは、和正おじさん」
抑揚のまったくない洋子さんの口調。そして驚くほど冷たい視線。
ぎくりと顔を引きつらせた「和正」と呼ばれたおじさんだったが、すぐに元通りの落ち着いた表情に変わる。
「やあ、洋子ちゃんか。ちょっと見ないうちに、ますます見た目も声も美鈴にそっくりになってきたな」
「ふふ、亡くなった美鈴叔母様は綺麗な方でしたから、とても嬉しいわ。ところでおじさんは今日も?」
「ああ……。ちょっとの間、俊太のことお願いできるかな?」
どこかばつが悪そうに頭をかきながら、和正さんは洋子さんに頭を下げた。
その様子に、洋子さんは切れ長の目をさらに細くしながら、大人っぽい態度でため息をつく。
「ええ……。ともちゃんも俊くんと一緒にいるのは嬉しいみたいですから、それは問題ありません。けど……」
言いづらそうに口ごもる洋子さん。彼女の言葉のあとを継ぐように和正さんが口を開いた。
「ああ、分かっているさ。義兄さんにはいつも無理を言ってしまっているからね。もうこれを最後にするつもりだ」
「そのセリフ。前も聞きました」
「……すまない」
そう言って頭を下げる和正さんをよそに、洋子さんは智子さんと俊太さんのいる方へと行ってしまった。
私が残された和正さんを前に、どうしたらよいか分からずに戸惑っていると、彼は私にペコリと頭を下げた。
「何も買わずにごめんね。店員さん」
「いえ、大丈夫です!」
思いかけずに快活な声が口をついて出てきたのは、痩せこけた頬と目の下のくまを見て、疲れ果てている様子がうかがえたからだ。
きっと人には言えない苦労をしているのだろう、という厚かましいお節介が声となって表れたのである。
でも和正さんは、それを好意的にとらえてくれたのか、口元に自然な笑みを浮かべてくれている。
どこか吹っ切れたような清々しい笑顔だ。
ほっとした私の口元にも自然と笑みがこぼれると同時に、とても良いことを行ったようで自分がちょっぴり誇らしく感じられた。
だが、その時だった。店長の凛とした声が、私の驕りを真っ二つに切り裂き、外に向けられた和正さんの足を引きとめたのである。
「お待ちください、お客さま」
開いた自動扉が通り過ぎるはずの人を検知できずに、ただ閉まる時を失っている。
晩夏の湿った外気が店内の冷えた空気をかき混ぜると、まるで顔だけぬるま湯につかったかのような気持ち悪さに包まれていった。
そんな中、涼しげな顔つきを微塵も崩さぬまま、店長は和正さんのすぐ側までやってきた。
そして驚きに目を丸くしている彼に、そっとささやいたのだった。
「死して残るものは哀しみと憎しみでございます。それらはあらゆる辛苦に勝る痛みであると、ゆめゆめ忘れなきよう……」
とてもじゃないがコンビニの店員の口から出たとは思えない内容に、和正さんは目を丸くして口を半開きにしている。ただそれも束の間、みるみるうちに顔がこわばり、深い影が体全体を覆っていったのだ。
それは真っ青な夏の空に、夕立を降らす黒い雲が立ち込めたようだ。
だが店長の有無を言わさぬ優しさと厳しさが折り重なった視線で、和正さんの肩に入っていた力が徐々に抜けていく。
この様子を見れば、いかに「うぶ」で「鈍感」な私にも、和正さんと店長の考えていることが、はっきりと理解できたのだった。
――和正さん……。死ぬ気だったのかしら……。
彼がそこまで追い詰められている理由なんて知るはずもない。
なぜなら彼とは初対面なのだから。
それは店長だって同じなはずだ。
しかし店長は、まるで和正さんの全てを理解した上で、包み込んでいるかのようだったのだ。
そして和正さんもまた、店長に心を委ねているように思えてならない。
そうして完全に彼の顔から固さが消えたところで、店長は神々しさすら感じる足の運びで自動扉の前に立った。
「お引き留めして、失礼いたしました。ご来店、ありがとうございました」
店長の微笑みは、時を再び動かすぜんまいとなって、和正さんが頭を下げる。
そうして彼は今度こそ振り返ることなく店を出ていった。
その足取りは、私が今までに見た誰よりも重く感じられたのだった――