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11月18日 夕方 豊島総合病院 ③

「長坂夫妻の後頭部を殴打し、怪我を負わせた人物の名は……」


 缶コーヒーと『23番』のタバコのおじさん……生島刑事はそこで言葉を切ると、ぐっと表情を引き締めた。

 一方の私は、ごくりと唾を飲み込む。

 そして一呼吸おいたところで、彼は低い声でその人物の名を告げたのだった。



「長坂洋子だ」



 と――


………

……


 長坂洋子さんが凶行におよんだのは、時田俊太さんが長坂邸に入ってからしばらくしてのことだったらしい。


 俊太さんが席につき、その真正面に長坂喜一と幸子の夫妻が座った。

 ちょうど夫妻はリビングのドアからは背を向けた形だ。

 そしてあとは長坂洋子さんと智子さんの姉妹を待つばかりとなった。

 そこに長坂洋子さんがドアから現れた。

 

――何をやってるんだ! 早く席につきなさい。


 遅れてやってきた彼女に対し、長坂喜一は彼女に背を向けたまま、鋭い口調で叱りつけた。

 しかし洋子さんは、返事をすることなく、ゆっくりと部屋を歩いていくと、父親の真後ろに立つ。

 その直後、手にした大理石の灰皿で彼の後頭部に一撃を加えたのだ。

 

――ドンッ!


 鈍い音が部屋にこだました瞬間に長坂喜一がテーブルにうつ伏せになる。

 隣の幸子が驚愕に言葉を失っている隙に、洋子さんは同じように後頭部に一撃食らわせた。

 

――ドンッ!


 こうして母親もまた気を失ってテーブルにうつ伏せになった。

 

――なにやってんだよ!!


 何のためらいもなく、流れるように暴行を繰り返す洋子さんに対して、はじめは唖然あぜんとしていた俊太さんだったが、すぐに気を取り直し、座っていたソファから飛び出す。

 一方の洋子さんは無表情のまま、父親へとどめを刺そうと、血のついた灰皿を大きく振りかぶった。

 しかしその手が振り下ろされる寸前に、俊太さんがアメフトのように彼女の膝の上に向かって勢いよくタックルし、彼女を押し倒した。

 

――放して! こいつだけは! こいつだけは!!


――やめろ!! こいつは俺の獲物だ! 俺が殺さなきゃなんねえんだよ!!


 そして彼はポッケにしのばせておいたプラスチック製の結束バンドを取り出すと、彼女の手足をすばやく縛りつけ、身動きを取れないようにしたのだった……。

 

 

………

……


「俊太さんが、そう話したのですか?」



 窓の外がすっかり暗くなり、待合室には白い蛍光灯の明かりがつけられたところで、私はようやく落ち着きを取り戻すと、疑問に思ったことを生島刑事に投げかけた。

 すると生島刑事はため息交じりに答えた。

 

「いや……。頑固な小僧でな。かたくなに『全部俺がやりました。夫妻と向き合うようにして席についてから、カッとなってやりました』の一点張りだったよ。らちが明かねえから、署からこっちに来たわけだ。長坂喜一が目を覚ましたって連絡が入ったからな」


「では、まさか長坂喜一さんの口から?」


 それまで立ちっぱなしだった生島刑事だったが、少し離れた椅子にどすんと腰を下ろす。

 彼は両手を背もたれにかけて、言葉を続けた。

 

「いや、あの男も目を覚ました途端に、『犯人は時田俊太だ。席につくなり襲いかかってきやがった。早くあいつを逮捕しろ』と開口一番に言いやがったよ」


「では、なぜ……?」


 眉をひそめている私に対して、生島刑事は待ってましたとばかりにニヤリと口角を上げる。

 そして心なしか弾んだ声を上げたのだった。

 

 

「長坂喜一の言葉で、俺は直感したのさ。犯人は別にいるとな」



「えっ……? どういうこと? 何か証拠でもあったのですか?」


「がはは! 証拠なんて何もねえよ。勘だよ。刑事の勘ってやつさ」


「まあ、そんなのってアリなの?」


 驚きを隠せない私。

 一方の生島刑事は再び立ちあがって、今度は私の目の前の椅子に座る。

 そして私の方へぐいっと顔を近付けてきた。

 ぷーんとタバコのにおいが鼻をつき、思わず顔をのけぞらせてしまう。

 しかし彼は気を悪くすることもなく、ニヤニヤしたまま続けたのだった。

 

「長坂喜一がクセ者だってのは、署内でも有名でな。そんな男が、ためらいもなくホシの名を挙げやがった。それを聞けば、池袋署の刑事なら誰でも『こいつは嘘だな』と分かるってもんだ」


「でも、確証はなかったんですよね?」


「だから裏を取った訳だ。長坂智子に」


 生島刑事は乗り出していた身を引き下げ、背中を丸めて顔だけこちらを向けている。

 私は目を丸くして問いかけた。


「智子さんに……? なぜ洋子さんではなかったのですか?」


「長坂洋子は父親と母親を世話するって聞かなくてな。その時点で病室から引っ張り出すには理由がなさすぎた。そこで、長坂智子を署に連れていって話を聞いたわけだ」


「まさか智子さんが、犯人は洋子さんだと言ったのですか!? 彼女のことは良く知ってますけど、実のお姉さんを犯人扱いするような人ではありません!」



 今度は私がぐいぐいっと身を乗り出す。智子さんが洋子さんを陥れるようなことをするはずないという強い確信が、憤りとなって表情を固くしていたのである。

 そんな私の様子に、小さく口を開けて目を見開いている生島刑事。

 だが、次の瞬間には愉快そうに大笑いし始めた。

 

「がはははっ! 鎧屋の坊ちゃんの言う通りに、こいつは面白いお嬢さんだ! がはははっ!」


 急に店長に話がおよんだものだから、思わず目が大きくなって、口がぽかんと開いてしまうのも仕方ないと思うの!

 顔を真っ赤にして固まる私の肩に、ぽんと手を置いた生島刑事は、一転して声を低くして続けた。

 

 

「安心しな、嬢ちゃん。長坂智子の口から聞かされたのは、たった一言だけさ」


「一言……?」


「ああ、たった一言……。『パパとママがうつ伏せになって倒れていた』とな」


「へっ? それだけ? それだけでどうして??」



 生島刑事の口角が再び上がる。どうも私の素直な反応は、彼にとって気持ちがいいもののようだ。

 彼は得意げな顔で推理を披露したのだった。

 

 

「時田俊太は長坂喜一と向き合うように座ったのに、どうやったら後頭部を殴れるんだ?」


「あっ……。それは……。でも、俊太さんが部屋に入るなり、既に席についていた夫妻に襲いかかったというのは考えられませんか」


「でっかい屋敷に使用人の一人も雇わないほど疑り深い長坂喜一が、恨みを持っているかもしれない時田俊太に背を向けるかぁ? それは絶対にありえん」



 はっきりと断言した生島刑事の迫力に押され、私は言葉を失う。

 すると彼は低い声のまま続けた。

 

「つまりこの犯行が可能なのは、長坂喜一が『安心して背を向けられる者』でしかありえない」


「で、では、俊太さんでも洋子さんでもない『他の誰か』というのは考えられませんか!?」


「時田俊太は長坂家全員を殺そうとしていたのは確かだ。そんな奴が屋敷からみすみす誰かを逃がしたとは思えないんだよ」


 

 思考があまり追いついていかず、頭から湯気が出てきそうな私。

 目がくるくると回ってしまい、椅子のせもたれに寄りかかる。

 そんな私に、アヤメがそっと肩をさすり、店長は助け舟を出すように横から口を挟んでくれた。

 


「……となると第三者という線は消えるということですね」


「ああ、そういうことになるな」


「さらに犯行後の現場を智子さんは目撃した……。となると単純に消去法で、犯人は洋子さんと、浮かび上がってきますね。そのことを俊太くんにつきつけたところ、彼もついに観念して、事件の真相を語ってくれた、という訳ですか」


 

 さらりと店長が指摘したところで、生島刑事は苦虫をつぶしたような顔に変わった。

 どうやら自分のお株が奪われてしまったのが気に食わなかったようだ。

 


「ふん! 俺は嬢ちゃんと話していたんだ! 坊ちゃんは余計な口を挟まないでくれよ!」


「ふふ、それは失礼しました。では、最後に一ついいですか?」



 あからさまに嫌そうな顔をした生島刑事であったが、店長の要求をつっぱねる訳にもいかない。

 言葉には出さず、ただ一つだけうなずいた。

 すると店長は穏やかな笑みを浮かべて、問いかけたのだった。

 

 

「長坂洋子さんは今どこに?」



 その問いに、私は頭から冷水をぶちまけられたかのような衝撃を覚えた。

 嫌な予感が胸をよぎり、心の中が黒い雲で覆われていく。

 そしてその予感が『現実』のものであることを指し示す答えが、生島刑事の口から発せられたのだった。

 

 

「今、長坂洋子は、薬の副作用で熟睡中の長坂喜一のそばにいるよ」



 と――


 


 



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WEBアマチュア小説大賞
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