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愛の怨霊の透き通った声を聞きながら……

◇◇


――和正さん! 今すぐここを立ち去りなさい! そして全てを家泰稲荷神社で懺悔するのです!


 私、浅間麗が『ファミリーセブン南池袋店』で和正さんの霊にそう命じたのは、れっきとした訳があった。

 それは稲荷神社にいるであろう店長に、和正さんの口から、長坂邸で何が起こっているのかを伝えてもらうため。

 

――もし電話が使えないようなら、お店のあやかしを寄越してくれてもかまわないよ。


 という冗談半分の店長の言葉をに受けて、従ったのである。

 結果として、私の「ヘルプ!」という声に、店長がしっかりと応えてくれたのは、アヤメが坂本さんを連れて、助けに来てくれたことからも明らかだ。

 

 やっぱり店長は、すっごく頼りになるわ!

 ……と、なぜか自分ごとのように誇らしくなってしまう。


 そして、私はもう一つ信じていた。

 

 きっと店長は、和正さんと共に俊太さんのもとへ向かっているはずだ、と――

 

………

……


 長坂邸の門をくぐり、広い庭を抜けていくと、少し先に立派な木製のドアが見えてくる。

 同時に隣の壁に設置されたインターフォンの目の前。

 見慣れた背中が目に飛び込んできた直後、思わず頬の筋肉が緩んでしまった。


――店長だ!


 緊迫した状況にも関わらず、胸がちょっぴり高鳴る。

 私は「ここまで急いで走ってきたから、息切れしちゃっただけよ!」と、誰からも聞かれてないのに適当な言い訳を頭に浮かべる。

 そんなところが、アヤメに「残念系三つ編みおさげちゃん」とあだ名されてしまうゆえんなのかもしれないわ……。


 つい自虐の念がため息まじりに出たが、今は私の至らないところに気を回している場合ではない。洋子さんや智子さんが無事でいるのかすら分からない状況なのだ。

 一度大きく息を吸って心を落ち着かせた後、近くの茂みに身を潜めた。

 すると時田美鈴の霊の声が、頭に響いてきたのだった。

 

――せっかくここまで来たのに、何をしているのかしら?


――何をしてるって、店長の邪魔をしないようにしているだけよ! それに私が俊太さんに接触しようものなら、私に憑依して邪魔するつもりなんでしょ!


――まあ、驚いたわ。そこまでお見通しだったなんて。


 ここまで大人しく私の後をついてきたのは、私を監視するためだったに違いない。

 なぜなら彼女は、私が俊太さんに『許し』を与えてしまうのを恐れているからだ。

 一方の私は、彼女を連れてここまでやって来たものの、この先どうしたらいいのか、まるで見当すらついていなかった。だからこうして茂みに隠れて、しばらく店長と近くにいるであろう時田和正の霊の様子をうかがおうと考えたのである。


 そんな無計画かつ無鉄砲な私に対して、時田美鈴は、


――やっぱり浅間さんは面白い子ね。


 と、静かな口調で言った。その姿は見えないが、絶対に笑みを浮かべていると思う。

 私はもどかしい気持ちを鎮めるために、目の前の店長のサラサラした髪の毛を見て爽やかな気持ちで心を満たそうとした。

 ……と、次の瞬間だった。


「俊太! 聞こえるか!? 俊太なんだろ!」


 なんと店長の口から聞こえてきたのは時田和正さんの『声』だったのだ。

 驚きのあまりにぽかんと口を開けている私をよそに、いたって冷静な声がすぐ横から聞こえてきた。


「あの人……。彼の体を借りているのね。俊太を説得するために」


 左に視線を傾けると、そこにははっきりと見える姿で時田美鈴の霊が立っていた。

 ただ、その表情は固く、声をかけるのがためらわれるほど、真剣な眼差しで店長の背中を見つめている。

 いや、きっと今の彼女の瞳には、店長ではなく、夫である時田和正さんの背中が映っているのだろう。

 

 

「今すぐ馬鹿な真似はよせ! そんなことをしても父さんと母さんは喜ばない!」


「屈辱に耐え、それでも背筋を伸ばして正しく生きることが、『威厳』なんだ! お前のやろうとしていることは、屈辱に負けたのと同じなんだ!」


「時田とか長坂とか、そんな小さなことにとらわれるな。お前はお前でしかない。お前の人生は誰の『モノ』でもなく、お前のためにあるんだ」


「父さんは母さんと約束したんだ! お前の望むことは何でも叶えてやるってな! これが本当にお前の望むことなのか!?」

 

「母さんが誇りを持って育ててきたお前は、他人と自分を不幸にする奴じゃない! お前のやっていることは、母さんを……家族をけがしていることと同じだ!」



 他人の私であっても胸にガツンと響いてくる、文字通りに『魂』のこもった言葉ばかりが、天からうちつけるひょうのように次々と飛ばされていく。

 一方で、インターフォン越しに聞こえてくる俊太さんの言葉は、父親を非難し、己の行為を正当化しようとするものであったが、心の奥底で救いを求めているように聞こえてならなかった。

 

 息子を救いたい気持ちと、父親に救われたい気持ち。

 二つの気持ちが、互いの手を取ろうと懸命に手を伸ばしているのは、よく分かる。

 

 でも……。

 私には彼らの間で、『足りないもの』の存在があるのを、はっきりと分かっていた。

 

 

 それは『許し』だ――

 

 

 俊太さんの心に巣食う『許さぬ想い』が悪魔となって、彼の手足に見えぬ鎖を巻きつけているに違いない。その悪魔を俊太さんの中から追い出さなくては、どんなに和正さんが執念の言葉を重ねても、彼が救われることはないだろう。

 

 ちらりと時田美鈴の霊に目をやる。

 厳しいまなこを和正さんの先にあるインターフォンに向けながら、ぎゅっと唇を噛んでいる彼女。

 彼女も分かっているはずなんだ……。

 自分がなさねばならない役割と、それを果たすために、まずは自分が許さねばならないということを――

 

 

――ザッ……。


 私はついに茂みから出て、ドアの方へ一歩踏み出した。

 だが、時田美鈴の霊はその場を動こうとせずに、たたずんだままだ。

 私は彼女の方を振り返らず、無言のままもう一歩踏み出す。

 

――ザッ……。


 もし私が首を絞められていた時に見た母子の光景に偽りがないならば、必ず彼女は私の横に並んでくる。

 

――ザッ……。


 もうあと一歩で店長の横に肩を並べることになる。

 それでも私は振り返らなかった。

 これは彼女自身の戦いだと信じているから。


 来て! お願いだから勇気を出して、こっちに来て!


 声に出さずに背中で訴えかけ続けた。

 

 ……と、その時だった――

 

 

――女同士のつまらぬ意地張り合いほど、見ていて気持ちの悪いものはないわぁ。



 聞き覚えのある憎たらしい声が響き渡ってきたではないか……。

 

「へっ?」


 それまでかたくなに背を向け続けてきた私だったが、その声のせいで、くるりと振り返ってしまった。

 その直後、「バシッ!」と背中を叩く音が聞こえてきたかと思うと、時田美鈴の霊がつんのめるように私の方へよろめいてきたのだ。

 

――危ないっ!


 私は心の中で声をあげると、彼女を受け止めた。

 そして顔をあげて、彼女が元いた場所に視線を向けたのである。

 すると目に飛び込んできたのは、アヤメだった……。


 先ほどまでの狐の化け物ではなく、人間の姿のアヤメ。

 私と時田美鈴の二人が目を丸くして言葉を失っていると、彼女は口元をかすかに緩めながら続けた。

 

 

――ほほほ。わらわがいくらこの世のものとは思えないくらいに美しいからって、ぼけっと見つめている暇なんてないわよぉ。



 その物言いに、イラッとした私は口を尖らせて言い返した。

 

――はぁ!? この世のものとは思えないくらいって、あんた自身がこの世のものじゃないでしょうに!


――ほほほ。残念系三つ編おさげちゃんは、ほんと屁理屈ねぇ。そんなんだから男が寄りつかな……って、わらわと遊んでないで、早く心の準備をなさぁい。


――心の準備?


 私が素っ頓狂な声を出すと、アヤメは口元を引き締めて答えたのだった。

 

 

――その女を憑依させるつもりなんでしょぉ。



 時田美鈴が目を大きく見開いて私の方へ顔を向けてくる。

 私は彼女と視線を合わせると、ぐっと表情を引き締めて大きくうなずいた。

 

――ええ、今の俊太さんに『許し』を与えられるのは、時田美鈴さん。あなたしかおりません。


 守護霊ならともかく、あろうことか怨霊を自分から憑依させるなんて、おばあちゃんが聞いたら泡を吹きながら卒倒してしまうに違いないと思う。

 それくらいに危険で、ありえないことだというのは、じゅうぶんに分かっているつもり。

 でも、私は信じて疑わなかったのだ。

 

――あなたは俊太さんの『幸せ』だけを望む、愛の怨霊なのだから!!


 と――

 

 

「なんなんだよ、『幸せ』って!?」



 インターフォンから俊太さんの悲痛な叫び声がこだましてくる。

 これが彼にとって、最後の問いかけであろうことは、かすれて弱々しい声色からも明らかだ。

 もう迷わせている時間なんてない……。

 私は巫女として、毅然とした態度で、時田美鈴の霊に命じた。


――さあ、時田美鈴。私の中に入って、俊太さんと向き合いなさい!

 

――ほほほ。安心なさぁい。もしちょっとでも下手な真似をしようものなら、今度という今度はわらわの手でひねりつぶしてあげるんだからぁ。


 私たち二人の言葉に、彼女もいよいよ覚悟を決めたようだ。

 小さくうなずいた後、微笑を浮かべた。

 そして怨霊とは思えないくらいに、透き通った声で感謝を告げてきたのだった。

 

 

――ありがとう、浅間さん。私、やっぱりあなたのことが好きよ。



 急に恥ずかしいことを言われたものだから、反射的に顔が真っ赤になってしまった私。そんな私の様子などには気を留めることなく、彼女は私と向き合うと、ゆっくりと口づけをしてきた。

 彼女の柔らかな唇の感触に、全身の力がふっと抜けた瞬間……。

 

 意識が、すぅっと遠のき、白一色の世界に吸い込まれていく。

 そして完全に意識が消える寸前に、遠く離れたところから彼女の声が響いてきたのだった。

 

 

「俊太。『幸せ』とは、誰かに笑顔で『ありがとう』と言えることだって、浅間さんから聞いたわ。今のあなたにそれができるかしら?」



 この言葉が耳に届いた瞬間に確信した。

 執念の守護霊と愛の怨霊は、必ず時田俊太に『救い』と『許し』を与えることを。

 だから私は安心して、身も心も白一色の世界に、委ねたのだった――

 


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WEBアマチュア小説大賞
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