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理性を飛ばす言葉

◇◇


 ちょうど鎧屋アヤメと坂本葉月が『ファミリーセブン南池袋店』に駆け込んだ頃。

 長坂智子は、自宅のドアの前まで転がるようにしてやってきた。

 そこで彼女はとある事実に気付き、眉をしかめた。

 

「あっ! いけねっ! 鍵までコンビニに置きっぱなしにしちゃったよ……」

 

 ふと思い起こせば家の鍵だけでなく、スマホも財布ですらコンビニに置きっぱなしだ。

 それも浅間麗の鬼気迫る表情での訴えに応えたからだ。

 

 彼女はなぜそうまでして自分を家に帰らせたのだろうか。

 そして、首をしめられたのは、本当に幽霊の仕業であったのだろうか。

 さらに、このドアの向こう側ではいったい、何が起こっているのだろうか。

 

 ここに来るまでもずっと頭の中は疑問だらけであったが、何とも言えぬ焦燥感にかられ、ほぼ無意識のうちにドアの横にあるインターホンを鳴らしていた。


――ガチャ……。


 インターフォンから声は聞こえず、静かに電子ロックだけが解除される。

 自然と動悸が早くなってきたが、平静を装って大きな声をあげた。


「ただいまー!!」


 もし姉の洋子がいたなら、真っ先に「おかえり」と涼やかな返事が聞こえてくるはずだ。

 しかしその声は耳に届かず、不気味な静寂が、より一層彼女を不安に陥らせていく。

 

――本当にお姉ちゃんたちがピンチなら、うちが守るんだ!


 心を覆った黒い雲を振り払うように、自らを奮い立たせ、乱暴に靴を脱いだ。

 玄関から家族がいるであろうリビングまではそう遠くはない。

 だが、今の彼女の目には、リビングに通じるドアが果てしなく遠くに映っていた。

 

「うん! 頑張る!」


 自らにそう言い聞かせ、スリッパも履かずに、木製の廊下に足を一歩踏み入れる。

 ギシッという音とともに、足の裏からひんやりした感覚が伝わってくると、上昇していた体温が少しだけ下げられた。

 自然と頭が冴え、踏み出す足も早くなる。

 そうして気付いた時には、金色の豪勢なドアノブに手をかけていたのだった。

 

――なあんだ。何も起こらないじゃない。


 ここまでたどり着いただけで、奇妙な安心感に包まれる。

 だが、ドアノブを握っている右手は言う事を聞かず、思いっきり力を込めたところで、ようやくドアノブがゆっくりと右に回った。

 カチャッ、という高音と同時に、少しずつリビングの中の様子があらわになっていく。

 そうして半開きになったところで、目線の先にとらえたのは、母幸子がテーブルにうつぶせになっている姿だった。

 

「ママ!」


 叫び声を上げてドアを一気に開ける。すると母の隣には、同じくうつ伏せになって動かない父の姿。


「パパ!」


 両親の元へ駆け出そうと、リビングに一歩足を踏み入れたその時だった。

 

「んーっ! んーっ!」


 と、足元からうめき声が聞こえてきたのだ。

 急いで視線を移すと、そこにいたのは……。

 

 手足を縛られ、猿ぐつわを口にはめられた姉、長坂洋子であった――

 

 懸命に首を横に振っている姉は、まるで「こっちへ来るな!」と叫んでいるようだ。

 しかし長坂智子には姉の悲痛な願いなど通じるはずもなく、彼女の方へ体を向け、甲高い声を上げた。

 

「お姉ちゃん!!」


 長坂洋子は涙を流しながら、なおも首を振り続ける。

 

 来るな! 来るな! 来るな!

 

 目は血走り、髪は乱れる。

 だが、姉の声にならぬ叫びを聞き入れる隙間など、今の長坂智子の心には残されていなかった。

 なぜなら彼女の想いはただ一つだったからだ。

 

――うちがお姉ちゃんを助けるんだ!

 

 そうして彼女が一歩だけ足を踏み出した、その時だった……。

 

 

 ピタッ……。

 

 

 冷たい何かが、長坂智子の首筋に当てられたのである。

 

「ひぃっ」


 思わず小さな悲鳴をあげたのは、視界に飛び込んできた銀色の包丁のせいだけではない。

 背後の荒い息遣いから伝わってくる、どす黒い殺気によるところが大きかった。

 

「しゅ……俊太。どうしてこんなことを……?」


 姿を確認しなくても、彼女には背後にいる人物が従兄弟の時田俊太であることは、すぐに分かった。

 そして先のコンビニでの浅間麗とのやり取りで、彼が凶行におよぼうとしていることを予感しており、思いの外、冷静に問いかけることができた。

 

 しかし時田俊太は彼女の問いに答える気はないようだ。

 

「動くな。両手を後ろにしろ」


 と、冷たい口調で命じた。

 長坂智子にわずかな迷いが生じる。

 すると目の前の姉は、「ここは大人しく言う事を聞きなさい」と言いたげに、小さく首を縦に振った。

 今度は、妹に姉の気持ちが正しく伝わったようだ。彼女もまた小さくうなずくと、静かに両手を背後に下ろしたのだった――

 

………

……


 長坂洋子と同じように、両手足を縛られ、口を塞がれたのは、長坂智子だけなく、未だに意識を失ったままの長坂喜一と幸子の夫婦も同じであった。

 

 長坂喜一と幸子の鼻から息をする小さな音が聞こえてきたことに、長坂智子はほっと胸をなでおろした。

 目の前には包丁をぶらぶらさせながら、横たわる4人を見下ろす時田俊太の姿がある。

 普通に考えれば、死の恐怖におびえてもおかしくない。

 しかし、彼女は不思議と心が安らかだった。

 冷たい視線を落としていた時田俊太にとって、彼女の様子は面白くないようだ。

 

 手にした包丁をぴたりと鼻の筋に当てると、かすれた声を出した。

 

 

「どうしてって、さっき聞いてきたよな?」



 長坂智子は怖気づくことなく、じっと時田俊太を見つめていた。

 いつもせわしなく動き回っている彼女。こうして微動だにせずに一点に視線を集中させるのは、初めてかもしれない。

 点在している小さなほくろから、鼻のまわりの毛穴まで、時田俊太をかたどる全てが目に入る。

 当然、かすかに唇が震えているのも見て取れた。

 

――何かにおびえている……。きっとこの中で一番怖がっているのは俊太なんだわ……。


 自然と彼に向けている瞳に同情の色が混じる。

 しかし、相手の機微に敏感なのは、時田俊太も同じであった。

 彼はかっと頭に血を昇らせると、頬を紅潮させて吠えた。

 

「その目なんだよ!! その目が気に食わねえんだよ!!」


 ビリビリと部屋の空気が震えたところで、長坂洋子が「んー! んー!」と必死に体をくねらせながら、時田俊太に何か訴えかける。

 言うまでもなく、長坂智子の鼻にピタリと当てられた包丁がかすかに震え始めたからだ。

 

「うるせえ! 黙れ!! 黙らねえと、こいつの鼻を削ぎ落とすぞ!!」


 苛立ちを抑えきれない彼の咆哮がこだます。

 長坂洋子は涙をいっぱいにためた細い瞳で、彼を睨みつけながら、口を閉ざした。

 それを見た彼は乾いた笑いを口元に浮かべる。

 

「そうだ……。それでいい。俺たち家族の『威厳』を散々踏みにじってきたお前らには、ふさわしい最期じゃねえか。もっとも、二人ほどおねんねしたまま、あの世に逝くことになりそうだが……」


 彼は苦々しい顔をして、仰向けになって寝かされている長坂喜一の顔に唾を吐きかけた。

 べチャッと気持ち悪い音を立て、浅黒い色をした頬に、透明の液体がひっつく。

 長坂智子はちらりと父を見ると、眼光を強めて瞳を時田俊太に戻した。

 その瞳を見て、彼は口角を上げた。

 

「くくく……。それでいい……。屈辱と恨みに満ちたまま、この世からおさらばしてくれよ。俺の親父のように」


 言葉の終わりがわずかに震えていたことに、長坂智子はぴくりと反応した。

 そして直後には、瞳の色が少しずつ変化していった。

 

 それは、相手を憐れむ悲しい色。

 

 その色が時田俊太の目に映った瞬間に、彼の心の中で何かが爆発した。

 

 

「てめええええ! またその目をしやがったな!! 親父が必死に土下座しているのを、二階の窓からその目をして見つめていただろ!! 俺が知らないとでも思っていたのか!!? その目が何よりも俺たち家族の威厳を打ち砕いているのを分かってるのか!!? 答えろ!!」



 時田俊太は荒々しく長坂智子の口を塞いでいたタオルを剥ぎ取った。

 新鮮な空気が頭いっぱいに入ってくる。

 彼女は一度呼吸を整えた後、凛とした声で言ったのだった――

 

 

「ごめんなさい、俊太。気づいてあげられなくて」



「な……なんだと……?」



 想定外の言葉に時田俊太の動きが止まる。

 すると長坂智子はぐっと言葉に力を込めて続けた。

 

 

「私たち、『家族』なのに。気づかなくて、本当にごめんさない」


「家族……だと……? 俺とお前が……」



 驚愕に震える彼に対して、長坂智子は迷うことなく、大きくうなずいた。

 ガツンと脳天を揺さぶられたような衝撃に、彼の中で大きな戸惑いが生じる。

 感情を揺さぶられている自分が恥ずかしく、そして悔しい。

 

 その一方で、心に懐かしい温もりがかすかに灯ったのも、多感な彼は、確かに感じ取っていた。

 彼の意図に反し、その温もりの記憶が探られていく。


 そうして行き着いたのは……。

 

 

 父と母と自分。

 三人が笑顔で写った、あの写真だった――

 


 大粒の涙と共に押さえつけていた感情が溢れて止まらない。

 

 しかし、彼は忘れていなかったのだ。

 どんなことをがあっても『許し』を与えてはならない、と。

 長坂家を許さぬことこそが、無念のうちにこの世を去った、母と父に捧げる最大の供養なんだと――

 

 その瞬間……。

 時田俊太の理性が飛んだ――

 

 

「殺す……。殺す……。殺す!! まずはてめえから殺す!!」



 包丁を持った右手を大きく振りかぶる。

 

「んー! んー!」


 それまで黙っていた長坂洋子が再び声を上げると、懸命に妹の前に体を投げ出そうともがいた。

 しかし、時田俊太の瞳には、哀れみの視線を送る長坂智子しか映っていない。

 そして彼女の首元に向け、右手を振り下ろそうと、包丁にあらゆる怨念をこめた。

 

 

 その時だった――

 

 

――ピーンポーン……。



 と、乾いた機械音が鳴り響いてきたのは……。

 


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WEBアマチュア小説大賞
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