チワワが店内に入ってきても「OK」って、店長どういうこと!?
◇◇
とある偉人は、こう言った。
――愛されるのを待つよりも、愛することを。
ただし、実行するのはすごく難しい。
まだ一七歳の私がそう悟ったのは、おばあちゃんやママに連れられて、人の生死や死後の姿を多く見てきた影響によるところが大きい。
幼い子供を残して無念の死を遂げた母親。
不慮の事故で家族に別れを告げた父親。
先天性の重い病気に冒されて両親の愛情を知る前に泣くのをやめた赤ん坊……。
私たち口寄せ巫女の一族は、安心して彼らがこの世を去れるように手助けすることを生業としている。
それでも『守護霊』となって、この世に遺した家族のそばを離れようとしない人々も多い。
肉体を失い、誰からも愛されなくなってしまってもだ。
つまり、彼らは見返りを求めずに、大切な者を愛するためにこの世に残り続ける。
そして遺された者が、幸せに向かって勇気ある一歩を踏み出せた時に、ようやくあの世へと旅立つのだ。
私はそんな彼らのことを尊敬してやまない。
なぜなら人は『いつだって愛されたいと願うもの』だから……。
◇◇
渋谷や新宿などと並ぶ、東京を代表する繁華街の一つ、池袋――
60階建てのビルがシンボルのこの街は、大きなデパートが駅を挟んでいくつも並び、行列のできるレストランや派手なゲームセンターなどあらゆる娯楽が所せましと軒を連ねている。
でも、池袋駅の東口から明治通りを南へ15分も歩けば、都会の喧騒が嘘のように閑静な住宅街に出る。
その一角、都心とは思えぬ鬱蒼とした木々に囲まれた場所に、小さな神社が建っている。
その社務所が私の自宅だ。そこに宮司のパパ、そして元は巫女で、今は女性神職であるママとおばあちゃんの四人で暮らしている。
そしてそこから自転車で3分ほど走らせた先に『ファミリーセブン南池袋店』はひっそりとたたずんでいるのだ。
………
……
アスファルトが溶けてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいに暑い夏のある日。
私は転がるようにしてお店の前までやって来た。
自動扉が「ウィーン」と音を立てて開いた瞬間に、店内の冷気が火照った顔に当たる。
それはさながら南国のジャングルから一歩外に出たところが、北極の大地だったようなギャップ。
「くうぅぅ! この瞬間がたまんないのよね!」
思わず女子高生とは思えないような台詞が口をついて出てきてしまう。
おばあちゃんに聞かれようものなら、
――こらっ、麗! はしたない真似はよしなさい!
と、雷を落とされてしまうだろう。
でもこれは私のせいではない!
東京が猛烈に暑いのが悪いのだ!
……と、そんな言い訳をしながら店内に入ると、入り口から少し離れたところにあるレジカウンターから、風鈴のような涼やかな声が聞こえてきた。
「おはよう、浅間さん」
「あっ! おはようございます! 店長!」
まるで新雪のように一点の汚れもない真っ白な肌の店長の笑顔が目に入ってくると、私の口元も自然と緩んだ。
清涼飲料のような店長の姿と、クーラーの効いた店内のおかげで平熱に戻った体。
だが次の瞬間には、再びかっと熱くなってしまった。
なぜなら憎たらしい妖狐が視界に入ってきたからだ。
彼女は、店長に寄りかかりながら、気味悪い笑顔で手を軽く振っている。
私は口を尖らせて文句をつけようとした。
しかしすんでのところで思いとどまり、冷静になって考えたのである。
――よくもまあ、こんな暑いのに、そうやってベタベタとくっついてられるわね!
と言おうものなら、
――ふふ、何言ってるの? 店内は寒いくらいじゃない。もう、妬いちゃってぇ。かわいいんだから。
と、余計にイライラさせられるに違いない。
ここは無視するのが一番だ。
私は見ないふりをしながら、バックヤードへと大股で急ぐ。
だが、すれ違いざまに、ささやく声が耳をくすぐった。
「ふふ、一生懸命に気にしない振りをしちゃってぇ。かわいいんだから」
ここで顔を真っ赤にして怒声を浴びせれば、彼女の思うつぼだ。
でも、「飛んできたボールはホームランで打ち返すのが信条」という残念な性分な私……。
理性に反するように体が勝手に反応してしまったのだった。
「うるさいっ!」
鬼のような形相で彼女を睨みつける私を見て、彼女は勝ち誇ったような高笑いをする。
それを見た店長が小さなため息をついて口を開いた。
「アヤメ……。浅間さんをからかうのは、いい加減おやめなさい」
「だってぇ。麗ちゃんがかわいいんだもん」
「だから、それをやめなさいと言っているんだよ……。浅間さん、ごめんね。アヤメには僕からちゃんと言い聞かせておくから、早く制服に着替えてきておくれ」
爽やかな店長の言葉を聞けば、心が鎮まるから不思議ものだ。
「はいっ! 分かりました!」
元気よく返事をしてバックヤードへ急ぐ。
こうして今日もいつもと変わらぬ1日が始まった。
ここでアルバイトをはじめてから、早1ヶ月がたつ。
アヤメと私の関係は相変わらずだが、仕事にはすっかり慣れたものだ。
生まれて初めてのアルバイトだからだろうか。
接客、品出し、お掃除……。
まあ、鬱陶しい女狐が一匹いるが、それを差し引いても楽しくてならないのだ。
胸の中のイライラの炎は、赤色の制服に袖を通してから店内に戻ると、いつの間にかやる気の炎に変わっていくのもいつも通り。
でも、未だに一つだけ分からないことがある。
それはおばあちゃんがここで働くのを薦めてきた理由だ。
――きっとお前の修行になるからのぅ。
と言っていたが、いったいどういうことなんだろう。
ずっと心の片隅に小さなしこりとなって残っていた。
しかし、この日。
そのしこりが取れる時がやってくるのだった。
それは一人のお客様の来店がきっかけだった。
黒縁の小さな眼鏡に、柔らかそうな髪質の黒髪。とても優しそうな穏やかな顔つきが特徴的な、私よりちょっと年上の、学生風のお兄さんだ。
「いらっしゃいませ!」
外の太陽のように明るく挨拶をすると、人の良さそうなお兄さんは、ニコリと微笑みかけてくれる。
でもその直後、私は目を丸くした。
なんと彼の足元に可愛らしいチワワが尻尾を振りながら、ニコニコとしているのだ。
大きな瞳をキラキラさせてご主人であるお兄さんを見つめている姿は、愛くるしくて悶えそうだ。
――でも、ここは心を鬼にしなくちゃダメよ、麗! 店内にペットを連れてくるのは禁じられているんだから。
「お客様! 店内にペットはご遠慮ください!」
毅然とした態度で注意した私に、今度はお兄さんが目を丸くしている。
するとゆっくりと近づいてきた店長が、そっと耳元でささやいたのだった。
「この子は入店しても問題ないよ」
「えっ?」
「浅間さん、これも修行だよ。頑張ろうね」
驚きの一言に思わず振り返って店長の顔を覗き込む。
店長は目を細めて、こくりとうなずいた。
その表情を見て、私は瞬時に店長の意図を理解して、すぐにお兄さんに頭を下げたのだった。
「ごめんなさい! 変なこと言っちゃいました! さっきのは忘れてください!」
「え? ああ、はい」
お兄さんは、目を点にしながらお弁当コーナーへと歩いていく。
私は微笑ましい気持ちで、彼の背後に目をやった。
そこには、確かにいるのだ。
尻尾を振りながら、彼の背後をピタリとついていく『あやかし』が……。
そう、この愛くるしいチワワは、お兄さんの『守護霊』なのである――