11月18日 昼 ファミリーセブン南池袋店 ②
「待ってくれ!」
と、ふいに背中から声がかけられたのである。
しかし声がする前に聞こえてくるはずの、自動扉の開く大きな音は耳に入ってこなかった。
ならば店内には長坂姉妹の他に、誰もいないはず……。
……となると、答えはただ一つだった――
私はゆっくりと右へと振り返る。
イートインスペースの入り口が視界の中央から左目の端へ切れていき、ジュースのコーナー、そして総菜コーナーと視界は移る。
普段から見慣れているはずなのに、まるで別世界に迷い込んだかのような錯覚に陥ったのは、極度の緊張状態だからだろう。
そうして体が完全に180度回り切った時……。
肺の中に空気が一気に吸い込まれて、「ひゅっ」という音が口から漏れるとともに全身が凍りついた。
なぜなら視界の中央で立っているのは……。
死んだはずの時田和正さんなのだから――
「智子ちゃんを帰したらだめだ」
真剣な顔つきで訴えかける和正さん。
彼は既にこの世の人ではない。
つまり人ではなく霊ということだ。
私は口をぽかんと開けたまま、困惑の渦の中で身動きが取れないでいた。
もちろん、霊を見ることは普通の人よりも慣れているのは当たり前だ。
だがそれでも、つい先日まで生きて顔を合わせていた人が、霊となって突然現れるというのは、いくつになっても慣れないと思うの。
しかし、次に聞こえてきた声が、私を現実へと力づくで引き戻したのだった。
「何をやっているのかしら? 早く智子の元へ行ってください」
凛とした声。
しかし少しでも油断をすれば、真っ二つに斬られてしまいそうな鋭利な刃を思わせる。
私ははっとして声の持ち主の方へ顔を向けた。
言わずもがな、洋子さんであった。
彼女の吸い込まれそうなほど美麗な横顔が瞳に映る。
口元には仄かな灯火を思わせる笑みを浮かべているが、イートインスペースへ向けられたままの視線は氷のように冷たい。
「え、ええ。ごめんなさい」
「ふふ、いいのですよ。ただ人を待たせておりますので、少しだけ急いでいただけると嬉しいわ」
今ここに和正さんの霊がいるなんてことを告げても変な目で見られるだけだ。
私は彼女の声に弾かれるようにして、再びイートインスペースへと体を向けた。
しかし、私の行方を遮るように和正さんが目の前に仁王立ちしてきたのである。
「ダメだ! これ以上、あいつに『罪』を冒させてはダメなんだ!」
パンと頬が張られたような、鋭い痛みが全身を走る。
罪……。あいつ……。
一体なんのことなんだろうか?
誰のことを指しているんだろうか?
困惑に足が止まる。
すると、今度は耳元で洋子さんのささやく声が聞こえてきた。
「躊躇しないで。智子が待ってるんだから」
直後にぐいっと背中を押されると、和正さんの方へ右足が一歩だけ踏み出された。
二人の距離がわずかになったところで、和正さんが私の両肩をぐっと掴む。
ここでは霊が実体化しているから、彼の感情が肩からダイレクトに伝わってきた。
「頼む! 俊太をこれ以上、苦しまさないで欲しいんだ!」
「やっぱり……俊太さんが……。いったい何が……?」
私がそう問いかけようとした瞬間だった。
「今は俊太のことよりも、智子のことでしょ」
しびれを切らした洋子さんが私の二の腕を強くつかんで和正さんから引き離したのだ。
「いたっ! 洋子さん!?」
「ふふ、ごめんなさい。家族のこととなると、どうしても熱くなってしまうの。さあ、浅間さん。早く行ってちょうだい」
「ダメだ! 智子ちゃんが家に帰ったら、俊太は……」
「みんな智子を待っているの。これ以上、待たせられないわ」
和正さん、洋子さん、そして智子さんに俊太さん……。
一体全体なにが起こっているの?
私はどちらの言葉に従うべきなの……?
しかし、考える前にその悩みすら吹き飛ばすような叫び声が和正さんの口から飛び出したのだった。
「智子ちゃんが家に着いた瞬間から、俊太は長坂家の全員を殺そうとしている! そして、全てやり終えた後、自分も死ぬつもりなんだ!! だから、絶対に智子ちゃんを家に帰してはならない!!」
その言葉の直後、あまりの衝撃にぐらりと視界が歪む。
思わずよろけた私をそっと後ろから支えたのは、洋子さんだった。
「ふふ、そんなの嘘に決まっているでしょう。だって、現に私がこうしてここに立っているのだから……」
頭に直接響いてきているんではないかと思われるくらいに、弱々しい声が耳元でささやかれる。
だがその声とは裏腹に、私の両肩を掴む手は苛立ちで熱くなっていた。
ここまでのやり取り。
はたから見れば、ほんの一瞬でしかない。
さらに言えば、私と洋子さんの二人が仲良く話をしながら、少しずつ智子さんの待つイートインスペースへと向かっているとしか見えないだろう。
だが、私にしてみれば極限の緊張状態の中を数十分間も経過したかのように感じられていた。
のしかかる疲労感が、思考を鈍らせていく……。
和正さんと、洋子さん……。
どちらかが確実に『嘘』を言っている。
その『嘘』に従った時点で、何かおぞましいことが起こるのは、いかに鈍い私であっても直感できていた。
それでも肩を握りしめる洋子さんの両手が、私に悩む時間を与えてくれないのだ。
どっちだ?
私はどっちの言葉を守ればいいの?
こんな時、私はどうしたらいいの?
誰か教えて!
声に出せない叫び声が心の中でこだます。
そして、やぶれかぶれに固く目をつむった。
もう考える時間は残っていない!
……と、その瞬間だった――
――目を見てごらんなさい。
まるで風鈴の音のような澄み切った店長の声が、脳裏に一陣の風となって吹き抜けてきたのだ。
目を見る……。
その言葉が真っ暗闇だった私の頭の中を一筋の光となって照らした。
「そうか……。もしかして……」
そう呟いた瞬間だった――
「えっ!? なに!?」
自分でも驚いてしまうほどに『声』が次々と頭の中に響き渡ってきたのだ。
しかも一人だけじゃない。
色々な人の声……。
それらの声が一つ一つパズルのピースのように、脳裏を埋め尽くしていく。
そうして全てのピースが、しっかりとはまった時――
光から浮かび上がってきたのは一つの『推理』。
私はそれに賭けることにしたのだった。
果たしてどちらが『嘘』なのでしょうか。
今までのお話の流れも踏まえまして、お考えいただけると嬉しいです。





