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11月18日 昼

◇◇


 11月18日、日曜日。午後1時――

 

 私にとって勝負の午後を迎えた。

 ここからは私一人で『ファミリーセブン南池袋店』を切り盛りしなくてはならないのだ。

 

 お客様が誰もいない店内を見回すと、一人で気合いを入れたのだった。

 

「がんばるぞー! おーっ!!」


 そのかけ声の直後、ウイーンと相変わらず大きな音を立てながら自動扉が開いたのである。

 私は慌てて上げっぱなしだった右手を下ろすと、元気な声でお客様を出迎えた。

 

「いらっしゃいませ!!」


 顔を上げると目に入ってきたのは、長坂智子さんのしょんぼりとした顔。

 いつも天真爛漫な彼女からは想像がつかないほどに暗い表情で、私は思わず彼女をただした。

 

「どうしたの!? 智子さん!」


「ん? ああ、うらっちかぁ……。大丈夫。なんでもないから……」


 口ではそう言っているが、やはり全く元気がない。

 何かあったことは一目瞭然だ。

 

 とぼとぼとカウンターの前を通り過ぎていく彼女。

 そして冬も近いのに無駄に充実しているアイスのコーナーで立ち止まると、商品を選び始めた。

 しかし、その顔つきは未だに心ここにあらずといった感じだ。

 それでも秋限定の『和栗もなかアイス』を選んでくるあたりは、大のアイス好きである何よりの証だろう。

 

「140円になります!」


 つとめて明るい声を上げて彼女を励まそうと試みる。

 

「はい」


 しかし彼女は最後まで浮かない顔のまま、会計を終えるとイートインスペースへと消えていってしまったのだった。

 

 けっきょく何もできないでいる私。

 再び静かな時間が店内に流れ始めた。

 

 心の中で湧き上がった灰色の雲が、徐々に広がっていく。

 

――口寄せ巫女になるんでしょ! 悩んでいる人を見捨てたままでいいの!? 早くイートインスペースへ行かなくちゃ!


 心の空に向かって大声で叫ぶ自分がいる。

 だがその一方で、

 

――今はコンビニの店員よ。お店を守ることだけに集中しなきゃダメだよ! 今はバックヤードに行って、ドリンクを補充すること!


 と、声高に自制を求める自分もいるのだ。

 

 イートインスペースかバックヤードか……。

 

 こういう時、どうしたらいいんだろう……?

 そんなの学校で習ったことないから分からない。

 

 だから心の声に従おう。

 こんな時、どうしたらいいか。

 教えてくれるに違いないから。

 

 私は静かに目をつむった。

 すると頭に直接響いてきたのは、おばあちゃんの言葉だった。

 

――迷った時は自分が『一番したいこと』をするようにしなさい。もしそれでダメになってしまっても後悔はしないからのう。

 

 一度だけ、そう教えてもらったことがあったけ。

 

 そうか……。

 自分の一番したいこと……。

 それに従おう。

 

 そう決心した時。

 私の体はひとりでにとある方向へ向かっていった。

 

 

 イートインスペースの方へ――

 

 

………

……


「ねえ、ちょっと聞いてよ。うらっちー」


 私がイートインスペースへ姿を現すのを見計らったかのように、智子さんは口を開いた。

 そんな彼女の声を聞いて私は不謹慎かもしれないけど、ちょっとほっと安心した。

 なぜなら余計なおせっかいを焼いたところで、彼女から拒絶されるのではないかと、内心ビクビクしていたからだ。

 

 それでもしかめ面している彼女に対して、あからさまに嬉しそうな態度を取るわけにはいかない。

 私は出来る限り、声の調子を落として問いかけた。

 

「どうしたの?」


「うん、それがさぁ。今日は午後になったら家族で大事な会議があるっていうから、午前中で部活を切り上げてきたわけなの」


「あら、そうだったの」


 他に誰もいないのを知ってか、智子さんは大きく股を開きながら椅子に腰掛けて、ガクリと肩を落としている。

 あらわになった健康そうな小麦色の太ももが眩しい。

 私はそれらから目をそらしながら、隣の椅子にチョコンと腰をかけた。

 その直後、智子さんは話し出したのだった。

 

「んで、いざ部活を一人で切り上げて、スマホ見てみたらお姉ちゃんからメッセージがきてたの。『大人同士の難しい話し合いがあるから、しばらくコンビニで待っていて頂戴。終わったら迎えに行くから』だってさ」


「あらあら……」


「もう! いっつもうちだけけ者なんだよ! うちだって高校生になったのにぃ!」


 バリっと大きな音を立てながら、『和栗もなかアイス』を頬張る智子さん。

 ぶつけようのない憤りをアイスにぶつけているようだ。

 

 でも、彼女のそんなやるせない気持ちが分からないわけでもない。

 私のおばあちゃんだって、いつまでたっても私のことを子供扱いして、「あれをするな!」とか「あそこへ行くな!」と、何かと口うるさく言いつけてくるからだ。

 

 私が何度か首を縦に振って、彼女の意見に同調する。

 彼女はちらりと私の目を覗き込んだ後、口を尖らせてつぶやいた。

 

「そりゃあ、和正おじさんのことは、うちだってあんまり首を突っ込みたくなかったけどさぁ……」


「和正さん……って、俊太くんの父親の?」


 和正さんと言えば、確か数週間前にアヤメから「死んだ」と聞かされた人だ。

 もちろん口に出さなかったが、彼女も既にその事実を知っていたらしい。

 

「うん。ついこの間、死んじゃったんだけどね……。和正おじさんのお父さんがすっごい借金をしてたみたいで、おじさんはお金のことで苦労していたみたいなんだよ。俊太を私たちに預けて、ここで留守番していたのも、おじさんがお父さんにお金のことを相談しに行っていたからみたいなの」


「そうだったんだ……」


「うん……。和正おじさんが死んじゃって、俊太に借金が残されちゃってさ。多分、今日はそんな話なんだと思うの。俊太も家にやってくるって、お父さんがお母さんに話しているのをコッソリ聞いたから」


 なんだか他人が聞いてはならないような『家庭の裏事情』を知ってしまったようで、なんて声をかけたらよいのか分からなくなってしまった。

 

 すると智子さんは、私の戸惑いを察してくれたようで、苦笑いを浮かべながら続けた。

 

「ごめんね、うらっち。こんな話をされても困っちゃうよね」


「いえ、いいの。むしろ私の方こそ、何もアドバイスできなくて、ごめんなさい……」


「そんなぁ、あやまらないでよ! うらっちは悪くない! 悪いのは全部うちなんだよ!」


「え……?」


 思わず驚いて出すべき言葉を失ってしまった。

 彼女の目の色が、がらりと変わったからだ。

 それまでは「憤り」が感じられたのだが、きっぱりと「自分が全部悪い」と言い切った後は「悲哀」が感じられるではないか。

 

 ぐっと胸が締め付けられ、ただ彼女の顔を見つめるより他は何もできない。

 彼女は大きく息を吸い込むと、透き通った声で続けた。

 

「うちは昔からこんな危なっかしい性格だから。いつもお姉ちゃんを心配させてばかり。今回のことだって、きっとお姉ちゃんなりの配慮で、うちから『面倒』を遠ざけようとしてくれているんだと思うんだ!」


 力強く言い切った彼女の頬がかすかに桃色に染まる。

 そして一呼吸もあけずに、彼女は続けた。

 

「お姉ちゃんは、いつもうちを守ってくれるの。うちってちっちゃな頃から泣き虫だったから。でも、今のうちは泣き虫なんかじゃない! もうお姉ちゃんに守ってもらわなくても大丈夫だって、そうお姉ちゃんに言わなくちゃだめなんだよ! でも、頑張っているお姉ちゃんを見ていると、それが言えないの。だから、うちが全部悪いんだ」

 

 その言葉を耳にした途端、頭によぎったのは夏の終わりに聞いた洋子さんの言葉だ。

 

――私は長女だから。守られるより守る方よね。ありがとう、浅間さん。


 あの時の彼女の『目』と、今の智子さんの『目』が重なって見える。

 

――目を見てごらんなさい。


 店長の言葉が頭に響いてきたところで、ようやく気付いた。

 

 そうか……。

 きっと二人は同じ想いなんだ……。

 

 お互いを思いやっているからこそ口に出来ない言葉があって、それがちょっとしたすれ違いになっているのだろう。

 

 言うなれば、愛情の裏返しなんだ。

 

 だったら智子さんにかけてあげられる言葉はたった一つだ。

 ぐっと腹に力をこめる。

 そして店内に響き渡るような大声でそれを告げた。

 

「洋子さんも智子さんの言葉を待っているはずよ! だから、ぜぇったいに大丈夫! 自分の想いを、勇気を持って伝えてあげて!」


 あまりに自信たっぷりに私が言ったものだから、智子さんは大きく目を見開いている。

 それも束の間、残りわずかになった『和栗もなかアイス』を口に押し込んだ後、ニコリと笑顔になった。

 

「ありがとう! うらっち!」


 太陽のようないつもの智子さんの調子が戻ってきた。

 まるで雲の間を抜けた真夏の太陽のように眩しい。

 私もつられて笑顔になると、彼女は驚くような行動を取ったのだった……。

 

――バッ!!


「えっ……!?」


 なんと私に抱きついてきたのである!

 

 男の子からはもちろん、女の子からも抱きつかれたことなんて一度もない私。

 顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

 

「と、智子さん!?」


 女の子特有の柔らかな感触と、部活で鍛え上げられた筋肉の固い感触が入り混じっている。

 そしてほんのりとした彼女の汗のにおいが鼻をくすぐると、私の体は硬直してしまった。

 

「やっぱりうらっちは、うちの大親友だね!」


「えっ!? 大親友!? 私が!?」


 目を丸くする私に対して、少しだけ離れた智子さんは、躊躇せずに言った。

 

「うん! うらっちに相談してよかった! うち、決めた!」


「えっ!? 何を!?」


 そう私が聞き返すと、彼女は今まで見てきた中で一番大きな笑顔を作って高らかと告げたのだった。

 

「お姉ちゃんにちゃんと言う! うちのこと、もう心配しなくていいよ! って!」


 彼女はすぐにスマホを取り出して、メッセージをうちはじめた。

 恐らく「今から家に帰る!」と洋子さんに送るつもりなのだろう。

 それを示すように、彼女はメッセージを送り終えた後、弾んだ声で言った。

 

「お姉ちゃんから返事がきたら帰るね! だから、もう少しだけいさせてもらっていい?」


「うん、もちろんよ。智子さん」


「あははっ! 『智子さん』はやめてよー! ともちゅんでいいよ! ともちゅんで!」


「ともちゅん? ふふ、面白いあだ名ね!」


「あははっ! でしょー! 『ちゅん』ってなんだよーって思うよね!」


 どこか吹っ切れたような彼女の顔に、私の肩の力もすっかり抜ける。

 二人の笑い声が店内の空気を、秋空の下のように爽やかなものに変えていった。

 

 ……と、その時だった。

 

――ウイーン。

 

 と、自動扉の開く大きな音が聞こえてきたのは……。

 

「あっ! お客様だ! じゃあ、私行くね!」


「うん! じゃあ、またね!」


 簡単な挨拶を交わしてすぐにレジカウンターへ急ぐ。

 

「いらっしゃいませ!」


 と、元気よく挨拶しながら開いた自動扉の方へ視線を向けると、そこに立っていたのは、缶コーヒーとタバコを買いにくる、常連のおじさんだった。

 

 私の挨拶にも、いつも通り一言も返さずに、ちらりと私の顔を見ただけで、そそくさとジュースのコーナーへと歩いていく常連のおじさん。

 

 そして普段と何一つ変わらないテンポで、微糖のコーヒーを手にすると、それをカウンターの上にコトリと置いた。

 

「これと……」


 と、口にしかけたところで、私は明るい調子で先回りした。

 

「23番のタバコですね!」


「あ、ああ……」


 私の言葉が意外だったのか、おじさんは目を丸くして口をぽかんと開けている。

 私は素早い手つきで、23番のタバコを取り出すと、流れるように会計に移った。

 おじさんは小銭を取り出したところでようやく我に返ったのか、穏やかな笑みを浮かべたのだった。

 

「お嬢さん。ずいぶんと気が利くようになったじゃねえか」


「え!? あ、ありがとうございます!」


 これまで一度も「これと、23番のタバコ、一つくれる?」という言葉以外を耳にしたことがなかったため、思わず口ごもってしまった。

 

 するとおじさんは口元をかすかに緩めてつぶやいた。

 

「……問題なさそうだな」


「へっ? 何がでしょうか?」


「いや、こっちの話だ。じゃあ、ぴったり置いていくから」


 おじさんは私の問いをけむに巻くと、小銭をカウンターに置いていきわそのまま店を後にしていった。

 

「ありがとうございました!」


 深々と頭を下げる。

 ウイーンという自動扉の大きな音が頭のてっぺんに聞こえてきた。

 

――ずいぶんと気が利くようになったじゃねえか。


 その一言のおかげで、飛び跳ねそうになるほど胸がドキドキしている。

 そうしておじさんの足音が遠くなったところで、私は勢い良く頭を上げた。

 

 ……と、そこで目に飛び込んできたのは……。

 

「あら……?」


 静かな笑みを浮かべた黒髪の美少女の姿。

 

「こんにちは。智子を迎えにきました」


 絹のような細い声は間違いない。

 

 

 長坂洋子さんであった――


 

 

 



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