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11月18日 朝 ②


「おはよう、浅間さん。朝早くから御苦労さま」


 秋の青い空を感じさせる笑顔で、挨拶をしてきた店長。


 見た人の誰もがつられて笑みをこぼしてしまいそうな爽やかな表情であったが、私はというと、眉間にしわを寄せながら、彼の周囲をきょろきょろと探っていた。


 そんな私を見て、店長はくすりと笑って告げたのだった。

 

「ふふ、アヤメはここにはいないから安心して」


「えっ……!? そ、そうだったんですか」


 ずばりと言い当てられた私が目を見開いていると、店長はそよ風のような口調で続けた。

 

「今日はお店を不在にするから。よろしくね。それを伝えにきたんだ」


「え? もしかして私一人なんですか?」


「ああ、そうなんだ。本当は坂本さんがシフトに入っていたんだけど、どうしてもちょっとだけ抜けなくてはいけないみたいでね」


「そうなんですか……」


 そりゃあ、日曜の午後にお客様はめったに来ない。

 1時間で「0人」というのも珍しくない時間帯もあり、来てくれたとしても常連の缶コーヒーとタバコを買いに来るおじさんくらいだ。


 それでも一人ぼっちでいるのは、まだ仕事を始めてから半年もたっていない私にとっては大きな不安だったのである。

 

 思わずしょんぼりと顔がうつむいてしまう。

 すると目の前に一枚の紙切れが差し出された。

 

「これ。僕の電話番号とLINEのIDだよ。もし何かあったら連絡してくれれば急いでお店に戻るから」


「えっ? もしかしてプライベートのですか!?」


「ああ、そうだよ。それがどうかしたのかい?」


 紙片を手に取った私は、顔を真っ赤にして固まってしまった。


 乾いた秋の風が優しく吹きつけ、せっかく一か所に溜めた落ち葉をさらさらと飛ばしていく。


 でもそんな小さなことに心が動かされることもなく、ただ柔らかな髪が揺れている店長の顔を見つめ続けていた。

 

――今どき、電話番号とLINEを交換したくらいでドキドキしちゃうなんてありえないわぁ。


 今どき……江戸時代の遊女みたいに和服を着崩しているアヤメに嫌味を言われても仕方ないかもしれない。


 そりゃあいくら化石のような私だって、仲の良い男子とそれらを交換したことはあるし、それくらいのことで顔をリンゴのように真っ赤にしないわよ!

 

 でも、私にとって店長は、店長であって人ではないと言うか……。


 ……いや、これじゃあ失礼ね!

 

 簡単に言えば『高嶺に咲く純白の花』のような存在。

 

 だからこうして連絡先を手渡されると、急にその存在が身近に感じられるのだ。

 ドキドキと胸が高鳴ってしまったのも仕方ないと思うの!


 そして完全にパニックに陥っていた私は、とんでもないことを口にしてしまったのだった……。

 

「あ、いえ、あの……。業務のこと以外では絶対に連絡しませんから、安心してください!!」


 直後に「なんて馬鹿なことを言ってしまったのだろう」と激しい後悔に襲われた。


 意外な言葉だったのか、店長は目を大きくして私を見つめている。

 

――つまらない女ねぇ。そんなんだから男が寄りつかないのよぉ。


 大きなため息をつく脳内のアヤメ。

 そんな時、いつもの私なら逆に言い返しているところだが、

 

――ほんと、その通りよ! 私の馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!


 珍しく彼女に同調して、自分を責めてたてている。

 

 だが、店長はそんな私さえも優しく包み込んでくれたのだった。

 

「そんなに固く考えてくれなくても大丈夫だよ。ちょっとしたことでも連絡してくれてかまわないから」


「あ、はいっ! ありがとうございます!」


 ペコリと下げた頭の中を、ぐるぐるとフル回転させて店長の言葉の『真意』を探る。


 ちょっとしたことって、本当にちょっとしたことでも大丈夫なのかしら?

 

 たとえば……。


――今年も神社にツバメが巣を作ってくれたの!


――駅前にあるスイーツ店のリンゴパイがさらに進化したの知ってますか!?


――明日は夕方から雨になるんですって!


 とか……。

 

 いや、もしかしたら、

 

――新作フラペチーノが出たので、明日一緒にスタバ行きませんか!?

 

 も、あり……なのかな?

 

 ちょっと待ちなさい! 麗! 絶対に違うわ!


 ちょっとした『業務連絡』でもかまわないって意味に決まってるじゃない。

 変な勘違いしたら、それこそアヤメに笑われるわよ!

 

 答えなんて出るはずもないのに、二人の私が不毛な戦いに明け暮れている。

 しかし決着がつく前に、あろうことか店長はその場をあとにし始めたのだった。

 

「じゃあ、今日は僕とアヤメはすぐ近くの『家泰稲荷神社かたいいなりじんじゃ』にいるから。もし電話が使えないようなら、お店のあやかしを寄越してくれてもかまわないよ」


「あ、はい! 分かりました! お店のあやかしですね!」


 ふいを突かれたため、思わず真面目に答えてしまった私に対して、店長がくすりと口元を緩めた。


「ふふ、それは冗談だから気にしないで。じゃあ、頑張ってね」


「はいっ! 任せてください!」


 竹のほうきを握り締めて、口を引き締める。


 一方の店長は、最後まで柔らかな綿毛のような雰囲気のまま、静かに神社から立ち去っていった。

 

 店長がここにいたのは5分にも満たない短い時間だったけど、私にはすごく長く感じられた。


 でも疲れなんて微塵も感じていない。

 むしろ最後の「頑張ってね」の一言で、全身の力がメラメラとみなぎってきたではないか。

 

「よぉし! 頑張るぞー!!」


 と、溢れんばかりの気合いを声にして、秋風で散らかってしまった黄色の落ち葉を、せっせと掃き始めたのだった。

 

………

……


 鎧屋藤次郎が奈保神社の鳥居を出たところで、艶美な女性の声が彼の頭の中へ直接響いてきた。

 

「麗ちゃん、あんな調子で本当に大丈夫かしらぁ?」


 ふと横を見れば、今日は黒を基調とした着物に身を包んだアヤメの姿が目に入る。

 彼はスマホを取り出しながら答えた。

 

「さぁ、どうだろうね」


「まあ、呆れた! 大丈夫かどうかも分からないのに一人っきりにしちゃうなんて」


 アヤメは口元に両手を当てて目を大きくする。

 藤次郎はスマホの画面をタップして、LINEのメッセージを開くと、彼女にそれを見せながら言ったのだった。

 

「でも、仕方ないさ。ウメ様からこんなメッセージがきたのだから」


――11月18日。麗の運勢に『試練』と出た。ついては一人で店を任せるべし! よいな!


 アヤメはそれを見て、ふぅと大きなため息をつく。

 

「まったく……。年ごろの女子ではなく、そのおばあちゃんとLINEでメッセージを送り合うなんて、藤次郎も趣味が悪いわぁ。それに、鎧屋の名を持つ者が、いつまで『一介の巫女』の言いなりなのかしらねぇ」


「ふふ、遥か昔、『一介の巫女』がこの国の指導者だったこともあるんだよ」


「そんなこと今はどうでもいいじゃない」


 藤次郎はアヤメの横顔を覗き込む。

 その絵画のような美しい顔に、ちょっとした濁りがあるのを彼は見過ごさなかった。

 

「そんなに麗さんのことが心配かい? アヤメ」


「な、なにを言い出すかと思えば! 藤次郎ってそんなに性格がひん曲がっていたかしら!?」


 へそを曲げて、ぷいっと顔をそむけるアヤメ。

 そんな彼女の艶やかに輝く黒髪と、ぴくぴくと動いている狐の耳を見ながら、藤次郎は微笑んだ。

 

「ふふ、きっと大丈夫だよ。麗さんは、強い子だから」


 それに対して、アヤメは何も反応することなく、稲荷神社へと足を急がせたのだった――






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WEBアマチュア小説大賞
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