出会い、そして幻想へ
朝が来て、働いて、帰宅して、夜が来て、また朝が来る。
その繰り返し。
それが普通。それが当然。意識もせず今日も私はクルクル回ってる。
ふらふらと宙ぶらりんになりながら、それでも落ちずに今日も生きられた。
それは幸福なことなのか。
問おうにも周りはいつも現実を生きている人達ばかりだ。
もちろん私も現実の一人であり一部分。社会の歯車として今日も現実を過ごして来た。
現実を過ごすのは中々大変だ。
「ふうっ」とため息をつく。その拍子に胸に下げてあった名札が落ちた。
「・・・御崎奏亡かぁ。名前はなかなか幻想ちっくなのにね」
仕事帰り。名札を付けっぱなしにしていたらしい。
今となっては慣れたがこんな名前をつけた両親は私にどんな願いを込めたのだろうか。まるで想像がつかない。
手のひらで名札を遊びつつ私は家に向かってゆったり歩く。
時刻は午前二時。仕事が終わらず半ば諦める形で帰宅することにした。明日上司の嫌味を延々と聞くハメになるがしょうがない。現実はいつだってそんなもんだ。
夜道をコツコツと音を立てながら歩く。
いつもの帰宅路。なんの変化も変哲も無い一本道。
しかし、現実はいつだって平凡で恒常だが、幻想は突然にやって来る。
さっきまで歩いていた道。
無意識にふらふらと宙ぶらりんに歩いていたはずなのに気づくと目の前にはポッカリとした穴が空いていた。
「・・・・ん?」
何だろうこれ。目の前に広がる闇。なぜか端々にあるリボン。理解が追いつかない。人間理解不能なことがあると一周回って冷静になるのかな。
闇を目の前にひたすら無言で立ち尽くす私だった。
「ふふ、それはね人間のお嬢さん。スキマって言うのよ」
「!?」
後ろから声がした。後ろというよりは背中からだろうか。高くて綺麗な声。しかしそれでいてしわがれた老婆のような声色だ。
私はそっと後ろを振り向いた。
「初めまして、人間のお嬢さん。いや、御崎奏亡さんね。外界の人間にしては面白い名前をしているわね貴女」
今まで見たこともない程の美人だった。煌びやかな金髪。白い肌。細めた目は恐らく笑っているのだろう。整った顔立ちがなお上品に映る。
「あ、いや・・・その・・・」
言葉が詰まる。全てにおいて訳がわからなすぎてパニックだ。
そんな私を見かねたのか、はたまた面白がってか、目の前の美人さんは私の頭を撫でながらコロコロと笑っている。
「びっくりしたかしら?まあそうでしょうね。ごめんなさい驚かせて。でも大丈夫よ、ただ貴女に用があったから来たの。だから警戒しなくていいわほら、肩の力を抜いてごらんなさい」
そう言って彼女は私の肩を揉みは始める。
ガッチガチだった私は幾分か身体の自由を取り戻したがそれでも警戒は解けない。しかし、黙り込むのもあれなので一つ質問してみた。
「あの色々聞きたいんですけど、とりあえず貴女の名前を聞かせてもらえませんか?」
私が言葉を発したことに驚いたのか、それとも質問の内容が面白かったのか美人さんはニンマリと笑うと自分の名を教えてくれた。
「八雲紫よ。人間のお嬢さん。気軽に紫さんと呼びなさいな」
「わ、わかりました紫さん」
「ふふふ、良い子ね。私、良い子は好きなのよ?貴女はすこぶる良い子な子だから色々とお節介かけちゃいたくなるわ」
「良い子な子って。私もう22歳なんですけど」
確かに社会人としてはまだまだひよっこかもしれないが、良い子と言われる年齢でないことは確かである。
目の前の紫さんはカラカラと笑う。自分の冗談に笑っているのか、私の返答に笑っているのかは定かでない。
「そうなのね、人間のお嬢さんは22歳。それは立派な大人だわ。こっち側ならね」
「こっち側?」
「そう、こっち側。貴女は大人よ。人間のお嬢さん」
何なのだろう。さっきから引っかかる物言いをする人だ。
人間のお嬢さん・・・・
まるで自分が人間ではないような物言いを、、、
「そうよ」
「!?」
心を読まれた?
紫さんから柔和な笑みが消え、表情が無くなる。
空気が一変するとはこういうことを指すのだろう。
張り裂けるような静寂。目の前を覆う暗闇。そこに佇む謎の女性。
恐怖が私の体を包んで行く。
「どうしたの?人間のお嬢さん。もしかして私のことが怖いのかしら?だったら大丈夫よ。妖怪を前にした人間の正しい在り方だから、その感情はね」
「よう・・かい?」
「ええ」と紫さんは答えた。
自分のことを妖怪だと自負するのは普通じゃ考えられないし信じてももらえないだろう。しかし、この人は違う。いや、人ではないのだ。この妖怪を名乗る女性は確かに尋常じゃない空気を漂わせている。
だが、そんなものが何故私の前に現れるのだろうか。
不思議な力を持つわけでもない。霊感があるわけでもない。
あらゆる可能性を考慮したが、どれも私には当てはまらなかった。だとすると、妖怪が人間にすることなど一つしかないではないか。
それに気づいた私は・・・気づいてしまった私は恐る恐る、紫さんにその言葉を発した。
「・・・・私を食べるんですね?」
「・・・・・・ふふっ。ふふふふふふふふ!あはははははははははっ!」
やっぱりだ・・・、妖怪が人間にすること。つまり食事。
日頃から幻想に憧れてはいたが、こんな結末を迎えるなんて想像したことない。
身体から力が抜ける。
立つことさえ困難だ。
暗闇の中、こだまするように嗤う妖怪。
狂ったように声を上げる紫さんを目の前に、私は意識を失った。
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昔から幻想に憧れていた。
特にいじめられていたわけでもない。家族内の仲も良好。信頼できる友達もいた。何不自由無く過ごして来た。
それなのに、私は現実に満足できなかった。
いつも宙ぶらりんで、ふらふらと生きている。
現実に希望を抱かず。かといって絶望することもなく、ただただ幻想に憧れて空っぽに生きてきたのだ。
その幻想という曖昧な言葉が私の心を満たしてゆく。
魔法が使いたいとか、空を飛びたいなどの願望ではなく。ただ、その幻想に触れて、自分を委ねたい。
ただそれだけなのだ。
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「・・・うぅ」
何だろう。よく覚えてはいないが夢を見ていたらしい。
頭が重い。いや、目が重いのか、二日酔いのような感覚だった。
「ああ、やばい、今何時だろう。早く支度して出勤しなきゃ・・・怒られる」
ぼやきながら布団から出ようとした時、背後から声が聞こえた。
「ちょっとあんた。せっかくこの私が拾ってあげたのに何よそれ。出勤しなきゃってどこに行くつもりなのよ」
「え?」
振り向くと、そこにいたのは赤白の少女だった。
恐らく巫女服であろう(巫女服と呼ぶには些か露出の多い)ものを召した少女。白い肌に真っ黒な髪をリボンでまとめている。俗に言う美少女と呼ばれる類に入る顔立ちをしている。
しかし、それを台無しにする目つきの悪さである。
「何だんまり決め込んでいるのかしら?あいにく行き倒れた人間に構っているほど暇じゃないのだけれど」
強い口調。容赦のない物言い。
妙な威圧感のある少女だ。
しかし、言葉とは裏腹に彼女の背後には散乱したお菓子のカラ、飲みかけのお茶に読みかけの雑誌が放置されてある。
明らかにダラダラと過ごしていたであろう痕跡が随所に目立ってしまっていた。
「・・・・暇?」
つい、そんなことを言ってしまった。
「あ?何よ。あんた今私の後ろの部屋見て言ったわね?言っとくけど私の時間をあんたに使う暇が無いってだけで、私がどうダラダラ過ごそうと私の勝手でしょ。何か文句でもあるの?」
「いや、そんなことはありませんよ。むしろ貴女の言う通りだと思います。ところで、ここって一体どこなんですか?それに行き倒れって、私のことなんですか?」
「あんた何言ってんの?ここは博麗神社よ。この世界の人間なら誰でも知っているでしょうに。そして私がこの神社の巫女。博麗霊夢よ。知らないなんて言わせないわよ。寝ぼけてるんだったら顔でも洗ってきなさい」
「博麗神社?いや、すいませんわからないです。昨日会社から帰る途中に誰かに声をかけられたんですけど、記憶が曖昧で、気づいたらここにいたんですよ」
「確か、金髪でとても綺麗な女の人だったような・・・」
「・・・!!」
目の前の少女の雰囲気が変わる。
渋い顔になり、手を頭に当てながら、
「・・・・・なるほどね。そーゆーことかあのスキマ妖怪。昨日から見かけ無いと思ったら外界に行ってたわけね。そして連れ帰ってきたわけか。全く何考えてんだか」
「えっと、結局ここってっどこなんでしょうか。福岡市内なら今からでも仕事に間に合うかもなんですけど・・・・」
頭を抱え溜息をつく少女。もとい博麗霊夢は私の質問にまた頭を抱えていた。
変な質問はしたつもりはないのだけれど。
「とりあえず布団から出なさい。これから少し込み入った話をするから顔でも洗ってくるといいわ。えっと・・」
「あ、御崎奏亡と申します」
「はい、奏亡。私のことは霊夢でいいわ。とりあえずいいわね。私は部屋の掃除をしているから」
そう言うと霊夢さんはスタスタと向こうの行ってしまった。残された私はとりあえず彼女の言う通り顔を洗う為に洗面所へと歩き出すのであった。
・・・・・場所を聞くのを忘れてしまった。
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「いいかしら。早速だけどあんたの現状と、この世界。つまり幻想郷について簡単に説明するわ。それを聞いた上でこれからどうするか考えなさい」
「わ、わかりました」
正座で聞く体勢に。
ここは恐らく霊夢さんの私室。私室といっても先ほど散らかっていた部屋である。基本彼女はここで過ごしているのであろう。生活感がものすごく出ている。
霊夢さんはちゃぶ台に置いてある煎餅をかじりながら説明を始めた。
「まずここは幻想郷。幻想郷という世界よ。あんたたち言葉で言うなら異世界ってとこね。ただ、基本的にあんた達はこの幻想郷という世界を認知してないわ。向こうからは干渉できないし、干渉する手段もない。
「けれども、幻想郷はあんた達の世界を認知してるし、干渉だってできる。まあ、干渉するなんて一部の妖怪にしかできないからほぼないんだけどね、
「そして、この世界は人間はもちろん妖怪に幽霊、鬼や神様なんて者達が普通に、ごくごく平凡に存在する世界よ。そこがあんたにとって一番の問題になりそうね。
「私の知り合いの妖怪達はあんたに手を出すなてことはしないと思うけど、他の奴らがね。流石に絶対安全とは言い切れないわ。まあ、そん時はそん時よ。え?無責任なこと言うなって?知らないわよ、自分の身は自分で守りなさいな。
「あんたが妖怪に対してどう思ってるかなんて知らないけどね、少なくとも向こう側の常識が通じないことは確かよ。せいぜい妖怪と接して奴らのこと知っていきなさい。
「んで、この幻想郷には勢力図みたいなものがあるのよ。別に敵対してるとかじゃなくてね、ただ単に妖怪達が一緒に住んで暮らしてるってだけよ。この際説明をしちゃうから聞いときなさい。あんたの味方になってくれる奴らばかりだから。
「まずは紅魔館の連中ね。この館は妖怪の山のふもとにある湖の近くに建っているわ。この館の当主であり、連中のボスがレミリア・スカーレット。吸血鬼よ。レミリアを筆頭に妹のフランドール。メイドの十六夜咲夜。居候で魔法使いのパチュリー・ノーレッジ。その使い魔である小悪魔。そして館の門番を務める紅美鈴の6名で構成されているわ。
「こいつらとは過去に色々あったんだけどね。今では世話になってばっかりだわ。
「咲夜もあんたと同じ人間だしね。話も合うんじゃないかしら・・・1人だけ人間なのはなんでかって?それは咲夜本人に聞きなさい。私がどうこう言うことではないわ。
「次に白玉楼ね。この屋敷は冥界にあるのよ。主を務める西行寺幽々子っていう奴が霊体でね、加えて閻魔から死者の魂を管理する仕事を与えられているのよ。だから冥界にあるの。
「そこには幽々子とその従者である魂魄妖夢って子が住んでいるわ。ちなみに妖夢は半人半霊。白玉楼の庭師兼幽々子の剣術指南役よ。あんまし強くないけど。
「ま、妖夢はよくこの神社に遊びにくるからね。今度来た時に紹介してあげるわ。
「3つ目は永遠亭ね。ここは言うなれば幻想郷の病院みたいなとこね。人間妖怪分け隔てなく診てくれるわ。一応主人は蓬莱山輝夜ね。あんたたちで言う輝夜姫その人よ。引きこもりのニートだけれど、そして、永遠亭の主治医が八意永琳。その助手の鈴仙・優曇華院・イナバ。そして、そこに住み着いてる因幡てゐ。以上4人ね。
「あと、てゐ以外の三人は月からこの世界にやって来たわ・・・・何驚いてんのよ。さっきも言ったじゃない、輝夜はあんたたちで言う輝夜姫その人だって。
「怪我や病気になった言って診なさい。すぐ治してくれるわよ。たまに変な薬飲ませようとしてくるけど・・・
「4つ目は妖怪の山かしらね。あそこは天狗たちの縄張りかしらね。なかでも烏天狗の射命丸文には気をつけなさい。文々丸新聞とか言う嘘100パーセントの新聞の記者なんだけど、下手なこと言うと全て捏造されて記事にされちゃうから。
「ま、私も文以外とはあまり関わったことないからよく知らないわ。
5つ目は守矢神社かしらね。こいつらは信仰を集めるためとか言って幻想郷にやって来た奴らよ。表向きには八坂神奈子が祭神として居るわ。ただ、本当の祭神は洩矢諏訪子の方なのよね。なんか昔いざこざがあったらしいわ。詳しいことは知らない。
「そんでそこの巫女が東風谷早苗ね。一応同業者になるのかしらね。この子もよく神社に遊びにくるからその時話してみなさい。この子も元は人間だから通じ合うところもあるでしょう。
「一応最後に地霊殿ね。他にも勢力図的には残ってるのだけれども、それはまた今度にしましょう。
「で、地霊殿は幻想郷の地下にあるわ、言うなれば地底世界ね。ここには地上よりも凶悪な妖怪が多くてね、私もよっぽどのことがない限り行きたくない場所の1つよ。
「地霊殿の主人は古明地さとり。サトリ妖怪ね。相手の考えることが分かるってやつよ。その力のせいでちょっと色々あってね。なかなか地上に出てこないわ。んで、その妹の古明地こいし。こいつもサトリ妖怪なんだけどその力を嫌って封じちゃったの。そのおかげか知らないけど自分の存在を隠して行動できるとか言ってたわ。迷惑な話よね。
「あとは、烏天狗の霊烏路空と火車妖怪の火焔猫燐が住んでるわね。
「ま、ざっとこんなとこね。結構端折って説明したけど、こいつら覚えといて損はないから。
「質問がないなら、幻想郷については以上よ。オッケー?」
「お、おっけー・・・?」
オッケーどころではなかった。
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「えっとつまり、幻想郷は色んな妖怪が暮らしていて。その中でも中心に位置しているのが今の話の方々ということでしょうか?」
「まあそうかしらね。幻想郷には色んなのがいるわ。毎日毎日下らないことで喧嘩したり、騒いだりする奴ばかりよ。でも、基本的に害は無いわ。だって私が懲らしめてやったからね」
「懲らしめたって・・・霊夢さんも人間なのによくそんなことできますね」
「別に大したことじゃ無いわ。私は博麗の巫女よ、妖怪を相手にできなかったら博麗の巫女は務まらないわ・・・・でもそうね。私でも敵に回したく無い奴が何人かいるわね
「あのスキマ妖怪は別の意味で厄介だけれど・・・・そうね。風見幽香と・・・・旧都にいる星熊勇儀・・・かしら」
「風見幽香と星熊勇儀?」
「ええ、この2人に会ったらゲーム開始直後に魔王とエンカウントしたと考えなさい」
「それ詰んだってことじゃないですか」
「ええ、その通りよ。勇儀の方は地底にいるから会うことはまず無いでしょうけど、幽香はね、・・基本ランダムエンカウントだからその日の運によりけりよ。毎朝自分の運勢でも調べれば多少なりとも効果があるかもね」
「そこは結局運頼りなんですね」
まあ、会わなければいいだけの話だ。会ったこともない人に怯えてもしかたがない。とりあえず幻想郷については少しだけ理解できたので良しとしよう。
問題は次だ。
これから私はこの幻想郷という完全アウェーな世界でどうするか、どうしたら良いのか、この一点に尽きる。
「霊夢さん。幻想郷についてはある程度理解出来ましたけれど・・・私自身はこれからどうすればいいんでしょうか?」
「・・・・ま、そうなるわよね」
ぽりぽりと頰をかく霊夢さん。
「幻想郷に迷い込む輩は別に珍しくもないのよね。でもあんたは迷い込んだのではなく、連れて来られた。だからこそ、あんたを元の世界に返すことは現状難しいわ」
「あ、やっぱりそうなんですね」
「ごめんなさいね」と霊夢さんが笑う。
何故だろう。帰れないと聞いて特に驚きはない。寧ろまだいても良いのかとさえ思ってしまった。
ここが憧れの幻想だからなのか。
「となると、あんたはこれからどこに住むのかって話よね。そうね、みんなに声をかけみようかしら。人間1人受け入れるくらいどうってことないでしょ・・・・って、噂した向こうからやって来たみたいね」
「やって来たとは?」
「ほら、外を見てみなさい。まだ、日が昇っているのによくもまあ。日傘だけじゃ限界があるでしょうに」
霊夢さんに言われて外を見ると確かに人影が2人分見える。
背の高い影と低い影。
背の高い方が着ている服はどうやらメイド服らしい。その割には異様に丈が短い気もする。
「メイド服なのがさっき話した紅魔館のメンバーの十六夜咲夜よ」
「・・・あの方が・・・・ってことは隣にいるのが・・」
「そう。紅魔館の当主であり、夜を生きる眷族。吸血鬼のレミリア・スカーレットよ」
「あれが・・・」
幼い躯体。見た目だけなら小学生に見える少女だが、その背中からは真っ黒な翼が生えている。
明らかに人間ではない。まさか初めてみた妖怪が吸血鬼だとは、想像もしなかった。
ちょっと怖くなってきた。
「・・・あいも変わらず退屈そうね霊夢。私、この神社に参拝客が来るのを見たことないのだけれど。なんならお賽銭でも入れてあげようかしら?」
「うっさいわねこのロリ吸血鬼。お賽銭だけ入れてとっとと帰りなさい。でないと・・・紅魔館に夢想封印ぶっ放すわよ」
レミリアさんの冗談にドスの効いた声で返す霊夢さん。夢想封印とやらが何かわからないが、多分とんでもないものをレミリアさんの自宅にぶっ放すつもりなのだろう。
「お嬢様。あまり霊夢をからかわないで下さい。この巫女本気でやりかねませんので、もしそんなことになれば我が家は破産ですよ。にとりに頼んだとしても毎日の食事が豆だけになると思って下さい」
「ちょっと咲夜!冗談よ冗談!それに毎日豆だけは嫌よ私!せめて三時のおやつにケーキと紅茶は出してくれないと!」
咲夜さんの遠回しな脅迫に、レミリアさんから出ていた厳かな雰囲気が一気に消え去ってしまった。
まるで駄々をこねる子供のように見える。
こうして見ると年相応の少女なのだが、霊夢さん曰く彼女は吸血鬼。その片鱗を見ていない私にとっては信じ難い話である。
「・・・コホンッ。それで?この人間は何かしら霊夢。いつもの迷い人?それとも里の人間?どちらにせよ人間がここに来るなんて珍しいわね」
若干頰が赤いレミリアさん。
誤魔化すように話題を変えたが、誤魔化せていない。レミリアさんの後ろで咲夜さんがクスクスと笑っているのがその証拠。
「残念。そのどちらにも当てはまらないわ。今回はちょっと特殊でね、外界の人間ではあるけどしばらく幻想郷に滞在することになったのよ。ほら、奏亡。このちっこいのがさっき話した吸血鬼のレミリア。そしてそこのメイドが咲夜よ。挨拶くらいしときなさい」
「は、はい」
二人の前にぽいっと投げ出された私はごもりながらもレミリアさんと咲夜さんに挨拶をした。
不思議そうな目で私を見るレミリアさんと無表情の咲夜さん。
なんとも形容し難い反応だった。
レミリアさんがジロジロと私を観察するように見ている。しかし、何かに納得したのか、「ふーん、まあ深い事情があるなら聞かないでおいてあげるわ」とニンマリ笑ってくれたので少しホッとした。
「じゃあ、挨拶されたからには返さないとね。それが貴族としての礼儀よ」
レミリアさんが尊大な口調で言う。
背伸びした子供にしか見えないのは黙っておこう。
「私はレミリア・スカーレット。偉大なる吸血鬼にして紅魔館の主よ。覚えておきなさい奏亡。そして光栄に思いなさい。人間である貴女がこのカリスマ吸血鬼たる私に出会えたこと自体が幸運・・・そのことを肝に命じてこれから生活なさいな・・・・ほら、咲夜。貴女も自己紹介なさい」
「・・・初めまして。私の名は十六夜咲夜でございます。主に紅魔館でレミリアお嬢様のお世話を致しております。特技は時を止めること。趣味はお嬢様をからかうことでございますわ。以後お見知りおきを」
「ちょっ、咲夜!?」とレミリアさんが咲夜さんに抗議。尊大な自己紹介をしたレミリアさんが形無しだった。
・・・・ってあれ?特技が時を止めるって?
「霊夢さん?今咲夜さんとかを止めるって・・・」
わたしの反応を見かねた霊夢さんが面倒くさそうに説明してくれる。
「あー、奏亡。あんたには言ってなかったけど、幻想郷の連中は一つ能力を持ってるのよ。あんたの世界で言う超能力的なやつね。まあ、ここじゃ普通だからあんま気にしなくていいわよ」
「ここじゃ普通って・・・普通に凄いこと言いますね霊夢さん」
「だって普通だものね。別に能力があるからってなにも変わんないわ。さっきも言ったけどレミリアも咲夜も私の知り合いだから安心しなさい。こいつらがあんたに危害を加えることはないっての」
「あ、はい」
なんとも間抜けな返事をしてしまったものだ。
現実じゃありえないことを聞いても平静を保っている自分に少しばかり驚きを隠せずにいる。
恐らく実感が湧かないのだろう。
レミリアさんの背中の翼にも未だに飾りではないかと思ってしまうくらいだ。触ってみたくはあるが怒らせてはまずい気がする。
そんなことを考えていたが、ふと視線に気がついた。
気がついたというよりは、いつの間にか目の前に咲夜さんがいるのだ。
無表情でじーっと私の顔を覗き込んでくる。
近いなぁ・・・。
「・・・・・・」
「えっと、すいません近いです近いです」
オタオタと後ろに下がる。びっくりするなぁ。
「・・・・・」
「・・・えー」
ありのまま起こったことを話す・・・いやいや、端的に言おう。
また咲夜さんが眼前にいた。
距離もさっきと同じ至近距離。わたしはちゃんと後ろに下がったはずなのに。
いくら、女同士とはいえ眼前にこんな美女がいれば自信を喪失してしまいそうになる。
それに良い香りもするし。
霊夢さんもレミリアさんもそうだが、みんな美人なんですよねー。
「・・・・あの、咲夜さん。いくら私が女でも咲夜さんのような美人な方が眼前に迫られるとちょっと変な気分になると言いますか、恥ずかしいのでちょっと離れていただけませんか?」
「ありがとうございます」
「はぁ、どういたしまして」
「・・・・・・」
「・・・・・・霊夢さん」
どうにもならなそうなので霊夢さんに助けを乞うことにした。
よくわからない人です咲夜さん。
「咲夜。あんましその子をからかうのはよしなさいな。まだ幻想郷に来たばかりの子になにしてんのよ」
「そうよ咲夜。貴方がなにを試したいかは大体想像がつくけど、自分の勝手な先入観でその子を困らせるんじゃありません。貴方の悪い癖よ・・・・それに、その子。全く怖がらなかったじゃない」
背後からの二人の声を境に咲夜さんは一歩後ろに下がった。距離が離れる。
「申し訳ございません、奏亡様。不快に思われたならば謝罪致します」
ぺこりとその場で頭を下げる咲夜さん。
「いや、不快というよりはちょっと驚いただけです。それよりとってもいい香りしました咲夜さん。良いシャンプー使ってるんですねー」
「・・・・・」
咲夜さんが少し驚いたりような顔をした。
いきなり良い香りがしたとか言ったから変に思われたのかな。とりあえず謝っておこう。
「あ、すいません変なこと言っちゃって。初対面の人に言うことじゃなかったですね、あはは」
「・・・いえ、とんでもございません。宜しければ今度是非屋敷までいらしてください。わたくしが使用しておりますシャンプー等をお教え致しますので」
その時、咲夜さんはさっきまでの無表情ではなく。にっこりと嬉しそうに微笑んでくれた。
なにが嬉しかったのかわからないけど、喜んでくれたなら私も嬉しい。
「はい。ありがとうございます」
よくわからない咲夜さん。まだ出会って数分の人。
それでも、よくわからない世界でも微笑んでくれる相手がいるということは結構幸せなことなんじゃなかろうか。
そう。思った私でした。