儚く
次の日の朝、目が覚めた。
時計を見ると、朝の9時。
俺にとっては早すぎる起床時間だが、まあこんな日もあってもいいだろう。
久しぶりに清々しい朝を迎えた気になった。
窓の外を見ると今日も変わらずに天気が良い。
もうすぐ咲が来るだろう。
何時からか咲と遊ぶ時間も悪くないと思うようになっていた。
今日は何して遊んでやるか。
期待を胸に、あの元気な声が聞こえてくるのを待った。
それから1時間ほど経過した。
――おかしいな。昨日咲が遊びに来ると言ったのに来ていない。
大人気なく子供相手に勝ちまくってたから嫌われたのだろうか。
俺は少しがっかりしていた。
それからしばらくして、看護師が昼食を運んできた。
「あの、咲さんはどうしたんですか?」
すると、看護師さんは少し、険しそうな顔をして言った。
「実は昨日の夜から病態が悪化しています」
その言葉を聞いて、体中から血が引いていく気がした。
まさか――
「部屋はどこですか?」
「109号室です」
俺は急いで部屋をあとにした。
109号室の個室の部屋のドアをノックもせずに、勢いよく開けて入った。
「咲!!」
「まぁ! 誰ですか? あなた。ノックぐらいしなさい」
「すいません。俺は朝比奈 蒼です」
「蒼さん……」
その人は小さい声で呟いた。
「貴方ね?咲と遊んでくれていた人は」
「は、はい」
「咲は貴方の話ばかりするのよ。とっても楽しそうに。咲のあんな顔は久しぶりに見たわ。本当にありがとうね」
「い、いや。俺は大したことしていないです」
俺はベットで寝ている咲の元へと向かう。
すると、咲はつらそうに酸素マスクをつけられて、息を荒げながら寝ていた。
「咲さんのお母さんですか?」
「えぇ。そうよ。この子は昔から体が弱くてね……」
「何の病気なんですか?」
「肺炎で、4年ほど前から入院しているわ」
こんなに小さな子供が4年も前から病気と戦っていたのか。
咲のお母さんは、ちいさく咲に声をかけた。
咲は薄く目を開けると、俺を見てニッコリと笑った。
「おい、咲。大丈夫か?」
「蒼、お兄ちゃん。今日も、今日も、遊びたいけど、体が動かないんだ」
小さな体で声を振り絞って言った。
その今にも消えてしまいそうな細く小さな声を聞いて、急に目頭から熱い感覚が伝わる。
何か今まで俺の中でせき止めていたダムのようなものが一気に崩壊したような気がした。
「俺が、俺がいっぱい遊んでやる! いつでも、好きなだけ。咲が治ったら、外でも、どこへでも遊んでやる。咲がしたいこと全部俺が付き合ってやる。だから、頑張って治せ!一人の時はそばにいてやる。だから……」
だから……。言葉が出なかった。
彼女の前でこの俺が、生きろなんていう資格はない。
何故なら……
――自殺未遂で入院しているからだ。
俺にはこんなことを言う資格はない。
何も言えずにいる俺に、咲は声をかける。
「ありがとう。これ、あげる」
そういって彼女は手に握っていた、銀色のブローチを俺に渡してきた。
「これは?」
「昔の、友達に、もらった、ブローチ……」
俺は彼女の弱々しい手を握り、受け取った。
「お兄ちゃん、本当は、死のうとして、失敗して、入院したん、でしょ? 前に、看護師さんが、話していたの……聞いた。お兄ちゃん。退院しても、死な、ないでね。咲はね、お兄ちゃんに、ずっと、生きてほしい」
涙が頬を伝って床にポトリと落ちた。
込上げてくる訳のわからない感情。
複雑に、複雑に絡み合って、渦を巻く。
「違う! 俺なんてなぁ。生きる価値がないんだよ!! 毎日が暇で、退屈で、高校卒業後にすぐ会社クビになって、それから毎日クソみたいな生活をしてきたんだ! こんなクソみたいな俺がノロノロと生きてるのがおかしいんだよ!」
俺の必死の叫びが部屋中に響いた。
そもそも俺が何を言っても説得力なんか皆無だ。
だけど……。だけど。
「駄目、だよ。命はねぇ、大事なんだよ。だから蒼、お兄ちゃんには、ちゃんとね、生きてほしい」
「分かったから! 退院したらきちんと生きる。だからまた俺と遊ぼう。遊んでくれ。お願いだ。だから生きてくれ」
それを聞いた咲はニカっと笑い、やがて目を瞑った。
どうやら意識を失ったようだ。
約束、しただろう? 咲…………。
それから4時間後、咲は意識を取り戻すことなく、小さな命はそこで絶えた。
同時に初めて見る医師と、何故か橋本もやってきた。
「朝比奈君。この世はね、不条理なんだよ。生きたいと思う者ほど簡単に息を引き取り、君みたいに、死にたいと思っていた者ほど無残に生き続けるんだよ。あなたはまだ21歳だ。まだまだ若いし、先も長い。生きていれば、なにかきっといいこともあるさ。どんなに辛いことがあっても生きてさえいれば、報われる日も来るかもしれない。亡くなった咲さんの為にも生きてくれないだろうか」
「――すみません。……すみません」
涙を流しながら橋本に謝った。
数日が経過し、俺は無事に退院した。俺は咲のために生きなければならない。
久しぶりの自宅。
とりあえず、身の回りの片付けをした。溜めていた洗濯物を洗い、Yシャツにアイロンを掛ける。
それからスーツに着替え、少し多めの整髪料で髪をセットする。
「よし!」
扉を開け、太陽の日差しを浴びる。
今日も天気がいい。
最初は小さく1歩、2歩と。
やがて大きく歩き出す。
その手には銀色のブローチが握られていた。
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