【現】6.手紙(後編)
雨脚は昼を過ぎても衰えず、昼食は教室で食べることにした。
「雨止む気配ないね。すっごい降ってる」
香織は窓から見える暗く黒い雲を恨めしそうに見つめている。どんよりとした雲は大粒の雨を降らせ、昼とは思えないほど世界を暗くしていた。
「この調子だとクラブはないなぁ。ま、別にいいんだけど」
教室には天気のせいもあるのか、人が多かった。いつも教室にいないため普段がどういう状況なのかわからなかったが、ざわざわと騒がしい。と、そこへ一人の生徒の声が響いた。
「静山さーん。お客さんがきてるよ!」
声がする方を見てみると、その生徒がこちらを向き手招きをしていた。
「誰だろう。ちょっと行ってくるね」
「あ、私も行く!」
今朝の手紙のことが過ぎり、香織のあとを追った。
行ってみると、ドアの向こうに眼鏡をかけた一人の男子が立っていた。見覚えがない人だった。
「あの……静山ですが、なんでしょうか」
香織の後ろからこっそり覗いた。ぽっちゃりとした体型に、分厚い眼鏡。小奇麗とは言いづらいボサボサの頭。……あまり良い印象とは言えない。どうやら香織もこの人のことを知らないようだった。その人は深呼吸をすると、堰を切ったようにしゃべりだした。
「ぼ、僕は三年一組の新拓政二と言います!初めまして!お、お食事中すいません。し、静山さんを初めて知ったのは学校成績の順位が発表されたときでした。こ、こう見えても僕は三年のトップなのですが、ふと二年のトップが女性であると知りました。す、少し気になって、先日このクラスを覗いたところ偶然静山さんを見かけました!ひ……ひ……一目ぼれです!付き合ってください!」
いきなりの告白に、私も含め教室にいたみんなが一斉に驚きの声を上げた。大声でしゃべったせいもあり、クラスのみんなに筒抜けだった。騒がしかった教室が余計に騒がしくなった。私も驚きのあまり声が出ない。会ってそうそういきなり告白というのは見たことがなかった。当の香織本人も、目をぱちくりさせ驚いている。
「あ、あの。急に言われても……」
「あ。す、すいません!一応今朝伺うといった内容の手紙を静山さんの下駄箱に入れたのですが……」
「えっ」
香織と私が同時に反応した。
――今朝……手紙……下駄箱……男。私が見た下駄箱で手紙を入れてたやつって、もしかしてこいつ?
そう思うと、香織の後ろからその男の前に出た。そいつはいきなり現れた私にびくっと驚いた表情をした。
「な、なんだよ。って君誰?」
「新拓さんでしたっけ。私、香織の友達の木元って言います」
そう言い、新拓の胸座を掴んだ。
「ちょっと、お聞きしたいことがあるので来て貰えますか?」
「ら、らむ。ちょっと乱暴なんじゃ……」
「ごめん、香織。ちょっと用事ができた。先にご飯食べてて!」
文句を言う新拓を半ば無理やり下駄箱のところへと連れて行った。
行く最中も喚いていたが、気にしなかった。廊下を歩いているとちらちらと見られている気がした。が、視線など気にせず下駄箱へと着いた。外が大雨のせいか誰もいない。下駄箱の屋根のトタンに打ち付ける雨の激しい音が鳴り響く。
「……一体何なんだ!君、静山さんの友達かなんだか知らないけど失礼じゃないか!」
私から解放された新拓は顔を真っ赤にして怒鳴った。捕まれ乱れた制服をきちんと直している。
「どっちが失礼なのよ!私今朝見たのよ、新拓さんがうちのクラスの下駄箱で何かしていたのを!」
「み、見ていたのか」
新拓の顔がますます真っ赤になり、耳まで赤くなっていく。が、そんなのお構いなしに続けた。
「一体どういうつもりであんな手紙書いたのよ!なにが付き合ってください、よ!香織のこと馬鹿にしてんの!」
「な、中身まで見たのか。き、君最低だな!」
「どっちが最低よ!」
向こうは恥ずかしさで顔を真っ赤にし、私は怒りで目の前にいる新拓に殴りかかりそうだった。と、そのとき低く聞き覚えのある声が私を呼んだ。
「木元!……おまえ、でかい声出して何やってんだ」
見ると池口だった。呆れた顔をしながら歩み寄ってきた。
「今、あの手紙を出したやつを問い詰めてたのよ!」
「手紙……。静山さんのやつか」
じろりと池口が新拓を睨みつけた。新拓よりも池口の方が背が高く、上から見下ろしているような形になっている。見るからに殺気を出している池口に怖気づいたのか、新拓は一歩後ずさりをした。
「あんた、なんであんな手紙書いたんだ。確かあんた……三年の成績トップの人だろ。頭でっかちで常識がねぇのか」
怒鳴り声ではないものの、どこか人を威圧するような凄みのある言い方だった。私が見ても相当怒っているとわかる。
「……さっきから一体君たちは何なんだ!僕がラブレターを書いたことがそんなに失礼なことなのか!」
「失礼もなにも、ラブレターで『バーカ』『死ね』って書くやつがどこにいんだよ。それともあんたにとってこれが……」
「な、なんだそれは」
さっきまで大声を上げていた声が、力が抜けたような萎んだ声で言った。
「ぼ、僕はそんな内容の手紙は身に覚えないぞ。僕は今日の昼休憩に教室へ伺うっていう内容しか書いていない」
「……あんた、白を切るつもりなのか」
というと池口は新拓の胸座を掴んだ。力が相当入っているようで、制服のシャツに何本もの皺が入っていた。新拓の顔も苦痛で歪んでいた。
「ちょ、ちょっと!池口やりすぎだって。……書いていないってあんたの白い手紙は私もこいつも見てるのよ」
池口から解放された新拓は苦しそうに咳き込んだ。掴まれていたシャツはぐしゃぐしゃになっている。息を整えながらシャツを直す新拓は苦しそうに言った。
「ぼ……僕の手紙は、白じゃない。……青だ」
その言葉に私と池口は驚きを隠せなかった。なぜなら私たちが見た手紙は青ではなく、白の手紙だったからだ。一体どういうことなのか、目が泳ぎ考えがまとまらない。
「本当に青の手紙だったのか。白じゃないんだな!」
「ほ、本当だ!」
ずれていた眼鏡を直している。この真面目そうな新拓が嘘をついているようには見えない。別の手紙だとするなら、さっきの告白も頷ける。
「君たち、さっきの『バーカ』『死ね』っていう手紙、まさか静山さんにきたのか?それでこの僕を疑ったのか」
怒りなのか、握りこぶしがぷるぷると震えていた。
――私めちゃくちゃ失礼なことを言ってしまったのでは……。
はっと気づいた私だったが、今更言ったことを取り消せない。意を決し頭を深々と下げた。
「ご、ごめんなさい!私今朝新拓さんが下駄箱に手紙を入れているところを目撃して、それで、疑ってしまいました!本当に本当に……ごめんなさい!」
殴られるのも覚悟した。が、何も言ってこないし何もしてこない。ちらっと顔を上げてみると、歯を食いしばっていた。明らかに怒っている。今にも殴りかかってきそうだ。目をつぶり、拳骨が落ちてきても痛くないように身構えた。が、拳骨も罵声もなく、ただ大きなため息が頭上から聞こえてきた。
「……もういいよ、顔を上げてくれ」
恐る恐る顔を上げると、頭をぐしゃぐしゃと掻いている。ぼさぼさだった髪が余計にぼさぼさになった。
「疑われたのは心外だが、事情を聞いてしまった以上怒るのも怒れないだろう。その事情が静山さんに関わることなら、なおのことだ。……木元さんだっけ、君も静山さんが心配で僕に疑いをかけたんだろ?だったら気にするな。だが、もう少し僕の話も聞いてほしかったな」
「すいませんでした!」
私は改めて頭を下げた。
「そ、それに告白してる最中を邪魔してしまって……」
そういうと新拓の顔が再び真っ赤になった。
「あ、いや、いきなり告白した僕も僕だったんだ。ま、また日を改めてするよ……じゃ、じゃあね」
逃げるように下駄箱から去っていった。黙って様子を見ていた池口が、その背中をじーっと見つめていた。
「ねぇ。新拓さんの手紙がすり替えられてたって考えるのが自然よね」
「え、あぁそうだな。……こうなると誰がやったのかますますわからなくなったな」
「いや……」
ふと頭の中に顔が浮かんだ。
「私、怪しい人知ってる」
「え。誰だよ、それ」
びっくりしたような顔で池口は私を見てきたが、私は答えなかった。黙って教室へと戻った。戻ると香織には手紙のことは言わずに、なんとか説明をした。私の説明を素直に聞いてくれた香織は告白されたときの心境を話してくれた。少し顔を赤らめて説明する香織に思わず笑ってしまった。本当に素直で純粋な子だと思う。こんな香織をなぜ嫌がらせの対象にするのか、なんとなくだがわかっている。が、直接本人の口から聞きたい。しかし、その人であるという確信がなかった。
夕方になっても雨脚は弱まることはなく、結局クラブは休みとなった。私は寄り道することなくまっすぐ家に帰った。
家での用事を早々に済ませ、日が落ちていなかったがベッドに潜り込んだ。
『手伝います』
目を閉じると、その言葉が蘇ってきた。本当に手伝うのか、どう手伝うのかわからなかったが、藁にもすがる思いで眠りについた。