【現】5.手紙(前編)
今日は朝からバケツをひっくり返したように雨が降っていた。当然クラブの練習は中止になり、各自自主練となった。そのことを知らなかった私は、いつものように早く学校についたため教室でぼーっとしていた。
――だれか連絡してくれればよかったのに。
思わずため息をついた。八時にもなっていなかったためか、教室には私をいれて三、四人しかいない。暇だったのでジュースを買いに教室を出た。
どの教室も人が少ないのか、話し声さえ聞こえてこない。いつも騒がしい学校が嘘のようだ。物静かな廊下を歩いている最中、にぎやかな声が階段の下のほうから聞こえてくる。
「……って誰が言ってたの聞いたんだけど」
聞き覚えのある声だ。
「マジで!めっちゃウケる!」
これも聞き覚えのある声だ。
「美加、声が大きいって!めっちゃ響いてるじゃん」
この大きな声も聞き覚えがある。
――この声の主は……もしかして、あの三人組かな。
階段を降りていくとその三人組にばったりと会った。私と会うと三人とも驚いた表情をした。
「うわぁ、木元さん!おはよー。めっちゃ早いね!今日もクラブがあるの、大変だねー」
髪をうっすらと茶髪に染め、肩まで伸びる髪に軽めのパーマをしている。スカートを短くし、ひざ上十センチぐらいまで上げている。私より二周りくらい大きなバストで、すこし制服がきつそうだ。グロスをつけ、ふっくらとした唇でにっこりと笑うこの女の子は、亀田冷子さん。色気がにじみ出ている人だが、クラスの女子の学級委員をしている。
「おはよ。いや、さすがにこの雨だとないよ」
苦笑いを浮かべると、冷子さんの左隣にいた長髪でストレートパーマをかけた女の子が間髪入れずに口を開ける。
「マジでぇ。じゃあなんでこんなに早くいんの?」
この女の子は、山田美加さん。
一重で口調が少しきつい印象があるため、私は怒られている感覚になるときがある。風紀委員をやっているのでなお怖い。
「……誰も連絡くれなかったの」
「うっわ、マジで。それ最悪じゃない」
三人組の中で一番声が低い、この声の主は江口未希さん。たれ目で少しぽっちゃりしている。いつも髪型はおだんご頭で、この江口さんと山田さんと一緒に風紀委員をしている。
「でも、クラブなくなってラッキーだねー。じゃ、またあとでねー」
かわいい笑顔で亀田さんが手を振った。
「うん。じゃね」
手を振り返すと、早々と階段を上り始めた。冷子さんの左右ぴったりに二人もついて行っている。この三人はいつも一緒だ。
私も、自販機へ再び歩み始める。
自販機はいつも昼食時間に行くベンチのすぐ近くに設置してある。教室からは少し離れた場所になってしまうが、良い時間潰しになる。目当てのジュースを買い、ペットボトル片手に教室へと戻っている最中、クラスの下駄箱でおかしな動きをしている男子を見つけた。何か下駄箱の中に紙を入れている。
――ラブレター?あれ、でもあそこってうちのクラスだよね……。ま、いいか。
大して興味もなかったので、そのまま教室へと戻った。
戻ってみると、さっき会ったあの三人組はいなかった。代わりに、池口がぼーっと外の様子を眺めていた。時刻は八時十分。ちらほらと人が教室へと集まりだし、ざわざわとし始めていた。
「おはよ。やっぱり野球部も今日練習なかったんだね」
窓の手すりに寄りかかりうつぶせになっていた池口は、私の声に反応し顔だけこちらを向いた。
「おはよう。こんなどしゃぶりであるわけないだろ。筋トレだけで早く終わったよ」
そう言うと再び外に顔を向けた。特に池口と話すこともなかったので、自分の席へと戻ろうとした。
「なぁ、静山さんのノート、あれどういうことだよ」
思ってもない言葉に足を止めた。
――そういえば、こいつ香織のノート見てたんだった……。
あの驚いていた顔が浮かんだ。たまたま池口は見ていたのだ。すぐに振り返り、池口の隣に歩み寄った。
「……あんまり大きな声で言わないで。香織すっごく気にしてるんだから。誰がやったのかわからないけど、悪質な嫌がらせみたい。昨日そのせいで元気なかったんだから……」
小さな声で言うと、誰か聞いていなかったか周りを見渡した。幸いにも聞いている人はいなさそうだ。
「このことを誰にも言わないで。香織、みんなを信用していないみたいだから」
「……みんな?それって俺も含まれてんの?」
池口は寄りかかっていた手すりから身体を離し、自分の席へと座った。
「さぁ……とにかく、誰にも言わないで」
「わかったよ。誰にも言わない」
そう言うと池口は机に顔を伏せた。すると、丁度タイミングよく香織が教室へと入ってきた。見ると、手にかばんのほかに手紙を持っている。
香織が教室に入ると、教室にいたほとんどの人が香織に向かって声をかけた。香織は声をかけてきた一人一人に挨拶をし、変わりない笑顔を見せた。香織がいると空気が華やかに見える。普段、朝の教室にいない私にとっては珍しい光景だった。
「あ。おはよ、らむ。今日はさすがのソフトボールも、この雨じゃ練習なかったのね」
「おはよ。うん、ないない。……ところでさ、その手に持ってる手紙はなに?」
香織は机の上にかばんを置くと、その手紙を私に渡してきた。
「これ、下駄箱の中に入ってたの。でも、昨日の今日だから開けづらくて」
下駄箱に手紙、というワードで、先ほどの下駄箱の怪しい動きをしていた男子をふと思い出した。
「さっきうちのクラスの下駄箱で、手紙を入れてた男子がいたよ。これ、その人からのラブレターじゃない?」
「え、そうなの?」
「ほらっ開けてみようよ」
手紙を香織へ返そうとしたが、香織は手を横に振りそれを拒否した。
「いいよ。らむ代わりに開けてみて見て」
「それじゃあ」
白く四角い手紙の封を切り、紙を取り出した。紙は二つに折りたたんであった。香織も気になる様子で、私が取り出した紙をじーっと見つめている。隣の池口は、いつの間にか顔を上げひじをついていた。
「人のラブレターなんてはじめて見るなぁ。ま、さっそく……」
頬が緩みつつもぺらっと紙を広げた。が、私の予想とは反した。
「なっなにこれ!」
ラブレターではなかった。その紙には大きな字で二言書いてあった。
『ばーか!死ね!』
驚きのあまり言葉が出てこなかった。なぜ香織にこんな手紙を出すのかという疑問とともに、罵られた香織を思うと悲しくなった。
「どうしたの……?なにが書かれてあったの?」
香織が不思議な顔をし、紙を覗き込もうとした。私は慌てて紙を手紙の中へしまいこんだ。
「な、なんでもないよ!……すっごくくだらない文章だったからさ、ちょっとびっくりしちゃった。こんな手紙、香織が見るまでもないよ」
「え。そうなの?……どうしたの、なんか目が潤んでるよ」
ショックのあまり涙がこみ上げてくる。必死に堪えた。堪えても言葉が出ない。どんな顔をすればいいのだろう。こんな言葉を書かれた手紙を知って、香織の前で笑顔を作れるわけがない。私は目を伏せ、なにか良い言葉を探そうとした。すると、隣に座っていた池口がいきなり立ち上がった。立ち上がったと思った途端、私が手に持っていた手紙を奪い取った。
「ちょ、ちょっと!」
奪い取った手紙からすぐさま紙を取り出し、文面を見た瞬間池口は驚きの表情を浮かべた。
「池口くーん。今日は野球部なかったんだねー。おはよー」
と、どこからともなく池口の後ろから亀田さんの声が聞こえた。にっこりと笑う亀田さんの横には、山田さんと江口さんもいる。
「あれー、その手紙なにー?もしかしてラブレター?」
「……なんでもねぇよ」
覗きこもうとした亀田さんだったが、池口がその紙をびりびりに破った。思わず私と香織があっと声を上げた。破った紙をぐしゃぐしゃに丸めた池口は、顔だけこちらを向けた。口元を緩め、落ち着いた声で言った。
「静山さん、ほんとくだらない文章だった。それに差出人が書いてない手紙なんて気持ち悪いでしょ。これ、俺が処分しておくよ」
そう言うと池口は教室を出て行った。私は池口が手紙を処分してくれたことに内心ほっとした。
「香織ちゃん、おはよー。木元さんとはさっき会ったよねー」
「あ、おはよ。亀田さん」
その場に残っていた三人組が声をかけてきた。香織は笑顔で挨拶をした。
「さっきの手紙って、なんなのかなー。池口くんほんともてるよねー」
「あ、今の手紙は私の下駄箱の中に入ってたの。私は見てないんだけど、らむが言うにはくだらないことが書いてあったみたい」
「くだらないこと?ふーん。そっかー」
亀田さんはにっこりと笑顔を作った。横にいる山田さんと江口さんはじーっと私を見てきた。なぜか威圧感がある。
「ほんと静山さんてかわいいよねー。頭もいいし、スタイルもいいし、人気者だよねー」
「そんな……。亀田さんのほうがすっごく色っぽくて、学級委員までやっててすごいなぁて思うよ」
「ほんとーありがとー。池口くんも学級委員やってるから私もやろうかなぁって思っただけなんだけどねー」
ふふと笑う亀田さん。
「池口くんてかっこいいよねー。私アタックしちゃおうかと思ってるんだけど、静山さんどう思う?」
「え……。いいと思うけど」
「わぁうれしー。静山さんが応援してくれるなんてー。今度一緒に遊ぼうねー。じゃねー」
手を振り、去る三人組に私と香織は手を振った。
「……香織にしか話振ってくれなかったね。というか、池口のために学級委員やるとか……よくやる」
「亀田さんって池口君のこと好きなんだね」
外は相変わらず激しく雨が降り続いていた。