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【現】24.一人の少女

 ママレードを出て横断歩道を渡った先の歩道に、見覚えのある後姿を発見した。少し毛先をカールした薄茶色の髪をなびかせながら、堂々と歩いている。その背中を全力で追いかけた。

 息を切らしながらも追いつき、その腕を掴んだ。びくっとし振り返ったその顔は、予想通り亀田さんだった。

「な……なによ、いきなり!」

「……まっ……まだ……話があるわ」

 一気にダッシュしたためなのか、無我夢中だったためなのか息が苦しい。片方の手で亀田さんの腕を掴みつつ、荒い呼吸をなんとか整える。

「うざい!離してよ!……もうあんたとは関わりたくない!」

 必死に私の手を振り解こうと華奢な腕を上下に振っているが、それぐらいの力では私の腕力には勝てない。私はグッと力を入れ、その振り回す腕を無理やりやめさせた。

「私もこれ以上ごちゃごちゃしたくないよ。だけど、このままだと気持ちがもやもやして、治まらないの」

「そんなの私が知るわけないわよ!勝手にもやもやしてなさいよ!」

「だから!今から亀田さんと池口を会わす!」

「……はぁ?」

 思いもしなかった言葉なのか、呆れた目つきに口を半開きにしている。力の抜けた腕をそのまま引っ張った。

「ほら!学校に戻るわよ!」

「ちょ、ちょっと!あんたふざけてんの!」

 一回引っ張ったらこっちのものだ。バシバシと身体を叩かれたが痛くない。無理やり亀田さんを引きつれ学校へと足を進めていく。


 何度も足を止められたせいで、学校についた頃には日が落ちていた。それでも再び校門をくぐる。校門を抜けたせいなのか、諦めたように足掻きをやめていた。代わりに機嫌を損なったようで、私と目を合わせようとしない。視線を下げ、ぶすっとした顔をしている。

「さ、野球部の部室を張るわよ」

 しかし、そんな顔されようがここまで来たのだから私も引くわけにはいかない。力の入っていない亀田さんの腕を引く。亀田さんは無言で私に引かれるまま歩き出した。

 野球部の部室は、ソフト部とグラウンドを挟んで反対側にある。野球部の部室がある建物はプレハブのようなものだった。一階は野球部が使う道具やトレーニング室となっていて、その二階が部室だった。薄暗い中、部室を見てみるとすでに薄明かりがついていた。

「今日は早めに終わったみたいね。もうそろそろ出てくるよ」

「……いい加減離してくんない?」

 亀田さんを見ると無愛想な顔で、掴まれている腕を見ていた。確かにもう腕を握らなくてもいいかもしれない。そう思い手を離すと、その腕にはくっきりと私の手の跡が残っていた。

「あ!ご、ごめん!……痛かった?」

 亀田さんは無愛想な顔を崩さず、掴まれていた腕の部分をさすっている。返事を待つが、亀田さんは私を見ようともしなかった。嫌な沈黙だけが流れる。居たたまれなくなり、私は口を開けた。

「あのさ……私、一度それだって思うとそれしか考えられない人なんだ。池口と香織のことも……ずっと二人しか見てなかった」

 亀田さんは相槌を打つこともなく、かばんの中から小さな鏡を取り出した。その鏡を見て髪形を直し始めた。私は構わず続けた。

「亀田さんの話を聞いて、素直に申し訳ないって思った。だけどだからって、香織に対して嫌がらせしたことや、私に嫌がらせしたことをチャラにするっていうのはできないよ。だから私も亀田さんに謝るつもりはない」

 亀田さんはポケットからグロスを取り出し、丁寧に唇に塗り始めた。

「私を嫌いになるのは別に構わない。だけど、もう香織を困らせないであげて。だから……今池口と話して……気持ちに区切りをつけてほしい」

 私はしゃべっている間ずっと亀田さんを見つめていた。一方亀田さんは、グロスを塗り終えようやく私の顔を見た。ぱっちりとした目が私を凝視する。

「あんたって異常なほどお節介で強情ね。マジうざい。それに、区切りをつけるかどうかなんて私が決めることでしょ。あんたが勝手に決めないでくれない?」

――た、確かに……。

 その言い分に反論できず思わず目を逸らした。するとその様子に満足したのか、亀田さんがふんと鼻で笑った。

 野球部の部室の方からガチャというドアが開く音が聞こえた。一斉にそちらを向いた。開いたドアから出てきたのは、背の高い坊主頭だった。薄暗い中目を凝らして見た。ドアを閉め、こちらを向いた顔は池口だった。池口は私たちのことに気づくことはなく、階段を降りて、こちらへ向かってくる。

「……あれ、なんでお前がここにいんだよ」

 ふと顔を上げた池口がようやく私に気がついた。私を見たあと、視線を横に移すとさらに驚いた顔をした。

「……亀田まで。何してんだ、ここで」

 私は池口の前まで走っていくと、池口の腕を掴み亀田さんから背を向けるように身体を回した。

「なんだよ」

「……あんた、香織のこと好きよね?」

 ささやく様に小声で耳打ちすると、呆れたような目つきで私を見てきた。

「いきなり何言ってんだ」

「いいから。好きなのかどうか答えて」

「んなもん……付き合ってるから当たり前だろ」

「当たり前ってなに?はっきり言って」

 じっと池口の顔を見ると、半ば諦めたようなため息を漏らしぼそっと池口は言った。

「うっせえなぁ……。好きに決まってるだろ」

「よし!よく言った!」

 バン、思いっきり池口の背中を叩いた。強かったのか、池口は前によろけた。が、私はそんな池口を気にせず、亀田さんの元に走った。

「……池口くんに何言ったのよ」

「いや、別に。……私は退散するから」

 私は持っていたかばんを肩から提げた。亀田さんはなぜか驚いた表情を浮かべている。

「はぁ?なによそれ」

「……んじゃ、ごゆっくり」

 私は逃げるようにその場から走り去った。池口の気持ちを信じて、亀田さんと二人っきりにさせた。きっと私がいないほうが、亀田さんもしゃべりやすいはずだ。しかし、校門まで走ってきたもののやはり気になる。私は校門から出てすぐに立ち止まった。


   ◇   ◇


 薄暗いグラウンドの片隅。すっかり日は落ち、昼の騒がしい学校風景とは打って変わり静かな空間へと変化している。グラウンドには野球部員の姿はほとんどなく、照明がグラウンドを静かに照らしている。その淡い光がかろうじて部室近くまで届いていた。静かな空間には、道具を片付けたり整備している野球部員の掛け声だけがかすかに聞こえているだけだ。

 池口は叩かれた背中をさすりながら、置いていたスポーツバックと学校かばんを肩から提げた。ひりひりとする背中を気にしつつも、前方を見るとまだ亀田が立っていた。

「あれ、あいつと一緒に帰ったんじゃねぇの?」

 ゆっくりと歩み寄る。亀田は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐ目を細めにっこりと笑った。

「ううん、木元さんは先に帰ったみたい。……背中どうしたの?」

 池口は空いた左手で背中をさすっている。それに気がついた亀田は心配そうに背中を覗き込んだ。

「さっき木元に思いっきり叩かれたんだ。……ったくあいつの言動は理解できないな」

「私も……。池口くんっていつもこの時間帯に帰るの?」

 すると、池口はつけていた腕時計を覗き込んだ。

「あぁそうだな。……でも今日は早いほうかな」

「そうなんだー」

 池口は腕時計から目を離すと、肩から提げていたスポーツバックを担ぎなおし再び亀田の顔を見た。まっすぐ見つめるその瞳に、亀田は思わず見とれた。

 周りに人などいない、いるのは目の前にいる池口だけ。先ほどまで届いていた野球部員の掛け声はすでに聞こえない。代わりに自分の鼓動だけがやけに聞こえる。

「暗くなってきたから帰り気をつけろよ。じゃあな」

「う、うん。じゃあ……ね」

 立ち尽くす亀田の横を、ゆっくりと池口が通り過ぎてく。亀田の視界から池口から消え、後ろからは池口の足音が聞こえる。その音はどんどんと離れていく。

 亀田はすぐに動けなかった。自分は何のためにここまでつれて来られたのかを考えた。今、周りには誰もいない。いるのは池口だけ。こんな絶好の場面など今までなかった。これからこんな場面に遭遇できるのか……できるはずがない。振り返ると池口の大きな背中はすでに離れた位置にあった。それでも、声をかければきっと届く。

「待って池口くん!」

 その声に池口の足は止まった。不思議そうな顔をしつつ、池口は亀田のほうを振り返った。亀田はそれを見て、駆け足で池口の元へと行った。

「どうした?何?」

「……あの、ね……その……」

 走ったせいか息が切れていた。なかなか言葉が出せない。亀田の苦しそうな呼吸だけが二人の間に流れる。ひざに手をつき、苦しそうに呼吸をする亀田を池口は心配そうに顔を覗きこんだ。

「大丈夫か?すっげ苦しそうだけど」

 ふと視線を上げると池口の顔が間近にあった。走ったせいで鼓動が早くなっていたのが、ますます強く音が大きくなった気がした。

「だっ大丈夫!……もう平気だから!」

「そうか?」

 向かい合わせに立つ池口は心配そうに亀田を見ている。亀田はその顔を見て思わず吹きだした。

「え、なんで笑う……」

「……池口くんがそんな顔するからだよ。なんか池口くんって変わったよね」

「そうか?……あ、いや……変わったのかもな」

 そう言うと微笑んだ。その顔は何か愛しそうで幸せそうな、そんな気持ちがにじみ出ていた。また見たことがない池口が目の前にいる。池口は続けた。

「野球部の奴らも『お前変わったなぁ』とか言うんだ。自分ではそんな風に思ってないけど、亀田まで言うってことはそうなのかもな」

 はは、と照れくさそうに笑っている。亀田は平静を装うようににっこりと笑った。

「そう、なんだ。……それって、香織ちゃんと付き合い始めたからじゃない?」

「あー……そうかもな」

 目を細めて笑っている。その顔を目の当たりにした亀田は笑顔を維持できなかった。その様子に気がついた池口は、はっと気づいたように笑顔をやめた。代わりにわざとらしく咳払いをした。

「……で、なんの用だよ」

「あ……あのね」

 そう言い、ふうと一息吐いた。顔をうつむかせ少し間を空けた。少し沈黙が流れた後すっと顔を上げた。にこっと笑い池口を見た。

「池口くんて、香織ちゃんのこと本当に好きなのー?」

「……その質問か」

 池口はおでこに手を当て、ため息を漏らした。

「好きだよ。じゃないと、みんなの前であんな風に言うわけないだろ」

「そ、そうだよねー……。でもさぁ、あんな風に言うと池口くんのことが好きだった子が悲しむんじゃないかなー?」

 亀田がそう言うと、池口は顔を半分隠していた手を下ろし、下向きだった顔を上げた。

「……なんだそれ。っていうか、俺そこまでモテてないだろ」

「私ね……名前は言えないんだけど、池口くんが好きっていう相談受けてたんだよねー」

 池口は目を丸くして驚いた。そんな様子に亀田はいたずらっぽくにっこりと笑いながら続けた。

「あんな風に言われちゃって、その子自分の気持ちも言えなかったってすごく悲しんでたよー?池口くん、その子になんて弁解するの?」

 すると、真面目な顔になり腕組みをし考えている。そんな顔を亀田はじーっと覗き込んだ。間近に顔があるのに、池口は何とも感じてないようでその瞳には亀田は映っていなかった。

「気持ちは嬉しいけど……俺も同じように香織のこと想ってるから」

 亀田の顔を見るわけでもなく、ただ呆然と地面を見つめていた。それでも、亀田は自分を見ていない池口の瞳をじっと見た。が、池口の瞳に亀田は映らなかった。強がって作った笑顔は段々と自然に崩れていく。

「どうしてそこまで……香織ちゃんのこと好きなの?」

「さぁ……。ってそこまで答えなきゃ駄目なのか?第一、なんで亀田がそんなことまで聞くんだよ」

 はは、と池口が笑った。亀田は小さな声で「あっ」というと、口を閉じた。

「……その人には申し訳ないけど、俺、ずっと香織一筋だったんだ。不謹慎かもしれねぇけど今すっげ毎日楽しいんだ。だからごめん……そう伝えててくれないか?」

「……わかった、そう伝えておくね」

 顔をうつむかせたまま、そう言った。池口はそのまま背を向けて手を挙げた。

「じゃあな亀田、よろしく。明日な」

 池口はその場から去っていった。


   ◇   ◇


 校門の外にある木の陰に隠れて待つこと数十分。先ほど大きなスポーツバックと学校かばんを提げた池口は通り過ぎていった。きっともうすぐ亀田さんも出てくるはずだ。すっかり暗くなってしまった通りに一人待つ。

 更に数分過ぎた後、校門からとぼとぼ出てきた亀田さんがようやく見えた。先ほどまで感じていた威勢がなくなっているように見える。すぐさま陰から出て亀田さんの元へ走っていく。

「……亀田さん!」

 私の声に反応し、うつむかせ加減で歩いていた顔をそっと上げた。泣いているかと思ったら別に泣いていなかった。ただぼーっとしている。

「何よ……あんたまだいたわけ?」

「いや……心配で」

 すると、ぼーっとしていた亀田さんの顔が急に眉間に皺を寄せ大声で怒鳴った。

「嘘!振られる私を見て、笑うために待ってたんじゃないの?そうなんでしょ!何よ、心配って……馬鹿にしないでよ!あんたなんかに心配されたってちっとも嬉しくないのよ!」

「嘘じゃないよ。ほら……もう暗いでしょ?亀田さん色っぽいから一人だと心配でさ。悔しいけど香織よりも色気ムンムンしてるし……」

「何よ……それ。そんな嘘……ついて、馬鹿じゃないの……」

 見る見るうちに、顔をうつむかせ声にも勢いがなくなっていく。池口と亀田さんの間にどんな会話があったのかは知らないが、様子を見れば大方見当がついた。

「池口となに話したかは知らないけど……私の知り合いがさ、一度思いっきり泣いたほうがすっきりするって言ってたよ」

「泣く……?私が、あんたの前で?」

 うつむかせたまま、暗い亀田さんの声だけ聞こえてきた。手を見てみると、強く握っているのかかばんが少しだけ震えていた。

「クラスでいくら強がっていたって亀田さんも女の子じゃん。誰だって泣きたくなる気分もあるよ」

 すっとかばんの震えが止まった。

「泣いたことを誰かに言うつもりはないし、今周りに誰もいないよ。……それに亀田さんを馬鹿にしてるつもりないか……」

 続きをしゃべろうとした瞬間、亀田さんがかばんを落とした。それと同時に亀田さんが私に寄りかかってきた。

 亀田さんは私に寄りかかり華奢な背中を小さく震わせていた。私は黙ってその背中に手を添えた。泣き叫ぶわけでもなく、小さく嗚咽を漏らしている。クラスでいつも高貴な態度を取っていた亀田さんではなく、私の腕の中にいるのはただの一人の少女だった。



 亀田さんと別れたあと、再びママレードへ寄った。

「こんばんわ」

「あら。いらっしゃい。……お友達ならだいぶ前に帰られたれど」

 カウンター越しから、洗い物をしながらあいさんが言った。私は首を横に振ってカウンターの椅子に座った。

「あ、いえ……あいさんに報告しようと思ってまた来たんです」 

 そう言うと、あいさんは蛇口を止めた。エプロンで手を拭きながら言った。

「……例の嫌がらせのやつね。結局おばあちゃんは何の協力もできなかったわねぇ」

「いえ。嫌がらせのことはほとんど解決しました。ご心配かけてしまってすいませんでした」

「あらそう、ならよかったわねぇ」

 微笑むと皿を持ち、後ろの食器棚へとしまい始めた。ふと、食器棚の隣に飾ってある写真立てに目が止まった。そこには若いあいさんと制服を来た学生の姿があった。前にも見たこの写真だが、そのときは逆光で見えなかった。が、今初めてはっきりとその写真を見た。見た瞬間血の気が引いた気がした。

「あいさん……その写真立て……それ見せてください!」

 思わず指を差した。びくっとし驚いたあいさんは、その指差すほうを見て写真立てだと気づいた。慌ててその写真立てを手に取り、私に渡してくれた。受け取りじっとその写真に目を落とした。

「……それはね、おばあちゃんががこの店をオープンして間もない頃の写真よ。まだ若いわねぇ」

 頭の上で、ふふっとあいさんの声がしたが頭に入ってこなかった。

 頭の中が真っ白になった。その若いあいさんの隣に笑って写っている学生。その笑顔に見覚えがある。

「あ、あいさん……この写真はいつ頃のものなんですか?」

「えぇっとそうねぇ。三十年ぐらい前かしらねぇ」

 その言葉に一瞬眩暈がした。

「この……隣に写っているのは……?」

「それは当時よく来ていた高校生よ。懐かしいわねぇ。でもその子あんまりいらっしゃらなかったわねぇ」

 当時を振り返るように遠くを見つめるあいさん。

「……あ、そうそうその子は確か……」

 何かを思い出したように、遠くを見ていた視線を私へと戻した。私を見るあいさんの顔がどことなく真面目な顔つきに見えた。その表情に嫌な予感がし、思わず席を立った。

「あ、あいさん!私そろそろ帰りますね!じゃ、じゃあ!」

「え?あ……またいらしてねぇ」

 振り返らずママレードから飛び出た。そのまま家までずっと走っていた。走っていても、あいさんの隣で笑っている男子の顔が消えない。家に帰ってベッドに横になるまで……もう私の頭の中にはその顔は焼きついていた。

 時人と顔が瓜二つの、三十年前の写真の男子の顔が。


お読みいただきありがとうございます。


最近更新が遅れ気味になっております。もし、更新を待ってくださっている方がいらっしゃるなら本当に申し訳ないです。

なるべく誤字脱字はなくして更新いたしますので、これからもよろしくお願いいたします。

(見直したら、結構誤字があってショックだった作者です……。ごめんなさい)

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