第三話
「はぁ、はぁ、げほっ」
息が苦しい。ひと呼吸するのも億劫になるくらい喉が痛む。
投げ出された血だらけの右手を一瞥する。これは、もしかしなくても、骨が折れている。痛みはないが、それもこの心身ともに疲労した状態のせいだろう。
川辺の大岩に体を預けて、両手両足ともに力なく地面に横たわっている。
辺り一帯に充満した血の匂いで鼻が馬鹿になってしまったようだ。
右目はかろうじて見えているが、どうにも左目はダメみたいだ。
命に関わるような大きな怪我はないが、生活に支障をきたすような傷が多い。
あたりに散らばった魔物の死骸が色とりどりの鉱石を体の外に吐き出している。その数は百を超えるだろうか?
黒狼の群れを全滅させることはそこまで大変じゃなかった。ああ、これは今回の戦闘全てを踏まえてのことで、十分に死闘だった。俺が防御魔法と体術を駆使して戦車のような力のゴリ押し戦闘でギリギリ勝利したあと、何に釣られたのか、蜂のような魔物が現れた。
視界が黄色で覆われたんじゃいかって数だった。大きさも中型から大型犬くらいで正直死んだとおもった。
そのあとはまさに地獄だったね。狼と違って空からも攻撃してくるから、体術の恩恵があっても対応しきれず左目を持って行かれた。その痛みで一旦シールド・スフィアを全開にしてしまったとき、魔力みたいなモノが切れたみたいで防御魔法が解け、突然の疲労感に襲われた。
正真正銘死を覚悟したね。ここからがまた大変なんだけど、今度は熊が現れたんだ。俺が知ってる普通の熊だった。見た目はね。けど実際は化物……魔物だった。両腕を振り回してバッタバッタと蜂を倒していくんだ。目をやられるまでに俺が倒したのとは勢いも速さも違った。その時、蜂が俺を見ていないことに気がついた。逃げてれば良かったんだ、その時に。だけどなんでか俺はその蜂の殲滅に加わった。その結果があたりに転がってるたくさんの石の理由だ。
そして、蜂を全滅させると、当然残っているのは俺と熊だ。両者にらみ合って動かないっていうのを、初めて経験した。あんなのさっさ攻撃しろよ、とか思うんだけど、実際に経験すると自分がいかに馬鹿だったのか気づかされた。あれは言葉が悪いんだ。両者動かないんじゃなくて、動けないんだって。
三度目、子鬼もいれると四度目の死の予感だ。現代日本人の俺がなんでたった一日で四度の死の恐怖を感じないといけないのか、問い詰めたいね。誰に問い詰めればいいのかわからないけど。
勝負はそんなに長くかからなかった。
数回、かわしたり殴ったりして、異様に体が硬いことが判明した熊に全力のクロスカンターをくれてやったのだ。
殴るたびにダメージが俺にばかり帰ってきてめちゃくちゃ理不尽な熊だった。全力で放った拳も見ての通り見るも無残な状態に、熊は脳震盪でも起こしたのか、川に落ちて溺れしんだ。運が良かった。これがセンスのあるやつなら、偶然じゃなくて狙って落とせるんだろうな、とおもった。
あれから数時間、俺はここから動いていない。頭の上にいたはずのお天道様も、いつの間にか傾いて、横から俺を覗いている。本当なら、この怪我を直せる魔法か道具でも出せればいいんだろうけど、気力が尽きているんだ、何もやる気がしなかった。
《―――が――を申――ていま――――しま―か?》
いつの目にか画面にウィンドウが表示されていた。
内容はよく見えない。霞んだ右目のせいだろう。しかし、何も発言していないのに表示されるとは珍しい。何かの承認を求めているんだろうが、まあ、どうでもいいか。
「あ゛あ゛、しょうにん、じて、やる」
画面が消えると急げきに睡魔が俺を襲った。どうやら体力の限界らしい。防御魔法も張らずに眠るなんて、なんて無防備……なん、だ。
**********
「……んん、あ、あ、あ、あ?」
目がさせてあたりを見渡すと、明るかった。
パチパチと焚き火の音が聞こえる。誰か人が通りがかったんだろうか? その人物が俺を助けてくれた? 右手を見る。血がべっとりとついているが、痛みがない。軽く握ってみたり、ぷらぷらと動かしてみるがなんともなかった。治癒系の魔法で直してくれたのか。
お礼を言わないと。
体を起こすと、岩の向こうから明かりが広がっているのに気づいた。のろのろと体を動かす。完全に痛みは引いていた。体がだるいのは疲労が回復しきっていないためか。
ひょっこり岩陰から顔を出すと、黒いローブで身を隠した怪しい人がいた。めちゃくちゃ怪しかった。地元なら即職質されるレベルだ。しかし、この人が俺のことを助けてくれたことに間違いないはず。ならば礼は言わなければならない。
「あの、助けてくれてありがとうございます」
頭を下げてお礼の言葉を述べた。てっきり、返事が帰ってくると思っていたのに返答はなかった。不審に思って顔を上げると、そこに顔はなかった。
……。
「…………」
『ユラユラ』
怪しげなローブだけがその場で揺れている。
……。
魔物が居た。しかし、攻撃はしてこない。それに敵意はないように感じる。恐る恐る近づいて隣に腰を下ろした。
じっと焚き火の火を見つめる。その間、ローブのお化けは何もしてこなかった。
ユラユラと揺れる火を見つめる。熱で目が痛くなってきたから目をそらすと、ユラユラと揺れているローブ。目がないので視線は合わない。しかし、ガッツリ俺を見ている。フードの部分に頭があると仮定した場合によるが、めちゃくちゃ見られてる。
パリパリと枝が燃えて、崩れていく。すると横から枝がふわふわと飛んできて火にくべられた。
……。
俺はいま、動揺と混乱が一周して逆に落ち着くことができた。しかし、これ以上混乱するようなことをされると、一周半して混乱することになる。まずはこの状況を理解することに努めよう。
「あー、おホン。こんばんは?」
『ペコリ』
俺が手を上げて挨拶をすると、きちんと頭を下げて挨拶をしてくれた。礼儀正しい。
「えっと、初めまして。俺はカイト、片山海斗」
《no name:私は付喪神です》
「……は?」
突然ウィンドウが表れ、そう表記されていた。ついでに言えば、タブが増えている。交換メニューのタブの横に従者メニューのタブが追加されている。
従者? 確か、家臣みたいなやつだよな、部下の亜種だっけ。
「お前が、俺の従者?」
『ユラユラ』
《no name:はい。太陽が床に就く、少し前のことになります。森を彷徨っていた私は、マスターから魔力をいただくことで生きながらえることができました。ですから、私はここに、マスターへの忠義を誓いました。》
「おお、見た目に反して結構饒舌だな。もっとカタコトだったり、子供っぽい話し方だと思ってたけど」
意外に話せるこの付喪神は俺に忠義を誓ってくれたらしい。しかし、その理由であるところの魔力だが、これが魔法を使うためのエネルギーだとして、俺の魔力は空っぽだったはずだ。どういうことだ?
「魔力を俺が与えたと言うけど、俺の魔力は空っぽだったはずだ。一帯どこから魔力を?」
《no name:マスター自信から魔力を頂くような略奪行為はしていません。私が頂いたのは魔石に込められている魔力です。マスターが倒した魔物から排出された魔石とは、魔物の体内で生成され、死亡時には肉体から摘出されます。それをマスターが私に譲渡してくださったのです》
「譲渡?」
記憶にない。付喪神の話だと俺が魔石をあげたことになっている。しかし、俺には全く心当たりがない。
《no name:マスターが倒した大針蜂から取れる魔石は澄んだ魔力をしていて、吸収する際の不純物が少ないので魔力還元しやすく大変助かりました》
……それって俺がぶっ飛ばした蜂がたまたまコイツにぶつかっただけじゃないか? 本来なら怒られるところなんだが、本人が気にしてないようなので深く追求することは避けた。ここで改めて明かすこともない。
「しかし、このノーネームって、おまえ名前が無いのか?」
《no name:私は長く旅人に使われていました。あの方は物をとても大事にしてくださるお人でした。亡くなれたとき、私だけが付喪神として生を受けました。なので名前はありません》
「そう、か。……それじゃあ呼ぶときに不便だし、俺が名前をつけてやる」
ふむ。付喪神に名前か。仮にも神様だからな~、妖怪だけど。
神、神、神威、文字をひねって神の衣でカムイ。うん、我ながらいいネーミングだと思う。
「よし、お前の名前は神衣だ」
《神衣:拝命下しました。これより私の真名は神衣です》
《ステータスが更新されました》
「ん?」
神衣の命名とともに何か出てきた。
恭しく頭? を下げているところ悪いが、俺の興味は別なところに移っていた。
《ステータスが更新されました》
「ふむ」
ステータス、ゲームなんかによくある装備とか、HPとか、キャラクターの状態を表すやつだよな?
ポイント交換といい、いよいよゲームぽくなってきたな。
試しに神衣のステータスを表示させる。場所はアイコンが光っていたので直ぐにわかった。どうてもいいけど、この画面もパソコンのデスクトップみたいになったな。アップデートされたのか?
アイコンをクリックしてウィンドウが開いた。
<Status>
Name : 神衣<kamui>
Level : 42
Race: 付喪神
Skill: 《魔力回復速度上昇(中)》《魔法使い(中)》《no》《no》
<Characteristic>
《魔力溢流(微)》《神の眷属(中)》《魔法適正(極)》
ふむ。神衣のステータスの表示を見て、俺は神妙に頷いた。
「何でもかんでも英語使えばいいと思うなよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
俺の叫び声に神衣がビクッと体を震わせたが、そんなことはどうでもいい。
「高校生がみんな英語が読めると思ってんのか! 読めねぇよ! 俺の英語の点数20点だぞ! あ゛ぁ?! 何でもかんでも英語で書いたらカッコイイとでも思ってんのか!! それは、ただの、中二病だぁぁぁぁぁ!!!」
一通り暴れた。怒りが収まった時には一帯に岩と呼べるものはなくなり、代わりに石があたりに散らばっていた。
「はぁ、はぁ。……非常に不本意んだが、読むしかないか」
本来ならお金をもらってもお断りするところだが、命がかかった状況だ、そんなことも言ってられない。
「す、す、すてい? す、て、い、た、す。すていたす、ステータスか。こっちはネーム、名前だろ。レベルでそのまんまレベル。ら、れ? れいす、ライスか、レイス。横に付喪神って書いてるし、種族とか種類とかそんな感じか? そんで、 す? すき、すきいる、すきぃる、スキルか。で、最後は………………はっ! 意識が飛んでいた」
時間をかけながらも順調に読み進めていく。最後の文字に取り掛かろうとして一瞬、意識が天に召されかけた。
あまりに長い単語に脳が認識することを拒否してフリーズしていたらしい。しかし、読まないとこの項目の意味がわからない。
「ちゃ、ちゃら、ちゃらくた、キャラクターか。えっと、キャラクター、いす、ティック?」
さっぱり意味がわからん。そもそも、ゲームでよくキャラクターとか、テレビでキャラが、とか言うけど、意味をちゃんと理解してる奴何人いるんだ。
キャラクター……うん、諦めよう。人間あきらめが肝心だ。
「えっと? スキルが、魔力回復速度上昇、魔法使い、の二つ。よくわからんやつが、魔力……溢れ、流れる? 、神の眷属、魔法適正」
魔力回復速度上昇はそのままの意味で捉えていいと思う。あと魔法適正もなんとなく伝わってくる。
魔法使いと魔力なんチャラと神の眷属がよくわからない。
俺は画面を見つめながら頭をひねった。ない頭を回転させて文字から情報を読み取る。
俺はゲームに特別詳しくないが、魔法使いはわかる、有名だし、憧れるし。しかし、これはスキルじゃなくてジョブとか呼ばれるやつじゃなかったか? どうしてスキル覧にあるんだ?
神の眷属。まあ、神様だしな、付喪神。妖怪だった気もするけど、名前に「神」付いてるし。で、魔力なんチャラ。……読めん。え、マジで読めないんだけど。なんでふりがなの一つも振ってないんだよ、なんでもかんでも漢字にすればカッコイイと(略)。
「くそ、読めないモノが多い。たまにあるよな、ゲームでも無駄に外国語を使って意味不明になってるステータス。なんだよSTRとかDEXて、わかんねぇよ。自分で調べろってかあ゛あ゛?」
落ちつた精神が汚染されてきた、勉強の二文字に。
スキルの横にある「中」とか「小」について特に考えることはない。おそらくスキルの強さを示しているのだろうと推察出来る。微→小→中→大→極、もしくは、極→微→小→中→大、のどちらかだと思う。極が「きわめた」か「きわめてちいさい」のどちらの意味を持つかで変わってくるが、十中八九前者だろう。これだけ魔法系のスキルをかき集めておいて、魔法適正が極めて小さいなんて可能性は、それこそ極めて小さい。
「なあ、治癒魔法使えるよな? ほかに何が使えるんだ?」
《神衣:私が行使出来る魔法は回帰魔法、時空魔法、天空魔法の三つです。それぞれ治癒+回復、時間+空間、光+炎の上位魔法になります。さらに細かく分けるとなると、治癒魔法は傷+部位欠損の中位魔法で、続けて回復魔法は、増血+体力の中位魔法。時間魔法は加速+減速+停止の中位魔法。空間魔法は索敵+探査+闇の中位魔法、光魔法は照明魔法の熟練度が一定に達すると習得出来る中位魔法、炎魔法は火魔法の熟練度が一定に達すると習得出来る中位魔法になります。中位魔法は全て、下位魔法を単一、もしくは複数習得することでようやく習得できるようになり、そして、上位魔法は全て、中位魔法を二つ以上習得することで習得出来るようになります》
「……うん?」
お経を聞いていた気分だった。
ほおけた顔をしていた俺に要約してさらにかい摘んでしてくれた説明によると、魔法は上位、中位、下位に分けられるらしい。そして中位魔法や上位魔法はそれぞれ一個下の位の魔法を複数習得しないと習得できないらしい。ただし、属性魔法の火や水は下位から中位に単独で上がることが出来る。とってもわかりやすい説明だった。
そして俺はようやく魔法の数の多さに納得した。前に一覧表を見たときは作った奴馬鹿? と思ったが、きちんと理由があったらしい。しかし、そうなるとちょくちょく気になる魔法がピックアップされる。
「なあ、料理魔法とか、生活魔法は一体どこに分類されるんだ?」
《神衣:それらは混性魔法と呼ばれます。時間魔法を習得するには加速、減速、停止の三つを習得且つ一定のレベルに上げる必要がありますが、混性魔法は必要な魔法を習得すると勝手に習得できます。生活魔法は水、風、浮遊魔法の三つを、それこそ辛うじて使えるレベルで使用できれば習得できます。料理魔法は火、浮遊、移動魔法の三つです》
「それって役にたつのか? 結局魔法を使う才能がないと役に立たないんじゃないか?」
《神衣:マスターがそう思われても仕方ありません。しかし、混性魔法は全て低位魔法という扱いをうけ、異様に練度の上昇が早いのです。通常の下位魔法の修練に一ヶ月以上かかるところ、低位魔法は三日とかかりません》
ややこしくなってきたな。上位、中位、下位魔法の他に低位魔法があるときた。しかし、低位魔法は造語で正式名称は混性魔法なんだそうだ。低位魔法=混性魔法ということらしい。
「なら、たくさん魔法を持っている神衣なら、何か混性魔法が使えるのか?」
《神衣:申し訳ありませんマスター。私が習得している魔法はどれも混性魔法として機能しないモノばかりです。固定魔法が使えると倉庫の混性魔法が、浮遊魔法が使えれば飛行の混性魔法が使えるのですが、どちらも習得出来ていません》
「いや、落ち込まないでくれ、十分すぎる位に神衣は優秀だ。混性魔法が使えない位で神衣の価値は揺るがない」
実際神衣の能力は桁外れだ。なぜなら神衣が習得している三つの魔法は全て上位魔法だからだ。神衣の話が本当なら、一人の人間が上位魔法を習得することは困難を極める。中位魔法ですら大変そうなのに、上位魔法を三つも習得している神衣は文字通り神に等しい。そして、以上のことから、神衣の持つ魔法適正(極)は魔法の習得を極めて早めること、もしくはそれに準ずる効果を持っている。
俺はとんでもない奴を従者にしてしまったらしい。
ユラユラと揺れているこのローブがそんなとんでもない奴だなんて、誰も思わないだろうな。
この謎の画面のおかげで俺は会話できているが、実際は一言も離さないし、ローブがずっと見つめてくるわけだからめちゃくちゃ怖いし。
「そういえば、俺は防御魔法を使えるんだが、これはどの位になるんだ?」
《神衣:おお、防御魔法を使用し、さらにあの体技、マスターは並々ならぬお方のようです》
いやぁ、すっげぇ罪悪感があるんだけど。
俺の手に入れた方法は間違いなくズル、チートだ。それなのに俺の実績として扱われると、何とも言い難い気分になる。
《神衣:防御魔法は障壁魔法と結界魔法の両方を極めた上位魔法に当たります。障壁魔法は停止と造形と固定の中位魔法、結界魔法は範囲と放出と造形の中位魔法になります》
「ふむふむ。造形魔法が被っているけどこれは深く考えなくてもいいよな?」
《神衣:はい、精々が「便利だな」程度に思っていただいて結構です。深い意味はありません》
ふむふむと納得するように頭を縦に振る。
どうやら俺の習得した防御魔法は当たりと考えてさしあたりない魔法のようだ。下位魔法五個分に相当するなら十分だろう。だからといって下位魔法二つ分の天空魔法をハズレだという気はないが、どうにもお得感があるな。
「しかし、随分と話し込んでしまったな、もう夜が明けるぞ。近くに魔物はいるか?」
立ち上がって火をけす。太陽が顔を出しているのだ、十分だろう。
神衣が風もなくはためいたかと思うと、メッセージが表示された。
《神衣:私の索敵範囲に魔物の気配は多数ありますが、今すぐ警戒する範囲にはいません》
「なるほど。じゃあ、水の補充と朝飯にするか」
俺は川によって水筒に水を補充した。
「ゴクゴク、ぷはぁ、そういえば冷たい水を飲むのここにきて初めてじゃないか」
喉を潤す冷水は、びっくりするくらい美味しかった。