1-6 反省会
念のためクリスはナイフを腰に装備しながらアリスと歩いていた。
けれども、その警戒の集中力は散漫していて何度もアリスを見てしまうのは別の事を考えていたから。
……どうしてだろう。アリスの事がこんなにも可愛く愛おしく思うのに。なのに恋愛感情的なドキドキがまったく起こらない!
クリスはアリスを同性としてしか見れない自分に困惑していた。主に男の感覚として。
アリスも恥ずかしそうにしながらも周囲の目に怯えてクリスの腕にしがみつき、離そうとしない。交際もしていない異性同士であればドキドキしてしまいそうな場面なはずなのに、そういった緊張する感情は全く起こらない。それどころか安堵してしまう不思議な感覚に困惑するなという方が無理がある。
もっとも、それも一点を除いてだが。
というのも歩くたびにアリスの胸の感触がクリスの腕に伝わる。それにたいして自分の胸を押さえてみると、自分のふくらみがアリスに劣っていることがより、クリスを複雑な気持ちにさせていた。
……女性が胸を気にする気持ちがわかった気がする。
男であれば役得と喜べたはずの状況が、今は嬉しいどころか悲しくて、歩く度に部分的ダメージを受けながら一緒に歩いていた。
もっとも、いくら頭の中が混乱し、警戒が散漫になったとは言え刺さる視線くらいはわかる。
今はアリスは帽子をどこかに落としてしまっており、クリスもフードをかぶっていなかった。そのためにアリスを好奇の目で見てくる周囲の者たちはがいっそうアリスを怯えさえていた。
クリスがナイフをあえて目に付きやすい位置に装着し、護衛をアピールしたのもそのためである。実のところ町の人達が好奇心で見ていたのは、アリスとクリスがまるでカップルのようにも見え、気弱な少女とそれを守りながら先導する少女に代わってほしいと願う男たちの羨ましさや、温かい目がほとんどだったのだが当人達が気わかるはずもない。
そうして無事に下車したところまで戻ると、日は暮れ始めており、乗ってきた馬車がアリス達を待っていた。
ようやく屋敷に戻れる。
そう思いながらアリスとクリスは馬車に乗り、屋敷へと帰っていった。
……けれどもここからが大変だった。
クリスは帰ってきた部屋でため息をついた。
そう、ここまではまだよかったのだ……よくはないけど。
問題はその後だ。
さいわい魔法で放った火については家に火が移って火事になることはなかったらしい。
道に迷わなかったことについてはアリスに不思議に思われたけど、こっそり露店で地図を貰ったんだけど逃げる途中で落としてしまったことにし、こちらはなんとか渋々ながらも丸く治めることができた。
しかし、見せてしまった魔法は弁明しようがなかった。あの日からアリスは目を輝かせて問い詰めてくるのだ。「あの火は何?どうやって出したの?どうやったら出せるの?」と。
神様からもらった魔法だからそもそも教えようもないのだが、そう説明したところで納得してくれそうにない。……というか納得してくれる人の方が少ないだろう。
とっさの思いつきで手品と言えば「手品なら方法があるんでしょ!じゃあ私にも教えてよ!」と。完全に失策で、これを教えられないと言えばアリスは顔を膨らませてしまい、その日は終始不機嫌なままであった。
さらに、護衛二人いない状況で帰るはめになってしまったため、アリスの父親のウイリアムにもかなり怒られてしまった。
それでも、アリスが釈明してくれたおかげで処分はアリスと同じ1ヶ月の外出禁止で済んだ。
ただ、護衛に関してはあまりに弱かったので警備する兵としてどうなのかという事になって解雇されたらしいがそのことは気の毒に思う。
そして外出禁止がでてから数日が過ぎたある日。クリスはウイリアム会長に呼び出しを受けた。
相変わらず威厳のある会長室の扉は入るのに勇気が必要で億劫になりそうだ。
コンコン
「只今参りました」
「クリスか、入りなさい」
「失礼します」
クリスは扉を開けて入ると一礼し、扉を閉じた。
「お呼びでしょうか」
クリスは社長室を見渡すと、そこにはウイリアム会長と秘書だけではなく、アリスもいた。
「うむ。呼び出したのは他でもない。アリスとの件だ」
「あのときはアリス様を危険に晒してしまい申し訳ございませんでした」
クリスは頭を下げた。
「いや、その件はもういいのだ。頭をあげなさい」
「ありがとうございます」
「うむ。それでだな。今日の用件についてだが、これから仕事は午前中のみ出勤でよい」
「え?何か粗相がございましたか」
「いや、そうではない。午後に別のことをしてほしいのだ」
「別のことと申しますと」
「剣術の稽古だ」
……は?今、剣術と言った?
クリスは呆然とし、ふとアリスに目をやると顔を赤らめながらこちらを見ていた。
どうやらアリスの提案らしい。
「剣術ですか」
「そうだ。先日の件をふまえてアリスの警護の重要性を改めて認識した。今、アリスの従者となっているのそなたなのだ。女ということもあるから大変かと思うが私の願いを聞いてもらえないだろうか」
「承りました。ただ、剣術に関しましては何分素人なものでして」
「それに関しては心配いらん。あくまでも護身用を中心としたあまり力を必要としない短剣中心のものにする予定だ」
「ありがとうございます」
「うむ。給与はこれまでどおりとするのでなるべくはやく習得を頼むぞ」
「かしこまりました。善処いたします」
面倒だとも思ったが、前回のことを考えればちょうどいい機会なのかもしれない。
そう考え、ウイリアム会長を見ていると、さらに何かいいたそうだった。
さっさときりあ……
「ところで、クリスから聞いたのだが、何やら手品というものを使えるらしいな」
ほらきたよ!
アリスに目を向けるとアリスは目をそらした。
「はい、相手が油断しておりましたので一か八かで使いました。ただ、お見せできるほどのものではないかと」
「そうなのか。それでもアリスが知りたいと言っていてな」
「申し訳ございません。これに関しましては会長の頼みとあってもお受けすることはできません。ましてや身体に非常に危険なものでございますのでアリスさんに諦めてもらえるよう会長からもお願い致します」
「そんなに危ないのか」
「はい。火傷をしてしまうと下手をすればお顔やお体に痕が残ってしまう可能性がございます」
「ふーむ……わかった。それなら仕方ないな」
「お父様!」
アリスが話しに割り込んできた。
そこまでして覚えたい……気持ちはわかる。
「アリス、諦めなさい」
「どうしてですか!」
「どうしてもだ。それにこれからはクリスが従者として護衛につけるようにするつもりだから必要ないだろ」
「でも!」
「我侭を言うんじゃない!」
「……はい」
落ち込むアリスを見て心が痛んだが、クリス黙っていた。
というか教えられないのだからそうするしかない。
「用件は以上だ。明日から頼むぞ」
「はい、精一杯努めさせていただきます」
クリスは会長室を退出し、こうして明日から午後は護身術を身につけることになった。
そこからの半年間は大変だった。
仕事は午前だけとはなったものの、経理部長のアランはクリスが仕事に余裕があることを察し始めていたので午後の仕事が午前に回って1日の仕事を半日で仕上げなくてはならなくなった。もっとも、クリスにとってはそれはたいして問題にはならなかったが。
ただ、護身術に関して完全に素人だったクリスは当初は目も当てられない状況だった。一から徹底的に教え込まれはしたものの、実践をしてみれば力に頼ったり、焦って教えられたとおりにできないことが多々あり、これには教えている先生も頭を悩ませた。
原因は前の世界で男だったために無意識に力に頼ってしまうことだったのであるが、誰もそれを知るはずがない。
怒られて駄目だしをされる日々はなかなかに心にくるものがあった。それでも多少の素質はあったらしく回避したり振りほどくといった反射神経で行う動作は身体の特性を活かしてかなり上達していった。
こうして厳しい練習は寒い冬が終わり再び温かくなり始めたころまで続いた。
こうして先生からも渋々ながら了承を得たころには仕事ではいつのまにか期待の新人扱いとなり、護身術を身に着ける時間はアリスに付き添う時間へと変更された。その頃にはアリスは14歳となっており、クリスも13歳となっていた。
ロジャース邸のアリス自室
「第8案の7回目の会議を行うわよ」
「はい」
アリスとクリスがいつものように事業計画の打ち合わせを始めた。
「交易のルートはローラン王国とカルロスを往復するルートでいいわね」
「はい。少し迂回ルートとなりますが、最短ルートではなく少し南から経由するルートを通ることで領主間の関税も抑えられそうです。また、王都までの距離もそれほど離れておりませんので良いかと思います」
「取り扱い商品としては。香りのある石鹸にしましょう。価格帯から考えると対象は主に貴族ね」
「はい。幸い水も軟水なおかげで各国とも体を水で洗う文化があるようですし」
「軟水?まあいいわ。それで香りはジャスミンとローズでいいかしら」
「はい。どちらも貴族に縁があるものですし、薔薇は貴族が育てているものを買い取って販売すれば、多少値が張ったとしても高品質で作れますのでよい取引先になるかと思います」
「なるほど、買い取った物に価値を乗せて買った相手に売っちゃうわけね」
「はい。また、花は季節がございますが、石鹸は保存が利きますので部屋に置いてすきなときに香りを楽しめることもふれておけば関心をもっていただけるかと」
「面白いわ。そうしましょ。それじゃあ、ただの四角い石鹸だけじゃなく花の形に加工したりすると面白いかもしれないわね」
「ご名案かと思います」
「よし、ようやく商品は決定ね。それじゃ、見積りをとりましょ。往復分の運搬費、加工費、流通価格を調べるわよ」
「はい。かしこまりました。それらに関してですが、アリスさんのお父様から帳簿をお借りしたいのですがよろしいでしょうか」
アリスはクリスを見て少し不思議そうな顔をしたが、思い当たる点があり笑顔で返した。
「なるほどね。そこからコストの想定を行うのね。頼んでみるわ」
「よろしくお願いします」
「あとは事業展開時の商会名ね」
「ロジャース商会を使われないのですか」
「それも考えたんだけど、それじゃ一事業として終わるか成功しても取り込まれてしまうのが落ちだわ」
クリスは少し悩んだが、思い当たる点があったので頷く。
「そうかもしれませんね。それでは何がよろしいでしょうか」
「既に決めているわ」
アリスはクリスを見て自信ありげに言葉を溜める。
「ローズ商会よ」
クリスは驚いた表情をしたが、すぐに納得した。
「なるほど、商品の重ねたのですね」
「それもあるけど、ローズは美と愛の象徴なの。石鹸の目的が清らかで美しい女性というコンセプトなのだからちょうどいいと思わない」
「なるほど、すばらしいと思います」
「よかったわ。じゃあそれでいきましょ。これから忙しくなるわよ」
「はい、頑張ります」
こうして事業が決まり、準備は着々と行われた。
運搬費は帳簿をベースにし、石鹸価格に関しても帳簿にあった過去の石鹸に関する取引価格を参考に貴族向けの価格として決められた。
また、加工費に関しては独自の工房を作るために視察や人員の確保に努めた。当時としては女性の労働者がいることは決して珍しいことではなかったため、労働者に関しても女性中心に編成された。
そして当時としては珍しく工程を分担し、量産が可能な体制を作っていった。
なお、この点に関してはクリスの提案だったのだが、3人雇えば回るのにあえて10人以上雇って工程をこま切りにする理由をアリスに説得するのにかなりの苦労があった。それでも最終的にアリスが折れる形で了承された。
資金に関してはローズ商会としてアリスが独立することで跡目争いがなくなるので歓迎され、1年間の必要資金をロジャース商会が提供し、利息をつけて返済することを条件に了承された。
また、工房に関しても工房にあった空き家を利用することが了承された。
さらに貴族を中心に紹介状を用意してもらい、事前に販路と仕入れルートを開拓できたのはロジャース商会とアリスの力ってあってのことだったのはいうまでもない。
こうして着々と準備は進められ体制は整えられ、その年の夏前にようやく生産体制と販売体制が整えられた。
クリスの日記
今、改めて思い知らされるのは日本がいかに安全で平和だったかということ。護身術の訓練をしていて知ったのだが、この地域では自分の身は自分で守るのが当たり前らしい。それに町が城壁で囲まれているのはそとからの魔物や盗賊から町を守るためと聞いた。魔物は話を聞いた限りではオオカミとほとんど変わらない内容だった。町の外で盗賊がでるのも別段おかしな話ではなく、護衛が守っている馬車から略奪することもあったりするのだとか。
それだけ治安が悪いのであれば、国が崩壊するのではとも思ってしまいそうだがだからこそ領主達は護衛や警護から収入を得て、領主の財源である農家も領主が守るため、成り立つらしい。
道の途中で話しかけられたのは単に命知らずだと驚かれていただけで、自分が無事にカルロスの町に到着できたのは幸運だったのだと改めて思い知らされる。やはり前の世界の日本はかなり恵まれていたのだ。当たり前だったものが無くなって初めて気づくことに私は恵まれていた前の世界に感謝し、すこしでもその世界に近づけるよう努力することを神に誓おうと思う。
アリス「お父様、新しい事業計画書ができました」
会 長「どれどれ……こ、これは!アリスが考えたのか」
アリス「ええ、そうです」 どやー
会 長「アリス、嘘はいけないぞ。どこで盗用したんだ」
アリス「ひ、ひどい!そんなことしてないわよ!」
アラン「会長、よければ私にも見せてください」
会 長「おう、驚くなよ」
アラン「どれどれ……ああ、これは間違い無くアリスが作った計画書ですよ」
会 長「なんと!」
アリス「だから私はさっきからそう」
アラン「収益予想に見覚えがあります。これはクリスが出した予想値でしょ」
アリス「うっ!」ギクリ
会 長「ああ、なるほど」
アラン「細かな点で問題はありますが、クリスもいるのでこれなら大丈夫でしょう」
会 長「そうか。かわった、アリスとの約束だ。ロジャース商会がこの事業計画を全力で支援しよう」
アリス「え、ええーー!」
アラン「アリス、事業計画が認められてよかったな」
アリス「え、ええ。……うん?(喜んでいいのかしら)」
といったことがあったとかなかったとか。