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1-4 私、仕事をしてます!

 コンコン


「私です。クリスです」

「どうぞ。入ってらっしゃい」


 クリスはアリスの部屋の扉を開けて入る。


「失礼します」


 そう言った後、両手をお腹に当てて爪を隠し、四五度に腰から上で礼をし、再び身体を上げると背中をあまり見せないようにしながら扉を閉める。


「……あら、あなたメイドの経験でもあったの」

「え?ございませんが?」


 どう見ても田舎娘の知っている作法ではないのだが、当の本人は前の世界で弓道、茶道、面接の礼節を覚えていたことをやっただけなのでそれにまったく気づいていない。


「……あなたならありえるわね。まあいいわ。こっちに座りなさい」

「はい」


 クリスは首を傾げ、疑問に思いながらもアリスの命令に従う。

 アリスはいろいろツッコミたかったが今はそんな時間はないのだ。


「話というのはね」

「はい」

「あなた、もう少し出来ないふりをしなさい」

「出来ないふりですか」

「そう。わかった?」

「どうしてですか?」

「どうしてもよ」

「はあ、それで解雇されても困るのですが」


 クリスは申し訳なさそうにアリスを見る。

 アリスもクリスの顔を見て仕方なさそうに答える。


「そうね。それも困るわね」

「はい」

「会計の仕事は一日二回に分けて与えられるらしいの。与えられた仕事だけ時間いっぱい使って終業に合わせて終わらせる。これならどう?」

「そもそも私に仕事ができるのでしょうか」

「出来ないならそれはそれでいいの。そしたら私の下に置いてあげるだけよ。それなら問題ないでしょ」

「はい」

「ちなみに午前は前日午後の分、午後は当日午前の分となっていて、作成の日付と取引日付は間違えないようにね。就業時間は九時から一七時までよ。日が暮れちゃうと火が必要になるからちゃんと時間を見るようにね」

「はい」

「質問はある?」

「はい。今日は何日ですか?」

「……はぁ」

「……?」


 日付は田舎等問わず、知っていて常識なのかもしれい。

 やばい、失敗した。

 慌てるクリスにアリスは溜息をつきながらも答えてくれた。


「明日は六月の第二週目の第一勤労日よ。ちゃんと覚えていてね」

「はい。では前日の記帳は六月の第一週目の第五勤労日でよろしいのですね」

「え?ええ、そうよ」


 やっぱりそうか。てことは前の世界とカレンダーが似ているのかも。そう思うとクリスは少し安心した。

 そんなクリスを見ていたのかアリスが再び溜息をついた。


「クリス……あなたって不思議よね」

「ふぇ?」


 不思議なんていわれると思っていなかったため、クリスは変な声をだしてしまった。


「ふぇってなによ」

「す、すいません」

「田舎の天然娘なのかと思えば、教養があるし。なのになぜか常識がないし」

「す、すいません」

「私に謝ってどうするのよ」

「すいま……えーと」


 えーと、こういう場合なんていえばいいんだ。


 頭が混乱し始める。

 考えるため、癖になりつつある首を傾げる仕草をする。

 するとアリスが小刻みに肩を震わせだした。


「ふふふ」

「え?」

「ははははは、クリスはやっぱりおもしろいわ」


 え?おもしろい?今のどこで笑う要素があったのかをクリスは考える……が思いつかない。


「そうそう、仕事が終わったら、私の方もちょうど勉学と雑務が終わるからこちらにいらっしゃい」

「はい」

「あと、食事等は使用人に伝えておくから屋敷の雑務は必要ないわ。明日は頑張りなさい」

「はい、ありがとうございます」


 その後、しばらくアリスの部屋で雑談してから、クリスは借りて与えられた部屋に戻った。

 そして、魔法を使って温水を作った。

 指先で高温の火を灯しながら水が間を駆け抜けていくので、少量の水であれば冷たい水は避けることができるようだ。

 ただ、消費は二倍なので、そのあと身体がだるく息が上がった状況で身体を拭くことになってしまったのだが冷水よりはまっしである。

 服も合わせて洗い、部屋に干すと。ようやく眠りについた。




「……はあ」


 アリスはクリスが去った後、ため息をついた。別にクリスが嫌というわけではない。むしろ商会につながりのない、従順で優秀そうな部下を手に入れたのだ。

 その点に関しては不満も無く、むしろ楽しいとさえ思っていた。

 ただ、問題は知識の偏りである。

 算術ができるのにインクの使い方を知らない。農家なはずなのに農業ができないし家事も得意ではない。

 それだと、どう考えても身分に嘘があるとしか思えないが、当人は平民、しかも田舎の農民出身だと言うのだ。

 そして、特に気になったのが紹介状を見せてくれたときに見えたナイフである。

 田舎娘が持つナイフにしては少し高価すぎる見た目やデザイン。

 本人はまったく気づいていないようだったが紋章らしきものもあったので、間違いなくどこかの貴族だ。

 ただ、あの紋章はどこかで見たことがある気がするのだけどどうしても思い出せなかった。

 おかしい、商人の娘としてある程度貴族の紋章も覚えされられたし、彼女が帰ったあとに辞書を引いて探してみた。なのにどこにも見当たらなかった。

誘拐もここ十二年では貴族の行方不明者は聞いたことはない。無いと言うことは没落した貴族なんだろうか。アリスは眠気の中で必死に考えていたが、眠気には勝 てずついに眠ってしまうのであった。





 翌日

 クリスはアリスの言いつけを守って仕事をこなした。当初は慣れない作業が多く、戸惑うことも多かった。

 それでも十二才の小娘ということで誰も大量に仕事を振ることはなかったし、どうせできないと決め付けて末端のいろいろな雑務を少しずつ貰ってわからないことは聞くようにと言われた。

 わからないことは、聞けば新人でまだあどけなさの残る女の子ということもあって、見下されながらも教えてくれた。

 また、新人なのでどうすればいいのかと質問されることもなく、淡々と仕事がこなせた。お茶も年上の女性先輩があなたはいいから(逆玉の邪魔しないで)とやってくれる。

 クリスはアリスの言いつけに従いアリスの計画通り、その状況が続くはずだったし最初の方は間違いなくうまくいっていた。


 しかし、誤算が起こった。それは、仕事が忙しくなった時のこと。クリスは約束を守りながら仕事をきちんとこなした。どれだけ量が増えたとしても。

 そう、言われた通り時間内に渡した分だけきちんとこなしてしまったのだ。量が変わってもきちんとこなす。それに気づいた人は少しずつ依頼を増やし、日が経つごとにクリスの仕事量が増えていった。

 こうして3ヶ月もするころには他の社員と変わらないレベルまで仕事をこなせるまでになっていた。

 また、アリスとの約束を守り、仕事を増やされても必ず定時までにこなし、急いでアリスの下へ向かう姿は好意的に映り、忠誠を誓う従者そのものなので誰も指摘しない。

 そして今日もクリスは既に人並み以上となった仕事をこなしてアリスのもとへと向かっていく。


 コンコン


「クリスです」

「入っていいわよ」


 クリスは扉を開けて、部屋に入る。


「失礼します」

「遅い!」


 クリスは礼をしてアリスの下へ向かった。


「遅くなり申し訳ございません」

「……まぁ、いいわ。それではよろしくね」

「はい」


 何をしているかというとアリスの創業計画である。

 アリスは過去に何度か創業計画をだしているのだが、どれも父親に反対されてうまくいかないらしい。

 アリスがそのことをクリス相談し、クリスも参加することになったのだ。


「まずは商品ね。やっぱりいくら考えても無理があるのよ。売れている商品を安くして売ればいいじゃない」

「それはだめです。アリスさんは囚人のジレンマをご存知ですか」

「何それ?経営と関係あるの?」

「はい。例えばアリスさんと競合の商会がいます。アリスさんが安くしたら競合はどうなりますか」

「売上が落ちるわね。そして私の方の売上が上がるわ」

「そうですね。でも、その競合が同じ値段に落とせばどうなりますか」

「それは……あ」

「はい、アリスさんの優位はなくなりお互い利益だけが減ります。しかも値段は戻した側が損を被ります。これではお互いに損するだけですよね」

「じゃあどうすればいいのよ」


 アリス不機嫌になりクリスを睨む。


「そうですねえ、競争しなければいいかと」

「はい?いや、それじゃあ物が売れないじゃない!」

「違います。既存物に対して追加の価値をつけたり、より便利になるような代替を用意するんです」

「ふーん。例えば?」

「例えば石鹸がございますよね。これは身体を洗うものですが、これを髪専用に作ったりするのです。既存のものであれば髪が痛むものが多いですが髪が潤うものがあればいいなと思いませんか」

「まあ、確かに」

「あればいいなを作り、販売するのが競争しない戦略です。あればいいなというのは現時点でないということですから」

「なるほど」

「ご理解いただけましたか」

「ええ。あなたが本当は商人だったんじゃないかと思うくらいには」

「ご冗談を」


 アリスは不機嫌な顔でこちらを見た。アリスの指摘も間違っていなのだからこちらも答えようが無い。けれども転生しましたなんて言ってもドン引きされたうえに誤魔化したと思われるのが落ちだろう。


「……まあいいわ。商品案は明日にしましょ」

「かしこまりました」


 メモやペンなどを片付け、一度外へ出てお茶とお菓子を用意して再度入り、用意をする。


「ところでクリス、仕事には慣れたのかしら」

「はい、おかげさまで」

「そう、それならよかったわ。もし困ったことがあった相談してね」

「それなら……ちょっとよろしいでしょうか」

「あら。何かしら。何でも言っていいわよ」


 頼られるのが嬉しいようだ。アリスは嬉しそうな表情をした。

 一方、クリスの顔が緊張した面持ちとなる。


「ありがとうございます。仕事の件についてなんですが……最近午後に仕事を追加されることが増えてきまして」

「あら。仕事なんだから仕方ないわね。今日も少し遅れたのはそれが理由なのね」

「はい。ただ、通常の追加だったらどうにかなるんですが、最近、その時間に増やされる量が多くなりまして」

「と、いうと」

「午後の開始の時間と同じ量が終業一時間前に追加されます」

「……そう。やはり無駄だったようね。それをこなしているんでしょ」

「はい。アリスさんをお待たせするわけにはいきませんので」


 クリスの状況を簡単に説明すると、午後は四時間あり、午後の貰った仕事は一時間で終わらせれると発言している。

 追加分を考慮しても全力でするとあと倍はこなせると宣言してるのだが、気づいていないらしい。

 そういえば、最近は経理部が残業する姿をあまり見なくなったような……


「わかったわ。それなら多少遅くなっても仕方ないわね」

「申し訳ございません。あと、もうひとつあるんですが」

「あら。それも仕事の件かしら」

「いえ、違います。もうひとつの件は仕事もだいぶ慣れてきましたので、外出して町を見て周りたいなと思いまして。ただ、初めての町ですのでどこになにがあるのかわからずどうすればいいかなと悩んでまして」

「そういえばずっと家に居させていたわね。いいわ。今度の休みに一緒に外出しましょ」

「ありがとうございます」


 アリスの了承にクリスは顔をほころばせた。

 その後、二人は適度に雑談をし、お互いの部屋へ戻ったのだが、アリスは悩んでいた。


「どうしようかしら」


 悩んでいたのは仕事と外出の件である。

 おそらくクリスの能力が経理部にばれた。当人はまだ温存しているようだがそれがばれるのも時間の問題だろう。ばれないようにするためには終わらない残業のふりをしてもらうのが一番なのだが、それだと私との時間がなくなってしまうしそれは困る。先ほどのように計画時に事業で適格に欠点を指摘してくれるクリスは、アリスの事業計画の作成で居ないと困るのだ。

 また、おそらく仕事を増やしているのはアリスと会う時間をわざと減らそうとしてきている。おそらく犯人は兄のアランの部下にしたい父親だろう。配置換えをお願いするにも難しいかもしれない。


「事業計画さえすすめばなんとかなるんだけど」


 クリスと話してすすめている事業計画に目をやるがまったく進んでいない。

 十三才で独立など異例なのだが、父親であっても自分の従者を奪われるのは身内であっても許せない。それにこの様子だと何をしてくるかわかったものではない。

 ただ、それはまだいい。……よくないけど。現時点での最大の問題は外出の件である。おそらくクリスは気づいていないのだろうが、クリスは幼顔という部分を除けばかなりの美人。スタイルは守りたくなる華奢な身体で、幼さの残る整った顔立ち。髪質は良く、珍しい黒くさらさらした長髪を持っていた。そのクリスはアリスの従者であり、いずれ右腕になってもらう存在なのだ。

 治安が良くて活気がある町とはいえ危ない場所はある。世間知らずなことも考えれば到底一人で町を歩かせる訳には行かなかった。とはいえ田舎育ちなので富裕層のいるところへ行ってもあまり楽しめないだろう。

 アリスは使用人を呼び、護衛やルートを含めて慎重に選ぶことにした。





 ロジャース商会の社長室にて


「おう、来たか。どうだった」


 アリスの父親、ウイリアム・ロジャースは経理部長であり嫡男のアランに状況を確認した。


「本当に農家出身なんですか?」

「ああ、当人も言っているし、証明書にもそう書いてある」

「算術だけじゃない。文字も読めるし書けるんですよ。おまけに複式簿記もできる農家の娘なんて聞いたことがない」

「やはりそうか。あれだけできるのであればあとは爵位か商人の親であれば婚約も考えたのだがな」

「無理だと思います。何よりアリスが許さないでしょう」

「うーむ。アリスはそんなに気にいっているのか」

「ええ。そしてあの娘もですね。この前なんて行けないように二人分の仕事を与えているのに余裕で定時にアリスの所へ向かってきましたよ」

「なんと!やはり残業をさせてアリスに会えなくするのは難しそうか」

「ええ、無理ですね。会えなくする前にこっちの仕事が無くなってしまう。それに俺にはまったく興味がないようです」

「ふーむ。惜しいな。どうにかならないものか」


 こうして夜がふけてゆくのであった。


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