3-7 帰路(大地の道)
新たにアイリスが加わり、ローズ商会の商談も無事に契約し終えたメンバーは帰路につくことになり再編成された。
といってもアイリスはクリスの馬に一緒に乗ることになったため、編成と呼べる変更はなかったが。
しかし、視線がクリスに集中する状況に変わりはなかった。今回は正確にはクリスと一緒に乗っているアイリスに注目が集まっていたのだが。
そのアイリスの様子が今日はなんだかおかしかった。
いつものような陽気な笑顔はしておらず、真面目な表情で話をしてきた。
「クリス、ひとつだけ覚えておいてね」
「どうしたんですか、アイリス」
「一応は自覚はしているみたいだけど、団長が判断を躊躇うと命取りになりますよ」
「ああ、わかっている。だからこそ事前に回避できるように心がけているし」
「じゃあ回避できないときはどうするつもりなの?」
「・・・」
アイリスの問いにクリスは答えることができなかった。
記憶が戻ったといっても、人を殺す戦争をした経験なんてなかった。
もっとも人を殺した経験はあったが、あのときだって殺そうと思っていたわけではない。それにたまたま運がよかっただけとしか言いようがなかった。
そのことを証明するかのように、その後の情けない姿をアリスに晒していたことを考えれば的確に判断できるなど言うことができなかった。
「騎士団の団長なんですから多少なりとも覚悟をしておいた方がいいと思いますよ」
アイリスは伝えることは伝えたつもりなのだろう。
それだけ言うともとの陽気なアイリスに戻っており、あとは旅路の景色や雑談をしていた。
しかし、その日の晩クリスは寝付けずに窓辺の椅子に座って夜空を眺めていた。
アイリスが一緒に寝たいと言ってきかなかった為、やむを得ず一緒の部屋に寝ることになったものの、そのアイリスは早々に寝てしまってベッドを占領しておりクリスは寝付けなかったのだ。
「覚悟か」
アイリスが言っていたことは至って正論だった。
戦場でも経営でも指揮官は常に正しい判断を求められる。正しい判断が当たり前で、判断を誤れば、商会であれば従業員に経済的な死をもたらし、戦場であれば命を失う。前の世界であれば社会福祉や国が助けてくれただろうがこの世界でまっているのは餓死するか奴隷となるかだろう。
「アリスさんはどんな覚悟をしていたのだろうか」
クリスは今さらながら改めてアリスをすごいと実感していた。出会ったときや記憶を失っていたときはよくわかっていなかったが今だからこそよくわかる。そう思うと自身の無能さにため息がでた。
記憶がないときも含めてクリスは強がってきた。どんなときでも余裕を見せ、決して全力をだしているようには見せない。そして努力は誰も見ていないときにするもの護身術だって社交ダンスだって、記憶を取り戻す努力だって泣き言を言わずに常に人知れずやってきたつもりだった。
もっとも、そのたびにアリスには何度か涙を見られてしまったが。これだけ努力してきたのはそれでけ生きていくことへの不安を打ち消すためだった。
そして、これまでのことを思い浮かべ、あらためて周囲に強がってきていた自分の弱さを自覚する。
「こんな姿を誰にも見せられないな」
そう呟くと苦笑いし、気を取り直すために部屋をでようとドアを開けた。
すると、ドアの前に人影があった。
「わっ!」
「きゃっ!」
クリスが思わず身構えると何者かが驚いて尻餅をつく。
バクバクする心臓に手をあてて目の前を改めて見てみると、そこに居たのはフローラだった。
「え?フローラさん、どうしてここに」
「え?あ、あの・・・」
フローラも突然のことに驚いたのだろう。呆然としている姿とその返答ですぐにわかった。
そして、その様子を察した。クリスは手を差し伸べる。
「驚かしてごめんなさい。さあ、立ってください」
「あ、ありがとうございます」
フローラはクリスの手を掴み、立ち上がる。
「あ、あの・・・よかったらお話しませんか」
「ええ、いいですよ。私もちょうど夜風にあたろうと思っていたところですし」
部屋の前にいた理由が気になっていたがクリスはフローラの誘いを了承すると、一緒に外へ出た。
「あの、バラ騎士・・・いえ、クリス様。大聖堂で何かあったのですか」
「え?どうしてですか」
クリスは驚いてフローラを見た。
「いえ、何だか少し雰囲気が変わったような気がして」
「そう、だったんですか」
フローラはクリスの変化に気がついていたらしい。
クリスは驚きで思わず言葉がつまる・
「あの、クリス様?」
「何でしょうか」
「・・・いえ、何でもありません」
「ちょっと待って!」
そう言って立ち上がろうとするフローラの手を握る
「あの、よかったら話してみませんか」
「・・・でも」
フローラは何だか躊躇っているようだった。
余計なことをしたかもしれない。そう思い無理に聞いてしまったことをクリスは後悔する。
「ごめんなさい。余計なことをして」
「いえ、その・・・嬉しかったです」
そう言うとフローラは走って部屋へと戻っていった。
その様子を呆然と見送っていたが、クリスもだんだんと夜風が寒く感じてきた。
夜もふけてきたこともあり戻ろうとしたとき、今度は通路でロザリーとメアリを見かけた。
「あれ?ロザリー様」
「あら、クリスさんどうされたのですか」
「いや、眠れなくて夜風に当たっていました」
「そうだったんですね。あの、ちょっといいかしら」
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとうメアリ、私はクリスさんと話がしたいので、少し席を外してもらってもいいかしら」
「かしこまりました」
メアリが部屋に戻っていくのを確認するとロザリーが部屋に案内してくれた。
クリスは特に何も考えず、明かりのある窓辺へと向かう。そのときだった。
カチャッ
「えっ?」
クリスが振り替えるとロザリーが悲しそうに微笑みながらゆっくりと歩いてくる。
「ろ、ロザリー様」
「・・・クリスさん」
そして、手を伸ばせば届く距離まで近づいたとき、ロザリーとクリスは目と目が合う。
「ど、どうされたんですか」
するとロザリーは両膝を地につけクリスに抱きついてきた。
ロザリーの頭がちょうどクリスのお腹に当たる。
「え?」
「ごめんなさい。でも、もう少しだけこうさせて」
そういうとロザリーはしばらくのあいだ抱きついたままだった。
クリスは困惑した。あのときと違い、自身が男だったという意識もあったからだ。
あのときと同じ感情でロザリーを宥められる自信がなかった。
しかし、無理に引き離していい状況とも思えずやむを得ずできる限りやさしくロザリーの頭を撫でる。
「ねえ、クリスさん」
「はい、何でしょうか」
「クリスさん、私怖いんです。今の状況が、今の関係が、また失うかもしれないと思うと」
ロザリーはそう言う身体を震わせているのがクリスにもわかった。あのときロザリーは子爵での悩み話に続きがあったことに。そして本当に悩んでいたことが何なのかを。
「大丈夫ですよ。守ってみせます・・・」
しかし、その続きの言葉をクリスは言うことができなかった。
そして不意に自分の右手を見る。
私にその覚悟が本当にあるのだろうか。何があっても守れる力が、勇気が。
頭を撫でていた手が止まったのが気になったのかロザリーが不安げに顔を見上げてきた。
そのことに気づいたクリスはほほえみ言葉を続けた。
「大丈夫ですよ。私達がいますから」
言いたかった言葉とは違う言葉をロザリーにかける。
事務的な言葉にクリスは自己嫌悪したが、ロザリーはほほ笑み返してくれた。
そして、をベッドまでつれていくとロザリーを寝かしつけた。手を握ったまま。
しばらくの間ロザリーを見守っていると寝息が微かに聞こえてきた。その様子を確認すると、その手を離し今日は窓辺の椅子に座って夜空を再び眺めた。
「今日は寝れそうにないな」
そう呟きながら自分の右手を眺めた。




