2-9 海の見える町
クリス達一行がマーセルの町の宿に予約を取ると、面会の申請をするためアリスはカルヴァンにプロヴァン辺境伯へ向かわせた。そして返事を聞いたカルヴァンが帰ってくると面会は明日ということが決まった。
目的の予定も決まり、休むために部屋の内装を見ていると、部屋には窓があり、そこから青く広がる海が見えた。
「きれい」
クリスは思わず呟いた。
その様子を見たアリスがクリスの隣へやってくると同じように海をみる。
「きれいよね」
「ええ。それに気づいたんですけど、この町はなんだか違う香りがしますね」
「そうね。潮の香りかしら。とても不思議な香りよね」
二人はしばらくの間、海を見ていた。
そして、目線を少し落とすと港には停泊している船の姿と市場が見えた。
「ねえ、クリス。ちょっと出かけてみない」
「いいですね」
クリスはアリスを見て笑顔で頷いた。
「じゃあ行きましょうか。カルヴァンもついてらっしゃい」
「はい」
部屋の入り口付近で立っていたカルヴァンも頷いた。
こうして一行は港町の散策へと出かけた。
アリスが道筋の記憶があるらしく、アリスに誘導されながら歩いて行くと露店が立ち並ぶところにたどり着いた。
「オルランドとはまた違った町並みなんですね」
「そうね。このあたりはどちらかといえばガイア帝国にある町並みに近いかしら」
「そうなんですか」
「ええ、ガイア帝国は海洋国家ですからね。船が交易の中心になっているの。だから港町のマーセルが似るのも自然なことなのかもね」
「そうかもしれませんね」
クリスは周囲の石やレンガに囲まれた町並みや露店を見ながら賛同した。
そしてしばらく町並みを堪能し、海産物を調理された食べ物等を食べてみたりして楽しんでいたが。旅の疲れもあったためあまり長居はせずに宿も戻って休んだ。
そして翌日。一行はプロヴァン辺境伯の屋敷へと向かった。
爵位は辺境伯。ガイア帝国との国境を守るために相応の権力を与えられていることもあり、その屋敷は侯爵家とも大差がないものであった。
クリス達が屋敷の門番に来訪を伝えると使用人らしき人がやってきて、一行は屋敷の使用人に案内された。
そして、少しの間待合室で待たされた後に応接室へと案内された。
プロヴァン辺境伯は初老の男性だった。
厳格そうな顔つきで目は細く、一見すれば睨んでいるようにも思えた。
そして体はとてもがたいが大きくその体格だけでも戦えば相当の猛将であることが想像することができた
その姿を見てクリスは疑問が沸き起こった。
どうして、この人がラヌルフ辺境伯と組んで噂を流していたのだろうか。
もしかしたら情報の一部に誤りがあるのかもしれない。
見た目で判断するのはよくない事ではあるもののクリスはこれからの話を慎重に判断することにした。
「久しぶりだな。アリス殿」
「お久しぶりです。彼女はクリスティーヌでローズ商会の経理責任者で、入浴場の発案も行ったものです」
「はじめまして。クリスティーヌ・ローランと申します」
クリス達は簡単な挨拶を済ませると本題へと話を移した。
「本日はご用件があると伺い参りました」
「うむ。わざわざ遠方から来てもらったことについて感謝する。用件についてだが……その話をする前にいくつか確認したいことがあるのだが」
「なんでしょうか」
「オルランドでローズ商会にとある噂が流れていたそうだがその真意を確認したい」
プロヴァン辺境伯は少し声を低め、アリスをじっと見ながらそういった。
「噂は所詮噂です。これまでのローズ商会の行いを考えれば私たちが無実であることは明白かと思います」
「では貴女達は陥れられたということかな」
「ええ、私たちローズ商会にとっては全く得のないことですから」
「では、噂が流れたのはローズ商会を恨んでいる相手の仕業ということか」
「真偽はわかりませんがそうだと私達は考えております」
「それを私に信じろと」
「今は無理に信じていただく必要はありません。失敗した犯人は再び行動を起こすでしょう。そのときに改めて証拠を用意すればいいだけですから」
「ほう」
プロヴァン辺境伯は微かにニヤリと口元が動いた。
アリスは表情を崩さないまま淡々と話している。
「ではプロヴァン辺境伯に確認します。仮に噂が事実であったとして私たちにどんなメリットがありましょうか」
「メリットとな」
「はい、私たちは商会を運営しています。貴族や騎士の皆様とは違い、商会は利益があって初めて存続ができます。今回の噂の前に私たちは事業成功を収めることができていました。その成功を捨ててまでのメリットがあれば、疑われてもしかたないでしょうが、そのメリットがないのに疑われるのは心外です」
「ほほう。なるほどな。しかし、あるのではないかな。ガイア帝国といえば強大な帝国。もし、それでローラン王国を傘下にできればその功績として伯爵又は侯爵クラスの褒美があってもおかしくはないと思うが」
「ではそのローラン王国を裏切った伯爵に対して人々は従うでしょうか」
「さて、どうであろうな」
「国を治めるのは人がついて来るからです。しかし、スパイというのは一度ばれてしまえばもう価値はありませんし、それで国家を滅ぼさせたとあっては伯爵又は侯爵となっても恨みからいずれ民から殺されるのが落ちでしょう」
アリスの言葉にプロヴァン辺境伯は驚いた顔をしながらニヤリとした。
そしてプロヴァン辺境伯は片手であごひげを触り、少し何やら思案してから再び口を開いた。
「……わかった。そなたたちの話を信じよう」
「ありがとうございます」
「ずいぶんのお若いのになかなかの聡明だ。うちに嫁いでほしいくらいに」
「ご冗談を。私のような庶民にはもったいない話です」
アリスが微笑むとプロヴァン辺境伯は満足げな表情で笑顔となっていた。
この様子からアリスとプロヴァン辺境伯との駆け引きが無事に終わったことがクリスにもわかった。
「ところで、ご用件とはなんでしょうか」
「おお、そうであったな。用件についてだが、私たちはマーセルに独自の特産品を作りたいと思っている。オルランドで話をしても良かったのだが、現地を見てもらったでから話をした方がいいと思ってな」
クリスとアリスは目を見合わせた。
お互いてっきり噂に関する話で取引を求められると思っていたからだ。
「そうだったのですね。ただ、突然のお話でしたので、お時間をいただければすぐにお応えできたかと思うんですけど」
「うーむ、そうか。残念だ」
「申し訳ございません。クリスは何か良い案はある?」
クリスは一考し、口を開いた。
「お伺いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「石鹸を使われたことはございますか」
クリスはローズ商会の石鹸をひとつ取り出しプロヴァン辺境伯へと渡した。
「うむ。このマーセルにある石鹸は嫌な匂いがない石鹸だったからな。ただ、最近ではローズ商会の石鹸の人気がすごく、私の娘も気に入っているそうだ」
「そうだったのですね。ありがとうございます」
「今回の話と何か関係あるのかな」
「それについては一度アリスと話合わせていただければと思います」
「そうか、どれくらい日数が必要かな」
「そうですね。3日ではいかがでしょうか」
「たったそれだけでいいのか」
「はい、十分です。それでですがこの町についての地図をいただけないでしょうか。何点か見て回りたいところがありますので」
「わかった。用意させよう」
こうしてプロヴァン辺境伯との商談は無事にまとまった。
翌日からアリスとクリスは再びマーセルの町を歩いた。
工房、市場、港、時には飲食店にもより海の幸が活かされた食べ物も堪能した。
おそらく一見すればクリスとアリスの動きはただの観光に見えたことだろう。しかし、行動はかなり計画的で、初日に市場に寄り、特産品や噂を聞きた内容を元に、工房では石鹸を見せてもらい、一部は試すために買い取った。さらに港ではどのような物が搬入、搬出されているのかを観察しながら港を見て回った。
3日が経過し、一向は再びプロヴァン辺境伯の元へと行った。
「さて、マーセルはいかがでしたか」
「とても興味深く、楽しかったです」
「それはよかった。ところで特産品の件についてですが何かよい案は見つかりましたか」
プロヴァン辺境伯の問いにアリスは笑顔で答えた。
「ええ、詳細はクリスから話させてもよろしいでしょうか」
「それはかまわないが」
プロヴァン辺境伯の視線がクリスへと向いた。
「それではお話をさせていただきます。これはまだ草案ですが、当初からローズ商会では新しい石鹸を作りたいと考えておりました。このマーセルを見たところ港町ということもあり、いろいろな品物を取引することができるのでないでしょうか」
「そうだな。特にガイア帝国からいろいろなものを輸入したり輸出できる。しかし石鹸とどんな関係があるのかな」
「現状、ローズ商会では原材料をガイア帝国とこのプロヴァンの地から調達しています。そこでいっそうの事原材料の調達地であるマーセルで新しく無香料の石鹸を作ってみてはいかがでしょうか。ローズ商会の作り方は元々匂いを抑える工夫をしておりますが、無香料を作れれば、男性が多い騎士の方でも使いやすいものとりますし、貿易の拠点としてガイア帝国へもかなりの取引が見込めるかと思います。また、マーセルには既に匂いの少ない石鹸を作っている実績もありますのでむ無香料の石鹸ということであれば職人を育てるのももしかしたら比較的容易かもしれません」
「新しい特産品を考えていたが、既存のものの価値を上げるのか」
「ええ、新しいものよりも基盤がありますので工夫次第でどうにかなるかと思います。そして、鮮度や品質に関してもこのマーセルは理想的な地かと思います」
「しかし、石鹸自体はもともとあってだな。既製品があるところでそんなにうまくいくだろうか」
「その点は問題ないかと思います。ローズ商会で原材料を知る職人を送りますのであとはプロヴァン伯の名をお借りできれば無香料石鹸はうまくいくと思います。特に今回はローラン王国への販売を意図するのではなく、ガイア帝国への流通も視野にいれた販売を考えております」
「ふーむ、敵国へ販売するのか」
プロヴァン辺境伯は渋い顔をした。
ガイア帝国への販売と聞き迷っていることは明白だった。
「プロヴァン辺境伯。戦いにおける最上の策は戦わずして勝つことかと思います。販売が成功すれば、プロヴァン辺境伯は商会を経由して軍資金を得ることができます。そして例え戦争となりガイア帝国が石鹸の供給をストップさせたところで無香料石鹸であればローラン王国内の騎士が消費したり、倉庫においておくことができます。しかも、販売しているのは商会なので運営が躓いたとしてもプロヴァン辺境伯の名を汚すようなことにはならないかと」
「平和な今だからこそ敵国に軍資金を調達させる……か」
プロヴァン辺境伯は話を聞くにつれて表情を変え、ニヤリとした。
「わかった。その案を採用しよう」
アリスとクリスはさっそくプロヴァン伯と話し合い、新しい商会を作ることになった。プロヴァン辺境伯公認のもとでマーセル商会が結成され、会長などの重役、販路、工房、ギルドへの加盟はプロヴァン辺境伯側が用意し、製造の職人責任者と一部販路はローズ商会が用意、利益は同率で分配することで話が決まった。
そして、話も終わろうかというころ。
アリスは質問をした。
「そういえば、プロヴァン辺境伯様はラヌルフ辺境伯様と仲がよろしいとお伺いいたしましたが」
「ラヌルフ辺境伯か。貴女達が来た場合は話すことなるかなとは思っていた。確かに同じガイア帝国の国境を守る辺境伯としてはそうだが誤りだ。周囲は私がラヌルフ伯と親密に思われているようだが、それらはあくまでも商会あってのことでな。可能であれば今回ローズ商会と協力した商会ができることからラヌルフ辺境伯とは同じ爵位同士、ガイア帝国への防衛でのライバルとして関係を保ちたいと思っている」
「そういうことだったんですね。しかしどうして私たち質問するとご存知だったのですか」
「ああ、最近オルランドでのラヌルフ辺境伯についてよくない噂を聞いてな」
「ずいぶんとお詳しいのですね」
アリスの質問にプロヴァン辺境伯は黙った。
そして少し間をおいて、口を開いた。
「数年前のオーウェン子爵の件は知っておられるかな」
「噂程度ではございますが聞いたことがあります」
「オーウェン子爵は噂であのようなことになった。だから私もこうして王都の噂には注意を払うようになったのだ」
「そうだったのですね」
プロヴァン辺境伯そこまで言うとため息をついた。
「まあ、噂などで名を傷つけられてはたまらんからな」
「お互いに余計な噂に惑わされないよう気をつけないといけませんね」
「ああ、まったくだ」
こうしてプロヴァン辺境伯との取引話は終わった。
新規商会のほとんどの準備はプロヴァン辺境伯側が用意し終えるのを待つ状態となったため、アリスとクリスはオルランドへと帰ることになった。




