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2-8 守るべき理由

 人を殺してしまった。


 クリスはひどい不快感に襲われた。

 過去の記憶はないものの、おそらく人を殺めたのは初めてだったのだろう。

 視線を落とし、自分の手を見てみると震えていた。


 ヒトを、殺した


 クリス自身いつかそんな日がくるかもしれない。その覚悟はしていたつもりだった。

 自分は悪くない。仕方なかったことなんだ。

 クリスは心の中でなんども言い聞かせようとした。しかし、その言葉を繰り返せば繰り返すほど別考えが思い浮かぶ。


『他に手段があったのでは?』


 その言葉が頭をよぎりクリスは胸が苦しくなる。

そして目の前に再び人が火に包まれている地獄絵図がフラッシュバックする。

頭がおかしくなりそうになり、クリスが思わず耳を塞ぐように頭を抱えた。


「クリス?」


 我に返り、声がした方を見てみるとアリスが心配そうにこちらを見ている。


「あ、アリスさん」

「クリス。あなたはよくやったわ」


 クリスに手を置き、アリスは目を見てそう言ってくれた。その表情はなぜかやさしく微笑んでいるような感じがした。

 ただ、クリスはその表情を確かめることができなかった。目から涙が溢れ視界がぼやけていたから。それでもアリスの言葉には不思議と心に安心感が広がるのを感じた。

 そして、意識がはっきり戻ってくると急激に嘔吐き、クリスは慌てて道路脇へ走った。



 クリスが道路の端で吐き気が治まるのを待っている間、カルヴァンは馬車を動かして少し先へ進み待機したようだった。

 そしてアリスはクリスの気持ちが落ち着くのを待っていてくれており、クリスがアリスの元へ戻ってくると付き添って一緒に馬車の待つ所へ向かった。

 馬車を移動させたのは休むにしても焦げ臭い匂いがする場所にクリスを居させるのは良くないとアリスが判断したからだった。


 クリス達は少し現場から離れると再び休んだ。

 そしてその日は予定を変更して今居る所から一番近い町の宿で泊まることになった。

 クリスは大丈夫だと言ったがアリスはクリスの意見を却下されたからだ。

ほどなくして宿のある町は見つかり、一行はそこの宿で一泊することになった。


「ああ、何やっているんだろう」


 外を見るとすでに日は落ち、クリスは部屋で一人となりベットに横たわっていた。

 もう体の震えは起こってはいない。涙も出ていない。

 しかし、クリスは何かを喪失した感覚に襲われていた。


コンコン


「クリス、いいかしら」

「あ、はい。今ドアを開けます」


 聞き慣れた声にクリスはすぐに反応した。

 クリスがドアを開けると蝋燭を片手にアリスが立っている。


「ありがとう」

「いえ、こんな時間にどうされましたか」

「ちょっと寝付けなくてね。よかったらお話でもと思って」

「そうだったんですか。私はかまいませんよ」


 クリスはアリスが気を使っているのかもしれないと思ったが知らないふりをした。

 こうして、アリスとクリスは新しく始めた入浴場についての話をしていると、いつの間にか夜も更けていき、アリスがうつらうつらとし始める。


「アリスさん。そろそろお休みになられた方がいいのでは」

「ねえ、クリス。今日は一緒に寝てもいいかしら」

「え?」


 アリスがクリスを見て、やさしく微笑んで言った。

 その言葉を聞いて、クリスはようやくアリスが夜に部屋に来た理由を理解した。

 クリスはコクリと頷いた。


ドキドキしながらもアリスが先にベッドに入る様子を眺め、クリスも後に続いた。


「クリス、手を繋いでもいいかしら」

「はい」


 クリスがコクリと頷いたのを確認すると、アリスは手を繋いだ。

するとアリスが再びやさしく微笑んだ。

 しばらくはお互い見つめあっていたものの、眠気に限界がきてしまったらしい。程なくアリスは寝てしまったようだった。微かにアリスから寝息が聞こえてきていた。

 その様子を見てクリスは鼓動が高まって寝られそうにないことを覚悟していた。

 しかし、不思議なことにアリスの手を繋いでいると何だか安心してしまい、今日の疲労感も手伝ってかいつのまにか意識を手放していった。




 日の光にクリスは目が覚めた。

 クリスが隣を見てみるとアリスはまだ眠っている。

 二人の手はずっと繋いだままだった。


 おはようございます。アリスさん。


 クリスは心の中でそう言うと、手を放しアリスが起きないようにベットの毛布をかけて直すと、

 いすに座って寝ているアリスを見ながら少し気持ちを整理することにした。


 私は人を殺してしまった。

 これは紛れもない事実だし、それを否定したところで記憶が鮮明に覚えている。

 じゃあ、何のために殺したのか。それはアリスさんを守るためだったのではないだろうか。

 チャンスはあのときに魔法を放つしかなかった……と思う。

 相手は隠れていたのだ。事前に回避できなかった。それにあのとき魔法を使わ なければ、カルヴァンと私はほぼ確実に死んでいた。

 人を殺すことは重罪だとはわかっている。

 でも、武器を持って戦う気でいる相手に話し合いをすればわかってくれるなんて甘い考え方をしていては誰も守れない。

 そう、そんな甘い考えをしていたから。だから私も一度は命を落としかけた。

ウィリアム会長言った『命に代えましても守ってみせます』という言葉。

 そう、私はただアリスさんを守ろうとしただけ。ただそれだけ。

 なのに守るために自分が汚れてしまうことを気にしている。


 クリスは思わずため息をついた。


 なんて、自分は愚かなのだろう。整理しようとしていたのにまったく整理できていない。

 最初から悩む必要も言いようのない嫌悪感を負う必要もなかったじゃないか。

アリスさんを守りたいから最善を尽くす。すべて自分の身勝手な考えかもしれな いけど、それでアリスさんを守れるならそれでいいじゃないか。


 クリスはなんだかこれまでとは違い迷いが吹き飛んだ気がした。

 クリスは再びアリスを見ると、目が覚めたアリスがクリスを見ていることに気がついた。


「おはよう。クリス」

「おはようございます。アリスさん」


 クリスとアリスはお互いに挨拶をすると微笑んだ。


 各自出発の準備をし、アリスとクリスが馬車のあるところへ向かってみると、カルヴァンが既に待機していた。

 そして二人を見る、駆けつけて頭を下げた。


「申し訳ありませんでした!」


 突然謝られて驚くアリスとクリス。


「どうして謝っているの」


 クリスが不思議に思い、首を傾げながら問いかけた。


「昨日私はお二方の護衛でありながらまったく守ることができませんでした。しかもすべてクリスさんに背負わせる形になってしまったのに声もかけられず、本当にすいませんでした。」


 カルヴァンはずっと気にしていた。昨日、二人を守れていなかったこと。クリスが何もしなければおそらく死んでいたこと。

 自身の不甲斐なさを悔やんでいた。


 その様子を見て、アリスはクリスをちらりと見た。

クリスはその様子を察し、微笑みながら行った。


「カルヴァン、気にしなくてもいいのよ」

「でも」


 カルヴァンは納得していないようだった。

 クリスは作戦を変更し、真剣な表情でカルヴァンに言った。


「カルヴァン。思い上がらないで頂戴。アリスさんは私も守っているの。あなたも昨日の出来事を覚えているのでしょ。だったら私の強さはもう知ることができたよね。私は強いの。それにいつまでも男がうじうじしていてはみっともないよ。だからあなたは私よりもっと強くなれるようにこれからも努力しなさい」

「……わかりました」


 渋々ではあったがカルヴァンは納得したようだった


 こうして一行はプロヴァンへの旅を再会した。

 するとアリスが誰に聞かれる訳でもなくプロヴァン地域について語り始めた。

おそらくクリスやカルヴァンに気を使って、気まずくならないためだったので、クリスにとってはありがたかった。


 アリスの話でプロヴァン地域についていろいろ知ることができた。

 プロヴァン伯は辺境伯となっているため、侯爵と大差がないこと。

 プロヴァンはアリスも小さいときにロジャース商会の商談の関係で一度行ったことがあること。

 南に海があり、領主が住む土地もその海を経由してガイア帝国との交易を行っているマーセルという港町に住んでいるということ。

 港町は人が多く、特に船乗りは気性が荒い人が多いこと。

 東には陸続きでガイア帝国と面しており、国境警備では国王軍の駐屯地があること。

 マーセルは塩害を防ぐため、レンガがメインで使われた家となっていること。

プロヴァンのマーセルでは石鹸が特産品のひとつになっていること。


 など、これまでクリスが知らなかったこともたくさん話してくれた。


 そして、アリスの思い出話などを聞いて、時には質問をしたりし、一行は順調にプロヴァン地域へ入り、ようやくマーセルへと到着した。

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