1-1 はじまりはいつだって理不尽
……徐々に意識が戻ってくる。まだ意識がはっきりとせず夢か現実かわからないが、俺は目を閉じたまま夢の内容を振り返ってみる。
あれは夢だったのだろうか。そうだとしたらひどく悪い夢だった。
いきなり神様が俺を死なせたと宣告し、転生の話をしてきたのだ。行き先が中世で目をあけたら知らない世界。そんなの小説の話だから面白のであって、本当に起こるなんてごめんだ。
ただ、あまりにも非現実的な夢の出来事が鮮明に覚えてすぎて怖い。だから今もこうして目を瞑っている。今目を開けてしまえば戻れない気がしたから。とはいえこうして一生目を瞑っている訳にもいかなかない。
大丈夫だ、背中の感触は間違いなくソファなのだ。
背中の感触に確かな覚えがあった。自分が何度も使用してきたソファの感触を間違えるはずがない。
そう自分に言い聞かせ、今居ることろが休憩室のソファであることを信じ、自分に言い聞かせながら目を少しずつあけた。
「……ウソ、だろ」
言葉にならなかった。
不安で少しは覚悟していた。けれども突然こんな状況におかれて誰が平然としていられるであろうか。
俺はたしかにソファに横になっていた。そう休憩所のソファだ。それは間違いない。
日もまだ昇ったばかりなのでとりあえず朝だということも間違いない。
だが、目の前に広がる光景が異次元すぎた。そこには休憩室としての一室は面影は無く、見慣れた壁やコンクリートはまったくなかった。あったのは舗装されていない土の道があり、道を挟んで木々が連なっていた。つまり森である。
しかも、目をあけてからはご丁寧に新しい人生の設定と思われる旅立ちまでの新しい記憶が蘇る。
それもまるでその記憶が正しくて、これまでの記憶が遠い過去の幻想とも思える気がしてくるようなほど鮮明に。
それでも現状を考えれば新しい記憶と過去の記憶があるのは幸いなのかもしれない。少なくとも神様が約束を守ってくれたことの証明でもあった。
もっともその記憶が原因でこの混乱を起こしているわけだが。最初こそ驚きはしたものの、夢の出来事を整理していくうちに徐々に記憶の混乱は収まっていく。
ああ、夢は本当であったのだな。
俺はただ呆然とこの現状を受け止めるしかなかった。そうしなければ二つの人生が記憶にある事自体がおかしいし、俺自身がおかしい人ということになってしまう。
「これからどうしようか」
嘆いても仕方ないのでこれからのことを考える。こう聞けば冷静に見えるかもしれないが、考えていれば今の非情な現実に対する感情から少しでも逃避したかった。
「そういえば紹介状を貰っていたっけ」
なぜか招待状を貰った経緯を覚えている。出掛ける前、村の村長さんからもらったものだ。
所持していた大きめのポシェットに入っている荷物の中から紹介状を見てみると、そこには丁寧にカルロスという町の名前と宿屋の名前があった。
宿屋ということは住み込みで働くのかもしれない。宿無しの現状を考えれば唯一の希望の光だ。あぁ、神様のくせによくわかってる。
まぁ、どうせ帰れる家も頼れる人もないからそうするしかないんだけど。
まるでチュートリアルだな。そう思いながら他にも何かないかと確認してみると、携帯用干し肉、飲料、ナイフ、地図、鉄製のコップ、2着ほどの衣類、わずかな金銭、証明書があった。
次に今着ている服装を確認してみると、魔道士のようなフード付コートが傍にあり、服装はワンピースみたいな格好にカーディガンを羽織ったような服装であった。足は旅のためか硬い長靴のようなものになっており、長持ちはしそうだが歩くのには少し不便そうだ。
こんな服装は男では着ることなどなかったが世界が違うのだ。なんとなく華奢な気がする身体も自分の常識で判断するのは誤りだと思い納得することにした。それに考えなければならないことは他にもある。
「記憶があるということは魔法も使えるのだろうか」
とりあえずこの場所では少々問題があるかもしれないので場所を移動する。
なんせ威力がわからないのだ。木が近くにある中で威力もわからない火の魔法を試す訳にもいかない。昔の放火は重罪だと聞いたことがある。地図を取り出し小川がないか確認することにした。
地図には現在地の西側の近くに小川が記してあった(なぜがペンも無いのに現在地のマークが付いていたのでわかった)のだが縮尺がわからないので距離は不明だった。
道の途中にあるし、ちょうどいいかな。
どちらにせよ食料が尽きるまでに町にも着かなければいけないのだ。
俺はそばにあったフードを着て歩き出すことにした。
そして、少し歩いてから俺が寝ていた位置を一度振り返ってみると……
先ほどまで寝ていたソファは跡形も無かった。
とりあえず歩いた。けれども見渡す限り、木、木、木。
新世界に来たのに面白くない風景を見ながら歩くこと三十分くらい。
ようやく地図の描いてあった川の位置に到着した。
え?なんで見た事もないのにわかったかって?もう一度地図を確認してみたらマークが川の地点になってたからだよ!しかし、なんて便利な地図なんだろう。しかも俺の現在地が常に中心になっているし。
……いろいろ神様にツッコミたくなってきたけどやめておこう。これがなくなって困るのは俺なのだ。
初めて歩く道に配慮したであろう神様が配慮した地図に感謝して、少し川沿い道を外れ、上流へ歩く。そして誰もいないことを確認し、俺は傍に一旦荷物を置いた。
周囲を確認したのは魔法を誰かに見られないようにするため。中世の魔女狩りの知識が記憶にあり、見られる面倒なことになることが容易に想像がついたからだ。
魔法を会得したばかりに新世界で隠れて暮らさないといけなくなるのは避けたかった。
呼吸を整えると俺は川に向かい、試しに魔法を唱えてみる。
唱え方など知らないはずなのだが、なぜか知識があるので容易にできた。
呪文を唱えてから。指先で星の形を描き、そのときに水のイメージをする。
そして発動後のイメージをしながら手の平で描いた星を押す。といった要領だった。呪文はよくわからないけど言葉に表現できない内容だった。
……先に言ってこう。自分でも何を言っているかわからない。邪気眼かよ!
一般人の感覚としてはとても痛い気持ちになるだが、本当に水が出てしまうのだから仕方ない。
やってみてわかったことは、どうやら水は手のひらから出されるらしい。
イメージでは消防車の放水のイメージをしてみたが、実際に放水の現場を見たことがないのでホースで口先を押さえて放水したような鋭いけど弱そうな感じであった。イメージ力や感情で威力が変わるのかもしれないけれどもよくわからん。
出した水は触れてみてもただの水で無味無臭だった。そして発動後、急激に疲労がやってくる。
あ、結構しんどいかも……
少し休憩し、気を取り直して今度は火の魔法を唱えてみる。
要領は基本的に同じだった。指先で描いた星を押す。
すると指先から豆粒ほどの火の玉がでてきた。どうやら出した指先は熱くもなく焼けどもしないらしい。いや、しても困るんだけどね。
うん、貧弱だ……
今更ながら自分の過去が邪気眼でなかったことを後悔する。
まさか黒歴史として他人に笑われる事がここで必要になるなんて誰も思わないじゃないですか!
腹立たしいような悔しいような微妙な気分になった。そして再び息が上がり、体がだるくなる。俺は考えるのをやめて再び休憩することにした。
しばらく休んでいると、朝から何も食べていないことに気づき、少しお腹が減ったので干し肉を食べる。臭みを感じてしまうのは日本人として飽食の時代を生きてしまったせいだろう。味はともかくとして今の身体も前と変わらず少食らしく、少し食べただけで満足できた。
この量ならあと2日くらい持つかもしれない。
水もこの川の水はきれいそうだったので少し飲んでみたが問題なかった。通常、念のために沸騰させて飲むのだが、鍋がないので断念した。
そして、お腹も満たされ落ち着いたとき、俺は違和感に気づいた。
髪が異様に長いということに。いや、前と同じ髪型を所望していたわけではない。だけど少し髪が長すぎるのだ。前は男としては多少長髪程度ではあったけど、今の髪は肩どころか腰近くまで髪があったのだ。しかも邪魔にならないように軽く髪先を括ってあった。この時代の人は髪を伸ばすのが普通なのだろうか。
それに最初は気づかなかったけど体も小さい。俺は一七五センチと日本人男性としては結構理想的な慎重だったはずなんだが、どう考えても一五〇程度の身長しかない。
慌てて証明書の書き込み欄を確認してみるとには生まれと年齢が記載されており、年齢は十二才とあった。
どうりで道を歩くのも時間がかかったわけだ。
十二才からスタートなんて聞いていないんですけど!
まぁ、初期設定で記憶が残されていたのだから違和感を感じないのは仕方ないことなんだろうけど改めて実感するとショックを受けてしまった。
とはいえ嘆くにしても今さらだろう。
俺は諦めて荷物をまとめ、町に向かうために再び道へ戻っていった。
ようやく道に戻ってしばらくカルロスの町側へ歩いていると、向かい側より馬車がやってきた。
どうやらこの時代の交通手段は馬が中心らしい。個人的には初めて人の姿を発見した。
そして馬車に道を譲り、興味津々に後ろから見てみると少し中が見えた。馬車は乗り合いなのだろうか。男と子供が数人いたが通り過ぎていく。
もしかしたら馬車がバス代わりなのかもしれない。俺はそう納得していると
「カルロスへ向かうのかい」
馬車が止まりなにやら馬車から一人男が出てきて俺に俺に話しかけてきた。
格好は普通だが馬車の所有者のようだ。
「はい」
「そうなのかい。それならやめておいたほうがいい」
「どうしてですか?」
「カルロスに行く途中にある橋が崩れてしまっていてね。途中にあった道から曲がって折り返していったほうがいいよ」
「そうなんですか。ありがとうございます。でも大丈夫です。徒歩なんで。いざとなったら(たぶん)泳げますし」
「そうかい。でも濡れると風邪を引くよ。よかったら俺の馬車に乗っていかないか」
「方向逆ですよね」
「ああ、でも俺らもちょうどそのそっちの町に行く予定だから迂回していくつもりなんだ」
「迂回、ですか」
「ああ、どうだい」
迂回するとどれくらい時間がかかるのだろうか。
うーん、でも知らない人だし……いや、親切な人という可能性も。
俺が少し悩んでいると。目の前の男はだんだんイライラし始めた。
短気な人は苦手なんだよなぁ。よくわからない世界で喧嘩になるのもこわい。
「で、決めたかい」
「うーん……やっぱり遠慮しておきます」
「おいおい、こっちは親切で言っているんだぜ!」
この人怒っている。
俺が優柔不断だったからだろうか。それともこの世界では断る事が失礼なのか。
俺が動揺していると、町側からもう一台馬車がやってきた。
やはり、橋が壊れているは本当だったのだろうか。
そう思い、乗せてもらおうとお願いしようとすると
「ッチ、タイミングが悪い。馬車を動かせ!」
男は俺を連れて行くか迷ったようだが、俺を置いてさっさと馬車に乗り、馬車は去っていった。
そしてほどなくしてもう一台の馬車がこちらにやってきて、止まる。
今度も中に人がいるようだけど、こんどは親切そうな初老の男性だった。
「ローラン王国側に向かうのですか」
俺が向かう方向と逆の方向を指す。
「いえ、反対方向へ向かいます。ただ、先ほど橋が壊れていると伺いましたのでどうしたものかと悩んでおりました」
「え?橋が?」
親切そうな初老の男性は護衛らしき男に顔を向けると護衛らしき男は首を振った。
「そんなことはございません。先ほど橋を渡ったばかりなんですから」
「え?」
「え?」
どうやら俺は事なきを得たらしい。知らない人について行ってはいけない絶対!
事情を話してお礼を言い、再び歩きだす。
それにしても日本にいたときは道を歩いていても声をかけられることなんてなかったので驚きだが、この世界では気軽に話しかけるのが常識なだろうか。そういえば昔の田舎では見かけたら声をかけると聞いた事もあったな。
そんなことを考えていると、今度は俺の後ろから馬車がやってきて、俺を抜いたかと思うとやはり止まった。
この国の人はやはりみんな親切に声をかけるのだろうか。
そう思っていると人が降りてきた。
今度は同じ身長の女の子らしき姿だった。髪は金髪で顔は幼さが見えるものの、愛らしい容姿に対して動作は大人びて見えた。
「カルロスへ向かわれるのですか」
「はい」
「大変でしたでしょ」
「いえ、それにもう少しだと思いますし」
「お強いのですね」
「ありがとうございます」
「女の一人旅は危険でしょう。よかったらご一緒しませんか」
「え?」
「え?」
俺は女の子を見て、再び自分の服装を見る。
言われてみればたしかに女性の服装かもしれない。てかあらためてみれば女性の服装にしか見えない。……女性の?
慌てて胸と股間を確認してみると、あるべきと所のものがなく、胸は少し膨らんでいた。
……おいおい冗談だろ。
俺は顔から血の気が引いていく感じがし、女の子は驚きながらも俺の行動に少し恥ずかしそうにしていた。
俺は慌てて証明書を確認するとクリスティーヌ・ローランという名前があった。保証人名かとおもったが、どうやら俺の名前らしい。
「……ウソ、だろ」
女?俺が女になっただって?俺は目の前が暗くなり意識が遠のいた。
男と思っていたら女だった。今ならその気持ちが分かる気がした。
ショックのあまり遠のく意識の中、目の前に慌てている女の子の姿が見えたが、俺にはどうすることもできなかった。