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2-6 一休み

「どうしよう」


 クリスは眠れぬ夜を過ごしていた。


 思い出しただけでも顔が赤くなる。そして手で顔を覆わずにはいられなかった。

 必死に寝ようと努力はしてみたものの、鼓動が高まり一向に寝付けそうにない。


「うぅ、眠れない……仕方ない。少し外の空気でも吸おうかな」


 眠ることを諦めて、一旦近くの蝋燭に魔法で火をつけて、部屋から出て屋敷の庭へと出てみた。


 夜に庭を歩くのは初めてのことだった。

 静かな庭に着くと暗闇で庭の様子はよく見えないものの、夜風が心地よくだんだんと心が落ち着いていくのを感じる。


 深呼吸をして一息つくと、もう一度アリスの言葉を思い浮かべてみた。


「いい、私はクリスが好きよ。そして他の誰よりもあなたのことを信頼しているわ。だってあなたは2度も助けてくれたんですもの。それも文字通り命を懸けてね。だから私もすべてを捧げてあなたを助けたいの。だからもう私達に関わることで隠し事をしないで。私をこれ以上不安にさせないで。私はクリスが傍にいて欲しいの」


 これはどういう意味だったんだろうか。

 安心させるため、信頼してくれいているから、それとも……


 クリスは首を横に振って考えるのを中断した。

 そうしないとかってに妄想が広がっていってしまいそうだったから。


「そ、そうよ。安心させるためだよね」


 クリスは自分に言い聞かせるように呟いた。

 そして屋敷を見てみるとアリスがいる部屋はまだ明るかった。


 まだ、仕事をしているのだろうか。


 そう思うとずっとあの出来事で頭がいっぱいだった自分がなんだか恥ずかしくなってくる。


「もしかしたら私の思い過ごしだったのかな。そうよ、やっぱり安心させるためだったのよね」


 そう思うと素直に嬉しいと思え、鼓動の高まりが落ち着いていくのがわかった。

 そして安心感と共に眠気がやってきたためクリスは再び部屋に戻り、ようやく眠りについた。


 翌日、クリスはアリスに呼び出され、会長室へと向かった。


 コンコン


「失礼します」

「クリスね。よく来たわ」


 部屋にはアリスとローラがいた。

 クリスは入室し、アリスを見るとお互いの目があう。

 思わず二人とも視線をそらした。

 その様子をローラは不思議そうに見ている。


「え、えっと。何か御用でしょうか」

「え?そ、そうね。そうだったわ」


 クリスの問い反応し、アリスは一度コホンと咳払いしてからクリスを見た。


「クリスはカルロスで話していた男女別入浴場の件を覚えている?」


 クリスは思い当たることがあった。

 そういえば、ローズ商会ができて経営が順調になってきたころに、孤児院への寄付やローラン王国への進出と合わせてそんな話をした気がする。


「はい、確か従業員向けに作っていたものですよね」

「ええそうよ」

「それがどうかしたのでしょうか」

「ローラン王国の王都で作ってみようかと思うの」

「男女別入浴場をですか」

「それは」


 クリスはちらりとローラを見た。

 アリスはその様子をみて察したようだった。


「ローラは手品。いいえもうタネもわからないし魔法でいいわよね。そのことは知っているわ」

「そうですか。ではやはり魔法を使って」

「そういうことよ。でもただ魔法を使っていたら怪しまれてしまうし、あなたが魔女だと思われるのは私も困るの。だから水路を用意したり、加熱設備はちゃんと作るつもりよ」

「そうなのですね。でも地形は大丈夫でしょうか」

「そうね。水路が無理なら井戸を作るか河川の近くに作るしかないわね」


 どうやらアリスは既に考えがあるらしい。

 笑顔の様子から何やら自信が見られた。


「わかりました。アリスさんの様子ですと既に計画があるのですね」

「さすがクリスね」


 アリスはニヤリとし、言葉を続けた。


「計画はこうよ。まず、貴族向けの男女別入浴場を作るの。そこは利便性を重視した場所にし、そこで一応井戸は掘るわ。そして井戸が出来上がったタイミングで開業し、入浴場に水湯とお湯を作るの。男女別だから4個分になるわね。そして薪は少し高価になっちゃうけど北東にあるロレーヌと工房の廃材を集めればなんとかなると思うわ。それでも水を運ぶ労力がない分だいぶコストは抑えられるわ」

「なるほど」

「そして大衆向けは河川沿いに作り、水路で水を引くのそうすれば水の排水は楽にできると思うわ」

「私は異論ないです」


 クリスにとってもカルロスで作った従業員向けの入浴場を使ってみたことがありけっこう気に入っていた。

 ローラン王国で同じものを作れるのであれば大歓迎だった。


「ただ、予算はどうされますか」


 問題はここだった。ローズ商会はできたばかりなので予算が足りなかった。石鹸事業に関する部分であればロジャース商会に頼めたが、今回の事業に関してはロジャース商会にメリットがないので援助を頼めない。そのほかの援助先を探す必要があった。


「その件も問題ないわ」

「心当たりがあるのでしょうか?」

「既に貴族たちに協力を頼んでいて、貴族向けの入浴場であれば大丈夫な予算はとれたわ。意外かもしれないけど、貴族の中で一番清潔感に気を使っているのは実は騎士達なの。その人たちに割安で供給することを条件にしたの。そして宗教の問題も男女別にしているから問題ないわ。これで貴族のご令嬢や貴婦人を利用してもらえる環境にできたわ」


 公共の入浴施設は混浴が一般的だった。そのため教会側から批判の対象となっていたらしい。

 クリスが偶然提案していた内容がちょうど貴族向けとしてあらゆる問題を解決してくれる内容だったのだ。


「そうですか。でしたら私は問題ないと思います。私もできることがあれば協力しますのでおっしゃってください」

「ええ、もともとはあなたの案だしそのつもりよ」


 こうして作業は始まった。

 ラヌルフ伯の件も警戒はしていたものの、打つ手がないため、当面は様子見することになった。


 事業には貴族たちから賛同があったこともあり、着々と進んだ。湿度の影響で銭湯で問題となった照明では、クリスが事前に企画としてだしていたガラスで覆った球体の中に蝋燭を入れて空気は部屋の外から入れるという案が実施された。

 こうすることで湿度が高い入浴施設で明かりを確保でき、温度と明かりの両面を確保された施設が照明ができると建設スピードはさらに速くなり、半年も待たずに完成した。

 施設としては貴族たちが利用するため、貴族の屋敷に近いこった内装になっていたもののになっており、石材も多く利用された。どう考えても時間がかかるたてものだったのだが、期待をされていたこともあり最優先で建造がすすめられたためか常識はずれのスピードでこれにはアリスもクリスも驚いていた。


 こうして男女別入浴場の営業が始まった。

 日数を休日を含む週3日で時間は主に夕方のみとして、お湯の温度維持コストを下げるように努力された。そして魔法の秘密を守るために水と火はクリスが用意し、あとは火の維持をする者を雇う、非常にシンプルな運営体制とした。


 その事業は結果を先に言えば大好評だった。


 これまで仕事や訓練の後に自分たちで水浴びや体を拭いていた騎士達はいつも身だしなみに気をつかっていたいたため喜んで利用した。

 そして、ご令嬢や貴婦人達は第2の社交場として利用するようになった。

 特に、この入浴場では水風呂の他に飲料としての水と石鹸が無料で使えるようになっていた。

 このことも貴族には好評であり、合わせてお酒や食事を取りたいという要望もでてきた。


 そのことを受け、男女別れる出入り口に友人などがくるまで待てるようにしていた待合室の一角に自由に食べ物を食べれる場所を用意するとさらに好評となった。


 しかし、ここで問題が起こる。

 時間制限をしながら様子見で運営していたものの、あまりに人気がですぎたために入浴場が混雑している状況になってしまったのだ。このままでは質の面で貴族向けとしての高級感を維持できなくなってしまう。

 運営開始から一ヶ月も待たずに発生した問題に対してアリスとクリスは至急会議を開いた。


「クリス、どうしましょう。予想以上に人が入りすぎているわ」

「そのようですね。これはさすがに想定外でした」

「ええ、私もよ。でも何とかしないと評判が落ちてしまうわ。何より恐いのはこの隙をついてライバルの参入を許してしまうことよ。何かよい方法はない」

「そうですねえ」


 クリスが首を傾げながら考えた。

 そして、解決のヒントとして少し思い当たることがあった。


「アリスさん、少しお待ちいただいてよろしいでしょうか」

「何か思い当たるのがあったのね。わかったわ」


 クリスは急いで会長室を出ると自室に戻り、日記を取り出した。

 そして合わせてメモを取り出す。


「えっと、なんだっけ、たしかどこかにテーマパーク事業とかいうものがあった気が……あった!」


 そこには入場料やパスと呼ばれるものの記述があった。

 そこにあった記述の一部内容はこうだった。


 テーマパークにおいて、人が入りすぎた場合、人がごった返し、お客様に対するサービスが十分に行き渡らず、結果として品質と評判を落としてしまうことがある。そのときの対処方法として有効なのは施設規模の拡大、入場料の値上げ、会員制によって上限を設けることが望ましい。施設規模の拡大が最もよい手段ではあるものの一番コストがかかりどうしても実現できない場合が多い。その場合は入場料の値上げに合わせて維持費を賄う会員制を導入するとよい。


 ……つまり、会員制を導入して数を確保し、サービス維持のために値上げもやむをえないらしい。


 クリスはメモの内容を覚えるとすぐさま戻ってアリスに説明と報告をした。


「つまり、現状では会員制にするしかないということね」

「そういうことみたいです」

「でも、それで大丈夫なのかしら?」

「それには案があります。会員制は導入するけど会員の入浴施設を利用できる時間は3回の時間で区切りましょう。そして会員はそれぞれの時間しか利用できない。そして食事や待合室なら拡張可能なので、そちらの施設を増設しましょう」

「なるほどね。3回に分ければ時間分散もできて会員も3倍に増やせるわね。なら、待っている時間も考慮して合わせて遊技場もつくっちゃいましょうか」

「遊技場ですか?」

「ええ、チェスを導入してみましょう」

「なるほど、では準備にとりかかります」


 こうして、ローズ商会の入浴施設には会員制は導入された。

 会員に関してはまず、利用者名簿を作り、爵位順に時間が選んでもらった。そして料金に月額会員費を付け加えた。

 一年分をまとめて徴収してもよかったのだが地方の貴族は故郷に戻ることもあるためその点を考慮された。


 始まった当初は会員制に対して不満がみられたものの、それにより入浴の混雑が緩和されると不満の声は徐々に減っていった。

 また、流行していたチェスの導入も不満が減る理由のひとつだった。新しく作られた遊技場も大好評となり、入浴場から始まった事業は要望に合わせて変化させていくにつれて社交場、食堂、遊技場、化粧室を兼ね備えた複合施設へと変貌を変え、ローラン王国貴族の遊技場へとなっていった。


 こうなると、石鹸で名を知られるようになったローズ商会の入浴施設はいつの間にか貴族の待ち合わせ場所や雑談所となっていった。

 一方のオルランドでの大衆向け入浴施設もまだ計画ではあったものの、入浴料あらの収入もあり、近々工事の着手が行われることになっている。


 こうしてローズ商会は第2事業として石鹸に続いて入浴場を広げていった。

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