2-5 青空の涙
※ここで出てきた3伯は辺境伯を指していましたが、修正できていませんでした。後日修正させていただきますので少しのお待ちください。
登場人物
アリス:ローズ商会会長、クリスの主人
ローラ:アリスの専属使用人
メアリ:オルランドにあるローズ商会屋敷のメイド長、元ローラの従者
ベル :カルロス孤児院からローズ商会へ。ローズ商会の雑務と情報収集担当。
ウィリー:カルロス孤児院からローズ商会へ。ローズ商会オルランドの販売店店長
カルヴァン:カルロス孤児院からローズ商会へ。アリスとクリスの雑務と護衛担当
クリスが会長室に着くとアリスとローラ、ベルそしてメアリがいた。
クリスは少し遅くなってしまったかと思っていたがタイミングはちょうど良かったらしい。
ベルがちょうどアリスに話し終えたときのようだった。
「ベル。ありがとう。だいたい状況はわかったわ」
「失礼します。遅くなりました」
「クリス、ちょうどよかったわ。噂の件はどういう状況」
「噂に関しては予定通り、ローズ商会を陥れようとしているものがいる方向へと向かっています。その話を聞いて敬遠する人もいるかと思いますが、予想よりも噂が初動だったこともあり、とりあえず危機は回避した状況かと思います」
「さすがクリスね」
「いえ、私よりも今回働いたウィリーとベルを褒めてあげてください」
「わかったわ。ありがとうベル。後で欲しいものがあったら言って頂戴。功績とは別途用意するわ」
「いえ、ありがとうございます。ウィリーにも伝えていいでしょうか」
「ええいいわよ」
ベルは満面の笑み部屋を後にした。
アリスはベルガ部屋を出る姿を笑顔で見送った後、クリスを見た。
「ところでクリス。あなたはどこまで把握しているの」
「カルヴァート商会以上のことは知りません」
「あら、その割には裏に貴族がいるかもと言っていたわよね」
「……」
クリスは本能的に言葉にでただけなので本当に知らなかった。
答えに困り、クリスは困惑した表情をした。
「まあ、いいわ。結論だけ言うとあなたの予想通り、裏に貴族が絡んでいたわ。そして動機もあなたの予想通り、石鹸市場の乗っ取りが目的ね。その裏方としてカルヴァート商会が絡んできた。それは私怨もあるかもしれないけどローズ商会と仲が悪いことが単純な理由だと思うわ」
「……」
クリスはじっとアリスの話に耳を傾けた。
そしてふと疑念がわく。アリスはどうやってその情報を得たのであろうか。
思い返してみればウィリーと噂の報告にいたとき、クリスはアリスがどう動くかは気にしている余裕もなかった。話を察するに貴族経由の情報だろうことだけはわかった。
「そしてその噂を流している元凶がわかったわ。噂を流していた貴族はラヌルフ辺境伯、ローラン王国南西の辺境に広大領地を持っている家よ」
「どうしてそこが」
「そこはもともと近隣のプロヴァン辺境伯、ラングドッグ辺境伯と仲が良く、また、ガイア帝国とも交友があったそうよ」
「それが何か関係があるのでしょうか」
クリスは検討がつかず首を傾げる。アリスはその様子を見てニヤリとした。
「そうね。クリスはあまり貴族や国家情勢に関しては詳しくなかったわね。まず、今回企てたラヌルフ辺境伯は商会を運営していたらしいの、そしてその商会の主力商品は石鹸。製造の工房はラヌルフ辺境伯領とプロヴァン辺境伯領にあったそうよ。ところが私達ローズ商会がローラン王国に石鹸の新市場を開拓した。そこのとを受け、ラヌルフ辺境伯は収入が落ち込み、プロヴァン辺境伯も生産したものがあまって収入が減ったそうよ。そしてその両者の間にあったラングドッグ辺境伯も関税収入が減ったという訳」
「プロヴァン……」
プロヴァンには思い当たることがあったそういえばローズ商会が原材料の一部を仕入れている地域だった。
「そう、問題はプロヴァンよ。プロヴァン辺境伯とは現在ローズ商会とも原材料の調達源として取引があるの。ガイア帝国とも取引があるけど、これはカルロスでの製造に当てているわ。つまり、下手に動くとローズ商会は供給不足になる」
「そうなりますね」
ここまで調べておきながらアリスが動いていない理由をようやくクリスは理解した。
そしてアリスはクリスを見たまま話を続ける。
「ようやく経営が安定してきている状況でカルロスからの供給を増やすにしても時間が足りないわ。何か良い方法はないかしら」
アリスとローラはその点について悩んでいるのだろう。
ラヌルフ辺境伯とプロヴァン辺境伯は工房を通じて交友が深いと思われる。しかしローズ商会にとってプロヴァンでの取引は切れない。そして下手に動くとローズ商会はプロヴァン辺境伯によって供給をきられてしまい現状を維持できない。
供給路の変更も考えたがおそらく代替は現時点でなさそうだった。
つまり、ローズ商会安定のためにはラヌルフ辺境伯とプロヴァン辺境伯を切り離す、又は対立させる必要があった。
「……離間の計」
クリスが小さい声で呟く。アリスはピクリとした。
「ラヌルフ辺境伯とプロヴァン辺境伯。その両者を仲違いさせてはいかがでしょうか」
クリスは頭の中にでてきた選択肢を選びアリスに言った。
その言葉に驚きながらアリスは少しの間無言でまじまじとクリスを見ていた。
「……残念ながらそれはできないわ」
クリスの提案にアリスは否定した。
「ラヌルフ辺境伯とプロヴァン辺境伯の仲違いをさせればローズ商会は安泰よ。でもその2辺境伯はローラン王国にとってガイア帝国防衛の要となる土地となっているわ。それに仲違いの犯人がローズ商会だとわかればスパイ容疑は確固たるものになってしまうもの。仮にうまくいったとしてもローラン王国とガイア帝国が戦争になればプロヴァンからの供給を確保できなくなってしまうわ」
アリスの言うことはもっともだった。関係者の範囲が大きくなればなるほどかかわりが複雑なものとなり、どうしてもそういうことがでてしまう。
クリスは再び考えてをめぐらした。記憶があったときの自分ならどうしていたかと。
記憶があれば。
この場をうまく解決できたであろう。
その焦りがクリスの胸を苦しめ悔しくて顔を俯けて歯を食いしばった。
「ねえ、クリス」
「はい、何でしょうか」
「久しぶりに一緒にお出かけをしてみない」
「え?」
突然の誘いにクリスは思わずアリスを見た。アリスはなぜか優しく微笑んでいた。
先ほどまでの話からどういう経緯その話になったのかわからずクリスは困惑していたが、アリスは笑顔で言葉を続けた。
「私達、少し商会のことばかり考えすぎてたと思うの。これから少しだけお出かけしましょう」
「は、はあ」
状況が理解できず、クリスはアリスに間抜けな返事をしてしまった。
アリスがそういうのであればクリスは断わる理由もなかったがこのタイミングでする話だろうか。
真意がわからずちらりとローラを見てみたがローラも少し困惑しているようだった。
アリスはクリスの返事を了承したものと受け取ったらしい。
半ば強制的に外出のためにお忍びの格好へと着替え、アリスとクリスは馬車で出かけることになった。護衛にはカルヴァンを連れている。
そして貴族の屋敷などがある富裕層の町を出て、カルロス方面にある繁華街の前までつくと、アリスとクリスは馬車を降りた。
「久しぶりね。こうして一緒にでかけるのは」
「そうですね」
仕事に忙しくて忘れていたが、こうして一緒に出かけるのはカルロスで一緒に出かけて逃げたりした日依頼だった。
「たまにはこういう場所もいいかもしれないわね」
「でも護衛が少なすぎませんか」
「大丈夫よ。それにいざというときはクリスが守ってくれるんでしょ」
「それはそうですが」
護衛にカルヴァンがいるので心配はいらないかもしれないが、
クリスが持っているのはナイフのみ。あとは魔法くらいだった。
それなりに貴族と取引のある商会会長としては護衛が少なかった。
しかし、クリスの心配をよそにアリスは露店を見て回り楽しんでいるようだった。
「ねえ、あの行列ができているお店は何なのかしら」
「さあ、何か食べ物を売っているようですね」
クリスはアリスが指した店を見て首を傾げた。
「カルヴァン、ちょっと買ってきてもらえるかしら」
「かしこまりました」
カルヴァンはその店に向かっていく。
クリスとアリスはその様子を眺め、すぐ近くの広場で待つことにした。
「ねえ、クリス」
「なんでしょう。アリスさん」
突然アリスがクリスをまじまじと見つめてきた。
クリスは思わずドキリとする。そしてアリスが口を開く
「クリス何か私に隠し事をしてない?」
「え?」
アリスの言葉にクリスは驚きの声を上げた。
「勘違いならいいの。でもね、最近のクリスはなんだか・・・そう、なんだか何か焦っている感じがして」
「私が、焦っている?」
「ええ。そうねえ。伝えにくいんだけど、以前と違って何だか私に応えよう必死になっている感じがあるわ」
「なぜそう思ったのですか」
クリスは振り返ってみれば思い当たる点があった。でもクリスなりにアリスにはわからないようにやってきてみたつもりだ。そう、そのつもりだった。
「うーん、仕草かしらね」
「仕草?」
「そう。私が何かあなたに質問するとき、だいたいあなたはいつもニコニコしながら笑顔で返してくるわ。でも最近は違うの。なんだか、そう何かを思い出すように考えた後で話をしているわね。そう、まるで記憶を辿るかのように」
「……」
クリスは言葉を返すことができなかった。図星だったから。
アリスはクリスのその反応を見て表情が徐々に驚きに変わっていく。
「クリス、もしかしてあなた記憶を」
「……はい」
「いつからなの」
「意識が戻ったときからです。そして私がアリスさんと出会うより前の記憶が・・・」
「ないのね」
アリスの言葉にクリスは黙って頷いた。そして顔を俯けた。
何かに耐えるように。
「バカ!私の従者ならなんでもっと速く言わないの!」
「すいません。これ以上アリスさんに心配かけたくなくて」
「それで心配されてちゃ意味ないじゃない!」
「すいません」
怒られた。アリスから怒られたのはおそらく初めてだった。
言いようのない気持ちがあふれてきて目が熱くなる。
だめだよ。今抑えなくちゃこれまでの努力が……
クリスにとって記憶喪失は恐怖との戦いの日々だった。自分の過去がわからない。いつ、どこで誰と過ごしていたかもわからない。初めて会うひとにはもしかしたら過去にあったことがあるんじゃと警戒し、 記憶を取り戻すために暇を見て町を歩いてみたりした。もしかしたらと肉親を思い出そうとしてみた。 14歳の少女にとって12歳より前の記憶がないのに自分のこと以外、いろんなことを知っている。生きているときに記憶が2年、しかも肉親は誰も知らない。唯一頼れるのは記憶のあるときに出会った、今、目の前にいる主人であるアリスのみ。アリスの一声でクリスはいつでも一瞬ですべて失う状況だった。
もちろんアリスがそんなことをしないことは知っている。それでも自分が何者かわからない中で、経理責任者として失敗しないように努めた日々は。恐怖と重圧におびえ、仕事の忙しさで気を紛らわせ、アリスの希望に応えることでなんとか耐えてきたのだ。
どうして、どうして頑張っているのに……
ポツリ、ポツリ
気がつけばクリスは涙がでていた。
「あれ?おかしいな」
クリスはアリスに笑顔を作ってみるが涙が止まらない。
記憶が無い不安が思っていた以上に大きかった。
そして一度溢れてしまった感情はもうどうしようもなくなっていた。
もう涙はとめられそうに無く、滴り落ちていった。
その様子を見たアリスはクリスを抱きしめてくれた。
「何泣いているのよ。それなら最初から話してくれればよかったじゃない」
「えっぐ、ひっく……だって」
「クリス、一回しか言わないからちゃんと聞きなさい。」
「ひっく……はい」
アリスとクリスは見つめあう。
アリスの目は真剣だった。
「いい、私はクリスが好きよ。そして他の誰よりもあなたのことを信頼しているわ。だってあなたは2度も助けてくれたんですもの。それも文字通り命を懸けてね。だから私もすべてを捧げてあなたを助けたいの。だからもう私達に関わることで隠し事をしないで。私をこれ以上不安にさせないで。私はクリスが傍にいて欲しいの」
アリスは顔を真っ赤にさせながらクリスの目をじっとみてそう言った。クリスは驚いた表情のまま、アリスを見つめる。
クリスの涙はいつの間にか止まり、アリスの言葉の返事として無言でコクリと頷いた。
そして、
「お待たせしました!……あれ?」
カルヴァンがようやくアリスが頼んだものを買ってやってきた。
カルヴァンは目を潤わせるクリスと顔を真っ赤にしたアリスが抱き合って居るをみて目が点になる。
「し、失礼しました!」
慌ててその場を去ろうとするカルヴァン。
「よ、余計な気遣いはいわらないわ。それに気を使うにしても手遅れすぎよ!」
「す、すいません」
アリスは顔を膨らませてカルヴァンに言ったが本気で怒っているわけではないことは誰がみても明らかだった。
「ふふ、あははははは」
その様子が可笑しくて思わずクリスが笑い出す。それにつられてアリスも笑い出した。
カルヴァンは状況がわからず苦笑いしているが、怒られないことに安心したのかホッとした様子だった。
「さて、気分転換も終わったし、そろそろ帰りましょうか」
「そうですね。帰りましょう」
こうしてアリス達は一旦屋敷へと帰ることにした。




