2-4 噂
クリスは自室へと戻ると早速ウィリーと噂の対策について会議を始めた。
クリスが急いで自室に戻ったのは理由があった。先ほど自身で呟いた流言に対する案が頭の中で駆け巡っていくのだ。
それも案はひとつではなくいくつも。
今クリスがおかれた状況は可及的速やかに対策を採ること。そして頭の中で駆け巡る案の中で最良の選択をすることだった。
「まず、第一に噂の出所を探る方法についてだけど、ウィリーは何か良い案ある?」
「いえ、現時点では何も」
「そう。今回の件だけど、一応は方法はあるの」
「え?それはどういった方法ですか?」
「方法いたって単純。誰から噂を聞いたかを聞き、さらにその噂を聞いた相手に誰から聞いたか聞くの。それを続けていけば最終的に噂を流した本人へ到達するの」
「そんなこと可能なんでしょうか」
「私やウィリーには無理。顔が既に広まりすぎている。だとしたら顔があまり知られていない人。そしてあまり私達に近くなかったひとが調べる必要があるかな」
「そんな人……あ」
「そう、今回はベルに調べてもらうことにしましょう。彼女であれば、もし身元が疑われたとしても自分が働いているところだから気になったということでとうせる。それに以前聞いた話ではベルの出身はあなた達と違ってローラン王国。条件は満たしている」
「でも」
ウィリーはためらった。ベルのことを心配してのことだった。
クリスも察したがこの仕事を任せることができるのはあまり表舞台に出ておらず、信用でき、物事への察しがいい人だけだった。そしてそれに該当するのはベル以外にいなかった。
「心配になる気持ちはわかる。でもそれしか方法はないの。もし、危険があればすぐにやめるようには指示をするつもり」
「そこまでおっしゃるのであれば。では私は何をすればいいのでしょうか」
「ウィリーには新たな噂を流してもらいます。内容はいたってシンプル。ローズ商会のことを気にくわない者がローズ商会に悪い噂を流そうと躍起になっているという噂を流すの。そうすれば無実だと訴えるよりも圧倒的に楽だし、悪い噂そのものの信憑性が一気に無くなっていく」
「なるほど、噂に尾ひれを付けて噂の中身を変えるんですね」
「そのとうり。ただ、噂は時間との勝負になると思うの。ゆっくりとしている暇はないので早速行動しましょう。あなたは取引先をまわっていって。私は各工房や販売員に悪い噂が流れているという話をします」
「クリスさんは外へ動かないんですか」
「私が動けば責任者が何かを隠すために動いたみたいで返って不信に思われてしまう。あくまでも自然の噂とするにはそれなりに立場のある人でありながら噂に該当する人間でない必要があるの」
「そういうことなんですね。わかりました」
こうしてウィリーが部屋を出ていくと、クリスはベルを探し、ベルには噂の元をたどるように頼んだ。
そしてクリスは直接屋敷や販売店、工房へと赴き事態を説明して回った。
ウィリーが比較的早い段階で知らせてくれたこともあり、屋敷や工房、販売店ではまだ噂について知らない人が多くいた。その人たちにもローズ商会を陥れようとしている人がいること、それによってみんなの雇用が脅かされつつあること、アリスやクリスもできる限りのことをするから安心して欲しいと正直に伝えると動揺はあったもののみんな納得してくれた。
特に悪い方向へ進めば自分達の雇用が危なくなるということに不快感を抱いたのか、返ってローズ商会の従業員が一丸となって戦おうとする雰囲気となった。
この状況を維持できている間は内部に噂を流す工作員がでても目立つ。ひとまずクリスの方は内部で疑心暗鬼となって内憂外患の状況となることは避けられた。
そして、外への対策として動いたウィリーは得意先の信用が高かったらしい。彼から流された噂も商会やお客さんを通じて急速に広まった。噂は『ローズ商会がスパイをやっているらしい』から『ローズ商会がスパイをやっている噂を流して陥れようとしているものがいるらしい』と噂の方向は返転換されつつあった。
そうなると、噂は誰からスパイの噂を聞いたのかという広まった方向とは逆の方向へと向かう。ベルが遡って噂のもとへと聞いていくのが自然な行動へとなっていった。
こうしてベルが調べ始めてから一ヶ月ほど経ったときのこと。
コンコン
「失礼します。クリス様、噂の出元がわかりました」
「ベル。ご苦労様、それは本当なの」
「はい、いくつかの噂の元をたどってみたのですが、どうやらカルヴァート商会が噂の出元のようです」
「また、カルヴァート商会」
その商会の名前を聞いてクリスは眉を顰めた。
クリスにとってカルヴァート商会は教会で刺してきた相手かもしれないという嫌なイメージしかなった。
「それは間違いないの」
「はい。間違いありません。ただ、それ以上は調べられませんでしたので、さらに元がありカルヴァート商会が広めている可能性もあります。私はカルヴァート商会が噂を流すメリットがよくわかりません。今主力としている石鹸市場はカルヴァート商会はほとんどシェアを持っていませんし」
「そう。私も石鹸を経営をしている商会を調べてみたけどカルヴァート商会とつながりのある商会はなかったと思う」
「どういうことなのでしょうか」
ベルは首をかしげた。
その様子を見てクリスはベルに考えられる可能性を話すことにした。
「可能性は2つ。ひとつは私怨。私がアリスとダリルの結婚を台無しにしたことによる恨み。もうひとつはローラン王国との貴族とつながりがある場合。その貴族が傘下にしている商会が石鹸を販売していて販売の運営権を手数料形式にしてカルヴァート商会に任せるという取引でもしたのでしょう」
「なるほど」
「もっとも、カルヴァート商会が私怨だけでロジャース商会と敵対する行動をとるとは思えないし。考えられるのは後者の可能性が高い。さっそく貴族とカルヴァート商会についてこちらで調べてみましょう。報告早々に申し訳ないけど、今話した内容をすぐにアリスさんにも伝えてちょうだい。アリスさんなら今は会長室にいると思う。私も仕事が片付き次第、会長室へと向かいます」
「わかりました」
返事をすると、ベルは部屋を出てアリスの下へ向かっていた。
クリスはベルがでていったのを確認すると日記とメモを開いた。
実は噂を流し返す行為、噂をたどる行為もすべて日記を参考にしただけだった。そして私怨の予想はクリスの予想であって、後者の考えは日記をもとに思考が組み立ててくれて出てきたものであった。それも、本能なのか自然と口が開き、自分でも驚くことを発言してしまったと改めて思う。
「いったい自分の過去に何があったのだろうか」
証明書にあったクリスの出身は農家の娘。本来であればそのままどこかの農家の人と結婚して、子供を生んで幸せに過ごしましたで終わるであろう人生が、なぜか文字も読めるし算術もできる。必要とあらば本能がこうして決断をしてくれる。そして13歳になったときから既に経理責任者としてアリスさんの傍でこうして働いている。
『自分が怖い』というのは自画自賛としての言葉だがクリスからしてみればこの数奇な運命が文字通り自分が怖かった。
一度、ベルに先に部屋を出させたのもクリス自身が心を落ち着けるためだった。
言いようのない不安感がクリスを遅い、手が震えているのが自分でもわかる。
「そうだ、こうしちゃいられない」
いつまでも主人であるアリスを待たせるわけには行かなかった。
クリスは深呼吸をして会長室へと向かった。




