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愛情記録

蠱惑コモディティ

作者: 狂言巡

 恋しているのなら自惚れてはいけない。愛しているのなら、辛い思い悲しい思いをさせてはならぬ。好きには違いないのに、時にすごく迷うのだ。これは本当に恋なのか? 憧れを錯覚し、青いフィルターが見せる幻想ではないか? 時にひどく惑う。好きだと言ってしまいたいのに好きな気持ちがそれを邪魔するのだ。これ以上ないくらい彼女がいとおしい!


 高校に入学したばかりの春の日、ひょんなことから恋の話になった。


希楽(きらく)くんは好きな人はいるの?」


 そういう問いは今のボクは困る。だって、学食(ここ)じゃいえないし。今の時間帯は君達だけでなく、あの子もお昼ご飯を食べてるんだから。でも巨乳ツインズの片割れ、玉理(こくり)ちゃんがこっちを見てるので、うかつにあの子を垣間見れないんだけど。


「ううん。いない。いないよ」

「ははーん? 何か引っかかる物言いじゃん。そういえば、(ちかい)くんはどう? もうお相手がいそうだよね」

「そういう玉理ちゃんにこそいるんじゃねーノ、想う男がサ」


 口端を吊って笑う誓くんは、確信に満ちた声でいった。ひゅっと息を吸い、二の句が継げなくなった玉理ちゃん。じわじわと白い肌が紅くなっていく。驚いた。想う人がいるんだ、玉理ちゃん。しどろもどろになってしまった、フラワーピアスの友人を、それ以上追い詰めることを、からかい屋の誓くんはしなかった。ただ、滅多に出さない表情を顔に浮かべて言った。


「恋で惚れた腫れたの、ビョーキなんだヨ。かかりやすいくせに治りにくいヤツ。奇麗事抜きで恋した人間は死ななきゃなんねーしヨ。――だからこそ、仮病くらいがちょうどいいんじゃネ。ビョーキなんてなろうと思ってなれるものじゃねージャン。だから、治そうと思ったところで治りゃしネー」


 楽しい話題が好きな誓くんには、とても珍しい言葉だった。いつもはからかわうかはぐらかすのに。なんだか、そう、まるで。想う人がいるかのようではないか。ボクは、小さく舌を噛んだ。


「上手くいくといいな」


 唖然としていた玉理ちゃんは、誓くんの言葉に苦く笑って大きくうなずいた。誓くんもうなずき返すと、目を細めてボクを一瞥する。いいや、ボクというより、ボクの後ろに座っている人たちを。ボクはその視線を見なかったふりをして弁当箱を鞄にしまう。

 視線の意味はわからない。わからないけれど、ひとつ悟った。彼はどんなに人に恋しても、決して愛そうとはしないだろう。彼はただ、生きるのだろう。愛し方を完全に他者に委ね切ってしまっているという、滅私のスタンス。ああ、それは。粉雪を腕の中に閉じ込めるとでも、雨の中で散っていく桜の花とでもいおうか。玉理ちゃんは顔のほてりを逃がそうと、両手で顔をマッサージ真っ最中。


「……病は気から、とは。言ったもんだよな」

「へっ?」


 きょとんとする玉理ちゃんを尻目に、誓くんは言った。


「死ねる覚悟がない奴の方が多いんだよ」


 ――卑怯な男だ。根っこはボクとおんなじ。ボクはあの子への愛しい気持ちを、味噌汁で飲みこんだ。






「ご注文がお決まりになりましたらそちらのボタンでお呼びください」


 早口で一通りに接客をこなす若い店員さんに向かい、了承の合図としてこちらも軽く頭を下げる。


実里(みのり)ちゃんは何にする?」

「珈琲にします」

「……もっと他にないの?」


 前髪が重めにカットされたお姫様はやっぱり素っ気無く、


「脂ぎったモノや阿保みたいに甘いモノは食べたくないんですよ」

「うん、まあ知ってるけど」

「なら聞かないでください」

「冷たいなぁ……」


 相変わらずな相手の反応を楽しみながら、テーブルの端に立てかけてあるカラフルなメニューに手を伸ばす。……楽しみながらなんて、ボクは何を言ってんだか。求めすぎてそろそろ病んできたかな、なんて苦笑しつつ、ご飯やおかずページを飛ばしてデザートのページを開く。

 真っ赤なイチゴがふんだんに盛り付けられたパフェが真っ先に目に付いた。前に食べたの、何だっけ……チョコ? 覚えてないなぁ。ふと顔を上げると、実里ちゃんが口元を押さえて怪訝そうにこっちを見ていた。


「…………」

「え、何? 何か食べたいのあった?」

「……別にないです」


 そんな物食べる気ですか。つぶらな眼がそう言っている。しょうがない、そんなに嫌ならこれを頼んであげるとするか。


「よし決めた。店員さん呼ぶね」


 辺りをキョロキョロと見渡し(ここはベルがない店。こういうのって何か基準があるんだろうか)、ちょうど近くに居たさっきの店員さんに合図を送る。客も少なく時間を持て余してたらしく、窓を一枚ずつ磨いているところだった。


「お待たせ致しました。ご注文をお伺いいたします」

「えっと、ホットコーヒーと、このイチゴパフェ一つ」

「かしこまりました……ご注文は以上で?」


 返事を返す代わりに笑顔を一つ。店員さんはもう一度かしこまりましたと言いながら手元の機械を操作し、お辞儀をしてからすぐさまさっきの作業の続きをしようと窓の方へ戻っていった。

 今日はちょっとあったかいねとかいうどうでもいい会話(返事はそうですねとか知らないですとか素っ気無いものばかりで、とうてい会話とは呼べないものだったけれど)をしているうちに、さっきの店員さんが注文したものを持ってきてくれた。ファミレスは待ち時間が短いから、好き。


「いただきまーす」

「……それは」

「え? あぁ、パフェのこと? うん、食べるよ」

「……よく食べられますね」

「女の子みたい?」

「女の子がそんなサイズを食べられるわけがないでしょう」


 まあねと軽く返事を返し、ボクはパフェ用の長いスプーンを手に取った。実里ちゃんが少しサイズの大きい袖で口元を押さえ、再び怪訝そうな顔でこっちを見る。というのは嘘だけど。

 実際に目線が注がれているのは、ボクの頼んだパフェの方だ。ガラスの円錐状の器の中で、いくつもの甘い層を形成していて、また上には生クリームと苺ソース、バニラアイス、フルーツ各種、シリアルやウエハースなどあらゆるトッピングが施されている。スイーツは一種の芸術作品だよね。実里ちゃんも、運ばれてきた白いカップを左手で自分の方に寄せる。


「……あ」

「どうしたの?」

「いいえ別に。ちょっと……」


 そう言葉を濁して実里ちゃんはソファから立ち上がってドリンクバーへ向かい、帰ってきたときには、その白い手に――ええと、何て言うんだっけ? ほら、コーヒーとかに入れるミルクのやつ――が二つ握られていた。

 ミルク、ちゃんと店員さんここに持ってきてくれてるけど? 不思議の思い、気付いてくれるかという期待も込めて視線を送る。あ、絶対確実に目が合ったはずなのにすぐに逸らされてしまった。実里ちゃんは目を合わせようとしないまま、すとんと元の定位置に座る。


「ミルク、店員さん持ってきてくれてるのに」

「知ってますよ」

「?」


 実里ちゃんはボクの視線を無視し続け、手にしたミルクを開けてコーヒーに注ぎ込んだ。それからもう片方、そして店員さんが置いていってくれた分も。最後にシロップを半分だけ。


「あぁ、ミルクは多めに入れる派なのね。実里ちゃんって」

「別に、苦いのが嫌いなわけではないです」

「ふぅん」


 そういうことか。うっかり表面に出して笑うと怒って帰られちゃうだろうから、にやけそうになるのを必死で堪える。照れちゃう縁ちゃんも可愛い。もっと照れてもいいのよ。変なところで可愛いんだから。子どもじみてるっていうか。まだ子どもなんだけど。


「実里ちゃんはボク以外とファミレスとか来たりするの?」

「たまにキセさんやアオさんに誘われはしますけど……そもそも私はこういう場所に来ること自体あまり好きじゃないんで、いつも遠慮してます」

「でも今日は付いて来てくれたよね」

「有無を言わさず引っ張ってきたのは誰でしたっけ?」

「あはは」

「白白しい……」


 期待したのとは少しずれた答えが返ってきたけど、そこは置いていて。話は戻るけど、ということは、つまり実里ちゃんのちょっと変わったコーヒーの飲み方は、


「ボクしか知らないんだね」

「はぁ?」

「ううん、何にも」


 つまり、そういうことだ。ちょっとこれは、だいぶ嬉しいかもしれない。青春は何度か来ても、同じ時間は二度と来ない。互いに全く同じ時間ではなくても、一緒の時間を過ごすことは出来る。本当に、ちょっとした、何の得にもならないのにどうでもいいことだけど。それを嬉しく思えるんだから……本当、恋って怖いな。


 堪え切れず口元が緩むのを自覚しながら、気を紛らわすように手にした長いスプーンで、てっぺんに盛られた生クリームを掬い取った。……あぁそうか。ずっと今もきっと。ボクだけが狂ったままなんだ。


「ボクね、コーヒーにはシロップ三つくらい入れないと飲めないの」


 実里ちゃんが、今度はいつもの何倍も怪訝そうな目線でこっちを見た。今度こそ、ちゃんと確実に、逸らされずに、目が合う。視線はそのままに、実里ちゃんは自分のコーヒーを護るように、その白いカップを必要以上――テーブルの縁ギリギリまで自分の方に寄せた。


 ――カチャリ。


 陶器がお互いに触れて高い音を立てる。そんなことをしなくても、わざわざシロップを取りに行ってまで突っ込んだりしないって。まだまだ送られ続けている相手の視線を楽しみながら、生クリームを、今度はイチゴごともうひと掬い口に含んだ。うん、甘い。現実は苦くてしょっぱいから余計にそう感じる。今度実里ちゃんがコーヒーを頼んでいたら、シロップ五個くらい持ってきてもらおうかな。


「シロップ三つは流石にキツイですよ、最早自殺行為です」

「うーん、実里ちゃんにはたぶん、かなり難関だと思うな」


 そうだね。きっと君は、どちらにも耐えられない。それは、自分で笑えるほど、そして吐きそうなくらい――その吐きそうなくらいの甘さも――そして吐きそうなくらいの感情にも、狂おしいほどの焦燥にも――ボクだけが、甘い毒に侵されて、狂っていく。

パフェはアートの一つですね。生クリームとフルーツのタッグが駄目で食べた事はないですが。

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