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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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はじまりのはなし、もしくは転換点。

作者: 水花
掲載日:2013/08/11

 叶うなら走って逃げたい。


 何を考えている、と吐息がかかるほど間近でささやかれ、くすぐったさと背筋を駆け抜けた得体のしれない感覚に肩を竦めた。

 見慣れた、それこそ生まれた時からを知っている秀麗な容貌とはいえ、あまりに近すぎると居たたまれないというか!子どもの頃ならともかくも!

 なんで、今、こんな体勢で見る羽目になっているんでしょうか。

 自問自答してみても、当然ながら答えが返るはずもない。

 背中に触れるのは触り心地のいいシーツ。

 こんな状況じゃなければ、さぞ寝心地がいいだろう寝台は、自分のものじゃなくて、まるで逃がさないというように長い手足で拘束している旦那様の、だ。

 自分よりもすくすくと育った旦那様は手も足も長く、力も強い。体の上にのしかかられ、おまけにがっちりと手を掴まれていては、身動きすら出来なかった。

 何がどうなっているんだかと茫然としながらも、とりあえず手を離してほしいと旦那様に訴えたものの、不機嫌そうに秀麗な顔を歪めたかと思うと、嫌だとにべもなく却下された。

 嫌だと言われても、こちらも困るしと、むむうと眉をひそめる。するとそれが気に入らないとばかりに旦那様は唇の端を歪めて吐き捨てるように言った。

 この屋敷を出てどこに行くつもりだ?

 え、と目を丸くして旦那様の顔を見返す。

 出ていくって、何でしょうそれは。お払い箱にされたりとか年を取って働けなくなったならともかく、慣れ親しんだお屋敷を出るつもりはありませんが。

 そう言葉にしようとしたのに、それは唇を塞がれて音にはならなかった。

 声もなく酷い混乱に陥る。

 ちょっとこれは本当にどういうことなんでしょうかね。



 


 父が亡くなったのは自分が十になった頃の事だった。

父は位が低いとはいえ貴族だったため、自分も父が亡くなるまでは代々受け継がれてきたという屋敷で育った。色んな事が一変したのは父の葬儀が済んでから。

 父の弟……叔父が、父が持っていた位を継ぐと言い出したのだ。

いわく、平民である母と、その血をひく自分には任せておけない、というわけで。

 平民である母と結婚して以来、父と叔父は仲が良くなかったらしい。

 さて叔父はあのように言っているが、母はどうするのだろうと思っていると、母は手際よく荷物をまとめ、あっさりと屋敷を後にしてしまった。おそらく、父の死後こうなることを予想していたのだろう。

 言い出した叔父が驚くほどの早業だった。

 自分にしても、父が存命であったらいずれは父の位を引き継いだのかもしれないが、今となっては惜しむ気すらなかった。

 ただ、父の気にかけていたものや大事にしていたものが損なわれるのは嫌で、一度だけ母に尋ねた。叔父はそれらをちゃんと残してくれるのだろうかと。

 母は大丈夫だと請け負った。あの人はこの家に引き継がれたものをそのまま残すことにこだわっているから。お父さまが残したいと思っていたものも、そのまま残されるでしょう。

 それを聞いて安心した自分は、それ以後自分の育った屋敷やそれにまつわる人たちの事を思い出すのをやめた。

 さて、住む場所もない母と自分と、生まれて間もない妹が……そう、父の亡くなる少し前に、母は女の子を産んでいたのだ……どこに身を寄せたかといえば。

 父と親しくしていた、さる高位貴族の屋敷だった。母の窮地を知ったその家の当主が、自分の屋敷に来るよう誘ってくれたらしい。丁度その頃、当主にも子どもが生まれたばかりで、乳母として母を雇い入れてくれたのだ。

 ただで世話にはなることを良しとしない母にとっても渡りに船の申し出ではなかっただろうか。

 そうして母は自分と妹を連れて、その屋敷で住み込みで働く事になったのだ。

 

 

 母は乳母として、当主の子どもに乳をやったり身の回りの世話をしたりするのが仕事だった。自分もこの屋敷の家令や使用人に言いつけられるままに、色んな手伝いをしたものだ。子どもが大きくなって乳母の役目が終わっても、母は世話係として子どもの身の回りの世話をしていたし、ある程度子どもが大きくなれば、自分は遊び相手として子どもの傍に居る事が増えた。

 もっとも母を手伝って赤ん坊だった頃の子どもを抱き上げてあやしたり、寝かしつけたりしていたからか、子どもは自分に懐いてくれていた。

 妹とひっくるめて面倒を見ていたこともあり、まるで兄弟のような感覚もあったが、そこはちゃんとわきまえておかないと駄目だろうと思い、何度か線を引こうとしたものの。うまくいかなかった。

 一使用人の子どもと、屋敷の若様だ、それが当然だろうと自分は思っていたのだが、子どもの方はそうは思っていなかったらしい。

 こちらが距離をとった分、すぐさまにじり寄ってその距離をないものにしてくれる。

 たとえば名前でなく敬称で呼べば不満をありありと顔に出して返事もしなかったりとか、敬語で話せば不機嫌そうな顔をしたりとか。

 良くはないだろうなと思いながらも、根負けして”今までどおり”名前で呼んで、これまでそうしてきたような口調で話しかければ、すぐさま機嫌は直るのだけど。

 構ってほしいと訴えるさまは子犬のようで可愛らしいと思うし、懐かれて嬉しいと思う。

 この屋敷には年の近い人間は自分と妹くらいしかいないし、乳兄弟である妹ともまるで兄妹のように仲がいいので、自分の事も兄のように思ってくれているのだろう。当主である旦那様も奥さまも、とてもいい方たちだが、立場上忙しすぎて子どもと過ごす時間がなかなか取れないようだった。子どもが自分に懐くのは、もしかしたらそれが寂しいせいだろうかと考えた事もある。聞いた事はないし、また聞けることでもなかったが。

 ただ自分と一緒に居る時の子どもはいつも楽しそうで嬉しそうだったから、それなら自分は出来る事をしようと思った。といっても、大したことは出来るはずもなく、他愛ない遊びをしたり話をしたりと、それくらいのものだった。

 遠くの方から自分の名を呼ぶ声が聞こえて、振り向くと子どもが自分の傍に駆けよって来て、お菓子貰ったから食べようと手を引いて来る。どこでと問えば、外でと答えが返った。自分の手を引いて歩くさまは、子犬が散歩を強請っているようで可愛らしかった。手を引かれながら歩く自分たちを見る屋敷の使用人たちの目も、また微笑ましげに細められている。

 子どもが望むので、自分がまるで弟に対するような口調で話したり気軽に触れたりしても、彼らは咎めたり注意したりすることはなかった。

 それでも、今はまだいいけれど、いつかはわきまえた態度を取らねばならないのだろう。

 今日も綺麗に咲いているかなあと子どもがくるりと振り向いて尋ねた。

 きっと綺麗に咲いてるよと答えればそうだよねと嬉しそうに笑う。

ひとつ前の季節に、花の種を蒔いたのだ。それがここの所咲き始めていて、子どもは日に一度はそれを見に行っている。もちろん自分を引き連れて、だ。花が咲いている近くにはベンチがあるから、そこでお菓子を食べるつもりなのだろう。

 自分の手をひく、小さな手。その温かさを嬉しく思いながら……この手が離れてゆくのが、出来るだけ遠ければいいなと密かに思っていた。



 

 自分は曲がりなりにも貴族の血を引いているとはいえ、今の身分は平民だ。勿論妹も同じく。

 自分が成人するころ、病を得ていた母が亡くなった。母の最期までこの屋敷の世話になったが、流石にこれ以上世話になるわけにもいかないだろうと旦那様に挨拶に出向いた。

 自分も成人した事だし妹を養うためにはこれまで以上に働かねば。子どもには遊び相手が必要な年じゃないし、自分はこの屋敷には不要だろう。

 旦那様にこれまでの礼を述べ、そしてこの屋敷を出ていく旨を告げると意外な事に引きとめられた。働き口が決まっているならともかく、これから探すくらいならここでこのまま働きなさいと言われたのだ。

 ですがと言葉を濁らせた自分に、旦那様は穏やかに笑って続ける。

 使用人たちからも家令からも、きみが居てくれて助かっていると聞いている。私としてはこのままここに居てくれる方が嬉しいし、何より亡き友人の子どもたちが何処かで窮状に陥っているんじゃないかと心配するのは嫌だからね、と。

 そうまで言われては、屋敷を出ていく事は出来なかった。何より妹はまだ幼い。この屋敷にいれば食事や寝床の心配をしなくても済むが、自分と二人きりの暮らしだとどうしたってこれまでのような生活はさせられない。

 ここはありがたくも旦那様の厚情に甘えることにした。

 そうして、自分は使用人たちの手伝いをしたり家令の手伝いをしたりする事が主な“仕事”になった。

 その頃には子どもも遠くの学校に行くようになり、屋敷に戻るのは長期休暇ぐらいになった。人目がある所ではけして砕けた口調で話さない自分に諦めたはしたものの、翻って人目が無い所では今までどおりの口調で話すようにと、かつての子どもは不満だけど譲歩してやると言わんばかりの態度で唇を尖らせていた。

 他に誰もいないんだからいいよな。そう言って、もう随分と背も伸びた子どもは自分の腰にしがみつく。子犬ならぬ、大型犬に懐かれているような感覚に苦笑しながら柔らかな髪を撫でてやる。

 無邪気に抱きついてくる子どもは、いつの間にか自分の背を追い越すほどになっていた。

 


 

 妹が嫁ぐまで自分の事は後回しだと思っていたが、まさかこんなことになるとはと、初め妹に告げられた時は驚きのあまりしばし呆然としてしまった。

 妹は良く笑う朗らかな性質であるから、屋敷の誰からも好かれていた。いずれどこかに嫁ぐだろうが、支度金もそこそこ貯まったし大丈夫だろう、自分にとっては義弟になるわけだから、仲良くできればいいなと思っていた。

 しかし。

 自分も妹も平民だ。妹から告げられた相手は想定外すぎて思わず言葉を失くしてしまったのだ。

 妹の相手の事を、実は自分もよく知っている。穏やかな人柄の彼はきっと妹を大事にしてくれるだろう。それはわかるが……なにぶんにも意外な相手すぎた。

 妹の結婚相手は、かつての子ども……青年となった子どもの友人であり、高位貴族でもあったからだ。

 色々面倒な事になるんじゃないのかと尋ねた自分に、妹はため息をつきながら答えたのだ。

 若様がね、わたしをこの家の養女にしてくれるよう旦那様に頼んでくれてね……で、わたしはこの家の養女としてあちらに嫁ぐことになりそうなの。

 身分の低い娘を娶るとき、家柄のいい家の養女としてから迎えるのはよくあることだった。しかしそれにしてもこれまでの厚情に加えて妹のために養女をすることを引きうけてくれるとは、旦那様には感謝してもしきれないと思った。そこへ妹の冷静な声が水をさす。

 旦那様にとっても、あちらの家とのつながりが出来るから、まんざら益が無い話じゃないのよ。

うすく眉間に皺を寄せているから、もしかしてこの結婚に乗り気ではないのかと心配になった。無理に話を通すような人には見えなかったがと首を傾げていると妹はひらひらと手を振り答えた。

 ちゃんと彼の事は好きだから心配しないで。

 それならいいんだけどと答える自分に、妹は何やら不思議な視線をよこしてため息をつく。

 わたしが心配してるのは、この後若様がどういう行動に出るかってことだけよ。

 どういうことだろう。妹の結婚のために、若様も力を貸してくれたはずだろう。それが心配というのは。

 ふとよぎった考えに、もしかしてと口に出していた。

 もしかして、若様もお前を好いてくれていたとか……?一度力を貸してくれても妨害される心配があるとか?まさかそんな行動に出る若様ではないだろうと呟いていると、妹は三度ため息をついてから首を横に振った。

 全くそれは見当違いだからね。若様が力を貸してくれたのだって、それって結局は自分のためだしね。

 ほんと、これからが心配。

 妹の言葉はまったく意味がわからなかったし、なによりそのご愁傷さまとでも言いたげな視線は何なのだ。

 


 いささか腑に落ちないものを感じながらも、妹の結婚の準備は着々と進み、そうして妹は無事嫁いでいった。

 肩の荷が下りたと言うか、逆に荷物を背負いこんだ気分もあるから内心は複雑だ。妹の嫁ぎ先は自分が世話になっている家と同じくらいの高位貴族の家だ。妹の嫁入り支度にしても自分じゃ到底満足のいくものを準備などしてやれるはずもない。項垂れる自分に、旦那様は“養女に迎えたんだから、支度はこの家でしてあげるから心配しなくていいと鷹揚に笑った。それに甘えるしか自分には道はなかった。

 他にも苦い出来事はあった。父が亡くなって以来、全くの没交渉だった叔父が不意に手紙を寄越したのだ。

 どこからか妹の結婚を聞きつけたのだろう、自分も式に呼べと書いてあった。この機会に高位貴族とつながりでも持ちたいのだろう。これまでの事を思うといくら身内とは言っても呼ぶ気にはなれない。何か迷惑をかけると申し訳ないので、一応旦那さまには話をしておいた。旦那様はきみが招待したくないのならそれでいいよと言う。そして、少し人が悪そうに笑って付け加えた。

 きみの妹はわたしの養女として嫁ぐんだからね、兄であるきみはともかくも、遠い身内には遠慮願おう、と。

 血のつながりはともかく、心情的には他人よりも遠い叔父だ。旦那様の言葉に頷きながら、この時から自分は考えるようになったのだ。

 この屋敷から出てゆく事、を。



 今は引き下がっても、いつかまた叔父が現れて無心をするかもしれない。

 そうじゃなくとも、自分は旦那さまにはこれまで色々お世話になってきたのだから、これ以上は申し訳ない気がする。

 しかし、ここまで世話になったのだからこの屋敷で勤めあげるべきではなかろうかとも思い……なかなか気持ちが決まらなかった。

 そうこうしている間に、再び驚く事があった。旦那様が当主の座を若様に譲ったのだ。旦那様はまだまだご壮健であるし若様はまだ若すぎる。何故急ぐ必要がと疑問に思ったものの、誰からも答えは得られなかった。

前の旦那様はしばらくは屋敷に留まり若様……もとい旦那様の仕事に助言をしていたものの、しばらくすると奥さまを連れて気候のいい土地へと移り住んでしまった。

 そうなると“ここを辞めます”とは言いづらくなってきた。自分の仕事も、いつの間にか色々増えていて、家令の手伝いや使用人の仕事から、旦那様の手伝いまでと範囲が広がっていた。時々、なんで自分がこの仕事をと首を傾げないでもなかったが、まあいいかとすぐに放り投げた。

 とりあえず目の前の事をひとつずつ片づけてゆけばいいと思ったのだ。

 そんなこんなで、気が付くとこの屋敷を辞めようとは思わなくなっていた。

 慣れた場所であるし、恩義もあるし、もう要らないと言われるまではここで働かせてもらおう。

 それは旦那様がこの家の当主になってから、二年が過ぎたころの事だった。



 

 そうして。

 思考は再び今に戻る。大きな体で自分にのしかかる旦那様だが、その様子はどこかずっと昔の……子犬のように自分に懐いてきた子どものころを思い出させた。

 大きくなって自分の背を越すほどになっても、腰に抱きつく代わりにぎゅうっと体を抱きしめていた。小さい頃からの習慣が抜けていないんだなと苦笑しながらも、旦那様の好きにさせていたし、それにいつかはお気に入りのぬいぐるみに抱きつくような、そんな癖もなくなるだろうと考えていたのだけど。

 よく考えなくても、旦那様未だに抱きついてきていたっけ。

 それに最近は、妙に力をいれてひっついてくるから、苦しいって文句も言ったっけ。

 唇が離され、しかし少しでも動けばまた唇が触れあうくらいの間近で覗きこまれて、視線を逸らす事も出来ない。

「ここを出てどこに行くつもりだ」

 再び同じ問いをされても、自分としては首を傾げるしかない。

 どこにも出ていくつもりはありませんがと答える前に、旦那様は苛立たしげに舌打ちをすると吐き捨てるように言った。

「出て行ったとしても、お前を雇う家などないからな。ある事ない事吹き込んでやる」

「は、あの……?」

「いやそんなまだるっこしい事はせずに、いっそ出ていけないようにしようか。その方が手っ取り早いか」

「ちょっと正気に戻れって!」

 呟く内容が怖すぎるし、視線にも何やら怖い光が漂っているから、声を張り上げてしまった。何とか動かせる手のひらでばんばん背中を叩くと不本意そうに顔をしかめて幾らか顔を離してくれた。

 ああよかったと安心するにはまだ早いのだろう。間近で、目に物騒な光をともしたまま顔を覗きこまれている状態には変わりがないのだし。

 押しのけようにも悲しいかな自分の力では無理だとわかっている。

 思いきり不満そうな顔をしている旦那さまを見ていると、まるでぐるぐる唸りながらも、主人の命令に従っている犬みたいだなあと思った。

 ああ、旦那さまを犬にたとえてはいけないかとため息をついて、旦那様の顔を見上げながら尋ねた。

「わたしがここを出ていくって、誰に聞いたの」

 旦那様はぎり、と唇をかんだ後、家令の名前を出した。

「明日には出ていくって言っていた。だから……」

 だから、の後の事は敢えて触れない方向で行こうと、自分は旦那様の言葉にかぶせるように言った。

「それ、デマ」

「……は?」

「だから、出ていくっていうのは間違い。正確に言うなら、出かけるが正しい」

「……はあ?」

 いやだから何それって顔されても、こちらの方が何それですがね。

 絶句した旦那様にとりあえず説明する。

「妹がね、家の方に遊びに来てくれと言ってきたんで、一週間ほどお休みをもらったんです。甥っこにも会いたいですしね」

 妹は無事第一子を産んでいた。お祝いに行きたい所だったが、そうそう自由な時間などとれなかった。こちらの屋敷では自分はいち使用人であるし。まずは祝いくらい送っておこうかと思い、年配の女性の使用人に何が嬉しいか相談をしていたところだった。妹もこちらの事情や自分の性格を知っているからだろう、こちらの屋敷に話は通しておくから、遊びに来てほしいと言ってきたのだ。まず家令に相談すると、気兼ねせず休みを取るよう言ってくれたのだ。

 その時、旦那さまには言っておくからと話していたはずだったのだが……?

 内心首を傾げていた自分は、次の瞬間呻く羽目になった。旦那様が肩のあたりに顔を埋め、べたりとのしかかってきたからだ。

「っ、重いっ、潰れるっ」

 体格差を考えろと言いたい。小さい頃の調子で懐かれると間違いなく自分はぺしゃんこになる。あれだ、育っても子犬の頃の癖が抜けない大型犬みたいなものかと諦めてはいても、こんなときは縦にも横にも伸びなかった自分の体形が恨めしくなった。

 必死の思いが伝わったのか、重みはマシになったとはいえ、未だ圧し掛かられたままだ。肩のあたりに顔を押しつけている様は、まるで構ってほしいと言いたげな犬みたいで何とも力が抜けた。

 こうやって最後には甘やかすからよくないんだろうかと思うけれど、今はまだいいかと苦笑する。

 何とか動かせる手のひらで、届く範囲の背中を撫でて、ため息交じりに呟いた。

「まあ、ここにはもう要らないって言われるまでは、ここでお世話になるよ。まだまだ心配な子がいるし」

「……それは俺のことか」

「さあ、ね?」

 くすくす笑いながら背中を叩くと、体を抱きしめられたまま起こされた。まだ腕は離されず、寝台に座った状態で腰のあたりにしがみつかれている。視線の下の、柔らかそうな髪の毛をついつい撫でてしまっていた。

 それに嬉しそうな顔をしながらも、同時に不満そうな顔をした旦那様。首を傾げる間もなく腕は離され、旦那様はため息交じりに呟いた。

「……仕事に戻るか……」

 その言葉で我に返る。そうだった、明日からしばらく居ないから、色々用事を片づけている最中だったのだ。

 慌てて寝台から立ち上がり、部屋から出て行った。まずいあれこれ引き継いでおく事があったのにと焦りながら駆けだした自分の耳には、旦那様の呟きなど入って来なかった。


「……取りあえず言質はとった、が……」

 いつになったら子ども扱いから抜け出せるんだと苦い顔で項垂れていていた旦那様が居た事など。

 自分は知らなかった。





                             END



         


 


旦那様、実は小さい頃からアピールしてました。

(植えた花は、あなたが好きですとかそういった意味の花でした)

大きくなっても抱きついてみたりとか。

しかしことごとく気付かれていないという……(笑)


お読みいただき、ありがとうございました。


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