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3.潔白

 藤次郎が正気に戻った時には、既に老人とアキとともに囲炉裏を囲んでいた。目の前に湯気の立った茶が出されている。

 すこしあきれたように老人が口を開いた。

「ようやく、落ち着いたらしいの。全く……、泣き叫ぶお前さんを引きずって行くのには苦労したわい」

「ええと、その、すみません……。そういえばお名前は?」

「ああ、そういえば忘れておったよ。わしは佐貫団兵衛、お前さんの名前はアキちゃんから聞いておるよ」

「は、はあ……」

「ま、一晩じゃがゆっくりとしていってくれ」

 茶を飲み干した団兵衛が囲炉裏に掛る鍋に手を伸ばす。蓋の開いた鍋には粥が入っていた。

「さて、これから晩飯にでもしよう。大したもてなしでなくてすまんがの」

 茶碗に掬った粥を藤次郎とアキの前に出される。質素ではあるが、朝から何も食べていなかった二人にはごちそうだった。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

「いただきます」

 がっつく二人を見て団兵衛が頬を緩める。自分に孫がいればこれほどの年齢だろうか? 夢想した情景を団兵衛は打ち消し、自身の茶碗に粥をよそった。

 次々と茶碗の米粒は彼らの腹の中に吸い込まれていき、やがて鍋の底が見えた。

「ごちそうさまでした。……すみません、遠慮なしに食べてしまって」

 藤次郎が申し訳なさそうに頭を掻いた。すこししてアキも茶碗を置く。

「ごちそうさまでした」

「腹はいっぱいになったかの?」

 まだ食べかけの団兵衛が尋ねる。二人は首を縦に振った。

「そうか、ならよかった。ちょっとの間まっとくれ、すぐに布団を敷こう」

「なにからなにまで、本当にありがとうございます」

 藤次郎が深く礼をしようとしたのを止め、団兵衛が笑った。

「なあに、お前さんを運ぶのにくらべりゃあ、この程度なんともないわい」

 そう言って肩をたたき、藤次郎達を客間に案内する。すこしほこりっぽく、独特のにおいが鼻をついた。押し入れから布団を出して手際よく敷いていく。数分で二人分の寝床が仕上がった。

「ま、ゆっくりしとってくれ。この老いぼれはもうしばらく起きとるから、何かあったら呼んでおくれよ」

「ありがとうございます、おやすみなさい」

 ふすまが閉まる。部屋はゆったりと照らす行灯の光に包まれた。

「……」

「アキ、やけにおとなしいな? どこか具合でも悪いか?」

「どこも悪くないわ。……ただ、本当にごめんなさい」

「……。正直、俺も分からない。アキに怒ればいいのか、それとも嘆けばいいのか。どんな感情を示せばいいのかさっぱりなんだよ」

「……」

「ともあれ寝よう! 一度頭を冷やさないとどうにもならない」

「ええ……」

 言うが早いか、藤次郎は頭まで布団を被った。藤次郎の勢いに押され、呆然としてアキも布団に入る。人の観察が得意なアキでも、藤次郎の現在の心境は全く読めなかった。

 半刻ほど過ぎた。初めての長旅に疲れたアキは既に睡眠に落ちていた。ゆっくりと、藤次郎はそのことを確認すると、静かに戸をあける。廊下を曲がって居間へ歩を進める。

「よお、まだ起きとったか」

 囲炉裏の前には藤次郎の予測したとおりの人物がいた。おそらくこの老人は最初から全てお見通しだったのだろう。

「佐貫さん……。やっぱり分かってましたか」

「無論。伊達に年はくっとらんということよ」

 囲炉裏の火にあたりながら、団兵衛が優しく笑みを浮かべた。アキのそれとは異なる、純朴で柔和な笑みだった。

「まずそもそも、お前さんたちが兄妹なんて誰も信じんよ。年がかなり離れとるしな。大方、人には言えない理由があってのこと、そうじゃろ?」

「そう――、ですね。……少し長くなりますが構いませんか?」

「好きにするといい。年寄りはどんな話もすぐ忘れるからのう」

 真面目な口調の藤次郎とは真逆に、団兵衛が茶化すように言った。その様子に思わず、藤次郎の緊張も緩む。おかげで顛末を語るのも幾分か楽になった。

 事の始終を語り終え、藤次郎は差し出されて茶を一気に飲み干す。まだほのかに暖かいが、この寒い夜には少しばかり力不足といえた。

「成程、成程。お前さんは昔の恋人である、小春さんとの約束を破ってしまった。しかし同時に、彼女の正義を模倣する、自身の正義のあり方にも疑問を感じた、と」

「ええ、人さらいにまで成り下がった者の言えたことでありませんが……」

「確かに、人さらいは重罪じゃのう。潔白とは言い難い」

「そう、ですよね……」

 静かに、囲炉裏に手をかざして暖をとる。火に照らされた顔と裏腹に、表情は暗い。

「そう気に病むな。それはあくまで法の観点じゃよ」

「ですが――」

「お前さんと小春さんとの約束は、あくまで清廉潔白に生きる、それだけじゃろう? どうやらお前さんは勘違いをしとるのでないかな?」

「勘違い、ですか?」

「わしも確証は持てんが、彼女は藤次郎、お前さんが『自身に』清廉潔白であれ、とおそらく言ったのだろう。清く正しい心と行為、それらの評価は見る人によって異なる」

「……」

「お前さんが守ろうと躍起になる法にも、無論不平不満を漏らす者もおる。結局のところ万人に通用する清廉潔白など存在しないのじゃよ」

「……」

「だからこそ、彼女が言いたかったのは、そのような不安定なものに惑わされ、自身に嘘をつくような真似をするな、との意味で無いかな?」

 ゆっくりと話を終える。先ほどの言葉を沈黙が藤次郎の頭の中で反芻させた。

「悩むようじゃの。ならばお前さんに一つ質問じゃ」

「は、はいっ」

「アキちゃんが暴力を振るわれそうになった時、なぜ怒った? 挑発されたからか? それとも……?」

「俺は……、不可抗力で飛び込んだだけです」

「それだけで殴られたわけではあるまい」

 団兵衛はそれきり、何も言おうとはしなかった。

 それはまるで、自身で気付かなければ意味が無い、と暗に伝えているようだった。

「……理不尽だったから、ですかね。堂々と暴力をふるう大人と、遠巻きに見るだけの群衆。そんな道理から外れた状況が嫌でたまらなかった。だからあんな行動に出たのだと思います」

 藤次郎の言い終わった後、団兵衛が静かにうなずいた。満足げな表情だった。

「それじゃよ、それで良い。不条理をなくしたい、お前さんはそれが正しいと考えた。その結論が間違いかどうかは分からぬ。ただ、間違ったときは自ら正せばええ」

「正す、ですか?」

「そのとおり。法の裁きを受ける、アキちゃんの面倒をみる、贖罪のために山にこもる、何でもよい。あの子を、知らぬとはいえ攫った。それを間違いと思うのであれば、何らかの方法で正せばよいのじゃよ」

 団兵衛は穏やかに言った。藤次郎の目をじっ、と見ている。団兵衛の目を見返せば、不思議と藤次郎は肩から荷が下りた気分になった。やり直せばいい、ただそれだけのことだ!

 明るくなっていく藤次郎の表情を確認したのか、団兵衛が立ち上がる。

「さ、そろそろ老いぼれは寝ることにするよ。お前さんももう寝た方がよいじゃろう?」

「……ええ! そうします」

 おやすみなさい、と声をかけて客間のふすまを開ける。直後、冷たい風が藤次郎の頬を打った。

「えっ」

 それは外気だった。薄く開いた障子から、ちらちらと降る雪が見える。そしてさっきまではアキがいたはずの布団は……。

「いっ、いないっ……!?」

 もぬけの殻になった布団に、外に続く小さな足跡が点々と続いている。既にこの部屋にいないことは明白だった。

「お、おい……! どこに行ったんだよッ!?」

 すぐさま後を追って外へと駆けだす。じわり、と足裏の雪が彼の体温を奪うが気にする暇も無い。今すぐに追わなくては!

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