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1.破れた夢

 にぎやかな街とは反対に、道を歩く升屋藤次郎の足取りは重かった。往来で騒ぐ富裕層を藤次郎は睨みつけようとして、更にみじめな気分に陥ってやめた。

 もう一度、とすがるように彼は、手に握りしめた紙を開く。何かの見間違いかもしれない。

 開けば『中央役人登用試験』の文字がまず目に入る。紙の質、印字の精度、どれをとってもこの中央都市がいかに恵まれているかが如実に分かる。

 目を皿のようにして藤次郎は紙を眺めたが、やはり不採用の旨は変わっていない。大きくため息をついた藤次郎は、それをくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。

「なぁんで、落ちちまったんだろうなあ……」

 突風にあおられる紙くずを見ながら、彼はぼやいた。風にあおられ今に落ちるか否か、という紙くずは着実に飛距離を伸ばしていく。ふらふらしているところとすぐにも落ちそうなところが自分そっくりだな、と藤次郎は内心自嘲した。

 やがて紙くずの軌道はくだりに差し掛かる。その直後、藤次郎の顔は青ざめた。

(げぇっ!!)

 明らかに殺気だった男が、少女に何か怒鳴っている。彼女の無関心な態度が火に油を注いでいるらしく、男の怒りは今にも爆発寸前といったところだった。

 ここにあの紙くずが当たればどうなることか。藤次郎もすぐさまそれを悟り、背筋を震わせた。逃げるか? それとも追うか?

 が、その時には既に遅かった。紙くずを回収しようと手を伸ばした藤次郎の健闘むなしく、結局男の頭にそれが当たる。回収しようとした藤次郎の姿は、ちょうど何かを投げたかのようだった。

「……あ」

「いてえじゃねえか、なんだてめえ。なんか文句でもあんのか?」

「あー、その、なんだ。あれだ、そうやってすぐ暴力に訴えるのはやめておけ」

「あ? 親が子供を躾けることのどこが悪いんだ?」

 それとも、と前置きして男が顔を近づけてくる。そのしぐさ一つ一つには暴力の臭いが染み付いていた。

「てめえが代わりに殴られる、ってえ言いたいのか? え?」

「……」

 黙り込む藤次郎を見て、男はあざけるように鼻を鳴らした。やはりこいつも口だけだ。暴力をちらつかせればすぐ黙る。

「……度し難い阿呆だ」

「あ? てめえ誰に向かって――」

「良いだろう、殴られてやる」

 言い終わる寸前に藤次郎の体が地に伏した。顔面に重い一撃がめり込んだのだ。当然、体を鍛えているわけでもなく、荒事に慣れているわけでもない彼は、受け身もままならない。

 背中から打ちつけられた藤次郎に、男が更に追撃をかける。わき腹に蹴りが入り、馬乗りになってまた顔面に一撃。

「ブザマだよなあ、おい。カッコつけて出てきてこんなボロクズ同然だもんなァ?」

「……その程度で満足か」

「……」

 男の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。

「殺す……!! 殺してやるっ……!!」

 拳を振り上げられる。頭に血が上った男がこめかみを狙っているのは明らかだった。まともに食らえば、運が良くても病院行きである。

「ォォイ、警官! こっちだ、喧嘩だ!」

 近くにいた通行人が通報したらしい。複数人の警官が遠くから走ってきていた。

「チッ……」

 分の悪い事を悟り、男はすぐさま逃げていく。自身の子供には一切眼もくれない。利己的だが、合理的な逃亡だった。

「ふ、ふぅぅ……、死ぬかと思った」

 緊張を解いた藤次郎は、動くたびに走る鈍痛をこらえて立ち上がる。幸いにまだ警官は遠い。

「よしっ、とんずらっ」

 多少ふらつくが気にせずに藤次郎は走りだした。右に曲がり、次は左に、裏路地をかけていく。後ろから追ってきていた警官は、そもそも熱心でないらしくすぐに足音が消えた。

 それでもしばらく警戒して走り、ようやく彼は道に腰を下ろす。スラム特有の下水のようなにおいが鼻をついた。

 これほどのスラム街はこの国では他に類を見ない。中央都市に対する一極集中政策の結果、人口が増えすぎたためだ。ゆえに他の地域は煙で大気の汚染されきった工業特区か、日銭を稼ぐのに手一杯の農業特区しかない。

「はてさて、どうしようかね……」

「困っているようねぇ、藤次郎?」

「……だれだ!? って、お前か」

 前に立つ少女に、藤次郎は見覚えがあった。あの男が怒鳴りつけていた子供だった。

「なんで俺の名前を知っている?」

「紙くずに書いてあったわ。意外と古風な名前なのね、軟弱ものなのに」

「うっせー、荒事は苦手なんだ」

 立ち上がると地面が揺れた。足元で彼の体を支える少女の姿を見、藤次郎はようやく自分がふらついていることに気付いた。

「馬鹿ね、安静にしてなさい。気にしなくてもあの人が私に気をかけるなんてこと、一つも無いから」

「……悪い」

「いいのよ。どうせこの後世話になるしね」

「は?」

「中央を出て、自分の村に帰るんでしょう?」

「ああ、そうだが?」

 そう藤次郎が言ったのを確認すると、少女がにやりと笑った。見たところ十歳かそこらの娘の笑みからかけ離れた、老獪なものだった。

「私もちょうど用事を言い渡されてね、ちょっと遠くの村に買い付けしに行かなきゃならないの。だから、それまで護衛代わりになってほしいってわけ」

 こんなか弱い女の子を見捨てるわけないよね、とダメ押しまでしてくる始末だ。出会って間もないというのにこの少女は、既に藤次郎の性根を看破していた。

 自信たっぷりの表情を浮かべる少女に、藤次郎も苦い顔になる。言い訳一つ思い浮かばない、完敗だった。

「……名前は?」

「アキ。どの親類からも縁を切られているから、名字は無いわ」

「……そうか」

 すっ、と立ち上がる。先ほどのようにふらつくことはなかった。

「仕方ない、護ってやるよ」

「ふ、その覚悟や良し」

 アキが笑い、右手を差し出す。その手を、藤次郎も同じく右手で握りしめた。

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