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イカロスの翼

作者: 筑紫

文才がないので至らぬ点が多いと思いますので少しずつ直していきたいと思います。誤字や指摘があれば教えて頂けると助かります。

どうぞよろしくお願いします。



あれから、60年……



他の人から見れば長い年月だと言うだろう。



しかし、私はまるで昨日のことのように鮮明に思い出す。



私の名は林田 恭介



当時は太平洋戦争の真っ最中だった頃、ある機体の開発を関わっていた技術者だった。



しかし、今の私はもう余命も幾ばくもない。



ここで終えようとしている。



しかし、心残りはある。



それは、私の唯一の親友だった青年のことだ。



その青年は戦闘機乗りだった。私が開発した機体に乗って。



大空へ向かって消えて行った。



青年を思う時、いつも、ひとつの神話を思い出す。



イカロスの翼



それはろうで固めた鳥の羽根を手に空へ舞い上がり、父親の忠告を忘れて、太陽に近づき過ぎたゆえに蝋が溶けて海に墜ちた若者の物語。



その不遜さ。己の持つ羽根の脆さを顧みず、高く舞おうとして許されなかった若者を待つ運命の残酷。



そう、青年は似たような状況だった。



私はここに記録を記してこの世に残したいと思う。



太陽を目指し、空高く飛ぶイカロスのようにいった青年の物語を。







1945年X月……


 静まりかえった帝都に耳障りな緊急避難発令のサイレンが鳴り響く。


 海岸に哨戒していた見張り員が、成層圏に飛ぶアメリカ軍の一〇〇機にも及ぶB-29の大群を発見、それらが帝都に向かってると警報を発した。



「回せーっ!」


 あらゆる航空戦闘隊の搭乗員達が大声発しながら慌ただしく駆けつける。


「第一、第二隊に出撃!!」


 迎撃のために駆けつけた、あらゆる基地から海軍の零戦隊、雷電隊、紫電改隊、陸軍の屠竜、三式戦(飛燕)等上がってゆく。


「こちら一番隊、佐神だ!敵の状況を知らせ!」


《…カガッ……敵戦爆連合約一〇〇機。浜松上空より帝都に進行中!……迎撃せよ!》

ノイズ混じりで通信が入る。


「了解! みんな聞いたか! 侵攻する奴を潰せ! 生きて帰すな!」


『『『了解!』』』


 佐神大尉に率いる零戦隊は敵のコースを想定して高度を取り優位に立って待ち構える。


 しばらくすると、B-29約二〇機がぼつぼつと姿が現した。


『一〇時方向にB-29発見! こちらに向かってきます。』


「よし! 第二隊、突っ込めーっ!」


 敵B-29より上空に待ち構えていた零戦隊がB-29に目掛けて急降下し始める。


 敵編隊は気付いたのか、全機が放つ曳光弾が赤い横殴りの雨のように向かって来る。しかし、どれも零戦の後方へと逸れる。


 B-29群の1機を標的を捉えた佐神大尉は射点を占め、引き金を絞る。零戦の主翼に備えている二〇ミリ機銃が火を吹いた。


 零戦の火力では相打ち覚悟で長い連射を浴びせないと撃墜できない頑丈なB-29はその一撃でぐらりとよろめいた。

 同時に防御火器が沈黙する。わずかに操縦棹を押してその斜め下に見える機影に機首を向ける。

 次の標的に発砲したとき、最初に攻撃した機体から黒煙が激しく吹き出すのが見えた。


 他の零戦達も同じようにB-29を1機撃墜するのを見える。


 難攻不落なB-29相手に一撃で2機を撃墜できたのは驚異的なことである。佐神大尉率いる零戦隊の技量は窺えよう。


 しかし、零戦隊の奮戦はここまでだった。2機を撃破出来たのは良いが、いかんせん焼け石に水。一〇〇機近いB-29の大群の侵攻を食い止めることは不可能だった。


 それでも戦闘隊連中は諦めず追撃するが、B-29に追い付くことができず、徐々と引き離れてゆく。


『佐神大尉。ダメです。空気が希薄で気化器がいうことを効きません。出力が低下していきます。』


 無線から連中の悲痛な声が聞こえる。


 佐神大尉の零戦も同じようにこの高度ではエンジンが従来の力が出すことができずスピードが出てない。


「ぐっ…」


 高速で飛び去ってゆくB-29の大群に対抗の手段がなく、黙って見送るしかなかった。


「……仕方がない。後は厚木の連中(雷電隊)に任せることにしょう」


 佐神大尉は追撃を諦め、この先に待ち構えている戦闘隊に委ね、帰投することにした。


「このままではじり貧だ、これは。ちっくしょう……高々度用の戦闘機さえあれば……」


 去ってゆくB-29の大群を恨めしげに見つめ、歯軋りし悔しさが滲む。





一難去ったB-29群は


「ふぅ、なんとか凌いだな。2機失ったのは痛いが作戦の支障はない。奴ら必死だな。」


「墜とされた奴は残念だが、ジャップにプレゼントをバラ撒いてさっさと帰ろうぜ。」


「焦るな、もうすぐ目標だ。気を抜くなよ。」


 雑談してるうちに最後尾に着いてきてる僚機が一瞬、爆音が響く。


「な、なんだ。」

 爆音に気付いたB-29連中達は一体何が起こったのかわからずにいた。


「な、最後尾にいたケニー機が爆発した?暴発か?」


「一体何が……?」


 呆けているうちに2機目も爆発を引き起こした。


「今度はクロード機?……い、いや、ジャップだ! ジャップにやられたんだ!」


「な、ど、どこだ。ジャップは!」

 機長や同乗員達は恐怖に罹られてパニックに引き起こしたが敵の攻撃と気付き、慌てて敵を探した。


「いた! 見つけたぞ。上後方2時辺りだ。」


 後方にいる同乗員クルーの声から反応し、機長は窓から覗くとすぐ見つかった。

ほんの一瞬だが、敵戦闘機はジュラルミン剥き出しかと思えるほどの機体色で、液冷式と思わせる斬新なフォルムを持っていた。しかもスピードが速い。


「な、なんだあれは。零戦ジークじゃないぞ!」


飛燕トニーか?」


「いや、似てるがまったく違う!」


 敵機の機体の種類を照らし合わせようと躍起になっている。一瞬だが、主翼はやや細長く機首から尾翼までの青いライン、主翼の斜めに青いラインにマーキングしてあるのを見えた。


「新型機だ、なっ! あのマーキングは……ま、まさか、あ、『蒼い死神』……」

 この場にいる連中達が緊張や動揺に走った。


 シルバーカラーの機体色で機首から尾翼まで、主翼の斜めにスカイブルーのラインが特徴で、数々戦闘機やB-17等の重爆撃機などの数多く葬った『蒼い死神』。乗組員達の畏怖すべきの対象だった。


「バカな、『蒼い死神』は雷電ジャックじゃないのか! 新型機に変えたのか。」


「知るか。考えるのは後だ。さっさと応戦しろ!」


くそっガッテム、墜ちろ!墜ちろ!」

 機銃座が懸命に撃ちまくるが敵機の後方に逸れてしまう。


「ダメだ! 速過ぎて追い付けない。」


「ああ……、今度はチャーリー機が……」

 またや僚機までやられた。たった一撃で。


「なんでこった、奴はどんでもない大砲を持ってるぞ。なんとしても撃ち落とせ!」


 しかし、敵機は嘲笑うかように銃弾の嵐をひらりひらりとかわしながら攻撃してくる。


 そして、1機、また1機と墜としてゆく。


 部下達も死にもの狂いで応戦するがまったく当たらない。瞬く間にまた1機も落とされてゆく。


「ああ…悪夢だ。」


「oh my god!」




しばらくすると敵機の進撃はやんだ。


「おい、奴が引き下がっていくぞ。」


「そうか、弾切れか、助かったな。」


「何で奴だ。たった1機で7機もやられるなんて……」


「新型機か、奴の戦闘能力が侮れん。司令部は考え直さなければいけないだろうな。」

 機長は安堵し、つぶやいた。





XX実験飛行場


 『蒼い死神』と呼ばれ恐れてた機体は厚木基地よりかなり離れた飛行場へ降り立った。


「ぷはぁ…疲れた。」

 機体から降りたパイロットは飛行帽を脱いだ。

 当時の日本人としては珍しく一八〇センチ近い長身と、細身の体でありながらガッチリとした体躯を持っていた。

 パイロットの名は久我(くが)貴史たかし、階級は大尉。


「おかえり、貴史」

 目の前には、丸眼鏡をかけた痩せ型の脆弱そうな白衣の男性が立ちはだかっていた。

この男性は『蒼電改』を設計した技師、林田 恭介。


「くそっ、7機しか墜とせなかった。弾が足りねぇ……」

 弾切れで追撃することができず悔しがった。


「おいおい、無茶言うなよ。単機でB-29を7機も撃墜したことはすごいことだぞ。」


「ああ、こいつ(三〇ミリ機銃)のおかげでB-29を楽に撃ち落とせる。せめて弾数を、いやこの機体が一〇数機あれば防げたかもしれないのに……。」


「気持ちはわかるが、俺らはここまで生産できる能力はない。上層部にかけあってるがなしのつぶてだ。」


「くそっ、ここまで見せつけても無視かよ。一体何考えてるんだ。」

 これだけの高々度で対応できる機体なのに上層部は無視している。

 空技廠や航技研では高々度用戦闘機を開発してるが思ったより性能が出せず苦労している。

 成功したのは蒼電改1機のみである。本来なら喜ぶべきことだが、空技廠や航技研より知名度がなく実績もない田舎の研究所に負けることはプライドが許さず頑として無視している。いや、無視してるより渋ってると正しいかも知れない。



「案ずるな、これだけの戦果だ。上層部が黙っちゃいないさ。」

 口元が緩み、人差し指で丸眼鏡をくいっと押し上げる。


「だと、いいがな。」


 貴史はケッと不貞腐れていた。


 久我貴史は腕のいいパイロットだが、部下思いで面倒見が良く人柄が良かったが無能な上官に対する命令無視や反抗が多く、衝突も少なくなかった。(貴史は神風特攻隊は犬死するだけで外道の作戦と言ったほどだ。)

 元々は雷電乗りであっちこっちの戦地で駆け巡りおおいに暴れまくった。機体色は濃緑色でなく銀色で青いラインというよく目立ち、敵から『蒼い死神』というありがたくないニックネームに付けられよく恐られていた。

 今は『蒼電改』のテストパイロットとして現在に至る。


「早く決めないと日本は負ける。上はわかってるのか。」

 貴史はやり場のない怒りをぶつける。


「おいよせよ。どこから聞こえてるか分かったもんじゃない。」

 林田が神埼を宥める。下手すると憲兵が飛んできてかねない。


「……」

 しばらくすると怒りが収まり冷静になった。


「すまん。」


「いや、いいさ。すまないな、俺らの力が足りないばかり……」


「いや、私らも責任はある。もう一度進言しておく。」

 横から声が聞こえ、そこに振り向くと五〇代と思わせる恰幅のいい体格した人物が立っていた。


「し、司令。」

 貴史は慌てて立って敬礼する。


「久我大尉、ご苦労だった、これだけの戦果があれば上層部も黙ってはいられないだろう。」


「は、お願い致します。これさえあればB-29の侵攻をくい止められると確信しております。」


「わかっている。なーに、任せておきたまえ。」

 何かの秘策あるのかニヤリと笑う司令。


 貴史はちょっと引き気味だった。




 数日後、待機室で貴史と仲間達にくつろいでいた頃。

 外から何やら慌ただしい足音が聞こえ、ドアが勢いよくバーンと開けて飛び込んできた。

驚愕した人達は何事かと騒ぎ始める。


「な、なんだ、どうした、恭介!」


 飛び込んできたのは技師の林田恭介だった。


「貴史、喜べ! 蒼電改を量産することを決定したそうだ。」

 息を切らしながら報告した。


「ホントか!」


「本当だ、上層部からお達しが出た。間違いない。」

 呼吸を整え、落ち着いてから報告する。


 待機室にいる仲間達が歓声を上げた。


「よっしゃー!これでB公共にでっかい顔を出せねぇぜ!」


「そうだそうだ、今夜は宴会だ。酒保開けろ!朝まで飲んで騒ごうぜ」


「くーっ、量産1号機が出たら俺が先な。」


「あー、抜け駆けはずるいですよ。私の分も出してくださいよ。」


「まあ待て待て」


……………


…………


 テンヤわんやの大騒ぎになった。




「ふぅ、ダメだったらどうしようかと思ったが通ってよかったよ。」

 恭介はホッと顔が緩み、走り疲れたのか力が無く椅子に座り込んだ。


「恭介、ご苦労様。仕方がないさ、彼らだって余裕がないことくらいはわかってたろうに。」

 貴史は右手を出し差した。恭介はきょとんしてたがすぐ気付き貴史の差し出された右手を握り、握手を交わした。


 今夜は無礼講で朝までドンチャン騒ぎになった。







 翌日、都会より離れた土地、周りは田圃が多くのどかなところで建物はほんの十数件で小さな村。

 長身で軍服を着たひとりの青年が、ある病院へ訪れる。


 青年はノックをして病室に入る。

 そこは1人部屋で、二十代前半位だろうか儚い雰囲気を持った女性がベッドに腰掛けている。


「あら、貴史さん、いらっしゃい。」


「おいおい、横に寝てろよ。」


「大丈夫よ。今日はなんだが調子がいいみたい。」


「そんなわけないだろう。ほら、横に寝て。」


「もう~、心配性ね。」

 頬をふくらませ不満気に渋々と横になる。


「聞いてくれ、真奈美。俺達の蒼電改がようやく量産のメドがついたんだ。」


「あら、よかったわ。これで戦争が終わるのね。」


「いや、とうぶんは難しいと思う。アメリカは巨大な国だし、叩き落としても叩き落としても来る……キリがないよ。」

 貴史はちょっと歯切れが悪かった。


「でも、この飛行機があれば敵さんは二度と侵入できないんでしょ。」


「うーん、ところがそうは行かないんだよね。爆撃機を守るための護衛機がついてるからね。」


「なんたが大変ね。一日も早く終わって欲しいわ。」


「そうだな。」

 貴史は思い知らされた。アメリカという巨大な国を…

 そして、資本や工業力、あまりも違いすぎた。まるで子供が横綱相手に対決するようなものだ。

(真奈美は悪いけど、この戦争はもう長くはない。日本は多分負けるだろう。)

 貴史は窓側に見つめ続け表情は暗かった。


「ねぇ、蒼……なんとかの飛行機、成層圏まで飛べるんでしょ。」

 暗い話を払拭しようと話題を変えた。


「あ、ああ、一〇〇〇〇メートル以上の高空だ。気圧は地上の4分の1。温度はマイナス三〇度にもなる。人間はおろか鳥だってそんなに高く飛べないよ。」

 察した貴史はこの話題をのった。


「でも、貴史さんはその成層圏をいつも飛ぶって手紙に書いてあるわ。」


「酸素マスクと電熱服のやっかいになってね。とても人間には見えないよ。零戦だって、一〇〇〇〇メートルに上がるとエンジンがアップアップしちゃまって時速三〇〇も出ないよ。海軍と陸軍の新鋭機も出てるが残念だが高々度になると実力が出ない。進行中のB-29を攻撃できるのはたった一度だけ……運が良くなきゃ当たりゃしない。」


「あら、貴史さんが乗ってる飛行機は違うの。」


「ああ、蒼電改は別さ。高々度用に開発して成功した唯一の機体だからね。高々度で七〇〇キロ近くに出せるよ。」


「まあ、どうしてここまで出なかったの。」


「上がね、頑として認めたがらなかったのさ。上も高々度用を開発してるが失敗続きでうまくいかなかったのさ。成功したのはウチの蒼電改だけ。ポッと出たばっかの田舎研究所に負けたとあってはメンツ丸潰れ、黙認しようとしたんだろうな。」

呆れたかようにやれやれと溜息を吐く。


「まぁ……」


「でも、これでようやく量産決定したんだから大丈夫だ。」


「そうね、これで早……うっ、ゴホッ、ゴホッ……」


 突然、口元を抑え、苦しそうに咳き込んだ。


「あ、真奈美!! 大丈夫か」

 驚いた貴史は、咄嗟に真奈美の背中をさする。

 しばらくすると、背中にさすってくれたおかげか咳が軽くなりようやく落ち着いた。口を当てていた手のひらに赤い液体がこびりついている。


「あ……」

 真奈美は一瞬の眩暈を覚え、意識が途切れた。





 裸電球ひとつの薄暗い診療室の中で白髪が生えた初老とも言える六〇代位の男性と面談している。

 その男性は真奈美が入院してる病院の院長、酒見公蔵氏。

 昔から貴史の両親の師であり親友の林田恭介の祖父、真奈美の主治医でもある。

子供の頃に恭介とよくつるみ、悪いことをしたら正座にさせられよく怒られたものだ。

 しかし、両親が事故で先に立たされ、頼れる親戚もおらず生涯孤独となった貴史は荒れてぐれた時もあったが酒見院長が救いの手になり後見人にもなってくれた。今となっては恩義は感じている。


「ふぅ……良くないね。……というよりどんどん悪化してる。」

 カルテを見やり、ため息を吐く。


「持ってもあと1ヶ月しか持たないだろう」


「そんな……」

 あと1ヶ月しか持たないと宣告され、ショックを受ける貴史。


「先生。なんとかならないんですか。」


 貴史は喚起するが酒見院長は力がなく首を振る。


「医学は民衆が信じてるほど万能ではないよ。とくに薬品の不足がひどい。ストレプトマイシンパス・ヒドラジド抗生物質と名のつくものは手に入らん。いくら名医でも薬なしじゃ手の出しようがない……」


 深刻な問題だった。現在戦時中で輸入が非常に困難になっているため、一般では手が回らない。日本に残ってる物質を頼るざる得ないが、開戦してからだいぶ経っており薬品のストックは既に底に尽きてしまっている。


「なし、なし、なしだ。今の日本じゃ、ないものばっかりだ。」


 日本の医療の限界を感じ、やるせない怒りを覚える酒見院長。


「………」


 その後言葉を発することなく沈痛な空間が残り、外にいるカエルの鳴き声が聞こえるだけだった。





 薄暗い病室の中で真奈美は目が覚めた。どの位眠っただろうか、意識途切れてからあまり経ってないように感じる。


「う……ん、貴史さん?」


 そばに貴史がいることを気付いた真奈美はさっき、血を吐いたことを鮮明に思い出す。


「私、また血を吐いたのね……ごめんなさい、私もう長くないみたい。」


「真奈美。そんなこと言うな! 先生に聞いてみたよ。良くなるって言ってたし、気長に養正しなくちゃ」


 だが、真奈美は首を振る。


「いえ、私わかるわ。だって私の身体だもの……。」


「な、なんで、わ……」

 わかると言おうとしたが言葉にする事ができず口をつぐむ。


「ねえ、貴史さん、このままでは貴方に迷惑かけるわ。婚約は……解除して……ちょう……だい……」

 震える声と共に、ぽろぽろっと彼女の頬を涙の粒が転がり落ちた。


「な、何を言ってるんだ、いきなり。どうかしてるよ。今日は……」


「お、お願い。貴史さん……」


 貴史は否定するかように首を振り、嗚咽に耐えようと身体を震わせる真奈美を抱きしめる。泣き出す子供をあやすかのように真奈美の髪筋を幾度かさする。


 真奈美はようやく落ち着き貴史の胸から感じる心音が心地良かった。


「あ……」

 気付いた真奈美は赤らめて貴史の胸から離れる


「落ち着いたかい、真奈美。」


「ご、ごめんなさい、貴史さん。」

 恥じらうよう に俯く。


「いや、いいさ。ほら、横に寝て。」

 真奈美の横に寝かせる。


「ねぇ……貴史さん」


「ん?」


「成層圏ってどんなところ?」


「そうだな、どこまでも広くてそのまま宇宙に吸い込まれていきそうな所さ。無限に広くてどこまでも蒼い……そんな所さ。」


「わ、私もそこに行ってみたい……」


「真奈美……」







 数日後、一〇〇機近いB-29が本土に襲来した。


 警報を受けた各飛行場では慌ただしく、「回せー、回せー」とパイロット達が叫び続ける。


「クソッ!また来たのか。アメ公め!」

 貴史は毒吐きつづ愛機を乗り込み緊急発進してゆく。


 後続に零戦隊や紫電改隊など十数機続く。


 上昇力に優れた蒼電改は他の機よりぐんぐんと引き離す。

 高度六〇〇〇メートル差し掛かったところ、ちらっと後方に確認すると、

(後続機は…なしか。やっぱりこの機(蒼電改)についてこれる機はないか。)

 蒼電改の上昇力は六〇〇〇メートルで約五分切る。上昇力の優れた雷電より三〇秒以上早い。


高度一一〇〇〇メートル達した蒼電改は、

(高度一一〇〇〇。予圧異常なし、迎撃体制よし、機銃確認。)

安全弁を外し機銃のトリガーを引いた。主翼に備えている五式三十ミリ固定機銃からドンドンと発射する。

(発射速度が遅いのが玉に瑕だが異常なし。よし、あとは敵さんを迎え撃つのを待つだけだ。)


ふうと気が緩み、ふいに上空を見上げる。


(成層圏か、相変わらず蒼いなぁ……そういえば、あの蒼電改を飛行テストしてた頃)




 話はほんの数ヶ月前に遡る。

 改良を重ねて完成した蒼電改をいくつかの項目を終え、最終目標である高々度テストをしてた頃……


「久我より指揮所へ。現在高度一〇〇〇〇メートル。予圧ゲージは二・六。正常だ。機室のきしみもないから思い切って一五〇〇〇メートルまで上げるぞ。」


《!……無茶するな!貴史!》


「心配するな、恭介。おまえは一八〇〇〇メートルまで大丈夫と太鼓判押したんだぞ。自信がないのか。」


《そんなことない!それはあくまでも設計値のことだ!!実際に飛べれば何か起こるか保証できん。》


「だからテストするんじゃないか。」


《まったくもう……わかった、無茶するなよ。やばいと思ったら引き返せ。いいな。》

 恭介は随に折れた。黙って見守ることにしたようだ。


「了解! いくぞ、上昇開始!!」


 恭介が開発した試作発動機キ-301のエンジンを最大近くまで回転を上げ、上昇し始める。



「高度一二〇〇〇…………一二五〇〇………」


貴史は高度計を見ながらカウントしてゆく。



「予圧二・〇、少し下がっている………一三〇〇〇………」


 機体がビリッビリッと震え出す。

「一四〇〇〇……少し軋み出した。」


《やめろ!貴史! もういい。これ以上危険だ!!》

 無線から恭介の悲壮な声が聞こえる。しかし、貴史は


「いや、大丈夫だ。続けるぞ。」


《………》

 無線から言葉が出ず固唾を飲んでる雰囲気が感じられた。


「一四五〇〇………予圧一・八……」


 そして、ついに高度計の針が一五〇〇〇メートルを指した。


「やったぞ、恭介。一五〇〇〇メートルだ。スピードは落ちるが水平飛行はできる。予圧は二・六……大丈夫だ!!」


 貴史は興奮した。今まで達成できなかった高度一五〇〇〇メートルへとたどり着いた事に。今までの苦労が報われた。気を鎮めることはできなかった。


《そうか、よくやったな。おめでとう。》


 ほっと気を緩んだのか、上へ見上げ周りの空間を眺めた。

 感無量だった。雲ひとつもない成層圏。澄んだ青紫色の空間。ただ吸い込まれるような色だ。


(成層圏か……なんて青いんだ。)






(はっ……)

 過去懐かしむ追憶から目が覚め、我を振り返った。


(あの頃はよかったな。まるでイカロスのように……限りなく大空へ目指したイカロスのように……)

 ギリシア神話に出てくるイカロス。

 父ダイダロスは迷宮からの脱出するために翼を考案し、ろうで固めた羽を製作し、息子イカロスとともに脱出を成功した。

 ところが息子イカロスは、天高く飛んではならないという父親の忠告を忘れて高く飛びすぎて、太陽の熱で翼の蝋が溶かされ海中に落下しておぼれ死んだ。


 大空へ目指したイカロス……


 そう、俺……いや、飛行士達が目指す大空高く飛び続けるイカロスのようなものだからな。


(真奈美……)

 たったひとりの女性を思い浮かぶ。


(いつか、連れてやりたいなぁ。)


 叶わぬ夢であっても……





 感傷浸している間に、下方2時方向にB-29がポツポツと姿を現した。


 気付いた貴史は無線を入れた。

『こちら蒼電! 高度九〇〇〇メートルに敵機発見、約三〇機、これより攻撃する。』


 確か報告では一〇〇機だったのに目視できる数は三〇数機、どこかで分列しただろう。


(くそっ、護衛機もいるのか!)

 今までのは護衛機なしのものが多かったが、今回は護衛機がいる。


(見たところ護衛機は9機か。なりふり構っていられないな。まあいい。まずは1機目を頂くか!)

 獲物を狙う猛禽類のように蒼電改は急降下する。





 侵攻してきたB-29群は二手に分かれて目標に目指して進攻している。


「後数十分で爆撃ポイントだ。みんな気をしめてかかれよ。」

 先頭に立っているB-29の編隊長は無線で後続する編隊に訓告する。


『何、心配いらんさ、頼もしいガードマンがいるんだ。気楽に行こうぜ』

 B-29を護衛するために硫黄島から出撃したP-51隊がついてきている。


「ああ、理解している。だが、奴だけは気をつけろよ。上も見逃すな。」


『おいおい、相手はたった1機だろ、何ができるんだ。俺たちに任せとけ。』

 護衛機のP-51からの無線が入る。


『マーク隊長の言う通りだ。俺達がいればジャップ機なんか近付いて来ねぇよ。』


『そうだぜ、どんと構えてくればいいさ。』


『『『『ハハハハ……』』』』


 P-51のパイロット達が気楽に構えていた。

 戦爆連合達は他愛もない会話を続けていた。彼らはこの高々度まで上がって来られないことを知っており、気を緩めていた。例え上がって来られても空気が希薄でアップアップで絶好のカモだ。なんの問題はない。


 しかし、B-29の編隊長の気分は晴れなかった。

(チッ、奴らの恐ろしさが知らんからそう言えるんだ。まあいい。敵機はたった1機だ。作戦がうまく行けば戦争は1日も早く終わる。気をしめてかからないとな。)


 気をしめているうちに編隊長の左横にいたB-29が一瞬爆発を起こした。


「な、なんだ?」

 何か起こったのか理解できるまで時間を要した。


 後下方向に一瞬キラッと急降下してる敵機が見えた。それは間違いなくB-29を撃墜した奴だろう。

「奴だ、くそっ、見張りは一体何やってたんだ。」

 編隊長が罵った。

 護衛機がいるおかげで気を緩み見張りを疎かになっていただろう。先程訓告したばかりだというのに気の抜けた部下達に罵られずにはいられなかった。


 護衛のP-51隊隊長マーク大尉は呆然してた。油断したとはいえ、敵機の奇襲で堅牢な防御を誇るB-29が呆気なく撃墜されたのが信じられなかった。


くそっガッテム、逃がすか!」

 我を返ったマーク大尉はみるみる憤怒の表情に変わり敵機を追撃しようとする。

しかし、敵機は嘲笑うかように上昇して引き離される。


「なっ、お、追いつけない。そんなバカな。P-51は最高の戦闘機だぞ。ありえない。」


 P-51は米陸軍の中で最優秀の戦闘機であり、たかが日本機がP-51より上回ることが信じられなかった。


 敵機は狙いを定めたかようにB-29を撃ち落とされてゆく。


「くそっ、またやられた。マッキー、リック、奴を回り込め! 挟み撃ちするんだ!」


了解ラジャー!』

 マークとマッキー、リックの3機で見事なコンビネーションで敵機を追い込んでゆく。





 奇襲でB-29を2機撃墜した貴史は、護衛のP-51の3機が付け回され苦戦している。


「くそっ、しっこい。」

 引き離そうとしても別のP-51が押さえ込まれ、B-29に狙おうとしてもP-51に阻まれる。なかなか抜け出せないでいる。

(さすがはイワシ(P-51)だ。連携も見事だ。このままでは分が悪い。)

 いくら蒼電改が優れていても連携が取れているP-51相手では荷が重すぎた。


(こうなったら、イワシを先にを潰すか。)

 苛立った貴史はP-51を潰すことを選択した。





 連携で巧みに誘導したP-51隊は、

「よし、いいぞ。リック。このままで押さえ込め!マッキーはサポートしろ。」


『『ラジャー』』


 うまい具合に敵機のバックをとり射程内に収まることを成功した。


「よし、追いつめたぞ、食らいなジャップ!」

 照準器のパネルの範囲内に敵機の姿を捉え機銃が火を吹いた。しかし、敵機は予想したかように難なくかわされ、一瞬と消えてしまった。


「な、消えた?! 奴はどこに?!……奴は後ろに目がついてるのか。」

 驚愕したマークは信じられない表情となり呆然となった。一時思考停止したが我に返り慌てて敵機を探すが見つからない。


『隊長! ジャップが後ろにつかれた。助けてくれ!』

 仲間から悲痛の声が聞こえる。


「な、何時の間に。くそっ、待ってろ、マッキー」

 なぜ見失ったのかわからないが考えるのは後だ。マッキーを助けないと……。

 しかし遅かった。敵機の銃弾からマッキー機に命中するのを見えた。キャノピーから夥しい量の血が染まり、主が失ったかように機体がガクッと降下してゆく。マッキーは恐らく即死だろう。30ミリ弾に食らっては無事でいられない。


『マッキーがやられた。ちくしょうサノバビッチ!』


「おい、待て! リック!」


 マッキーがやられて、怒りで頭に血が上がってるリックは耳に入らず、敵機を追い銃弾を放った。しかし、敵機まで距離がありすぎたのか銃弾は下に逸れ命中しない。


くそっガッテム!』


 逃すまいとスロットルレバーを倒し、P-51に搭載しているグリフォンエンジンをうなり上げる。


 敵機とグングンと距離を追い詰め絶好のポジションを得た。目標を捉え機銃のトリガーを引いた。敵機がヒラリとかわしまたや一瞬と消えてしまった。


『なっ!』

 虚つかれたリックは慌てて敵機を探す。


「リック!後ろだ。急降下して逃げろ!」


 仲間から無線が入る。リックは慌てて後ろに見るとそこには敵機がいた。リックはなぜ敵機が後ろにいたのかわからず思考を停止した。

 気付いたリックは慌てて操縦桿を横に倒し急降下して逃れようとするが、敵から数発の銃弾を食らってしまった。

 食らったリック機は操縦不能となり急降下しつつ爆発を引き起こした。


「リックぅーーー!!」

 それを見た隊長機は叫ぶがリックは応えない。


「くそっ、奴はどこだ。」

(まさかあれでスピードを緩めてかわすのか。なんという度胸のある奴だ)


 敵機が消えたトリックはなんでことない。リックがスピードが出し過ぎて敵機を飛び超えてしまっただけに過ぎない。しかし、敵機の度胸は呆れる程だ。一歩間違えば衝突に免れない。


 隊長機は懸命に探すがすぐ見つかった。敵機はまたやB-29を襲いかかろうとしている。


「ちっ、またやられた。ジョン、奴を回り込んでくれ!」

 僚機を失ったマークは他のP-51の助けを求めた。


『無理だ。こっちは手一杯だ、余裕はない。』

 何があったのか理解できなかったが、上空に見ると理解できた。P-51隊は零戦や紫電改などの約十機と乱戦に陥っていた。


「ちっ、こんな時に……」

 マークは迷ってしまった。(蒼い死神)を追うべきか、仲間達へ救援すべきか。


 しかし、迷ってるうちに、奴はB-29の1機を撃ち落とされてしまった。


「し、しまった。」

 気の迷いは戦場では命取りであり、一瞬の判断を求めらなければならなかったのをマークは悔やんでしまった。


 しかし、奴は反転することなくこのまま急降下して去って行ってしまった。恐らく弾切れか、残りの数発しかなかっただろう。


 気付いたマークは

「な、逃がすか!」


 敵機を追うようにするが、仲間から無線が入った。

『よせ、追うな。こっちへ戻って援護しろ。』


 上空から数機の零戦隊がB-29に襲い掛かろうとしてるのを見えた。


「な、なぜだ……」


『くやしいのはわかるが奴を追うのは諦めろ。』


「くっ、わかった…」


(覚えてろ。次は必ず墜とす。)

 マークは敵機に対する執念を燃やした。


 しかし、二度と『蒼い死神』と会戦する機会はなかった。





 ようやく零戦等の猛攻に逃れ、帰途についたB-29の編隊長は

(味方の損害は6機、P-51は4機か、微妙な線だな。)

 全体からみれば軽微とも言えるが『蒼い死神』1機でB-29が4機、P-51が2機も落とされてしまった。


「機長、どんでもない敵でしたね。」


「ああ、あれが『蒼い死神』か。恐ろしい相手だよ。」

 あの機体の能力は侮れない。同型機があと十機位あったらB-29の全滅は免れなかっだろう。考えるだけで恐ろしい。


「とにかく作戦は成功した。奴らは当分立ち上がるまい。」


「そうですね、これで一日も早く終わるといいですね。」


 作戦終了したB-29群は妨害もなく難なく去って行った。








 実験飛行場に戻り、蒼電改から降り立った貴史は、飛行帽を脱いで地面へたたきつけた。


「くそっ、護衛がいたおかげで4機しか落とせなかった。…」


「お疲れ。たいした戦果じゃないか。厚木の零戦隊の連中は2機しか落とせなかったという話だぞ。」


「被害は……」


「……零戦隊は半数以上やられ、工場や民家などは火の海だ。被害は甚大だ。」


「アメリカは容赦なしだな。」

 やれやれと頭を振ってしまう。


「それと悪い報告(知らせ)だ……」


 恭介だけでなく、整備員達までうなだれていた。




 ガン!!…


 部室から机を叩く音が聞こえた。


「蒼電改の量産中止だと、そんなバカな!!」


「……殆どの工場が潰されたんだ。蒼電改の量産はほぼ絶望的になった……」

 恭介はすっかり打ちのめされたように、頭をがっくりと落とし、小さくなって椅子に座っていた。


「アメリカの狙いは蒼電改の量産を阻止することだったんだ。情報が筒抜けだな。」

 アメリカの情報網は思ったより高かった。蒼電改の存在が脅威とみなし、生産工場を潰しにかかって来た。


「……」


 貴史は怒りで拳がブルブルと震えている。


「これでは蒼電改の量産計画が潰えてしまった。どうにもならない……」


「……」


 二人とも言葉を発することなく、部室は気まずい雰囲気が残されていた。


……………………


…………


 どのくらい経ったのか、言葉を発することなく沈黙が流れた。


コンコン…


 何も言えない雰囲気の中でノックの音がした。恭介は気付き、許可出すとスタッフの一人が入ってくる。


「久我大尉どの。病院から電話が入っております。」


「ん……あ、ああ、ありがとう。」

 貴史は部室から退室した。



 部屋に残された恭介は何も言わず、思考の淵をさまよっていた。

(もうダメだな……もはや日本の敗北は確実だ。やはり、米国と戦争するのが間違いだったんだ。)


 ここの部室はやけに静粛な空間に包まれ、時計の針がコッコッと進む……。


(ふぅ……考えても仕方がない。駄目で元々でもう一度上へ掛け合ってみよう)


 ようやく重い腰から立ち上がり、レポートや資料等、整理し始めた。



数分後……


 部屋に戻った貴史の表情は暗かった。病院からの電話というのは考えられるのはただ一つ。

 そのことを察した恭介は


「どうした? 山倉さんのことか……」


「……さっき大量喀血したらしい。今夜がヤマらしい。」


「なっ! 大変だ。すぐ病院へ行け!!ここの片付けは俺がやっとく。」


「……」

 貴史は力無く首を縦に振るだけだった。






酒見総合病院……


 駆けつけた貴史は真奈美の容態を聞いて憔悴しかかっていた。


「先生……。」


 酒見院長は首を振る。


「私の力ではどうすることもできん。最期位は見届けてやってくれ。」


「……」

 貴史は院長の言葉に耳に入らないのか真奈美の苦しむ様子を和らげようとして手を強く握る。

 酒見院長はこれ以上見たくないのか言葉を発することなく黙って退室した。


「あ、貴史さん……。」

 力が無く掠れたかような弱々しい声が聞こえる。


「貴史さん、ごめんなさい。私そろそろもうダメみたいね……」

 やはり気付いてたのか真奈美は気落ちせずに穏やかな笑みを浮かべていた。死を覚悟してるようだ。貴史は頷き、真奈美の手を更に力強く握った。


「なあ、真奈美。」


「なに……?」


「よかったら、俺と一緒に成層圏へ行かないか。」


「ほ、ほんと!?本当に私も連れて行ってくれるの?……」

 真奈美の表情がぱあっと明るくなった。先程苦しんでいた表情がウソのようだ。


「そうさ、今から結婚式だ。そう、蒼くて、静かで、どこまでも無限だ。……ついてくるかい。真奈美……」


「貴史さん。嬉しい……」

 にこりと笑い、目から一筋の涙が流れた。


「きついだろうけど、後で迎えに来るからちょっと待ってくれよ。」


「うん、ありがとう……いつか迎えに来てね、待ってるわ。」


「うん、お休み。真奈美。」

 満足したかように微笑み眠りについた。


 眠りを見届けた貴史は静かに病室を立ち去ることにした。

 病室から廊下に出て、そこには酒見院長の視線で私を睨むかようにじっと見ている。廊下は薄暗くうっすらと目に涙を浮かべてるのを見えた。

 しかし、貴史は気にもとめず頭を下げた。


「先生、ありがとうございました。」


「君も行くのかね。」


「はい。」

 院長の言ってる意味は理解している貴史は迷いもなく答えた。


「そうか、まったくどいつもこいつも親不孝者ばかりだ。君の両親もだ。わしよりもこの老いぼれよりも先に逝くとは……」

 酒見院長は孫の恭介以外、貴史の両親は子同様、貴史も孫同様に可愛がっていた。しかし、親同然である酒見院長より子が先に逝くことは認めがたいことだった。


「……」


「もう行きたまえ、後はわしがやっておく。」


「すみません、酒見先生。」

 深く頭を下げ、背を向けて歩き出した。

酒見院長は「真奈美と幸せにな」とつぶやき、貴史の背を見送った。




 翌日基地に戻った貴史は恭介にいる部室に訪れた。恭介は山積みになっている資料を読み漁っていた。


「恭介、頼みがある。」


「なんだ、言ってみろ。」

 資料を読むのをやめ、丸メガネを外して指で眉間にマッサージして懲りを(ほぐ)す。


「もう一度量産計画を掛け合うのはもう無理なのか。」


「無理だろうな。通ったとしても少なくとも1年以上かかる。もう間に合わんさ。」

 ハンカチで丸メガネの汚れを拭き取り、言い淀むかように渋々と語りかける。


「そうか、あの蒼電改はどうするんだろうな。」


「……使い潰すか、スクラップ行きだろうな。運がよければアメさんが接収して博物館に保管してくれるかもな。」

 恭介は首振った。蒼電改の行方はほぼ決まっており後者はありえない。

 生き残ったとしてもアメリカは蒼電改のこと畏怖しており存在を認めないだろう。調査尽くした後、廃棄されるのを目に見えている。


「そうか、なら蒼電改は俺にくれないか。」


「ん? なぜだ。」

 拭きを止め、貴史をじっと見つめる。


「連れていきたい人がいるんだ。」


「……山倉さんのことか。」

 林田は察した。前日、山倉さんの訃報は聞いてた。


「いつか成層圏を見たいと言ってた。」


「……」


「……頼む。」


「……ふぅ、わかった。明日準備するから時間をくれないか。」

 拭き取った丸メガネをかけ、溜息を吐く。


「すまない。」


「いいさ、どうせこの戦争はもうすぐ終わる。最期の花道くらいはつくってやるさ。」


 翌日早朝、恭介は関係者や整備員達に集まって話し合い、最初は渋ったがどうやらみんなは口は出さないが近いうちに日本は敗北するということは察していた。なら最期の花道くらいは作ってやろうということでみんなを賛同してくれた。




2日後……


 うっすらと明るくなった夜空、広大な飛行場にその機体はただ1機、ポツンと立っていた。


 高々度高速試作機 『蒼電改』


 敵の空襲により工場等が破壊され量産計画が頓挫した悲運な機体。

 ジュラルミン剥き出しかと思える程の銀色、機首から尾翼、主翼の斜めに流れるかような青いラインに引いてある。


 貴史は飛行服を着込み、待機室から出ていくと飛行場には整備や暖気運転を済ませた蒼電改と恭介、数人の整備員達が待っていた。


 貴史の首から下げている白い箱を抱えている。前日、身内のみで真奈美の葬式を終え納骨を済ませて持参して来たのである。

「待たせたな。」


「暖気運転は済んでいる。いつでも離陸できるよ。機銃と高度計ははずしてある。天を目指すイカロスには無用のものだからな。」


「すまない、恭介。世話になった、ありがとう……」

 貴史は手を差し出す。


「いいさ。山倉さんを大切にな。」


 恭介は応え握手する。そしてもう二度と会うことない永遠の別れを。


 貴史は敬礼し、ゆっくりと蒼電改へ乗り込む。

 まわりの状況を見ると恭介の他、数人の整備員達が見守っていた。


 そして、真奈美の遺骨に入っている白い箱を見詰め、愛おしいそうに右手を当て、瞑目する。


(真奈美……)


 真奈美のことを思い……様々な思考をめぐる。


 ほんの十数秒程度だったが、気を締め直し、計器類をチェックした。高度計だけは外されていたが問題はない。全て異常なしだ。そして、エンジン始動のスイッチに手をかける。


 機体のまわりにいた整備員達が離れ、セルスタートする。キルッキルッとゆっくりとプロペラがまわり、ドゥンという爆発音と共に、横一列に並んだ排気管から、青白い炎が吹き出した。


 暖気運転を済ませたせいかエンジンの調子はすこぶる良い。エンジンの回転を安定させ、青白かった排気炎が無色に変わる。


 コクピット越しで貴史が敬礼してゆくのを見える。恭介も敬礼して応える。他に整備員達は皆、帽振れで見送る。中には涙を流してくれる人もいた。


(みんな……ありがとう……)


 貴史は感謝した。短い期間だったが決して良いとも言えない環境の中で寝食を共にして来た仲間達に。感謝しても足りないくらいに。


 車輪に止めてあったチョークが外され、貴史はブレーキペダルから足を放し、タキシングしながら待機線から滑走路へ出ていった。


 そしてスタート地点に立つと、フラップを目一杯出し、思い切りブレーキを踏んだままエンジンを吹かした。カン高い金属音と共に、プロペラが猛烈な風が巻き起こす。


(行くよ真奈美)


 強力なブレーキから解き放された蒼電改は、はじかれたように滑走を始め、すぐに空中へ舞い上がった。


 舞い上がった蒼電改は限りのない蒼空の彼方へ駆け上がってゆく。


 私達が血と汗を流して作り上げた高々度高速試作機『蒼電改』が飛行機雲を引きながら上昇続けてゆく。



 そして見えなくなった。飛行機雲を残したままで……




蒼電改はその後、




どうなったのかは誰も知らない……




ただ、私は信じる………




遙かなる成層圏を花嫁に乗せて




神々の高みへと上昇を続けているに




違いない……と






Fin


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[良い点] 面白かったです! 良質の戦記ロマン小説だと思います。 [気になる点] 誤字 零戦の二〇ミリ機関銃→機銃 ちょっと気になった点 零戦の通信機の性能が良過ぎるかな? ストーリー的には仕方がな…
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