いきますよ先生
ミズノさんもいるのに「おかしくなりそうなぐらいに好き」なんて堂々と言われて恥ずかしい。ひたすら下を向いてあまりよく聞こえない振りをするしかないじゃないか。
そんな煩悩花畑持ちのイブキ先生の鼻先に、ミズノさんが勢いよくカルテを突きつける。
「イブキ! あんたは教師失格よ!! とにかく今日の特訓は中止しなさい! いいわね!?」
―― なんだって!?
感情が羞恥から驚愕へと高速シフトチェンジ。
そして仲のいいミズノさんからここまで叱られたイブキ先生はすっかり元気を無くしてしまったようだ。
「分かったわ」と力なく頷くとジャージの襟を立て、鎖骨付近にあったスライダーを顎下の位置まできっちりと引き上げてしまう。ちょっと待ってくれよ、特訓してくれないのかよ!?
ミズノさんは唖然としている僕に向かって、「タイセーくんも今日は帰りなさい」と無情な帰宅命令を下してきた。だけどこの人の独断に従う義務なんてない。
「僕は帰りません。このままイブキ先生と特訓します」
「ダメよ。今日の特訓は中止だってば」
「納得できません。どうしてミズノさんが勝手に決めるんですか?」
「だってイブキの頭を一日冷やさないといけないでしょ。特訓を口実に自分の欲望を満たそうとしているんだから」
「そんなことする必要なんてありませんよ」
「駄々をこねないの。いい子だから明日からになさい」
ミズノさんの言い方が本当にいちいち癪に障る。小学生じゃあるまいし、いい子ってなんだよ。
それに今は一秒だって時間が惜しいんだ。
今すぐにでも力を使えるようにならなきゃいけない状況なのに、こんなところで足踏みなんてしている暇なんてない。
「そんなの余計なお世話ですよ」
「余計なお世話って……。タイセーくん、それちょっとひどくない? あなた、私に特訓の様子を見に来てほしいって頼んだこと忘れたの?」
「いえ、覚えてます」
「覚えてるならなんでそんなひどいこと言うの?」
「ひどいことを言ってるのはミズノさんじゃないですか。僕はイブキ先生と特訓がしたいんです」
「特訓は明日からにしなさいってさっきから言ってるでしょ」
「だからそれが嫌だって言ってるじゃないですか」
「聞き分けの無い子ねぇ」
「子ども扱いは止めて下さい。それに分からず屋はミズノさんですよ。これは僕とイブキ先生で決めた事です。あなたが勝手に中止する権利なんてどこにもありません」
「へぇそこまで言っちゃうんだ?」
「そうですよ。だからもう口を挟まないでください」
「ふぅん、タイセーくんって見かけと違って意外と強情なところがあるのね」
「……悪いですか?」
「何をそんなに焦っているのか知らないけど、そんなに息巻かなくたってイブキも特訓も別に逃げやしないわよ」
「…………」
「いい子だから今日は帰りなさい」
「うるさいっ!!」
突然怒鳴られたミズノさんはビクリと身体を揺らすと、僕の顔を穴のあくほど見つめる。
「いつまでもぐだぐだしつこいんだよ!! 邪魔すんなって言ってんのが分かんないのかよっ!!」
ミズノさんが完全に口をつぐんだ。そして急に背を向けるとどこか心もとないふわふわとした足取りでそのまま室外へと出て行ってしまう。
……怒らせちゃったみたいだな。でもミズノさんには悪いけどこれで特訓を邪魔する人間はいない。
さっきまではこの特訓方法に若干のためらいが数%ほどあったけど、ミズノさんの乱入で気が変わったせいで今はゼロ%だ。どんな特訓方法だろうと全力でやってやるよ。
あとは説教を喰らったせいで折れてしまったイブキ先生のやる気を復活させないとな。
僕が甘えたりしてあげればショタコン気質の先生には一番効果的なんだろうけど、今はそんなことに時間を食われるのすらもったいない。
「イブキ先生!!」
強い口調で先生の名を呼ぶ。
するとミズノさんと同じように僕の顔を呆然と見ていた先生が弾かれたように立ち上がった。
「なっなにかしら!?」
「なんで勝手に立つんですか」
「えっ」
「先生が座らないと特訓できないんですよね? なら座ってくださいよ。ほら早く」
イブキ先生の肩を自由の効く左手でつかみ、やや強めにグイと下に押し付ける。
するとイブキ先生は「きゃっ」と小さな声を上げ、こちらが驚くぐらいの呆気なさでドサリと椅子の上に斜めに崩れ落ちた。今は腰まである先生の長い髪が大きく乱れる。握力のある左手で押しつけてしまったせいで力の加減を少し間違えてしまったみたいだ。
「何するのタイセーくん!?」
「ちゃんと座ってください先生。だらしないですよ」
「急にどうしちゃったの!? あなたこんな乱暴なことをする子じゃないじゃない!!」
「僕は僕ですよ。それに誰が喋っていいと言いました? 勝手に口を開かないでください」
「だ、だってあなたが…」
「勝手に喋るなって言ってるんです。今度は僕が先生に質問をする番なんですから」
何かを言おうとしたイブキ先生を牽制し、よく見えるようにわざと先生の目の前で左手を大きく広げる。そして精一杯離した指と指の間にできたそれぞれの隙間から、僕を凝視しているイブキ先生の顔を見据え、
「では答えて下さいイブキ先生」
「なっ何を答えるの?」
「今日このまま僕と特訓をしてくれますね? しないって言ってもそれは許しませんが」
「許さない……? 私を?」
「そうです許しません。だから特訓をすると言って下さい。先生、僕には時間が無いんです。僕は少しでも早くPSIを使えるようになりたい。先生のご指示通りにそれを念力で引き下ろして一刻も早く次の段階に行きたいんです」
「キャアアッ!?」
今はイブキ先生の顎下まで上昇してしまっているスライダー。
そいつを広げていた左手で乱暴に掴み、元の場所、鎖骨の位置にまで一気に引き下ろす。そしてまた指先を大きく後ろに逸らし、叫び声を上げたイブキ先生の胸元にまで一気に近づけた。
「タ、タイセーくん!?」
「動くな」
身じろぎをしようとした先生を短く鋭い命令で思い切り突き刺す。
「イブキ先生、あなたにYESしか言わせない代わりにさっきの先生の質問に正直に答えます」
「…………」
「先生の仰る通り、確かに僕はあなたに恋愛感情は持っていません。ですがそれとは別に先生のあられもない姿ってやつをただで見られるならもちろん見たいです。これが僕の答えです」
「…………」
「いきますよ先生」
約70cm先のイブキ先生の両瞳を射抜くように見つめる。
するとやがて少しずつ先生の瞳の中心が焦点を失ってゆき、恍惚に良く似た表情へと変わり始めた。息も若干荒くなってきている。
やる気、出てきたみたいだな。
「……いいわ……、き、きて……タイセーくん……」
「まず集中すればいいんですね? あと何かアドバイスがあれば都度お願いします」
「えぇ……。するわ……。あなたのために何だってしてあげちゃう……」
姿勢を正し、左の掌だけに意識を集中する。
と同時に、なぜか頭の中が急速に冷たくなったように感じた。
でもこれは“ 冴えてる ”、というのとは違う。
右腕は相変わらず鈍い痛みがあるし、全体的に熱を持ってもいるようだ。なのに頭の中は冷たいから違和感が半端ない。
もし今集中することを止めたら首を境界線にして上と下がバラバラに分離し、イブキ先生の目の前で頭部だけがゴロリと床に落下しそうな気さえする。むろんそんな奇人変人ショー的なことなんて起こりえるはずもないんだけど。
とにかく今は集中だ。
これ以上惨めで負け犬な人生を送りたくない。
だから僕はこの人のジャージを絶対に脱がす。何があろうとも絶対に。