僕の妹はどこですか
「カリン、今日は僕の隣に座っちゃだめだよ?」
一緒に教室に入る前にそう念を押すと、細く整えられたカリンの眉がすかさず吊り上がる。
「あら、どうしてかしら?」
「だって僕の隣はコダチさんだもん。コダチさんは今日はもう学校に来ていたからカリンが僕の隣に座ったらまたケンカになっちゃうじゃん」
「そうなったらなったで別にいいわ。どちらが優れているかをきっちりと思い知らせてあげられるもの。今度こそあのランコ・コダチを私の目の前で屈服させてみせるわ」
あぁ、僕のメデューサ様は本日も冷ややかな闘志を存分に燃やして、女の戦場に身を投じる気マンマンのようです。“ 戦闘準備は万端よ ”、といった雰囲気をひしひしと感じる。
しかしカリンといい、コダチさんといい、マツリといい、どうして僕のクラスの女の子はこうも好戦的な女の子が多いんだろう? 今年のクラス編成、絶対に失敗してるだろ。
「だめだよちゃんと決められた席につかなくっちゃ。そのうち席替えがあると思うし、それまでは我慢してよ」
「じゃあその席替えっていつなのかしら?」
「それは分かんないけど……」
「入学してから席替えしたことある?」
「ううん、まだ一度もない」
「ほらご覧なさい。入学してからもう二ヶ月経ってるのよ? 未だに一度も席替えをしていないならこの先もこのままの可能性が高いじゃない」
「だ、だからこそそろそろかもしれないじゃん! そうやって最初から自分勝手なことばかりしてたらクラスから浮いちゃうよ? 僕、今日の放課後イブキ先生に聞いてみるから今日は決められた席に着いてよ」
「…………」
「カリン!」
「……分かったわ。タイセーに嫌われたくないし、言うとおりにする」
良かった! 言うことを聞いてくれたよ!! これで無益なアマゾネスバトルは避けられるぞ!!
今日も一緒に昼食を取ろうと誘うとカリンはパッと顔を輝かせ、「えぇっ約束よ」と嬉しそうに頷いてくれた。よし、これでフォローも万全!!
カリンが奥の席に座ったのを見届けてから僕も自分の席に座る。
そういえばまだ朝のHRも始まってないんだっけ。朝からどたばたしていたせいでもうすぐお昼のような感覚だ。
「ちょっとタイセー、ランコを置いていなくなるなんてひどいじゃないの!」
頭上からちょっぴり居丈高な声が降ってくる。隣の女豹様が戻って来た!!
ぐるりを首を半回転して斜め後ろを見上げてみたらそこにコダチさんはいたけど、彼女の恰好に度肝を抜かれる。
「どうしたのコダチさん!? 制服ボロボロだよ!?」
フルリアナスの夏の制服は白地に水色のラインがベースだ。でもコダチさんの制服はそのあちこちが無残に破れちゃっている。
おかげで小さなおへそもチラチラ見えてるし、白くて長い脚だってかなりの位置まで剥き出しだ。椅子に座っている僕の位置からかろうじて下着が見えていないのがもはや奇跡にすら感じるよ。
“ フルリアナスの制服は可愛いし、夏服は涼しげに見える ”って学校外ではかなり高評価みたいだけど、ここまで来たらやり過ぎです!! 涼しすぎてもうエロの領域に入ってきてるじゃん!! コダチさんの独壇場だよ!!
「あぁこれ? マツリにやられたのよ」
「マツリに!?」
「そ。でも勘違いしないでね。こんな恰好になっちゃったけど勝ったのはランコよ?」
美しきエロ神様は小さく笑うと自信満々に腕を組んだ。
「マツリは念動力だけはまぁまぁ使えるレベルみたいね。でもあの娘、それしかまともに出せるものがないんだもん。なんでもできちゃうランコとは雲泥の差よ」
「マツリはまだ校舎裏にいるの?」
「さぁ? ランコに負けて相当悔しかったみたい。捨て台詞を吐いてどこかに行っちゃったわ」
アマゾネスバトルの勝者はやっぱりコダチさんだったか……。
カリンと屋上でケンカしていた時の様子をリアルタイムで見ていた僕からすればすごく納得できる結果だ。あの時の二人はどっちも対等のレベルに見えたからなぁ……って、あれ、待てよ? バトルの勝者はランコ・コダチ。敗者はマツリ・テンマなんだよね?
ちょっと待ってよまだ一人足りないじゃん!! 僕の心の妹、クルミ・カシムラはっ!?
「コダチさん! カシムラさんは!? カシムラさんはどうしたの!?」
「あぁクルミ? マツリと戦うのに邪魔だから飛ばしちゃった」
「飛ばした、ってテレポートで!?」
「そ」
この娘、対象者だけを別の場所に飛ばすこともできるのか! すごいや!! ……って感心している場合じゃなかった!!
「どこに飛ばしたの!?」
「分かんない」
「分かんないってどういうこと!?」
「ランコ、一緒にテレポートしないと行きたい場所に飛べないのよね。だからクルミがどこに飛んだか分からないわ。でもそんな遠くには飛ばせないからきっと校内のどこかにいるんじゃない?」
まるで他人事のようにサラッと言うコダチさんに思わずイラッと来た。そんなの無責任すぎだろ!! 校内のどこかに飛ばされちゃったカシムラさんを早く探してあげないと!
教室を飛び出した僕の後ろでカリンも慌てて立ち上がった気配がする。
「どこにいくのタイセー!?」
「お腹の調子が悪いからトイレ行ってくる!! イブキ先生にそう言っといて!!」
カリンの後追い行動を抑えるにはこれが一番有効だ。
HRの時間に席についていなかったらイブキ先生に怒られる。一昨日から学校に来始めたばかりのカリンは初日にコダチさんと大ゲンカもしているし、ここで学園のルールを次々に破っていたら成績にも影響するかもしれない。だからカリンは教室に残しておかなくっちゃ。
廊下に飛び出し、いつもイブキ先生が歩いてくるルートを外す。もちろんイブキ先生を鉢合せしないためだ。大急ぎで角を曲がると、
「きゃあっっ!?」
……また女の子とぶつかった。しかも今回の女の子は――。
「イ、イセジマくん……!?」
僕らの後から一人で戻って来たヤマダさんだった。ぶつかった僕に弾き飛ばされて廊下に座り込んでいる。
「そんなに急いでどうしたのイセジマくん? もうHRが始まる時間だから教室に戻らないと」
悪いのは廊下を走っていた僕なのに、そんな僕に弾き飛ばされてきっと痛かったはずなのに、そのことを責めるどころか僕の心配をしてくれているヤマダさん。
また自分の心が不安定に揺れ出しているのを感じた。その事実に怯え、動揺する僕。
「ご、ごめん! 立てる?」
心の乱れなんて無い、そんなの絶対に無い、そう自分に暗示をかけて手を差し出すと、ヤマダさんはほんの少しためらった後でゆっくりと僕の手を握ってくれた。
その瞬間、心臓がドキンと鳴って、動揺のさざ波が一気に大きくなる。
くっ……、何も考えちゃダメだ!!
今の自分の気持ちを降り終えたばかりの雪原のようにただただ真っ白にし、機械的にヤマダさんを引き起こす。
「ありがとうイセジマくん」
かすかに頬笑み、お礼を言うヤマダさん。
「イセジマくんはケガしてない?」
ヤマダさんはまだ僕の心配をし続けてくれる。
うん大丈夫、と答えたけど、渇き気味の唇から出た自分の声は聞きとれないぐらいにかすれていた。
でもヤマダさんにはちゃんと聞きとれたみたいでニッコリと笑ってる。眼鏡をかけたお人好しな女の子はどこまでも僕に優しい。
「良かった。イセジマくんもなんともなくて」
いくら自分の心の中をこれでもかってぐらいにまで真っ白に塗り潰してみても何も意味が無いことがここで分かった。
この娘と話す度に作り上げた偽りの雪原は呆気ないほど簡単にかき消されていく。
今も剥がれ続けている白色のその下にある本当の色の中には、きっとこの女の子に惹かれている気持ちがまだ残っているんだろう。
入学時からほのかに感じていたヤマダさんへの想いがカリンと両想いになって以降、どれぐらいにまで薄れたのか今の僕には分からない。……いや、もしかしたらその濃さはまだほとんど変わっていないのかも――。
そう思った瞬間、身体中の血がサァッと足元に落ちていくような感覚がした。
自分で考えついたくせに、それに勝手に脅えるなんて滑稽としかいいようがない。
だけど僕はカリンを守るんだ。PSIを使えるようになって今度こそあの娘を守れる男になりたいんだ。
きっとヤマダさんへのこの感情だって、もっと時が経てば少しずつ消えていくはず――。
どうしてそんなに驚くの それが君の本心なのに
「うわあああああああっっ!?」
な、なんだよこれ!?
脳内に現れた映像に驚き、勝手に足が後ずさる。
頭の中に過去画像を表示させることなんて落ちこぼれの僕には出来ないはずなのに、なぜか裏庭の木々の中でポツンと一人佇んでいるコシミズさんの姿が見える。
なんとなくつまらさそうで、そしてどことなく寂しそうな顔で、ひたすらにじぃっと僕を見ているコシミズさんの視線が脳内から心臓に目がけて垂直に突き刺さってきそうだ。
あぁ頼むからもう止めてくれコシミズさん!!
確かに僕はカリンもヤマダさんもどっちも好きだ。
でも僕は不誠実な人間なんかじゃない。僕はカリンと釣り合わない人間じゃない。僕よりレドウォールドさんの方がカリンにはふさわしいなんて思ってない。今はもう思ってないよ……!
そう全力で叫び出したい衝動にかられた時、こめかみにそっと何かが当てられたことに気付いた。
ハッとして強く瞬きをするとすぐ目の前にヤマダさんがいる。
「イセジマくん、急にすごい汗……。具合が悪いのね? 救護室へ行きましょう。私も付き添うから」
呆然と冷や汗を流している僕の顔を何度も自分のハンカチで丁寧に拭ってくれている。
「イセジマくん歩ける? 無理ならここにいて。急いでケアスタッフさんを呼んでくるから」
「……大丈夫。歩けるよ」
こんなことをしている場合じゃない。早くカシムラさんを捜しに行かなくっちゃ。
でも頭がフラフラして少し目まいもする。
なんだろうこの目まい。今まで体験したことのないような目まいだ。目の前がぐるぐる回っているというよりは、身体の内部全体がぐるぐると回っているようなおかしな感覚がする。
こんなんじゃカシムラさんを探せない。メディカルルームで簡単な治療してもらった方がいいのかな。
「無理しないでゆっくり歩いてね。私が支えるから」
「一人で行けるよ。ヤマダさんこそ早く教室に戻って」
「ううん付き添わせて。イセジマくんが心配だから」
さっきカリンと手を繋いでいたことにも触れず、僕を心配してメディカルルームに付き添おうとしてくれているヤマダさんの優しさが、この目まいをどんどんと加速させていくような気がした。
「……ヤマダさん」
「なに?」
「なんでさっき校内から外に出てきてたの?」
「イセジマくんがなかなか教室に来ないからどうしたのかなって思って」
「僕を探しに出てみたってこと?」
パチパチと頻繁に瞬きをした後でヤマダさんは恥ずかしそうにこくりと頷く。
―― もし僕が幼い頃のようにPSIを使えていたら、
二人の女の子の間で揺れるなんていう葛藤をしなくて済んだのかな
そんなネガティブな事を考えた時、頭でまとめる前に言葉が口から出ていた。
「ヤマダさん、君の助けはいらないからもう僕に構わないでほしい」
たったこれだけの短さのくせにこいつが持つ言葉の威力は絶大で、目の前にいる眼鏡をかけた女の子の顔が哀しげに曇ってゆく。
ついでに「迷惑だから」とまで言おうと思ったけど、今のヤマダさんの顔を見てしまったらとてもそこまでは口に出来なかった。
「イブキ先生が来ちゃうから早く教室に戻った方がいいよ」
ごめんヤマダさん。
でも僕は不誠実な人間じゃない。そんな人間になりたくない。
ヤマダさんが支えてくれている腕を外し、僕は一人でメディカルルームに向かった。